三章 白鴎の宮(15) 星鏡の言い伝え
「すみませんが、その星鏡を拝見させてもらえませんか?」
「構いません。どうぞ」
巾着から星鏡を取り出し、セイファンに手渡す。セイファンは星鏡をよく観察すると、薄い唇の端がゆるんだ。
「この星鏡は幼い頃の兄が一番大事にしていた宝物でした。心の支えと申しましょうか、悲しい時など兄はしばしばこれを覗いていたのを覚えております。エレス出身のあなたはご存じないかもしれませんが、王都ウリューゼ付近の地域では、親が我が子の無事な成長を願って首飾りを贈る風習があるのです。首飾りは木片や木の実や石などに穴をあけてそのまま使う場合もあれば、笛や万華鏡などの工芸品を飾りに用いる場合もあります。特に、万華鏡の中でもこの『星鏡』と呼ばれるものは最高の技術が詰まっている品だと言われております。専門の職人がおり、どのような仕組みであるのかは不明ですが、振れば星屑のささやきが聞こえ、覗けば星の瞬きが見え、光にかざせば七色の輝きを放つと言われ、希少性も高いため、国内外の王侯貴族の蒐集家が多いのです」
フィーネはセイファンから星鏡を返してもらうと両手の上にのせてまじまじと見つめた。螺鈿の鳥は白い体躯に七色に淡い虹を浮かべ、漆の空に美しく舞っている。
「そして、ウルガ王国の王族が持つ星鏡の紋様は、それぞれの王子や王女が用いる紋章が意匠に反映されております。陛下は神鳥、わたくしは獅子、スヴァロン様は蛇。他には鹿や扶桑花や茉莉花など、一つ一つに異なる紋章があしらわれているのです」
「星鏡を贈るという行為に何か特別な意味があるのですか?」
「その行為自体には特に深い意味はございません。ですが、星鏡の持ち主は親友や家族や恋人など、大切な人に対して息災を願う御守りとして自分の星鏡を贈ることがございます。遠く離れた場所にいても、自分の代わりに守ってくれるようにと祈り、心の中で呪文を唱えながら相手の首にかけてやるのです。すると、星鏡は元の持ち主の願いを受けて不思議な力を持つようになると言われております」
「不思議な力?」
「ええ。一度だけ、という条件つきですが、いかなる病も傷をも癒やす力と言われております」
「それは! なんと便利な能力でしょうか。それを皆が持つことが出来ればものすごく素敵なことではありませんか」
医師であるフィーネが食いつくことを予測していたように、セイファンは苦笑した。
「確かに便利ではあるのですが、残念ながら星鏡を普及させることは不可能と言えましょう。そもそも、星鏡を作る職人は現代では失われてしまった『魔術』と呼ばれる力を扱う者で数がたいへん少ないことと、また、星鏡には力の核となる宝珠が用いられるのですが、その材料に贈り主である両親のどちらかか、もしくは星鏡の主となる者から抜き取った魂の欠片を使うのです。よって、王家の血筋の者のように、ある程度の魔術の素養と強さがないと、力ある星鏡は造ることができないそうなのです。さらに言えば、星鏡は最初の持ち主が無償かつ犠牲的な愛をもって、自分以外の、誰か他の者に与えることで初めて奇跡を生む力を得られるといいます。つまり、星鏡の奇跡の力を使うための条件は、魂の宝珠が込められた星鏡であり、最初の持ち主から願いを込めたうえで、第三者に譲渡されたものであることが前提となります。そして、各々の星鏡が持つ長い呪文と、星鏡に希う者が自身の諱を一言一句違うことなく一息で唱えることと、自身の命や魂を引き換えにしてでも相手を助けたいという、真に深い愛情がなければ星鏡は応えてくれないと言われております。そこまで厳しい条件が必要ですから、星鏡の奇跡の力を使えた例は歴史を遡ってもほとんどなかったそうです」
「それは残念です。量産できればとても役に立つと思ったのですが」
「そうですね。仮にこれがたくさんあったとしたら、救われる者も多かったでしょうね」
セイファンは寂しそうな目でフィーネの星鏡に目を向けた。
子供の頃、アウィルドはこの首飾りをフィーネの首にかけてくれた。胸が温かくなる心地と気恥ずかしさから誤魔化したくなってフィーネは深呼吸した。風に乗ってどこからか漂ってきたのか花の甘い香りがする。
「……セイファン様。変な質問だと思うのですが、ラキア――いいえ、スヴァロン殿下は陛下ご本人ではありませんか?」
「おや?」
「間違っていたらたいへんおそれおおいと思うのですが、殿下に初めてお会いした時、なんとなくではあるのですが大人になった陛下にお会いしたような気持ちになったのです。おかしいとは思ったのですが、どうもあの方はご自身の正体を私に明かそうとなさっておられました」
セイファンは眉を上下させた。
「……そう言われてみればそうですね。ラキア様は確かに陛下に似ているかもしれません。ですが、申し訳ございませんが、今のわたくしからはその問いについての真偽をお答えすることは出来ません」
「セイファン様もですか? どうして誰も彼も私の問いに答えてくださらないのですか?」
「それが馬鹿祭りの規則だからです。陛下は現在、身をお隠しになっております。あなたは監督役と一緒に陛下をお探しすることが祭りの規則でございます。彼の居所を探す手がかりは……王宮内の者に聞いてみるとよいかもしれませんね。明日からノルンを同行させましょう」
「……わかりました。それでは、もう一つお聞きしたいのですが、ラキア様は、どのようなお人柄の方なのですか?」
「殿下の人柄についてですか?」
彼はさも意外そうに目を見開いた。
「はい。たいへん失礼ながら、あの方はいつもあのようにおかしな振る舞いをなさっておられるのですか?」
「おかしな、とはどのあたりが?」
「その…………」
フィーネはこの先を正直に言ってもよいのかしばらく躊躇した。セイファンだって一応は男性だ。このようなことを面と向かって尋ねるのはとても恥ずかしい。だが、おそらくアウィルドの真の人柄について一番知っているのは彼であるはずだし、言い出した以上、はっきりさせておきたい。
「このようなことを口に出すべきではないと重々承知しておりますが、その……かなり女遊びを嗜まれているとうかがったのです。それに、開口一番にあんなことをおっしゃるなんてどうかしています」
口にしてしまった途端、フィーネは軽く後悔した。突如としてセイファンが大声を上げて笑い出したのだ。彼らしくもなく、げらげらと笑うものだから、驚いたくらいだ。一通り笑い終えてもなお、腹を抱えて身をよじりながら彼は決まり悪そうに詫びた。
「どうして笑うのですか!」
おかしなことを聞いた自覚はあるが、それにしても笑いすぎだ。
しばらくして笑い疲れたセイファンは途切れ途切れの息の合間に答えた。
「いえ、ご無礼をお許しください。とても深刻な顔をなさっていたので一体どのような重い質問をされるのかと少々身構えていたので、すこし拍子抜けしてしまいましたもので……」
「申し訳ございません」
「いいえ。謝らないでください。ファーシャ様は、やはりラキア様のことが気になりますか?」
今度はにこにこと愉しげにしながらからかってくるセイファンの言葉を聞いてフィーネは咄嗟に反駁した。
「誤解しないでください! べつに深い意味はありませんから! ただ、スヴァロン殿下の女癖の悪さと放浪癖の噂は故郷でもしばしば耳にしていたもので。……その、ラキア様もそうなのか少々気になったのです」
「……彼に言われた雑言を気にする必要はありませんよ」
「ですが……」
セイファンの言葉に反論の意をあらわしたものの、実際のところ、フィーネは昨日のラキアに言われたことを気にしていた。
セイファンは上を見上げ、二、三歩足を前に動かした。
「そうですね、あの発言にはわたくしも驚かされました。度肝を抜かされたと言っても良いでしょうね。まさか、あの方が……いえ、あの朴念仁が開口一番にあんな破廉恥な発言をするなんて、びっくりして目玉が飛び出しそうな気がしましたよ」
「ちょっとそれは!!」
「ご不快な話を蒸し返してしまうご無礼をお許し下さい。しかし、本当に驚いたのです。まさか顔を合わせたばかりの女君に対してそこまで言うものか、と呆れましっっっ、いえ、おかしくておかしくてっ。……いえ、あなたが傷ついているのに笑ったりして申し訳ございません。しかしながら本当に……っ。不遜な我が兄弟の代わりに謝罪いたします」
何故セイファンが笑うのかよくわからないが、少なくとも彼は昨晩のアウィルドの変態発言がよほど面白可笑しかったようで、笑いを堪え続けている。
「セイファン様が謝らなければならないことではございません。あれはラキア様が悪いのですから」
「そうでもないのです」
ばつの悪そうな顔をしたセイファンの態度にフィーネは眉をひそめた。
「どういうことですか?」
眉間にしわを寄せて顔をつきだしたフィーネを見て、彼は形のよい唇を再び笑みで歪めた。
「申し訳ございません。この話は馬鹿祭りが終わった後、ラキア様ご本人にお尋ねいただけますよう。わたくしが話してしまうといろいろと問題が生じかねませんので」
問題とは何だろうか。それはわからないが、彼の明るい様子から察するに、あまり深刻な話でもなさそうな気がした。
「あの方の心無い言葉に傷ついてしまわれたかもしれませんが、あまり悩まれないでいただけると幸いです」
しかし――と、セイファンはフィーネの顔を見ながら妙な含み笑いを浮かべた。何故笑うのか理由がわからず、眉根の皺を深くすると、彼は柔らかな表情で言った。
「……失礼ながら、改めて打ち明けてしまうのも大変無礼ではございますが、あなたはわたくしが想像していたエレスの真珠姫殿とはずいぶん様相が違っていたので驚きました。姫君でありながら男君のように木登りや舟遊びを好んだり、弓術や馬術を学んだり、学問を修めたり喧嘩をして年上の男に勝ったなどと、父親に似て破天荒な方だとガイズ殿から伺っておりましたから、もっと雄々しくて筋骨隆々とされた方なのかと思ったのですが、なるほど人は見かけによらないなと」
フィーネは火がついたように羞恥心でいたたまれなくなった。確かに、そのほとんどが事実ではあったが、他人まで知っている事実はじつに外聞が悪い。顔が火照って俯くと、すぐにセイファンが詫びた。
「申し訳ございません。しかし、わたくしはその方が好都合だと思ったのです。片翼とは翼王と肩を並べ、困難に立ち向かうべき運命の持ち主。淑やかな深窓の令嬢でもいいでしょうが、そのくらいの気性の荒さでなければあの根暗男の相方なんて到底務まらないでしょうからね」
「ですが、私は困難以前に陛下の変貌ぶりに驚いてばかりで何か成し遂げられる気が到底しません」
「頑張ってください、わたくしは応援しておりますよ」
「……ありがとうございます」
セイファンに散々揶揄されて、今後のことを考えると気が重くなってくる気がした。聞こえよがしにため息をついた。
そんなフィーネを楽しげに見つめていた夕焼けの海のような色の瞳が、急に真剣な光を帯びた。
「ですからどうか……お願いです。どうか、我が兄をお救いください」
「え……」
「真の片翼としてではなくとも、あなたは……あなたであれば、兄は心を開いてくださるかもしれません。此度の賭けを発案したのはレリファ=シシカですが、わたくしはあなたなら兄を救えると信じております」
「陛下はあの通り元気そうでしたが違うのですか?」
「恐れながらお答えできません」
またそれか。馬鹿祭りの規則とはいえそこを知らなければフィーネは何をどうしたらいいのかわからないではないか。
宰相も最高神官長も肝心なことをフィーネに教えてくれない。それなのに、フィーネに頼ろうとするなんて虫の良い話ではないか。
だが、事実として、アウィルドリーシャ扮する第三王子はフィーネに国王殺しを宣言した。そして、すでに百回以上も自傷行為を繰り返した事実がある。
何故そのようなことをしたのかはわからないが、そこまでしなければならない理由が何かあるのかもしれない。
さらに、セイファンは馬鹿祭り一日目をずっと王宮内の案内に費やし、フィーネに寂れた星見の間を見せた。
もしかするとセイファンは、フィーネに自力でアウィルドリーシャが自身を殺そうとする理由に気づいてほしいのではないだろうか。アウィルドリーシャを助けるために彼がすべての事情を説明してフィーネに命じれば、フィーネはよほどのことでなければ彼の頼み通りに動く。だが、情報を小出しにしてフィーネに考えさせようとしている現状を考えてみると、アウィルドリーシャを救うというのは簡単な話ではないようだ。
つまり、フィーネが本当にやらなければならないことは、片翼の身代わりとして敵を引きつけて片翼を守ることと、現在のアウィルドリーシャの事情や人柄をもっとよく知ることなのだ。
「セイファン様、私に陛下をお助けできるかはわかりません。ですが、私は私の命を懸けてでも、あなたのお兄さんであり、私にとっても恩人のあの方を助けたいと思います」
この決意は揺らがない。そうフィーネは強い眼差しで示した。すると、一瞬ではあるがセイファンの鳶色の瞳が波に洗われるように輝いた。
彼は一歩前に踏み出すとフィーネの両手を取って優しい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、ファーシャ様。何卒、よろしくお願いいたします」




