四章 不思議な少女 (2) 料理長と女官長と酔っ払い
フィーネが厨房を訪ねると、ちょうど朝食の食器の片付けを終えたところだった。
調理員や毒見役は休憩に入っていたため会えなかったが、料理長が対応してくれた。今年で四十七歳になるという彼は、ふくよかな頬を持ち上げて歓迎してくれた。
さっそくフィーネがアウィルドについての人柄などを問うと、料理長は、「料理好きな御方ですよ」と答えた。
彼曰く、幼い頃のアウィルドが突然厨房に押し掛けて、料理や菓子作りを教えてほしいと頼んできたことがきっかけで、それ以来、料理長が師としてアウィルドの料理指南をしているらしい。国王となって多忙を極めるようになった今日も、時折ではあるが一緒に料理を作ることがあるのだという。
「――陛下は基本的にどんな料理も得意でいらっしゃりますが、特に焼き菓子の腕前はすごいですよ。おそらく王都一番の焼き菓子店の職人に引けを取らないほどの腕前でしょうね」
「それはなんとすてきなことでしょうか! いいなあ、私も一度いただいてみたいです」
「大丈夫ですよ。馬鹿祭りが終われば陛下にお願いしてみても良いかもしれません。そうですね、ファーシャ様にとってその機会が近いうちに巡ってこられますよう、わたくしめがファーシャ様の代わりに竈の神に祈りましょう」
彼は手を組み、祈りの言葉を呟いた。
それから彼は、初めてアウィルドが果物の甘露煮を作った時の話や魚を捌いた時の話など、二人で作った料理の思い出を語ってくれた。
「……そうです、お伝えしなければと思ったことがございます。わたくしはウリューゼ料理は、大量の香辛料が肝心だと考えております。しかし一昨日の晩、馬鹿祭りの宴の後に陛下がこちらにお見えになり、あなた様のために香辛料を控えめにしてほしいと頼みにいらっしゃったんですよ」
「え?」
「片翼候補様は香辛料にはあまり慣れておられず、一昨日の料理を涙ながらに完食されたと聞き、やりすぎたと反省いたしました。申し訳ございません」
「いえ! こちらこそ申し訳ございません。せっかく作っていただいたのと、伝統的なお料理だったとのことでしたので、料理長殿には何も落ち度はございません。ですが、昨日や今朝の料理は私でもいただくことが出来ましたし、とても美味しかったです」
「そう仰っていただけたなら良かったです」
料理長の気遣いに感謝しつつ、フィーネは当然ともいえる疑問を投げかけた。
「ですが、不思議なのですが、どうして陛下はそのことをご存じだったのでしょう? 料理長殿に直々にお願いしてくださったということは、陛下がどなたかから話を耳になさったか、一昨日の宴の席に出席なさっておられたのでしょうか。そうなると、陛下は現在も自由に王宮内を歩き回っておられるのですか?」
「ええと、自由と申しますか……まあ、自由といえば、そうでしょうね」
奥歯に物が挟まったような言い方だな、とフィーネは訝しんだ。
「料理長殿、私はスヴァロン殿下が陛下の変装ではないかと考えているのですが間違っておりますでしょうか?」
「まさか!? そ、そのようなはずはございません! 考え直してみてください。スヴァロン殿下が国王陛下だなんてありえません!」
「いえ、色々と考えてみた結果なのですが……」
「ほら、あの女ったらしな殿下ですよ? 今朝だって鷦鷯宮の中庭で花をとても愛でておられましたし――」
何故だかわからないが、急にフィーネはラキアに対して苛立ちを覚えた。『花』とは俗に女人を表す隠語でもあるからだろうか。
「ええ、それはそれはもう、とても愛おしげに、両手で優しく大切……に……ににに!? ……って、ファ、ファーシャさま!?」
「料理長殿。どうかなさいましたか」
「い、いえ!」
急に彼はフィーネを見て怯え出したが、何故なのか理由がわからず眉をひそめた。
「あの……料理長殿?」
「ファーシャ様! ご無礼を働いてしまい申し訳ございません!」
「え?」
「わ、わたくしとて本当はあなた様のために真実をお伝えしたいのです。ですが、それは祭りの規則に反しておりますがゆえ、なにとぞ――」
「ちょ、ちょっと待ってください!? 先ほどからなんだか様子がおかしいですよ?」
急に早口で謝りはじめた料理長の態度にフィーネは困惑した。
「どうしてあなたが謝るのですか!」
料理長は身を縮こまらせ、人差し指を突き合わせながら許しを乞うような仕草をした。
「……た、たいへん恐れ多くも、ファーシャ様がかなりお怒りを露わにされておられましたので……あの……」
「待ってください!? 私は別に怒ってなんかいませんよ!? ただ、ラキア様が今朝も女君を愛でておられたと伺ったので呆れていただけで料理長殿に対して怒っていたわけではありません! 誤解させてしまって申し訳ございません!」
フィーネが頭を下げると彼はその場に膝を突いて床に額をつけてはきはきと述べた。
「いえ、こちらこそたいへん申し訳ございません! 祭りの規則に反しないようにと焦り、不慣れな比喩を混ぜて偽りを口にしようとしたわたくしめが悪うございます! ですから! なんなりと罰はお受けする所存でございますがゆえ、殿下のことは悪し様にお思いくださりませぬよう、くれぐれもお願い申し上げます!」
「あの、土下座はやめてください!」
「そうは参りません!」
なんとも律儀で頑固な人物のようで、それからフィーネは料理長の誤解を解いて土下座をやめさせるのに苦労し、無駄に三十分を費やした。
ちなみに、フィーネが説得を試みたり床から料理長を引き剥がそうと彼の肩を掴んで持ち上げようと苦労たりしていた間ずっと、ノルンは全く手助けしてくれなかった。
「いやはや、申し訳ございません。陛下は園芸も趣味でございまして、鷦鷯宮の中庭で様々な植物を育てておられます。鷦鷯宮にありながら、王宮内の皆に解放されており、誰でもその美しさを堪能することができるのでございます。よろしければファーシャ様もご覧になられてみてはいかがでしょうか」
それから色々と話を聞いて、フィーネは礼を言うとその場を後にした。
次に女官長の部屋に行くと、女官長のデーデとヒレナが書類に筆を走らせていた。
デーデは女官の中でも最年長の六十五歳で、先王リルダムとアウィルドの母に仕えていた。そのため、アウィルドについては乳飲み子だった頃から知っているらしい。一筋の緩みもなく頭の上で一つに束ねた白髪が美しい、厳格そうな人物だった。
「陛下について、でございますか?」
「はい。お人柄など、どんな些細なことでもかまいません。少しでもあの方のことを知りたいのです」
彼女は剣の切っ先のような瞳でフィーネを見つめた。しかしその奥に宿る光は穏やかで、明け方の空のように優しげだった。
ややあって彼女は微笑んだ。
「――端的に申し上げるならば、陛下はたいへん真面目な方でございます。時折、悪童のような一面も見られますが、心根は金剛石のごとき堅さを誇ると申し上げてもよろしいくらい国王に相応しい御方でございますね。……しかしながら、あの極度の女官嫌いはなんとかしていただかないと、将来が思いやられます」
「女官嫌いというのは?」
女官長の話によると、彼は極力、独力で身支度を済ませてしまうらしい。正装や儀式の衣装を着る時など、他者の介助を要する場合は男の侍従の力を借りるが、そのほかはひとりでこなしてしまうのだという。特に顕著なのが、昼夜を問わず、掃除さえも寝室に絶対に女官を入れないことだ。女官を近づけさせず、世話を許されているのは男の侍従だけだが、彼らすら寝室に入ることは許されないのだという。
デーデは一通り話し終えると、これ見よがしにため息をもらした。
「ご無礼を」
片翼を前に不平を露わにすることは無礼であると考えた彼女はすぐに詫びた。
「どうして陛下は女官を近づけないのですか?」
「申し訳ございませんが、その事情については諸般の問題がございますため、わたくしの口から申し上げるわけには参りません。ですが、どうやら陛下は女官嫌いではありますが、女人嫌いというわけではなさそうなのがせめてもの救いでしょう」
「良かったです。仮にも私も女人の部類には入りますから、嫌われてしまっては困ると思っていたところなのです」
「その点はご安心ください。陛下は女官嫌いではありますが、性別で相手をないがしろになさるような方ではございませんからね」
「ありがとうございます。ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか。私は、監督役のスヴァロン殿下が陛下ご本人ではないかと考えているのです」
彼女は目尻の皺を深めた。
「殿下が陛下でございますか? ご無礼ながらお尋ねしてもよろしいでしょうか。ファーシャ様はいったいどのようにその答えを導かれたのです?」
今まで見聞きしてきたことや考えをフィーネが答えると、デーデは口元に穏やかな笑みを宿した。
「そのような理由でいらっしゃいましたか。さすがでございます、と申し上げることができたのなら幸いでしたが、残念ながらわたくしの口からその正否を申し上げることはできかねます。おそらく他の者もそうでしょう。皆、此度の馬鹿祭りに勝利したいと意気込んでおりますからね」
「そうでした、申し訳ございません」
「いいえ、謝罪いただく必要はございませんよ。本当はわたくしもあなた様のお力になりたいと考えておりますが、規則には逆らうことが出来ないのでございます。ですが……そうでございますね……。ところで、ファーシャ様は陛下を見つけられた際の作法をご存じでいらっしゃりますでしょうか?」
「いいえ。作法とはどういったものなのですか?」
「もしあなた様が陛下を見つけられた暁には、陛下の御前で、ウェルフ・アウィルドリーシャ・ラウルガル・リドア様、と御名をお呼びください。その瞬間、あなた様が今回の馬鹿祭りの勝者となられることでしょう」
「陛下の御名前を……」
彼女が教えてくれた作法についてフィーネは王宮入りした晩の最高神官長の言葉を思い出して眉根を寄せた。レリファ=シシカはあの日、国王を見つけても絶対に名を呼んではならない、とフィーネに命令した。彼を守るまじないが解けて危険だから、と彼は理由を述べていたが、デーデが教えてくれた作法と矛盾してしまう。
どちらかが嘘をついている可能性もあるが、デーデの厳しそうだが慈愛に溢れる瞳を見つめるだに、彼女が偽りを口にしているようには思えなかった。
そもそも、レリファ=シシカやセイファンは、アウィルドに任命書へのサインをもらうことをフィーネに要求したが、馬鹿祭りに勝利しろとは一言も言っていない。
「……ファーシャ様」
デーデは白まじりの眉を曇らせた。それからフィーネの両手に触れ、顔を近づけたかと思えば声を潜めて言った。
「ファーシャリーシャ様。今し方、わたくしが陛下の女官嫌いのお話をさせていただいたことには理由がございます。わたくしは、あなた様がラキア様との賭けに挑まれていることを存じております。最高神官長様や宰相様からどれほどの前情報を聞かされているかは存じ上げませんし、その理由をわたくしから勝手に申し上げることが今はできませんが、普段は人付き合いを好まれる陛下が他人を寄せ付けない、という理由をどうか、慮っていただきたいのでございます」
「それは一体どういうこ――」
不審に思って尋ねようと口を開いた瞬間、ひゅい、という指笛の音が聞こえた。
「お、デーデちゃん、いつもかわいいねぇ!」
「ちょっと、何ですか、ルルウェム殿! また飲んだのです!? ずいぶんとお酒臭いではないですか!」
窓の外から突然乱入してきた老兵は全身に思わず鼻を摘まみたくなるようなほどの酒臭さを纏っていた。質が悪い酔っ払いといったところか。
「いやあ、片翼様が陛下について王宮じゅうの色んな奴に聞いて回っているとお聞きしましてねえ、こりゃ、おれからも伝えておかなきゃならないと焦ったんですよ。いや、おれったら偉い! 最高だね!」
「偉いってルルウェム殿……」
「いいのいいの、デーデちゃんはそのままでいいの。んで、片翼様! 報告いたします! 陛下なんですけどね、昔はとても可愛かったですぞ。そりゃあ、もう、長くてまっすぐでつやつやな赤髪がさらさらと風になびき、大きめの目はいつもきらきらと輝いておられた。ああ、正妃殿下によく似て姫君のように美しかったし、悪徳貴族の邸に共に潜入した時の姫の装束は本当によくお似合いであった」
老兵は過去に思いを馳せるように遠くを見つめた。
「それがですよ! 陛下は数年ほど前に急に背がすくすくと伸びてしまわれ、すっかり立派な男君になってしまわれた。近頃なんて、長かったお御髪もばっさりと切ってしまわれ、いや、切ったんじゃなくてつるっぱげに! ああ、嘆かわしやっ!」
つばを飛ばすように顔を近づけて話す彼に圧されて、フィーネは後退りしたいと思ったが背後に立つノルンに阻まれて動けなかった。
「ち、近いです……」
微妙に、いや、かなり危ない人かもしれない。酒を代謝したあとの人間が放つ独特の腐った玉葱のような、つんとする呼気のにおいに辟易としながらも、それを態度に表すのは失礼にあたるため、フィーネは息を止めて耐えた。
「一昨年のチェリサ様の扮装はもうっ完璧でございました! あ、チェリサ様とは陛下の妹君でして、とてもお美しい第一王女様のことでございます。まあ、陛下にはぜひまた姫君の格好をしていただきたい! 片翼様もそう思われるでしょう?」
フィーネは面食らって反応に困った。生憎と、男性の女装姿を見て楽しむという趣味嗜好は持ち合わせていないのだが、彼から同意を求められて、どうしたらよいか助けがほしくなって視線をあちこちに向けた。
デーデと目が合うと、彼女は相手にするな、と目配せしてきた。ヒレナは首を横に振った。ノルンは目を合わせてくれなかった。
「……へ、へぇ……」
正解がわからずとりあえず、そのままいい加減に相槌を打ちながら話を聞き流していると、彼はひととおり話したいことを言い終えたらしく、満足したように彼は去っていった。
とんでもない暴風雨が去った後のように急に室内が静まり返り、フィーネは呆然とした。
「デーデ殿、今の方は……」
「申し訳ございません。あの方は普段は悪い方ではないのですが、最低なことに、お酒に弱くて酔うといささか助平な言動をするようになるのです。その悪癖をご自身もよく理解なさっているため、普段からなるべく飲酒は避けておられたはずなのですが……。恐らく部下たちに飲まされたのでしょう。念のため塩をまいておきましょう」
げんなりとした様子で彼女はそう言うと、奥から持ってきた小壷から塩をぱらぱらと戸口と窓から振りまいた。




