四章 不思議な少女 (5) 毛染めと長袖と神鳥
覚え書きに指でなぞるように触れているとフィーネは急にある違和感を思い出した。
「そういえば、ラキア様の服装って……」
「今までお見かけした服は群青色だったり紺色だったり水色でしたね。青系統がお好きなのでしょうか? あとはいつも長袖をお召しになってますね」
「それだよ! ラキア様についてずっと気になっていた変な違和感! 毎日沐浴の度に色は違えどあの方、手首はもちろん、立ち襟だから首まで隠れているし、足首まで覆うほどの長袖の外套を着てるでしょ? 十二歳の頃の陛下は普通に半袖を着ていたんだ。あんな見ていて暑苦しい格好ってもしかして何か意味があるんじゃないかな。もしかすると単に本物のスヴァロン殿下の趣味かもしれないけど……」
「スヴァロン殿下はどちらかと言えばご自身の肌をあられもなく魅せる意匠を好まれておりましたからその推測は違いますね」
「ヒレナってスヴァロン殿下とも面識があったの!?」
「まあ、あの方とわたくしは少なからず因縁がございますからね」
「そうだったんだ。すごい。ところで因縁って?」
「つまらないことです。何を食べたらあんな野蛮で粗暴で破廉恥な方になられるのかわたくしには理解できません」
「またまた、ミムロンの時と同じことを言ったりして……」
「……そうですね。ですが、殿下は幼かった頃から女癖が悪いだけでなく、口も悪かったので、色々な噂を耳にしたり、わたくしも実際にとんでもなく侮辱的なことを言われたりしたことがあったのです」
「ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまったみたい」
「大丈夫ですよ。あの方よりわたくしのほうが百倍は強いですので返り討ちにしましたから。そんな昔のくだらない話よりも今すべき大切な話は陛下のことです。話を戻しますと、わたくしの推測では、あの外套は龍鱗糸製の鎧ではないかと考えます。龍鱗糸は、貴人が自己防衛のために普段の衣に混ぜ込むことがある特殊な鋼よりも硬い糸にございます。主な特徴は、高い耐久性と軽量性、それと遮熱性にすぐれていることでしょう。わたくしも何度か遭遇したことがありましたが、矢も剣も槍さえも全く通しませんし、ましてや火も水も、酸や毒物さえも防いでしまうのです。まさに最強の鎧でした。ただ、原料の産出量も製造量も少なくて加工がとても難しいところが欠点でかなり高価な繊維にございます」
「確か、リドア領のリーデアル鉱山でしか採れないんだったよね」
「はい」
「リドア領といえば王太后陛下の故郷だよね。あと、クーヴァルの産地でもあるよね」
「その通りでございます。あなたが陛下に真水を浴びせかければと仰ったのも――」
「たぶん、クーヴァルで一時的に髪を黒く染めているんじゃないかと思ったからだよ」
クーヴァルとは、海藻由来の染料の名だ。主に髪染めや、裁縫の際に布に目印をつけるために用いられる。汗や海水に強く、真水に弱いという性質を持ち、しっかり色づくが落とすのが楽で、本来の髪色を保ったまま一時的に髪の色を変えたい時などに重宝するという。
そしてこの染料は色異の者と呼ばれる人間が護身のために使用することが多かった。
ウルガをはじめ、スーヴェ大陸の東部に住む人々の多くは、黒い髪と瞳を持つ。時折、それ以外の容姿の者がおり、ウルガではそのような者たちを色異の者と呼んだ。特に、建国神話に登場する十三の氏族の始祖は、ユリフェを除いていずれも色異の者だった。
例えば、リドアは赤い髪、ヴェシスは緑の瞳。カルヴァは橙に近い茶色の髪。ラーダは右目だけが青く、タイトは金髪、まれに紫眼という具合になっており、彼らの形質はそれぞれの氏族を特徴づけるものとして重要視されていた。ゆえに、色異の者の一族に生まれながらも特別な色を受け継ぐことが出来なかった者は不幸なことに生家から追い出されることもしばしばあるとフィーネは聞いたことがあった。
ユリフェも建国神話に一応登場することにはするのだが、残念ながらこれといって特別な容姿はなく、大した活躍もしないため、他の十二氏族からは揶揄や侮辱を込めて無色の者などと呼ばれることがあり、さらにろくな官職にも就けぬ無職の者と馬鹿にされることもあり、大変不名誉なことだと伯父も父も腹立たしさを隠さなかった。
ウェルフ・アウィルドリーシャ・ラウルガル・リドアはその名の通り、母親から赤髪を受け継いだ。燃える炎か、扶桑の花のようにあでやかで美しい色の髪の持ち主だったが、それは、リドア家が国王の外戚であると一目で人々に知らしめるものであった。
「クーヴァルは便利だけど、人気商品のわりにリドア家が製法や販売を独占していて、なかなか入手は困難なんだよね」
「ええ。リドア家は需要が高いことがわかっていながら生産量を敢えて絞っているという噂すらありますし、なかなか食えない一族だとわたくしも思います」
「うん。リドアは陛下の母君のご実家だし、今のウルガ王国で一番力を持つ貴族だと言われているしね。そのくせ職人でも豪商でもあって農具や水車をはじめ国内の色んな産業を牛耳ってる。鉱山も持っているし、国の真ん中らへんに領地を持っているから交通も意のままに管理することができる。師匠から教わったけど、いまの王家にとっては一番敵に回してはならない一族なんだって。クーヴァルも龍鱗糸も独占しているから王家はリドア家には頭が上がらないらしいって」
「左様でございます。ですから、仮の話ですが、万が一にも龍鱗糸が他国の手に渡れば危険だから、と王家がリドア家にのみ専売権を与えて保護していると聞いたことが……。そういえば今から百年くらい昔の話になりますが、リドア家は王家に成り代わるという野心を抱いたことがあったそうですね」
「ええと、師匠から教わった話だと確か、私兵を使って一時は国王と王家一族を王都から追い出すことに成功したけど、その天下は長く続かなかった上に、神託で国王には相応しくないと言われたんだっけ」
「はい。野分や洪水が王都を襲い、神鳥宮の池からも夜明真珠が全く採れなくなってしまったそうでして、民衆や貴族たちは不満を募らせて当時のレリファ=シシカに依頼して神託を降ろしたそうです」
「それで、その神託を知った当時のリドア家当主は、自分の命と引き換えに国王に一族の許しを乞うて、許してもらったんだったかな。王家は王宮と王権を取り戻したけれども、この騒動がきっかけで後々の世で後継者争いが起きてしまったんだよね」
「その通りです」
「でも変なの。結構な国の危機だったはずなのにその時は翼王は現れなかったんだもの」
「翼王が現れるのは、外敵による脅威が迫った時といわれておりますからね」
「それは……」
アウィルドがこの先の人生で迎えるであろう苦難を考えると、フィーネはいつも彼が気の毒で涙が出そうになる。だが、泣くことが許されるのはあくまでもアウィルド本人であってフィーネではない、と歯を食いしばって出かかった涙をこらえた。
すると、急に窓の方からばさばさと大きな羽音が聞こえた。振り向くと、一羽の鳥が窓枠に留まっていた。
「あれ?」
見たことのない種類の鳥だ。真白い身体に虹のように輝く九本の尾。孔雀の羽のような目玉模様がなかなかに派手だ。左右の瞳の色が異なり、右目は金色、左目は銀色をしている。頭や嘴や脚は鷲に似ており、額には宝玉飾りのような謎の器官がついている。このような種類の鳥は知識にない。
「あら、これは、ずいぶん珍しいですね」
「ヒレナはこの鳥の種類を知ってるの?」
「え? あなたはすでにご存知では?」
「ううん。会うのは初めて。鷹とか鷲に似ているようだけど、孔雀の羽みたいな尻尾だし、鴎にも似ているし……そう、あれだよ! 彫刻とか絵で見た神鳥様に似てる気がする!」
「……ええと、ファーシャ様? この御方が、神鳥こと、鳥の神様でございますよ」
「この鳥が、神鳥!?」
フィーネが持っている星鏡の螺鈿の鳥も神鳥だ。だから見知っているはずなのに、実物を目にするのが初めてだったのでまるで夢でも見ているようなふわふわとした感覚に陥った。
神鳥は不死の鳥だ。
風の女神の兄神が天界から顕現した姿であり、翼王の誕生とともに眠りから覚め、その生涯を見守る。フィーネをはじめとした霊力や魔力の類を持たない一般の民にとって、唯一、肉眼でその姿を見ることが出来る『神』だ。
「恐れながら、あなたは立太子の儀でご覧になったり、陛下から紹介されたりしておられないのですか?」
「うん、立太子の儀の時は別のことを考えてて上の空だったからそれどころじゃなくて覚えていないし、その後もアウィルドさまが何度も紹介してくれようとしたんだけど、いつも留守だったり籠から逃げていたりして、会えたことがなかったんだ」
だからこそ、溢れそうになる感動を心の内に抑えつつ、フィーネは神鳥に向き直ると、深々と一礼した。
「初めまして、神鳥様。私はフィーネと申します。あなたのことは、アウィルド様から度々お話を伺っていたのでお会いできてとても嬉しいです。どうか、よろしくお願いします」
フィーネの挨拶に返事をするように、神鳥は鳴いた。石琴のように非常に高く澄んだ七色の音を奏でるという伝説は知ってはいたものの、実際にその不思議な鳴き声を聴いたのは初めてだった。
「綺麗な声だね」
「ええ。天の主神の宝物の一つである鈴晶石の石琴から産み出された神という言い伝えの通りなのだとわたくしも思います。しかし、わたくしもここまで間近で見るのは初めてで、少々戸惑いが……」
「なんて仰っているのかな? 言葉が通じれば良かったのに」
「そうですね。陛下ならおわかりになるのでしょうが、わたくしにも美しい音にしか聞こえず。ですが、恐らくはご挨拶なさっておられるのでしょうか」
「あーあ、陛下が羨ましいな。私もお話しできれば良かったのにな。そうだ、『鳥使い』が使う『鳥使いの言葉』なら通じるのかな」
「ユリフェ家にも簡易的な鳥使いの言葉を扱える者がおりましたが……」
「私は教えてもらえなかったからな」
大きくため息をつくと目の前の神鳥は再び清らかな声で鳴いた。それからフィーネをじっと見つめた。金を閉じ込めた水晶のような輝きはまっすぐこちらに向けられていた。
伝説によれば、天の主神を父に持つ神々は皆、銀の瞳を持つと言われている。そして、神力を使う時には永遠の象徴たる金に変化する。
鳥の神の瞳の色も本来は銀であるが、神界での本来の姿から神鳥として人界に顕現している間は常に神力を使っているため右の目が金色に光るのだという。
夜の闇の中、フィーネの部屋まで飛んでくることができたということは、神鳥は夜目が利く鳥らしい。金と銀――月と星の光のような瞳に見惚れていると、神鳥は前触れもなくいきなり嘴でフィーネの額を小突いた。
「あいたっ」
「大丈夫ですか!?」
軽くではあったが鋭い痛みに悶えてフィーネは額を押さえてうずくまった。
その間に神鳥は羽を広げて窓の外へ飛び去ってしまった。
「……私、何か失礼なことをしてしまったのかな。ご機嫌を損ねてしまったみたい」
「額を見せて下さい」
「少し痛むけど大丈夫だよ。ほら、穴は開いてないでしょう?」
「ええ。ですが結構赤くなっていますね。腫れては大変ですので冷やすための水と手拭いを頂いてきますね」
お待ち下さい、と言い残してヒレナは隣室に向かった。
神鳥に嫌われたことは少し悲しかった。そして、偽の片翼であると見抜かれたような気がして胸が痛んだ。




