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三章 白鴎の宮(10) 王宮案内と呪詛

 朝食を終えるとフィーネはセイファンに連れられて様々な省庁や人々に挨拶回りと王宮内の案内に出掛けた。


 白鴎宮(はくおうきゅう)は王都東部の丘陵の上に建てられており、白い貴婦人、鳥神の顕現、月の宮などの異称で美しい王宮としてしばしば人々の讃辞を集めた。フィーネもその意匠に見惚れた。柱や日除けに施された彫刻や細工、庭園の素晴らしさはさることながら、王宮の敷地の外側には天然の川を利用した堀が巡らされていて優美ながらも要塞という側面も持っていた。


 また、王宮内の建物には玄鳥舎(げんちょうしゃ)燕子舎(えんししゃ)、王族の暮らす七星宮(しちせいきゅう)、国王が暮らす鷦鷯宮(しょうりょうきゅう)など基本的には鳥や星にちなんだ名称がつけられている。その周囲にも大小さまざまな建物が並んでいる。それらは木や石で造られており、太陽光を反射するように真白く塗られている。屋根には金属製の飾りが載っており、雷除けとして機能するらしい。

 また、風通しに配慮して全体的に開放的なつくりとなっていたり、水路には常に清らかな水が流れていたり、様々な暑さ対策もされている。傾斜をつけて流れを滞留させないのは蚊の幼虫の生育を防ぐ配慮でもある。


「――とまあ、一通り説明しましたが、とりあえずはこのくらいを覚えておいていただければ、と思います」

「たくさん建物があって場所と名前を覚えるのが大変そうですね」

 フィーネが圧倒されているとセイファンはにこやかに頷いた。

「ええ。元々は東宮殿しかなかったのですが、後の世に何度もその場の気分による無計画な増改築を繰り返した結果、迷路のような複雑な構造になったと伝え聞いております。そのため、長年王宮に勤めている者でさえ、迷う者が多いのです。噂によると誰も知らない隠し通路もあるとかないとか。ですから、あまりおひとりで歩かれない方がよろしいでしょう。特に、北にある黒烏の森には近づかれないほうがよいかと存じます」

「森ですか?」

「はい。人の手が加えられていない原生林です。北から来る災いを封じるために樹木が持つ霊力を借りています。ですが、日が落ちれば真っ暗で何も見えなくなってしまいますから夕暮れ時以降は絶対に足を踏み入れてはなりません」

「わかりました、気をつけます」

 その後も彼とともに昼前まで挨拶回りを続けた。


 昼食は自室で米と葉物野菜の粥と茶と柘榴(ざくろ)の実二つという軽い食事を摂った。久方ぶりの薄味に喜んでいると、ヒレナがにこにことこちらを見つめていた。

「どうしたの?」

「いいえ。とても嬉しそうに召し上がられるのでわたくしも嬉しいのですよ」

「そういうヒレナも嬉しそう」

「もちろんですとも。王宮の料理は様々な地域の料理が出るそうですが、ずっと味が濃いものが続いておりましたから」

 そう言いながら彼女は木匙で粥を口に運んで舌鼓を打った。



 白鴎宮の一日は規則正しく定められている。

 朝は五時の鐘で起床、七時に朝食、九時から十二時まで朝の議会、その後昼食。

 十三時から十六時は適宜午睡の時間。

 その後、午後の議会がある日は十八時まで、ない日は二十時まで各自執務をし、その後は夕食となる。

 そして、鐘は鳴らないが、二十四時には消灯だ。


 さらに合間には一日五回の水浴びの時間も設けられており、汗まみれになって不快な思いをすることがないように配慮されていた。

 王族と特別に許可された一部の者は清泉舎(せいせんしゃ)を、それ以外の者は碧水舎(へきすいしゃ)蒼水舎(そうすいしゃ)などの城内にいくつか点在する浴場を使うことになっている。フィーネは、ヒレナとルラという女官に連れられて屋根付きの長い渡り廊下を歩いて清泉舎に向かった。清泉舎までは緑水宮や東宮殿から屋根のついた渡り廊下で続いていた。


 清泉舎は大理石作りの真白い柱が並び、重厚な趣を感じさせる造りとなっている。中には滾々(こんこん)と湧く地下水を引いた石造りの泉が設けられ、常に清らかで透き通った冷水が湛えられている。

 別室には火をたいて釜で沸かし温浴する部屋も備え付けられており、湯でくつろぐことも可能らしい。


 水浴みをする者は袖の長い水浴み用の(ひとえ)の麻衣を身につけて入り、身体の汗や汚れを落とす。

 冷水で冷え切った身体に、新しい衣服を着るととても清々しい気分になった。


 午後になると、フィーネは自室で午睡をさせられた。十三時から十六時までは午睡の時間で、フィーネの身の回りの世話をすることになったルラとトムカという女官曰く、午睡の時間とはいっても、長い昼休みでその時間は何をしていてもよいとされているらしい。寝ずにのんびりと過ごすのもよし、趣味にいそしんだり、働くのもよしというなかなか贅沢な時間らしい。


「午睡か……。こんなことしている場合じゃないと思うんだけどな」

 蔓編みの履き物(サンダル)を脱いで寝台の上に上がったフィーネは悶々とした思いでヒレナに向けてぼやいた。寝台の端に腰掛けたヒレナと向かい合わせに互いに扇であおぎながら深々とため息をついた。

「わたくしたちの故郷では、南部の方々は昼間から寝てばかりで怠惰な者が多いという評判でしたが、この暑さでは無理もないのでしょう。ノルン様もセイファン様もお休みになってしまわれている今、あなたに出来ることはゆっくり休んで英気を養うことしかないかと。それも立派なお勤めですよ」

「……そうだね。でも、やっぱりこれじゃいけないような気がする」

 今日も相変わらずうだるように暑い。風が止んで室内が蒸し風呂のようになってきた。その中で、目を閉じていると、急に瞼が重くなってきた。眠くなどなかったはずだが、疲れていたのだろうか。


 だが、誰にも話してはいないのだが、じつは王都に来てからというもの、フィーネはまともに睡眠がとれたためしがなかった。否、王都に来る前の、エレス領の境を出た晩からずっとだ。フィーネは毎晩のように奇妙な夢に(うな)されて飛び起きることを繰り返していたのだ。

 その夢は誰か知らない男に呼ばれる夢なのだが、昨晩からは女も加わり二種類になった。


 ――どこにいるのだ。いや、だめだ、来てはならない! わたしを追ってきてはならない!


 一つ目は男の声で暗闇の中でひたすらに誰かを拒絶している夢。


 ――お願い、わたしを、さがして。


 もう一つは翡翠のように美しい響きの女性の声に呼ばれる夢だ。


 フィーネは前者を闇の夢、後者を川の夢と名付けた。

 さらにフィーネは幼い頃から時折見る悪夢がある。これは特に名付けてはいないがその夢の中ではいつもフィーネは水辺に立っている。両足はその場に縫い止められたように動けない。そこが湖か大河か海なのか、それはわからない。裸足で水につかりながら、向こう岸の見えない水の中でひたすらに訳も分からず泣いているのだ。


 今回は川の夢のようだ。

 

 ――お願い、……を、助けて。過去の過ちに呑み込まれてしまったの。


 「待って! あなたは誰なの? どうして私の夢に現れるの? わたしに誰を助けてほしいの!?」


 だが、闇の夢の時と同様に、その問いかけに答える声はなく、ただただ、空しい風が吹くばかりだった。


 今見ているこの夢もじきに覚めることだろう。いくらやるせなさに歯軋りしてみても、夢は夢にすぎない。現実の世界とは関わりのないことなのだから、いい加減考えることをやめてしまえば良いのに、どうしてもフィーネを呼ぶ声の主について想いを巡らそうとしてしまうのだ。


 だが、フィーネはふと、ある異変に気づいた。

 風に乗ってかすかに鉄錆のようなにおいが鼻をついた。それは、医師としてよく嗅いだことがある。血のにおいだ。それだけではない。脂と(はらわた)の中身のにおいが混じっている。

 死のにおいを感じた瞬間、川の水が赤く変化した。

 水は渦を巻き、フィーネの足にからみつく。ほどなく引き倒され、水中に引きずり込まれる。

 フィーネは慌てて手を水面の上に向けて伸ばした。

 一体何が起こったのだ。こんなことは今まで一度もなかった。


『許さないわ。私はあなたを、許さない! その銀の瞳……カナーヤ人のあなたを絶対に!』


 全身に寒気が走った。フィーネは咄嗟に、誰かに助けを求めようとした。



「フィーネさまっ!」

 ヒレナの声と、なにか(つんざ)くような音とともにはっとして目を覚ますと、ヒレナが青い顔をしていた。

「大丈夫ですか? 首に痣ができております!」

「え?」

 指摘されて手鏡を覗くと、白い首にはくっきりと横一文字に赤く縄のような紋様が浮かび上がっていた。

「どういうこと? ……昨日に続いてまた痣が出るなんて……」

「理由はわかりませんが、先ほど急に苦しまれだしたかと思ったらその痣が浮かび上がってきたのです」

 まさか、と思いフィーネは奇病の赤痣を祓うまじないを唱えた。しかし、痣は消えなかった。

「……どうして? 消えない!」

「大事をとりましょうか」

「ううん。それは出来ないよ。この後もまたセイファンさまに王宮を案内してもらう約束になってるんだ。馬鹿祭りは十五日間だから私に残された時間はあと十四日しかないんだ」

「ですが……」

 服の内に隠していた夜明真珠の連珠が三つ砕けており、フィーネは背筋が冷えた。

「神官長さまからいただいた御守りが砕けるなんて……まさか……やはり……」

「……ヒレナ?」

「いえ、わたくしが王宮入りした際に、あなたが何者かに呪詛される可能性があるかもしれないから様子を常に見ていてほしいという話を聞かされていたのですが、こんなに早くその通りになるとは……言葉が出ません。もしかすると想定よりもずっと状況はよくないのかもしれません」

「それって誰から聞いた話なの?」

 しばらく考えるようなそぶりの後、彼女は「陛下です」と小さな声で答えた。

「え!?」

 そういえば彼女を王宮に呼んだのはアウィルドだったということをすっかり失念してしまっていた。二人はヒレナが昔王宮勤めをしていた時からの顔見知りなのだから彼女に尋ねれば一発で答えがわかるはずではないか。

「そういえばヒレナはここに来る前に陛下にお会いしていたんだよね」

「はい」

「それならヒレナに尋ねるけど、ラキア様は陛下で間違いないよね?」

「……いいえ。申し訳ございませんが、わたくしはその正否を答えることができません」

「どうして?」

「申し訳ございませんが、理由についても今はまだ、お答えすることができません」

 彼女らしくもない返答にフィーネは腑に落ちない気持ちが胸の中に渦巻いた。

 ヒレナはフィーネに向き直った。

「どうか、お許しください。そして、わたくしにはあなたを狙う者が誰なのかはわかりません。ですが、お約束いたします。わたくしは必ずあなたをお守り致します。この身に代えても絶対に! そのことは偽らざる真実でございます!」

「ありがとう。でも、ヒレナを身代わりにするわけにはいかないから気持ちだけ受け取っておくね。だけど困ったな。こんなすぐに呪詛してくるような人を相手にしなきゃならないなんてなぁ。しかも、御守りの代わりはあるって聞いているけど夜明真珠はかなり高価なものだし無駄にしたくないな」

「神官長さまをお呼びしましょうか?」

「ううん、今はやめておく」

「ですが、やはり今すぐ相談をしたほうがよろしいかと存じます」

「大丈夫。……だと思う。セイファン様を待たせたくない」

「ですが、ファーシャ様っ」

「ごめんなさい。でも、ここで余計な時間を掛けたくはないんだ。そのことについては夜にでもお伝えしてみるよ」

「かしこまりました」

「それにしても、陛下の心当たりはあるけど王宮の方々もヒレナも誰も彼もみんな否定するんだからなあ。参っちゃうな。まあ、あの方の身ぐるみを剥いで背中を見るか、真水を浴びせかけて染料が落ちて髪が赤くなるか確認すれば一発なんだけどね」

「身ぐるみを剥ぐなんてとんでもない! ……まさか、本当になさったりしませんよね?」

「いくら私が無鉄砲でもそんな常識はずれなことはしないよ」

「……どうでしょうか。あなたの行動は時々ひどく常識はずれな時がありますから信じられませんね」

 ちくりと刺すような響きの籠もった言葉に言い返すことができずフィーネはもごもごと口元に皺を寄せた。

「私だっていつまでも非常識じゃないよ。……ラキアさまの頬を打とうとしたことはまずかったと思ってるけど」

「あれはいいのです。あんな男は()たれて当然なのですから」

 真顔で即答されてフィーネはヒレナが放つ刺々しさに少し恐怖を覚えた。

「……ヒレナ、もしかして殿下のことを嫌ってたりする?」

「「嫌いか」と尋ねられますと「いいえ」という答えになりますでしょうか」

「良かった、嫌ってないんだね」

 ほっと胸をなで下ろそうとした瞬間、彼女の切れ長の瞳に鋭い憎しみの色が宿った。

「いいえ、『大』嫌いです! あの父親譲りのいけ好かない顔を見ていると腸が煮えくり返りそうになります。だいたい、肌の色をこんがり日焼けさせて目と髪の色を変えただけとか、造形を使い回しなさるなんて、天の主神(ナハートアム)はいい加減すぎます! あの容姿やお顔立ちはサヴェラさまだから良いのであってあの方にはもったいなさすぎます!」

 ヒレナは苦虫を噛み潰したような顔で言った。なにもそこまで言わなくても、と予想外のヒレナの反応にフィーネは苦笑した。しかも理由が理不尽すぎる。

 サヴェラというのは先王リルダムの愛称だと彼女から教えてもらった。あれから時が過ぎたが彼女は今でもかつての主を想い続けている。想い人の命を奪ったアウィルドリーシャのことは憎んでいるのかどうか定かではないが、彼女なりに折り合いをつけているようだとフィーネは感じていた。

「ヒレナ、ひとまず痣を隠したいから白粉(おしろい)をお願いしてもいい?」

「その点はお任せください。傷隠し含めお化粧は得意ですからね」

 にやり、と彼女は勝ち気な笑みを浮かべて化粧筆を手に構えた。


 化粧を終えたフィーネは姿見越しにヒレナの化粧の技術に感嘆した。生肉のようなどぎつい色をしていた痣は跡形もなく隠れていた。

 彼女は慣れた手つきでフィーネの髪を丁寧にすいて結い上げてゆく。彼女に髪を整えてもらう時はいつも姿見に映る彼女に見惚れていた。頭頂部にまとめあげた彼女の栗色の髪はいつ見ても綺麗な色だとフィーネは羨ましく思っていた。



「さあ、これで準備はおしまいです」

「ありがとう。いつも思うけれどヒレナは髪を梳くのが上手だよね。私がやるとなんだか髪がぶちぶちとちぎれるというか……」

 大方はまっすぐなのだが、こめかみのあたりが緩やかな巻き気味の癖毛な上に一本一本がかなり細いため、フィーネは自分の髪に手を焼いていた。髪を他人に梳いてもらうことは貴族にとっては何ら不思議なことではないのだが、フィーネは、自分でできないことが悔しくてたまらなかった。

 エレスにいた頃のフィーネは、ユリフェ家のしきたりで町医者の家に預けられていたため、あまり他人から世話を受けることに慣れていなかった。

 フィーネは祖母の勧めで医術を学んだ。もっとも、根は不器用なため、包帯をきれいに巻けるようになるまではかなりの時間を要したし、魚を使った傷の縫合の練習もとても苦労した。師匠ははっきりとは言わなかったが医者にはむいていないということはフィーネも理解していた。それでも、フィーネは医者になりたいと努力を続け、師匠も突き放すことなくフィーネを指導し続けた。

 その甲斐あってか、フィーネは年若くありながら町医者としての技術を会得することに成功した。代わりに身だしなみを整える術を身につける時間を逃してしまった。

 まあ、そんなことは人助けに比べればどうでも良いとつい最近までは思っていたのだが、やはり女性としての嗜みはしっかり身につけておけば良かったと、ここ数日で後悔するようになった。

 ヒレナはふふ、と相好を崩しながら得意げに言った。

「ありがとうございます。じつは、ちょっとしたこつがあるんですよ」

「どんな?」

「それは秘密です。教えてしまいますと私の仕事が減ってしまいますから教えられません」

「けちだな。教えてよ」

「嫌ですよ。毎朝、毎夜、あなたの髪形を考えたりお手入れさせていただいたりするのが、私の楽しみのひとつなのですから、それをとられてしまっては私の人生はつまらないものになってしまいます」

 鉢植えや庭の樹木じゃあるまいし、とフィーネは頬を膨らませた。

「だめ人間を真っ当にすることが私の生きがいですからね」

「ひどいよそれ」

 むくれるフィーネに彼女は不敵な笑みで応酬した。

「あなたにお仕えすることを決めた時にわたくしが申し上げた言葉をお忘れですか?」

「……覚えてるよ。私がどんな死に顔をするか見てみたいなんて面白いことを言っていたよね」

「ええ。もちろん、今でもその考えは変わっておりません。あなたには両手いっぱいでも抱えきれないほどの幸福に埋もれて笑い死にしていただかなければなりませんからこんなところで倒れられては困ります」

「それなら、ちゃんと頑張らないといけないね。私もヒレナを幸せで生き埋めに出来るように」

 二人は顔を突き合わせて笑った。

「さ、午後も頑張ってくださいね」

 主人の髪を整え終えたヒレナはフィーネの肩を軽く叩いて喝を入れた。






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