三章 白鴎の宮(12)星見の間と御霊うつしの剣
セイファンの笑いとフィーネの不機嫌が治まるのを待って、二人は再び散策を始めた。
鷦鷯宮からさらに渡り廊下を通り、最後に案内された建物は一番北に位置していた。白鴎宮を巨大な白鴎に見立てた時に、ちょうど目と嘴の位置に存在するこの建物は、王宮の他の場所とは一線を画して寂しい印象を受けた。
白い石を積み上げた造りの円筒状の低い建物の外壁にはびっしりと苔がむしていて、長らく人の来訪を受けていないことがうかがえる。雑草が伸び、風が吹くと土煙が立ち上る。夕刻が近づいて傾いた日差しが、その寂れた佇まいをより一層際立たせていた。
鉄の扉には白鴎、獅子、女神、勇者など、古の星の神々の浮き彫りがほどこされている。
そして、大人の指の太さほどもある、見るからに頑丈そうな鎖で幾重にも巻かれ、手のひらくらいの大きな黒い錠が掛けられていた。
先ほど鷦鷯宮や渡り廊下を歩いていた時はよく喋ったセイファンだったが、今は静かにその扉を見つめていた。
風がそよぎ、足元に伸びた雑草がゆらゆらと揺れる。
明るい茶色の髪も、穏やかに揺れた。
彼の表情からは何も読み取れない。琥珀のように澄んだ瞳を縁取る茶色のまつげが陽光に透けて美しい。目尻が少し下がった目に宿る日の光のせいか、彼は遠いどこかを見ているようだった。
「セイファン様?」
「……あなたはどうしてこのような場所に連れてこられたか、不思議に思われるかもしれません。ですが、わたくしはあなたにはどうしてもこの場所について知っておいていただきたいと思っております」
「ここは、何の施設ですか? 見たところ、神殿のようですが、とても寂しい雰囲気ですね」
「……ここは、白鴎宮で最も特別な場所で、星見の間といいます」
「……星見の間、というと、四年前の星見の乱の名の由来となった場所ですか?」
「その通りです」
セイファンは固い声音で答えた。
四年前――。
現王アウィルドリーシャは当時の国王だった父親を殺して王位を簒奪した。簒奪といってもアウィルドに王位への執着や権力への野心があったわけではなく、民衆や多くの諸侯から請われて致し方なく挙兵した結果でのことだった。
その政変は、先王を討ち取った場所から星見の乱と呼ばれている。
先王――ウェルフ・リルダム・ラウルガル・タイトはすぐれた善政を行うと国内外から非常に評判が高い国王だった。
長年続いた国内の王位争いに終止符を打ち即位した彼は、奴隷制度の撤廃、孤児のための養育施設設置を許可、作物の改良や水害の対策のための堤や運河の建設に注力し、そのほか数多くの偉業を成し遂げた。庶民に寄り添った政治を行いながらも貴族に対しても所領の保護や様々な優遇政策を行い、彼は真に誰もが認める善き王だったのだ。
ところが、ある時期を境に彼は急に暴君へと変貌を遂げた。
それは長子アウィルドリーシャの立太式から半年ほど後のことだった。
誰もが讃え敬った善王は突然乱心し、理不尽な粛清を始めた。魔物にでも取り憑かれたのか、善き王でいることに疲れてしまったのか、まるで人が変わったように家臣や貴族を次々と処刑していった。
身内にも容赦がなく、彼は自身の同腹の兄であった当時の最高神官長を討伐し、右腕として長年信頼し合っていたはずの宰相の首を刎ねた。セイファンも殺害対象となり、馬引きの刑で殺されかけた。
あまりの暴虐を見かねたアウィルドは、父王に暴政を改めてほしいと直訴したが、逆に怒りを買ってしまい、廃太子とされ、エスタ領という北東部の貧困地域へ流刑にされてしまった。
その後も国内の混乱は続き、終いには政がほとんど機能しなくなった。王都には死者や浮浪者が溢れ、地獄のようであったと、その場にいた者は誰しも証言した。
アウィルドは流刑先のウルガ北東部のエスタ領の小さな村から少数の兵士や民衆を引き連れて反乱を起こした。はじめこそ鍬や鋤などの農具を武器にした農民や、盗賊の一団などを寄せ集めた小さな一揆だったが、王都に向けて南下する途中で彼らは多くの諸侯や民衆の支持を集めた。
不思議なことに身分も考え方も違いばらばらのはずの人々は、『翼王』の名を持つ少年のもとで驚くほどの短期間で統率のとれた巨大な反乱軍となった。勢いづいた彼らは王宮に攻め入り、ついに陥落させた。
「ここが星見の間……」
フィーネは荒れた神殿の姿を見つめて呟いた。
ということは、アウィルドはこの扉の向こうで実の父親を手に掛けたのか。
誰かの命の最期の現場にいることと、当人たちの心情を考えると、肩から胸にかけて得も言われぬ寒気を覚えた。それが顔に出たのか、セイファンは小さく頷いた。
「本来ここは国王が天啓を得るための神聖な場所でした。天に通じる泉に見立てた天窓から空を見上げて天体の運行を読み、天の主神と通じることが可能だったと言われております。窮地に立たされた時、為政者として己が進むべき道を見失った時、様々な場面で天の主神は歴代の国王に知恵と勇気を与え、国を導く手助けをしてきたそうです。しかし、兄は即位の儀のしきたりでこの部屋に三日三晩籠もられた後、この天界の入口の門番の神、永遠の楽土の守護神の像が刻まれた扉に鎖をかけて誰一人として入ることの出来ないようにこの場所を閉ざしてしまわれました」
「どうしてですか?」
「神聖な星見の間を血で汚し、無理矢理王位に就いた己には、天の加護を得ることができなくなった、と陛下はわたくしに仰りました。しかし、それは間違いだとわたくしは考えております。なぜなら、天の主神はアウィルドリーシャを正式に国王と認め、その証拠に祝福の神器を贈っているのですから」
歴代のウルガ国王に代々伝えられる神器というものがいくつかあるが、特に重要とされるのが、即位の儀で得る『御霊うつしの剣』と呼ばれる神剣だといわれている。天の主神は即位の儀でこの部屋に籠もった人物を新王と認めると、神剣を贈る。
「その剣は、新たな王となる者の魂を元に鍛冶の神によってつくられ、不思議な力を有しております。各々の王によって刀身の姿形のみならず、能力もそれぞれ違っており、千里の彼方の出来事を見通したり、火や水を操ったり、人心を操ったり、一振りすれば穀物の種や財を生み出したり……その時代の王の治世にとって最も必要となる力を剣を通じて天の主神が与えてくださいます。その能力は、王の気質や願望、たどるであろう運命などによって定まり、持ち主である王が存命している間だけ、効力を発揮するのです。先々代国王のウェルフ・シュヒァス・ラウルガル・ヴェシスは清らかな水を生む力。先王ウェルフ・リルダム・ラウルガル・タイトは他者を意のままに服従させる力でした」
「陛下の場合はどういった能力なのですか?」
その瞬間、セイファンは急に黙り込んで地面に目を向けた。なにかまずい質問だったのだろうか、と不安を抱きながら彼の返事を待った。
「それが……わからないのです」
「え?」
セイファンが苦悩に満ちた表情で返した答えは予想外のものだった。




