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三章 白鴎の宮(18) どんな死に顔をするのか見てみたい


『貴様のせいで私はお役御免となったのだ』


 あれはヒレナがエレスに来た七年前の頃のことだ。

 挨拶以外でフィーネが初めて彼女に言われた言葉は鋭すぎていまだに覚えている。今でこそ冗談も言うほど穏やかな性格になったが、あの頃は火にくべた毬栗(いがぐり)のように苛烈な少女だった。

 フィーネは初めてヒレナを見た瞬間、切れ味の良い鋼の刃に似ていると思った。青々と輝く美しさを持ちながらも、触れようとする人間を容赦なく傷つける雰囲気を漂わせていた。

 彼女はフィーネを前にするとまず、臣下の礼を取った。だが、目には眈々とした輝きを宿しており、明らかにフィーネに敵意を抱いていた。

 ヒレナがエレスに来たのは、フィーネがアウィルドと別れてから二ヶ月後のことだった。ミムロンが所属する蛇龍(だりゅう)商会の代表が、王都から彼女を連れてきたのだ。

 フィーネは、姉が出来たようで喜んだ。しかし、出会った頃の彼女はフィーネに対して激しい敵意をむき出しにしていた。彼女は表向きにはユリフェ家ゆかりの家出身の侍女という肩書きであったが、正体は元暗殺者であり、かつてはジェンという毒鳥の名で恐れられていた殺し屋だった。

 エレスに来る以前の彼女は先王の侍女だった。先王が兵を投じてとある暗殺組織を壊滅させた時の、生き残りがヒレナだったのだが、彼はあろうことか自らの命を狙った彼女を、素性を隠して自らの元に置いた。幼いながらも彼女の働きぶりは素晴らしく、先王も彼女のことを気に入っていたらしい。にもかかわらず、ある日突然、先王はヒレナにエレス行きを命じた。ヒレナの生い立ちを知るのは先王とギルガムとガイズしかいなかった。

 幼い頃に攫われて殺し屋として訓練され、暗殺を生業とする反乱分子の隠れ里で育ったという彼女は、八歳の頃から人の命を奪う仕事をしてきた。地方の裕福な地主や商人、官吏など、少なくとも数十人は殺した、と彼女はフィーネとギルガムに告白した。その環境の中で彼女は、まるで荊に手足を絡め取られたように身動きがとれなかった。また、生きたまま足に錘をつけられ、暗い水底に沈められて溺れ死ぬような心地に苦しんだ。

 彼女は武術に秀でていたが、リルダムは彼女を武器でも暗殺者としてでもなく、ひとりの少女として扱った。


 しかしながら、ある日突然、先王は彼女に辺境の領主の姪の護衛を命じた。彼女は反論したが、先王は頑なに彼女の願いを受け入れることはなかった。

 彼女は失意の中、エレスの地を踏んだ。

 霧の森で立ち尽くし、涙を流しても愛する主はもうそばにいない。

 なぜ自分が、と彼女は憤った。土をつかんでやるせなさに打ちひしがれ、その怒りの矛先は田舎領主の姪に向けられることとなった。


 だから彼女はフィーネとは一言も口を利こうとしなかった。一応、護衛の任務はこなしたが、それ以外は一切関わりを持とうとしなかった。


 彼女は命の恩人である先王を敬愛していた。いや、もしかすると子供ながらに女として彼を愛していたのかもしれない。他人がいないときは先王をリルダムではなく愛称のサヴェラと呼び、彼から貰った翡翠の指輪をいつも大切にしていて、夜になると屋根の上で涙を流している姿をフィーネは知っていた。


 その年の雨季にさしかかった頃、ヒレナは病に倒れた。それは、エレスに七つある風土病のひとつ、グデト病と呼ばれる病だった。

 グデト病はエレスの西の山に封印された魔の王の瘴気が(もたら)す毒によって発症する心身の病だ。

 心を消耗した者が狙われる病であり、一度かかれば、特別な薬がなければあっという間に衰弱して確実に死に至る。その薬の製法は老若男女を問わず、領内の者にはよく知られていたが、原料の調達が難しかった。特に、一番重要な虹の花滴がある洞窟は岩壁が硬く狭く奥まっており、大人では採取が難しかった。だからフィーネは誰にも告げず、蝋燭を入れたランタンと霧や雲が薄くなったところから漏れる朧な月明かりを頼りに弓を手に山に分け入った。夜通し霧の森と洞窟を彷徨い歩き、ヅーヤという名の巨大蜂が住む巣と、虹の花滴という芳香のする結晶を持ち帰り、それらから薬を調合した。


『フィーネ様、覚えていらっしゃいますか? あなたは私のために命を懸けて山に入って薬を取ってきてくださりました。私はあなたにひどい態度をとっていたというのに、あなたは自分の中に閉じこもったまま死のうとした私を外に連れ出そうとしてくださった。あの時も申し上げましたが、私のような罪人のために命を懸けるなんて、なんと世間知らずの変わり者なのだろうと呆れたものです。ですが、私に差し伸べてくださったあなたの手は温かかった。体を支え、喉も通らないわたくしに吸飲みを使って一口ずつゆっくり薬を飲ませてくださった時のあなたは力強く頼もしくて、私はあなたを侮っていたことをひどく恥じました。そして、大いに悩みました。

 私はあなたを憎んでいましたが、嫌いではなかったのです。今になって思えば、単なる八つ当たりだったのです。サヴェラ様はどうして私を捨てたのか。その事実がただただ悲しくて辛かったのです。まるで意地を張る身体の大きな子供だったのです。病が治った時に家族になってほしいと言ってくださった。そのことがどれほど嬉しかったことか……』


 病から快復した彼女は心の底からの臣下の礼をフィーネに示した。フィーネは臣下が欲しかったのではなかったので姉になってほしい、と彼女に頼んだ。すると彼女は嬉々としてフィーネの願いを叶えてくれた。

 あれから色々大変な日々だったが彼女と過ごす毎日はとても楽しかった。


 だからこそ、今のフィーネには迷いがあった。

 フィーネの都合に彼女を巻き込んで彼女の一生を台無しにしてしまっているのではないかと、後悔が心の奥から次々に湧き出てくる。

「……ねえ、ヒレナは私についてきて本当に良かったの?」

「今更そんなことを聞いてくるなんてどうしたんですか?」

「そうだね。どうしたんだろう」

 フィーネは前屈みになり、手すりの上に置いた腕に顎を乗せた。

 ヒレナはエレスの地を気に入っていた。冷涼な気候と清らかな水。香り高く美味なる茶。あの場所では穏やかな時間が流れていた。あのままフィーネについて来なければ、彼女は今頃ユリフェ邸でフィーネの従弟達を守りながら楽しい日々を過ごしていたかもしれない。


「なにを改まって聞いてくるのかと思えばそのことですか。おかしなことを仰るのですね」

「おかしなって、大事な話だと思うんだけど。私といるってことは、とても危ないんだよ。もしかしたら私のせいで殺されてしまうかもしれないんだし」

「それはあなたの都合でしょう。わたくしはべつに無理なんてしたことはありませんよ」

 ヒレナは軽く笑った。

「ファーシャ様は、わたくしとはじめてお会いした時のことを覚えていらっしゃいますか?」

「覚えてるよ。あなたはとても不機嫌だった」

「ええ。私は先王陛下からあなたを守るように命じられていました。私はあの方をお守りしたかったというのに縁もゆかりもない田舎領主の姪の護衛なんて訳の分からないお役目を言いつけられて、あの方から捨てられてしまったと悲しかったのです」

「そうだったね。あと、あなたに偽善者呼ばわりされたこともあったな」

「ええ。十三氏族なんて貴族中の貴族でしたからね。嫉妬していたのです。そして、わたくしが偽善呼ばわりした出来事だってあなたにとってはべつに特別なことでなかったことは知ってました。困っている人がいたから助けたまで。ですが、自分を嫌う奴を助けるなんて、いったいどれほど無知で馬鹿な小娘かと正直いって呆れました」

「無知で馬鹿であることは確かかな。小娘というよりは小僧っぽかったでしょう?」

「そうでしたね。見た目はともかく、中身は悪童で、その後は散々手を焼かされました」

 ですが――と、彼女は夜風に笑みを溶かした。

「サヴェラ様は一羽の毒鳥に過ぎなかったわたしに人として生きるように道を引いて下さりました。あなたは……人殺しだったわたくしに温かい暮らしと心をくださった。……きっかけは単なる借りの貸し借りみたいなものでした。ですが、今は違います」

 ヒレナはフィーネに向き直ると、腕を伸ばしてフィーネを抱き締めた。すこしだけ固く、しなやかな筋肉で引き締まった腕。

「あなたといると退屈しませんからね。あなたが死ぬまで見届けてやろうと思ったのです。こんな世間知らずでお人好しのお嬢さんがどんな死に顔をするのか見てみたい。……悪趣味でしょうがほんの好奇心でした。あの時から私はあなたに何があろうと、どこまでもお供するとずっと前から決めておりました」

 不安ですか、と穏やかな声が頭上から降り注ぐ。触れ合った耳元に響く凛とした声が、フィーネに安堵をもたらした。

「うん。正直、不安だよ」

 言葉にしてみれば不安は現実として立ちはだかる壁となる。その巨大な存在感の前にフィーネは為すすべもない。

 国益や大義名分の前では、個人の意見や人生など省みられることはない。けれども、何もしないで諦めることだけはしたくない。

「やっぱりあなたは自由にしていいんだよ。今からでも――」

「私は何と言われようと、あなたについて行きますよ。自由にしていいならなおのこと。元より、どこで生まれたのか知らず、人殺ししか能の無かったわたくしに故郷と呼べる場所はないのですから。あなたがいる場所がわたくしのいるべき場所なのです」

 なおも反論しようとしたフィーネの前に淑やかな動きですっと人差し指を添えて沈黙を促した。

「いけませんよ。それ以上言ったら怒りますからね。それに、あなたは案外、駄目人間ですから目を離せないのです。喧嘩っ早いし、警戒心が薄くてしょっちゅう厄介事に巻き込まれるし、せっかちで短気だから髪を梳くのも苦手ですし。私がいないとだめでしょう?」

「確かに……。私がやると櫛にごっそりと切れ毛がつくかもしれない」

「そうですよ。そういう点でも、ギルガム様(だんなさま)も心配されているのですよ。我が主は将来、とてもたくさんの人々を救うお医者様になる、とても聡い御方です。ですから、こんな何もかもが白すぎる場所で終わっていいはずがございません。それに、生活面でも安全面でも精神面でもお役に立つことができるこのわたくしめを自由放免になさるなんて愚かなことはよもや考えませんよね。駄目人間のあなたをまっとうにすることが、私の生き甲斐なんですから、それを奪われてしまうと『ヒレナという人間』は生きていくことが出来ないのです」

「ちょっとひどいよそれ……」

 彼女は意地悪そうな目でフィーネを一瞥すると、にっと口角をつり上げた。

「まあ、駄目人間のくだりは冗談として、本当はわたくしがあなたについていきたいんです。わたくしは、いついかなる時であっても、あなたを必ずお守りいたします。ですから、あなたは何も心配することはないんですよ」

 ヒレナの腕の中でフィーネは目を閉じた。

 茉莉花の白い花の香りだ。

「ヒレナがいてくれるなんて、私は果報者だな。巻き込んでしまうことは申し訳ないと思っているんだけれど、本当はね、ヒレナと離れたくなかったんだ」

「ずいぶんと嬉しいことを仰ってくださるのですね。ご安心ください。わたくしはあなたが行く場所ならどこへでも――海や地の果て……なんなら地獄の底までついていきますから」

「……ありがとう、ヒレナ」


 二人は顔を寄せ合い、見つめ合うと笑い合った。

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