四章 不思議な少女 (6) 白金の簪
馬鹿祭り三日目。
白鴎宮では一日に五度、水浴びを行い、着替えをする。王宮にいる間のフィーネの服は、侍従職と呼ばれる王族の身の回りの世話を司る役人たちに命じて用意しておいてくれたのだが、故郷であれば行事の時くらいにしか着ないような華やかな晴れの衣裳は着るのがいささか面倒くさかった。
一方、主人の困惑などお構いなしに喜び、はしゃぎ回る者もいた。ヒレナをはじめとした侍女や女官たちだ。
彼女たちは、フィーネを誰よりもお洒落な女にしようと口々に言い合って櫃から服を取り出してはフィーネに着せて遊んだ。最初はお洒落というものを学ぼうと考え、彼女たちにされるがままになっていたが、一日四回、それが三日も続くとさすがに精神的にまいってきた。
おかげでお洒落や美意識に疎いフィーネでも、それなりに素敵な装いがなんとなく理解できるようになったのだが、白粉の匂いは鼻にきつく、唇の紅は食事の時に落ちないように気を配らなくてはならない。裳は足が透けるような頼りない感覚がし、肩の出た女物の服では胸がはだけそうになることが稀にあるのであまり激しい動きができない。
とにもかくにも面倒臭いこと極まりなかった。
特にフィーネが気に食わないと感じていたのは南部地域特有の胸元を出した意匠だ。
辛抱だ、我慢だ、と念じて必死に耐えていたのに、先日第三王子に扮したアウィルドに『貧乳』と言われて馬鹿にされたことは少し堪えた。好きでもない服を着せられた挙げ句、心無い悪口を言われてさすがにフィーネは落胆した。
ところが今朝届けられた衣裳は、露出を抑えた上品な意匠で、フィーネの好みに合うものだった。
肩掛けには透き通る薄布をあしらい、落ち着いていながらも涼しげで華やかさがある常磐色の衣は、細身で小柄なフィーネによく似合った。
「今日の服はいつもと少し雰囲気が違うんだね。袖もついているし、肩や胸元を出さなくて済むのは嬉しいな」
「そうですね。昨晩届けられたお品物とのことですが、ファーシャ様の好みをよく把握できておりますね。こちらはどなたが用意なさったものでしょう? デーデ殿でしょうか」
ヒレナの問いにルラ・ドヌープが朗らかに答えた。
「それが、デーデ様ではないようです。ロルア侍従長に確認してみないとわかりません」
「それでしたら、ダウレス大臣から指示があったと伺いましたよ」
「サラー、お帰りなさい」
ルラの言葉にサラー・プナハーはただいま、と微笑んだ。彼女はヒレナに細長い小箱を手渡した。
「先ほど宰相様より、こちらをファーシャ様にお渡しするように、と仰せつかってまいりました。宰相様からは、ぜひともファーシャ様に身につけていただくようにと言付かっております」
蓋を持ち上げて中身を確かめたヒレナは浮かない顔をした。
「ヒレナ、どうしたの?」
「……いえ」
目をそらすヒレナをよそに、他の侍女たちは目を輝かせた。
「まあ! なんて素晴らしい簪なのでしょうか!」
ルラは目を輝かせたが、中身が簪であることと、ヒレナの表情から大体の事情を察してフィーネは困ったことになったと不安を抱いた。
セイファンがサラーに預けた簪は、フィーネがユリフェ邸の自室に置いてきた簪で間違いなかった。それは、フィーネの十五歳の誕生日の贈り物として、アウィルドから贈られた銀の簪である。花と枝を象った華奢な意匠の簪は、手入れをされていなかったというのに、全く曇ることなく美しい銀色の輝きを保ち続けていた。
「こちらはエゼリアという簪屋の品ですね。王宮や神殿での儀式にも用いられるたいへん由緒正しきお店のものになりますよ」
さあ、さっそくお召しに、とトムカ・ヤンに急かされたが、フィーネはこの簪を身につけたいという気分には到底なれなかった。それどころか、セイファンに対して腹立たしくさえ思っていた。
「ごめんなさい。この簪をつけるわけにはいきません」
「どうしてですか? このお色も繊細な意匠もとてもよくお似合いになられそうなのに」
「トムカ殿ありがとう。でも、この簪は私にとって特別な品で、大切な物だからこそ、家に置いてきたんです。それなのにセイファン様は……」
彼はこの簪の送り主を知っている。だからこそこれを身につけさせようとする意図が、どことなく、その方面のあらゆることに疎いフィーネでさえ理解できた。
「大切な物ならなおのこと、手元に置いておかれるべきですわ。それに、簪は髪に挿してもらってこそ真価を発揮するものですよ。この繊細な銀の輝きは間違いなくファーシャ様にお似合いになるはずです」
サラーには申し訳なく思うのだが、やはりフィーネは簪を使いたくなかった。アウィルドが彼らしからぬ装飾品など贈り物に選んだ意図が分からぬ以上、彼の前でこの簪を挿した姿を見せたくはない。
「サラー殿、申し訳ありませんがやはり、こちらを使うわけにはいかないのです」
「……左様でございますか。畏まりました。たいへん残念ではございますが仕方ありません。宰相様にはわたくしからその旨お伝えしておきます」
「いえ、私が自分で伝えます」
「よろしいのですか?」
「はい。セイファン様には少し言いたいこともあるので」
結局、フィーネの髪は脇を結い上げられ、耳元からうなじに続く細い三つ編みには布細工の小さな花飾りをいくつか編み込むこととなった。
朝食前にフィーネはセイファンを訪ねた。ヒレナを外に待たせ、通された彼の部屋は、部屋というよりも倉庫に等しかった。床から天井に至るまで無数の本や巻物、木簡や石版や粘土板の柱が築かれていた。それらの壁の隙間に埋まるように立て膝でゆったりと座りながら本の頁を捲っていた彼はフィーネと目が合うと苦笑した。
「おはようございます。簪はお使いになられなかったのですね」
「……セイファン様、私は今、とても腹が立っているのです。その理由がおわかりになられますか?」
「ええ。勿論ですとも。陛下からの贈り物を勝手にご実家から持ち出した件についてでございますね」
「わかっているなら何故っ!」
彼は本に紐を挟むと傍らに置いた。掃除が行き届いていないのか、赤い敷布には薄く埃が積もり、ところどころ黒ずんでいるように見えた。
「お怒りもごもっともです。ですが、自分が贈った品を身につけたファーシャ様のお姿をご覧になれば、あの方も考えを改められるのではないかと考えました」
「何故ですかっ?」
「唐突ではございますが、あなたは陛下の女性嫌いの話はご存知ですか?」
「昨日、デーデ女官長からお話は伺いました」
「それでしたら話は早いですね。一昨日お話しした通り、陛下には今まで特別なお相手と呼べる女性がおりませんでした。ですが、あなたには何故か簪を贈った。陛下が社交的な場での付き合い以外で……いえ、女性に個人的な贈り物をなさることは、とても異例なことなのです」
「確かに、あれは陛下らしからぬ贈り物でしたが」
「そうでしょう。王宮内で働く者の中には恋愛事に関して詮索好きだったり野次馬をすることを好んだりする者がそれなりにおり、陛下が簪を購入なさった件についてとても興味を抱いているのです。それもそのはずで、今まで全く色恋沙汰のような浮いた話が出るどころか、芽生え次第、即へし折り続けたあの方がそのような真似をするなんて信じられない! お相手は何者でしょうか!? などと次々とわたくしのところに来て尋ねてくる者が日に日に増えていった時はわたくし自身も、とてもわくわくとした気持ちにさせられました」
「セイファン様……」
「普段のあの方であれば、王宮を抜け出してあちこちで荒稼ぎしたお金で趣味の物や贈答品を購入しております。ただ、今回は明確に陛下ご自身からの贈答品という名目で内廷費で予算をつけて、国王の名で直々にエゼリアに発注を行ったようです」
「どうしてそのような手順を踏まれたのですか」
「さて? その理由は本人のみぞ知るところです。ですが、誠に勝手ながら昨晩、実物の簪の細工を確認させていただいたところ、最高品質かつ守護魔術的な特別な力が込められているようでした」
「え? セイファン様は魔術について知識があるのですか?」
「知識は全く持ち合わせておりませんが、母が元は占い師だったからか、魔術の『色』を見ることだけはできるのです。そして、この簪は、一般的な富豪や王族でも手に入れることは難しい、いわゆる国王やその妃のような君主階級向けの品です。材料も、西方の国で近年になって銀とは異なる金属であると判明した、たいへん貴重な白金で出来ておりますし、白金を扱えることからも、エゼリアの中でも当代最高の職人といわれるノンイェ・マヤーケン・エカルテ氏の作であることは一目でわかりました」
彼は立て膝をついていたが、足をそろえて居住まいを正した。
「……そのご様子ですとかなり驚かれておりますね」
「もちろんです。とても高価そうなお品であることはわかりましたが、まさかそこまでのお品だったなんて……」
アウィルドらしからぬ贈り物であるばかりか、なんととんでもない品だったのか。ヒレナからは成年の儀の祝ではないかと言われて内心ほっとしていたというのに、ここまでくるとただ事では済まされないではないか。
「だからこそ、その簪を身につけたあなたをご覧になれば、陛下のお心にも何らかの変化が生じるかもしれないと考えました」
「……以前、セイファン様は私に陛下と恋仲になってみたくはないかとお尋ねになりましたよね。まさか今度は簪をつけて色仕掛けしろとでも命じるおつもりですか」
「いいえ。とお答えしたくはございますが、否定しましょう。あなたの推測どおり、確かにわたくしは下心を抱いておりますとも」
「なんで……」
彼は目を伏せながら弱気な笑みを浮かべた。兄に似て美しいが、あちらは派手な一輪でも目を引く扶桑花であるのに対し、弟は三友花のような儚げな花のような雰囲気の美しさがある。
「……怒ってくださって結構です。わたくしは、あなたの気持ちを考えずに勝手にあなたを利用するつもりでおりますから」
「申し訳ございませんが、セイファン様からこの簪についてのお話を聞いてみて、やはり迂闊には身につけてはならないものだとはっきりしました。ですから――」
「かしこまりました。ではファーシャ様。こちらの簪は無理に身につけられなくて結構です。ですが、その簪は兄の気持ちが籠もっているものだと思います。ですからどうか大切になさってくださいませ」
フィーネは戸惑いながらも頷いた。
「おはよう、ファーシャ殿。今朝は早いんだな」
「おはようございます」
雀の間に入るとすでにラキアが絨毯の上でくつろいでいた。先ほどセイファンから聞かされた簪の話のせいで、フィーネはラキアとどう向き合うべきなのか距離や接し方を測りかねていた。
彼は自席の前で立ち尽くすフィーネに目を向けると下品な笑みを浮かべ、フィーネと背後に立つセイファンとヒレナを順々に見た。
「しかもセイファンと一緒に現れるとはなんともいいねぇ。しかも今朝の服はいつもと雰囲気が違うんだな」
「ダウレス殿が手配してくださったとうかがいました」
「へえ。良かったな、貧相な身体を曝さなくて済んで」
「……なんですって?」
「怒るなよ。事実だろ」
「仮に事実だとしても言って良いことと悪いことがあります! 先日も貧乳と馬鹿にしてきましたし、最低です!」
「それじゃ、あんたは胸丸出しの服の方が良かったのか?」
「嫌に決まっているでしょう!?」
フィーネは一瞬、言葉に詰まった。目頭に熱を帯びて鼻の奥がつんとしたが、目をきつく閉じて気合いで封じ込めた。
「今朝の服はとても気に入ってたのに、あなたのせいで台無しです! 馬鹿っ!」
「へえ、そういうのが好みなのか。覚えておこう」
馬鹿と言われても彼はにやにやと下卑た笑みのままとても愉しげにフィーネにいくつか馬鹿にするような雑言をぶつけた。その度に腹立たしさで彼の側頭部に一発蹴りでも入れてやろうか、と物騒な考えを抱いたが、相手は国王だ、とひたすら心の中で念じ続けて実行には移さなかった。
「ところで、王宮内の奴から聞いたぜ。あんた、セイファンから簪を贈られたんだって?」
「は? 何ですかそれは」
「とぼけんじゃねえよ。それに……兄貴も隅に置けないな。いやあ、エゼリアの簪を贈ったそうじゃねえか」
「ええ。ですが、贈り主はわたくしではございませんよ。陛下直々に贈られた簪を本来の持ち主であるファーシャ様にお返しいたしました。ですが、簪の件はファーシャ様にお仕えする侍女しか知り得ない情報のはずですが、どうして殿下がご存知なのでしょうね」
「自分の胸に手を当てて一度よく考えてみろ、ばーか」
セイファンはラキアの挑発に対してさして機嫌を害する様子もなくフィーネとヒレナに着座を勧めた。
今朝の食事は豚の挽き肉や玉葱、茸や野菜を混ぜた餡を、小麦の生地で包んで蒸した肉饅頭だった。外側のふわふわとした少し甘くてもっちりとした食感と、かぶりついた瞬間に中から染み出す野菜と肉の旨味たっぷりの汁がたまらず美味で、フィーネは思わず猫のような声で唸ってしまった。冷えた黒豆茶がさっぱりとしており、あまりの美味しさに、あれこれ考えていた煩い事をすっかり忘れた。
朝食が終わるとセイファンは昨日同様にラキアに問いかけた。
「さて、この後ラキア様はいかがなさるご予定ですか? 本日こそ、ファーシャ様と一緒に宝物探しを――」
「誰がこいつと行動するかよ。今日は待ち合わせの予定もあるからひとりで行動させてもらう」
「待ち合わせ?」
「ああ。とびきりの相手と逢い引きをする予定だ。だからこんな奴の面倒を見る暇はねえんだよ」
逢い引き、という単語を耳にしてフィーネは胸の奥が詰まるような嫌な心地を覚えた。相愛の男女が人目を憚って会うこと、ということは、彼にはフィーネが知らない意中の女性がいるということだ。それならどうして教えてくれないのだ。さらに、そのような相手を差し置いて簪をフィーネに贈ってくれた行動の意味がいよいよわからない。
「ラキア様? それは規則違反です。昨日も申し上げましたが、監督役はファムと共に行動するのが決まりです」
「規則は破るためにあるものだ、と古のザザンバラ船長が書いた小説に書いてあっただろ?」
「なんと妙なことを言ってるんですか。規則は守られるためにあるものです」
「いいや、規則は誰かを守るためのものだ。同時に誰かを傷つけるおそれがあるのならば、その規則は見直すべきものとなる」
「それはそうですが……」
セイファンは俯き、顎に指の背を当てて考える素振りをした。
「つまり、暑さに弱い片翼候補の体調を守るためには馬鹿祭りの規則に関して特例を設けようと思うわけだよ、兄貴。安心しろ、宝物は昨日だけで四つ集めた。残る一つはガイズが隠したやつで厳しそうだからそいつは連れていけねえんだよ」
「もう四つも!?」
驚き呆れるセイファンの叫びに返事をすることなく、ラキアは「じゃあな」とげらげら笑いながら部屋を後にした。
白金はかなり昔から利用されていたそうですが、銀との区別がよくわかっていなかったそうです。
某地域の人々が略奪してきた中に白金があり、鋳溶かそうとしたものの銀よりも融点が高いことを知らず、うまくできなかったことから「偽物の銀」として屑扱いして捨てていたそうです。
それが実は白金という銀とは別の金属であることが判明すると、価値が見直されたそうです。プラチナが宝飾品だけでなく、触媒や懐炉などとしても利用され、金よりも貴重で資産価値がある的なイメージがある現代から見ると、なんとももったいない話だなと感じました。
そして、そんな高価な材料の簪を一個人に送りつける国王……。この国って大丈夫なのでしょうか。




