一章 ~七年前 王太子との約束~(4) 「知りたい」
「そういえば前々から思っていたのだが、フィーネ殿は学者のように色々な物事を知りたいと思う気持ちがとても強いみたいだから将来は『医学者』でも目指してみてはどうだろうか」
「医学者というのは具体的にどのようなお仕事をする方々なのですか?」
「医に『学者』とついているだけあって、普通の町医者のような目の前の患者をその都度助けるというよりは、病の成り立ちや原因の調査をしたり、新しい薬の開発をしたり、もっと体系的に知識をまとめたり、専門的な技術を応用して世の大勢の人々を救うのが主な仕事になる。王都は元々交通の要衝でもあるから東西南北様々な知識や技術がもたらされやすいし、王立医術学校もある。狭き門ではあるが、あらゆる地域からもたらされた最新の医術を学ぶことが出来るはずだ」
「そんなすごく面白そうな学校があるのですか!?」
「その様子だとかなり興味があるのではないか?」
彼の指摘に図星を突かれてフィーネは赤面した。自分でも気づかぬうちに興奮のあまり立ち上がって弾んでいたなんて物凄く恥ずかしかった。アウィルドも立ち上がると敷布を持ち上げて畳んだ。いつの間にか潮が満ちてきたのか波が二人のすぐそばまで近づいてきていた。
「まあ、まずは医師の資格を神殿から得ることが大事だからそちらを頑張ることだな。もし興味があって医術学校について詳しく知りたければそなたの祖母君や神殿の医師の管理を行っている部署に問い合わせてみるといい」
「耳寄りな情報をありがとうございます! ですが、どうして急にそのようなお話をなさるのですか?」
「……いや、それはまあ……なんとなく、だな」
と、彼は目を背けてこめかみを指で掻いた。
「なんとなくではよくわかりません。どうしてですか?」
「今だから白状するが、そなたはなにか事あるごとにどうして? それで? なぜ? ですが? と訊ねてきただろう? 次々質問攻めにされてじつは内心焦っていたんだ。知らないことは調べればわかるが、知ったつもりになっている誤った情報をそなたに伝えてしまったりしてないかと……な」
そう言われてみればと彼と過ごした日々を思い返しているとそんな感じのことを知らず知らず言っていたかもしれない。
「困らせるようなことをしてしまって申し訳ありませんでした!」
「いいや、謝ることではないし、今はそれでいいんだ。そなたはまだ八つだ。このくらいの年頃というのは見るものすべてが新しいと感じる赤子から、今まで蓄えた知識を使って物事の道理を予測したり理解していくことができるような大人に変わりはじめる大事な時期なんだ。『子供』の立場、というのは知らないことが多くて当然だから便利なものだぞ。こんなことも知らないのか、なんて小言を言われることも少ない。だから子供は子供らしく子供であることを利用してあれこれ大人に訊いていいんだ」
「アウィルドさまもまだ十二歳です。王太子殿下だから例外で成年ですが、本当だったらまだ子供のはず。それなのにずいぶんとおじさん臭いことを仰られるのですね」
「はっはっは! おじさんか! 生憎と髭もすね毛もまだ生えてこない未熟者だがどんと頼ってくれてかまわないからな!」
「いきなり本当におじさんみたいな声でからかわないでください! 上手すぎて意味不明です!」
変声期をまだ迎えていないはずの可憐な声からは想像もつかないような野太い声に面食らってどこから出しているのだろうかと彼の喉元をまじまじと見つめた。彼は疑問符を頭の上に出して首を傾げるフィーネの様子を見てくすくすと普段の声で笑った。
「すまないっ。だが、おじさんみたい、ではなく実際のところ八歳から見た十二歳なんておじさんだ。逆にフィーネ殿は自分のことをそれなりに大人だと思っているようだが、十二歳から見た八歳なんて子供だ。もっと年長者から見たらきっと幼子だ。だから今だけの特権を存分に使って沢山のことを大人から盗んだり学んでいくといい」
「子供は子供らしく、なんて考えたことがなかったので……というよりも、おじさんなんて発言して申し訳ございませんでした」
「謝る必要はない。わたしは王太子である前に翼王だから……一日でも早く大人にならなればならないんだ。背はまだ低いが、いまにこの国一番の大男になってみせるつもりだから楽しみにしていてくれ!」
「ええっ!? それは嫌です!」
「何故だ?」
「だって、アウィルドさまは今もこんなに背が高くていらしゃるのに、これからもっと大男なんかになったら、私は水面で口を開ける魚みたいにいつも見上げてお話ししなければならなくなってしまうじゃないですか」
フィーネが真面目に将来を心配しているというのに、彼はぶっと噴き出した。口と鼻を手で押さえて堪えているが、小刻みに揺れる肩と漏れ出た息の音で笑いを堪えているのがよく伝わってくる。しばらくして彼は耐えきれなくなり、腹を抱えて大笑いした。
「笑わないでくださいっ」
「すまないっ、だが……魚みたいなフィーネ殿を想像するとつい……おかしくてっ!」
「まったく失礼ですね!」
フィーネは鼻を鳴らして憤慨したが、その反応は彼の腹の捩れを助長するばかりであった。フィーネは淑女らしく優雅に威厳たっぷりに怒ってみせているつもりだが、端から見ればぷんすかぷんすか網の上で爆ぜる焼き餅のようでしかないのだ。
ひとしきり笑い終えるとアウィルドは何度もフィーネに謝ってくれたが、子供扱いなのか馬鹿にされたような悔しさから絶対に許すものかとこの禍々しい感情をさっそく先ほど作ったばかりの心の薬箱に放り込んだ。
「殿下は失礼ですね! 王太子殿下たるもの、女君に掛けるべき言葉と掛けてはならない言葉をちゃんと身につけてくださいませ!」
「わかった。ありがたい忠告として肝に銘じておこう」
「……アウィルドさまがそう仰るときはとりあえずその場をしのぐためだけの台詞で全く改善する気がない時と存じておりますからね」
「そなたこそ失礼ではないか」
「失礼なものですか。この一カ月ほど、毎日顔を合わせていて確信しました。将来、アウィルドさまの妹君の皆さまや、お妃さまになられる方がとても可哀想ですので今のうちに直した方がいいとご忠告申し上げたまでです」
無礼とも言えるフィーネの進言に対して彼は急に寂しげに眉尻を下げてこちらを見つめた。伏せがちな瞳が妙に大人びており、先ほどまでの悪ふざけをしていた時との落差の激しさにフィーネはどきりとした。
「アウィルドさま?」
どうしたのだろうか、と不安な心地で見守っていると彼は何事もなかったようにふっと息を吐いてから少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「……もう、話が逸れすぎて一体何の話をしていたのかわからなくなってしまったではないか。まあ、要するに、好奇心旺盛なそなたの気性はそなたにとって必ず大事な宝物となるはずだ。だから大丈夫、そなたはいつかきっと素敵な宝物を手に入れられるはずだ」
「ちゃっかり良い話風にまとめないでくださいっ」
恥ずかしさを誤魔化したくなってフィーネは、ふん、と顔を背けてから夜空に目を向けた。




