三章 白鴎の宮(16) 藪医者
話を終えて二人が東宮殿に戻ると、異様な光景が広がっていた。ラキアが屋根の上で踊っていたのだ。奇妙なことに右手に柄杓、左手には桶を持って彼はへなへなとした動きで体をくねらせていた。柄杓を手に振り回す姿は新年に行われる水掛け祭りで祖霊を笑わせて慰めるために行われる笑霊の舞を連想するが、それにしても背丈が六尺以上もある美丈夫がくねくねしているのはなんとも不気味というのか、奇っ怪この上なかった。
先ほどセイファンと話していた内容を思い返しながらフィーネはアウィルドが抱えている何らかの問題と目の前の光景の馬鹿馬鹿しさとの落差に眩暈を覚えた。
「……お尋ねしてもよろしいですか」
「ええ。何なりと」
「殿下は一体、何をなさっておられるのですか?」
「笑霊の舞を踊っておられるのですよ」
それは見ればわかる。笑霊の舞は新年の祭りでよく踊られるものだ。だが、彼はなぜ、楽奏もなくひとりで屋根の上で踊っているのだろうか。
「すみません、ラキア様はなんのためにあんなところで踊っているのですか?」
「あれこそ馬鹿祭りの風物詩ですよ。監督役は一日に三回、皆の前で恥ずかしい踊りをしなければならない決まりなのです。あれはまだ普通な方で、過去には腹踊りや全裸でとんでもない踊りをした監督役がいたそうですよ。そして、見物人は監督役が踊っている間は面と向かって野次を飛ばしても良いことになっております。内容は自由で、監督役本人に対してでも、他人の身代わりにしても良いのです」
それを聞いてよく耳を澄ませると、馬鹿だけでなく、女々しい、悪たれ、悪童、守銭奴、不細工、禿野郎、阿婆擦れ、金返せ、糞女、糞男、唐変木、顔だけ男、厚化粧女、とんちき、くたばれ、鬼女房、馬鹿亭主、変態、のっぽ、ちび、金返せ、妻を返せ、旦那を返せ、音痴、根暗、朴念仁だの、散々な言われようだ。
「……皆様、ずいぶんと容赦ないですね。どれも言われたらなかなか立ち直れなさそうな言葉ばかり……」
「大丈夫ですよ。ラキア様は皆の心の内の悪しき汚れを受けて笑いに昇華するという監督役として大事な役目をつとめているだけですから。よろしければファーシャ様もいかがですか? 昨日の仕返しでもしてみたらよろしいかもしれませんよ」
セイファンの笑みを黙って見つめながらフィーネはしばし考えた。
「それはとても魅力的なご提案ですが、遠慮しておきます。私にはあの方のことはまだよく知りませんし、罵る理由もありませんので」
「そうですか……」
それは残念、と彼は笑った。
仮にも王子として振る舞っている国王を罵ることを勧めるなんてどういう神経をしているのだろうかと訝しく思いながら、フィーネは奇妙な踊りを披露するラキアの姿を藪睨みした。
そして、なんとなくではあるが、馬鹿祭のからくりが見えてきたような気がする。
ウルガ南西部のニャセル県カルヴァ領テイチェという村では穢れを引き受ける巫や巫を模した像を立てて、村人が口々に罵詈雑言を浴びせかけるというアグー祭があるという話を書物で読んだことがある。身の内に溜まった悪しき気を言葉に乗せて吐き出すことで身を清めるのが目的だ。
もしかすると、馬鹿祭りというものは、アグー祭と同様に、国王が監督役として別人になりすまし、罵倒を受けることで王宮内の穢れを引き受ける祭りなのかもしれない。
不敬罪や風神汚しの罪など物騒な罪状が存在することが、本当のところは冗談なのではないかと思えるほど、あまりにも馬鹿馬鹿しい祭りにフィーネは頭を抱えたくなった。だが、必ずしもフィーネの推測が正しいとも限らない。フィーネは自分の中に浮かんだ答えが単なる都合のよい解釈なのではないかと思い、一旦それを胸の内にしまった。
しばらくして舞が終わると、ラキアは梯子を伝って地上に降りてきた。見物人達は彼を労ったり、それぞれ元の仕事に戻ってゆく。その人波もまばらになると、彼とフィーネの間が都合よく一直線に空いた。真正面に向かい合う形となり、彼はこちらに気がつくと気まずそうに顔をこわばらせた。
「……げ」
「げって何ですか。人の顔を幽霊や化け物を見たときみたいな目で見ないでいただけますか」
ラキアは鼻を鳴らして目をそらした。
「ふん。鷦鷯のくせに態度だけはでけえな。だいたい、あんたの顔なんか布切れの下で見えねえじゃねえか」
鷦鷯と言われてフィーネは口を曲げた。鷦鷯はとても小さな鳥だ。小柄だが知恵があるため鳥の王になったという昔話があり、国王が暮らす建物の名になるほどとても謂われの良い鳥ではあるのだが、彼はまたもやフィーネを小さいと馬鹿にしたのだ。
「二人仲良く散歩か?」
「ええ。ファーシャ様に王宮内をご案内しながら散策しておりました」
セイファンがにこやかに返事すると、ラキアは眉一つ動かすことなくセイファンを藪睨みした。
「……お前、こいつにまた妙なことを吹き込んだりしてねえだろうな」
「もちろん吹き込んでおりますとも。しかしわたくしを責めるのはお門違いですよ。言われて困るようなことをなさるあなたがいけないのですから」
「うるせえな。だけど兄貴、散歩もいいけどこんな真っ昼間にあんまりそいつをあちこち連れ回すんじゃねえよ」
睨みを利かせたラキアに対してセイファンは優雅に一礼して手を胸に当てた。
「仰せに従います。しかし、殿下はファーシャ様に対して悪口でいじわるなさる割に、存外お優しいのですね。このような暑い時分では、暍病になりかねませんしね。さぞご心配でしょう?」
見た目こそ臣下の礼を取りつつも揶揄するような響きで付け加えたセイファンを鋭く睨みつけてラキアはさらに顔をしかめた。
「誰がだれを心配してるって? おれは得体の知れない女に王宮の中を徘徊されるのが気に食わないだけだ」
「失礼ですね。得体の知れないのはお互い様でしょう」
フィーネの反論にラキアはむっとしたように頬を膨らませた。
「てめえな、あんまり調子に乗るなよ。その気になりゃあんたを追い出すことくらい簡単なんだからな。ていうか今すぐここから出ていけ」
「嫌です、お断りします。断固拒否いたします! 誰がお役目を放棄して帰るものですか!」
「それならさっさと失せろ。清泉舎に行って頭でも冷やすことだな」
「そのお言葉、そっくりそのままお返しいたします」
生意気とも無礼とも言えるフィーネの返事に対して彼はきこえよがしのため息をついた。
「……医者の不養生とはよく言ったもんだ。他人には節制を求めるくせに、自分のことは全く省みない奴が多いんだけどさ……いいか、蛸みてえな顔でその辺ふらつかれても困るんだよ! 煮え上がる前におれの前からさっさと失せやがれ!」
「何ですって?」
「あ、付け加えると、蛸は蛸でも茹で蛸だ! 青い顔が今は真っ赤で滑稽だな!」
「失礼ね! あなたこそ、ご自分の顔を鏡で見たらどうなんですか? 耳まで赤蝸牛のようになってますよ!」
「失礼なのはどっちだ!? 犬みてえに息が上がってるくせにわあわあ喚くな!」
「何ですって!? 暑さでへふへふ言っているあなたに言われたくありません!」
「……あの、お二人とも? 仲が良いのはけっこうですが、落ち着いてください!」
「これのどこが仲良しなんですか!!」
「うるさいな、お前は黙ってろ!!」
二人同時に怒鳴られてセイファンはやれやれと、呆れて苦笑した。
「てめえな、仮にも医者なら自分の体調くらい気を遣え!」
「言われなくても私は自分の体調くらい把握出来ています! あなたこそ、仮にも王族ならちゃんとそれらしき振る舞いをなさってはいかがですか!?」
「あんた馬鹿か? おれがどう振る舞おうとおれの勝手だ。あんたに指図されるいわれはねえよ」
「それもそうですね。女遊びを嗜まれるようになられたことはじつに結構なことですが、あなたのように責任ある立場の方が、ふしだらにとっかえひっかえ遊ばれると、ゆくゆく大変なことになると申し上げたいのです!」
「お、女遊びだって!?」
ラキアはそれまでの威勢を失い、一瞬言葉に詰まった。
「い、いきなりなにを言い出すんだか。おれが何しようがあんたに口出しされる筋合いはねえよ! ……そうだな、今すぐあんたが出て行ってくれればやめてやってもいいぜ!」
「……………………あなたという人は……っ」
久方ぶりにお会いできたと思ったらそんなことを仰るのですね。という怒りに似た不満を飲み込み、冷静さを保て、と自身に言い聞かせた。
「出てけ出てけと、それがあなたの望みなのですね」
「ああそうだ」
「そうですか。……わかりました」
「ようやくその気になったか?」
「まさか。あなたの指図を受けるつもりはございません。私は決めました! ……絶対絶っ対に! ここから出ていきませんからね!」
「なんだと?」
「ラキア様? 何でも自分の思い通りになると思ったら大間違いです。それと、あなたはお忘れのようですから今一度言っておきますが私は片翼候補です。いくらあなたが高貴な御身分の殿方でも、今のあなたは所詮第三王子であって陛下ではございません。片翼の処遇は神殿預かりで権限は国王にあるはずです。つまり、陛下の許可なく私を追い出すことなんて出来ませんよね。それと、理由がわからないままに出てけと言われて、はい、そうですか、と言えるほど私は素直ではありません。なぜ出て行かなければならないのか納得できない限りは出て行きませんからね」
ラキアは苦虫を噛み潰したような顔でフィーネを睨みつけた。
「てめえ、調子に乗るなよ。あくまでも候補のくせに、もう正式な片翼のつもりとはおめでたいな」
フィーネだってそのことはよく理解している。嘘をついている手前、こんなはったりをかけることは胃が痛むがなんとなく負けたくない気持ちが勝った。
「そうですね。私は分不相応にも、図に乗っておりますとも。私にとって、身内以外の人の中で一番大切だと思っている人が苦しんでいると聞いて、その人を助けることが出来るかもしれない機会をいただけたのですから、何か力になりたいと思うことは当然ではありませんか! 何もしないで帰るわけにはいかないのです!」
「なっ………………!? そ、てめえ、自分が言ってることを理解してるのかっ!?」
「もちろんですとも! アウィルド様は私にとって、家族以外で、一番大切な人です!」
「なっ…………え…………!?」
ラキアは目を見開いたままその場で固まった。暑さで顔が見るからに赤いではないか。
「……あれ、ラキア様? 大丈夫ですか? お顔が真っ赤ですけど踊り疲れておられ……いいえ、よく見たら息が止まっておられるみたいですが、本当に大丈夫ですか!?」
もしかすると暍病になっているのではないかと不安になり、脈に触れるために彼の左手首に触れた。その瞬間、彼はびくっと身体を振るわせて手に持っていた桶を落とした。からからと虚しい音を立てて地面を転がる桶など気にせずフィーネは彼の手首を両手で掴んだまま脈を測り、続いて顔を上げて彼の様子を観察した。
「……脈が速い、皮膚温が異様に高いし、汗もかいておられる。呼吸も速くて唇だけではなく手も震えている。殿下、手足や身体のどこかに痺れなどはございませんか? 眩暈や気分が悪かったりしませんか? なにか普段と変わったことがあったら教えてください」
「いっ! ……い、いきなり何をするのだ!? は、離せ!」
彼は無理やりフィーネの腕を振り解くと、後退りした。が、フィーネの方が動きが速く、彼は再び左手を掴まれた。
「ちょっと! 動かないでください! 今から親指の爪を押して血色の戻り具合を確かめるんですから」
「いいや、ちょっと……フィ……ファーシャ!!」
「あれ、異常はないみたい。それでは失礼ながら手の甲の皮膚をつまませていただきま――」
「いい加減にしろ!」
彼は渾身の力でフィーネの手を再び振り解いた。診察に夢中で我に返ったフィーネは謝った。ラキアは怒りを露わにしているのかと思えばひどく仰天した様子で目を白黒させていた。
「……わ、おれはどこも悪くない!」
「ですが、ひどく呼吸が荒れておられますし、顔も先ほどよりさらに赤くなっておられます。すぐに身体を冷やさないと危ないかもしれません」
いくら不老不死の身とはいえ、このままでは彼の身体が危ないから進言しているのに何様なのだ。
「だから! 違うのだ!」
「違うって何ですか。今現在、目に見えて症状が出てらっしゃるじゃないですか! さあ、いますぐ清泉舎へ急ぎましょう。水風呂がございます」
「そなたは藪医者か!? ではなくてええと……っと、少しは人の話を聞け! とにかくな、てめえに倒れられると色々と面倒なんだよ! おれのことは気にせずまずは自分の体調を気遣え! 煮え上がる前にここからさっさと失せやがれ!」
彼は矢継ぎ早に吐き捨てたかと思えば踵を返して、よろよろとした足取りで桶を拾った。
――が、次の瞬間、瞬足の神すら負かしてしまいそうなほどの速度で逃げていった。
フィーネは呆然としたまま彼を見送った。
「や……やぶ……いしゃ……」
フィーネは頭の中で藪医者と言われた瞬間を思い返して何度も反芻した。今まで言われたことがない言葉に凹んでうなだれた。
傍らで二人のやりとりの一部始終を見ていたセイファンは今にも爆発しそうな笑いを堪えるために口と鼻孔を手で塞ぎながら身を捩らせていた。
「やぶ……セイファン様! 私は藪医者なんですか!?」
「あなたの診察は的確だったと思いますよ」
「診察は? それって診断は間違っていたということですよねっ。そうですよね!?」
「早まらないでください。恐れながら、わたくしは医学には明るくないので、ファーシャ様の診断が誤っていたのかどうかはわかりかねるだけでございますから。しかしながら、殿下は本当に素直ではないようですね。煮え上がる前に失せろだなんて悪童じゃあるまいし、もっと素直に心配出来ないものでしょうか」
「違います。あれは嫌がらせです」
「そうでもありませんよ。あれでも、彼は今の彼なりに出来うる限りの心配をしてくださっているのだと思いますよ」
「どうでしょうか。あの態度ですよ。私は陛下のことを一番の友人だと思っていたのにあれですよ。あんまりじゃないですか」
「おや? 恐れながらファーシャ様、一番大切な人というのはええと……友人としてですか?」
「それ以外に何かありますか? あんな言い方なさるなんて……友人だと思っていたのは私だけだったのかもしれません」
セイファンは今日何度目になるのかわからない噴き出すような大笑いをした。
「ファーシャ様、このようなことを申し上げては困惑なさるかもしれませんが、ラキア様はおそらく恥ずかしがっただけかと」
「恥ずかしがった?? ……っ!それって、やっぱり私は藪医者なのかもしれない! もしさっきのやりとりが患者さんとだったとしたら、患者さんの気持ちに寄り添わずに無理強いしていたということですよね? どうしよう、医師としてあるまじき行いだったんだ!」
あああああ! と謎の奇声を上げて後悔するフィーネの様子に目を剥いたセイファンは手を大仰に振って宥めようとした。
「落ち着いてくださいませ! ファーシャ様、少々歩きすぎてお疲れのようですね。ひとまず清泉舎の方に向かいましょうか」
フィーネは後悔と恥ずかしさと諸々の負の感情で悶々としながらも、彼の提案に頷いた。




