三章 白鴎の宮(7) 馬鹿祭り開幕の宴(1)
支度が整うと、フィーネは女官に案内されながら大広間に向かった。
今夜は明日から始まる馬鹿祭りの前夜祭と開始の宣言を兼ねた宴が催される予定となっていた。
先に宴の挨拶からはじまり、新たな片翼を紹介する場面になったら途中から大広間に入る段取りになっていたので、控えの間でその時がくるのをじっと待った。焦りと不安がないまぜになり、いてもたってもいられない気持ちで息が詰まりそうになりながらも耐えた。
久方ぶりの再会となったレリファ=シシカは相変わらずの無表情だった。いつも通り彫像のような面構えで接してくるため、彼といると息苦しくなった。
果たして自分はうまくやっていけるのだろうか、などと物思いに沈む暇もなくすぐにその時はやってきた。
フィーネは肩を出した水色の衣裳に身を包んでいた。肩には藍色の薄布の羽衣を羽織り、帯の上には薄紫の薄布と銀の帯飾りを巻き付けている。長い裳は今も苦手だが、神殿での特訓の成果か、つんのめるへまを踏まなくなっていた。
レリファ=シシカに先導されて、ゆっくりと歩み出した。彼について歩きながらフィーネはふいに、自分の葬列のようだ、と思った。
この先に待つのはおそらくは死だろう。
片翼を騙ることによる罪はもちろん、これからは片翼を狙う者に命を狙われることになる。だが、簡単に殺されてやるつもりはない。本物の片翼が力を取り戻し、翼王の隣に立つ日が来るまで、いや、その先もこの目で国王と片翼が築いてゆくはずのずっと遠い未来の日を見届けるまで、フィーネは死ぬわけにはいかなかった。
目の前には漆塗りに螺鈿細工で海豚が描かれた大きな扉が立ちはだかる。
その向こうでは、豊かな楽音が奏でられている。笛や太鼓、金属の鈴などを用いた曲は明るく荘厳だ。わずかに調律を乱した金属の音色が不思議な波を生み、思わず気が遠くなりそうな心地になりかけたため、フィーネは視線をレリファ=シシカの背中に集中させた。
「では、ファーシャリーシャさま、参りましょう」
レリファ=シシカの落ち着いた声が不安に押しつぶされそうなフィーネの意識を現実に引き戻した。
左右に控えた衛士が扉を引き、重々しい音を立てて観音開きに視界が明るくなる。
回廊とは比べものにならないほど明かりが灯され、眩しい光にフィーネは軽く目を背けた。けれどもすぐに視線を戻すとしっかりと前を見据えた。
明るさに目が慣れてぼんやりとした視界が晴れると、正面に向けてまっすぐ歩みを進めた。
蝋燭の灯火や夜明真珠の灯りが鏡に映り、室内を煌々と照らしている。煌めく金色の灯りに満ちた大広間の大理石の白い床は赤絨毯で彩られ、その上に銀の煌びやかな膳が置かれて数十とも数百とも数え切れぬほどの人の家臣が列をなして座している。皆、フィーネの姿を見ると、深々と頭を下げた。その様はまるで水面の波のようだ。
向かって一番奥の一段高く設えられた席にスヴァロンことラキアが座っていた。彼は遠目にもわかるほど美しい敷布の上に立て膝をついてこちらを見ていた。シーゲン織という金糸と色糸を織り交ぜ、光や見る角度により色が変化する不思議な織物が、光を受けて青紫と赤と夕焼けの雲のように輝いている。
フィーネは歩きながら、不思議な席の設け方だ、と思った。壇上の席には三つ敷布が置かれており、フィーネから向かって中央と左の席は空いていて、ラキアはその二席の右側――ウルガの作法では下座とされる席にいた。
前もってセイファンが教えてくれた話では、中央はこの場にいない国王のためのもので、二番目に高い地位の左の席は本来はラキアが座るはずだったが、片翼のために譲ることになったのだという。
国王たちの席の一段下に設けられた席には、左に宰相、右に二人の副大臣が向かい合う形で座り、さらに一段ずつ低くなりながら彼らと隣り合わせになるように大臣、諸侯、その他大勢の家臣が席を連ねた。
彼らは赤と金の糸で織り上げられた上質の絨毯の上で平伏して片翼を出迎えた。
広間の中央の通路をレリファ=シシカの後ろについて歩く。
しばらくするとレリファ=シシカは足を止めた。フィーネも倣って一歩後ろで立ち止まると、深々と頭を下げた。その間にレリファ=シシカは向かって右奥に設えられた自らの席に移動した。
楽の音は止まり、演奏者は楽器を下ろした。
人々も静まり返る。ややあって、壇上のラキアがゆっくりと口を開いた。
「今年のファム殿、いいや、十番目の片翼様。此度はよくぞ遠路はるばる、この白鴎宮にお越しくださった。感謝申し上げる。我が兄である国王アウィルドリーシャに代わり、あなたを歓迎致します」
頭を下げたままフィーネは驚きのあまり思わず顔を上げそうになったが、彼の許可なく動くことは無礼に当たると戒めて静止し続けた。
彼は本当に、先ほどの馬鹿王子なのだろうか。いや、アウィルドリーシャなのだから当然であるが、大広間の隅々までよく通る声だ。怒鳴ったり叫んでいるわけでもないのに遠くまでよく通る声は低く厳かで、先程会った男と同一人物とは信じられないほどに王族としての風格が感じられる。
「顔を上げられよ」
その命令を受けてフィーネはようやく顔を上げた。
「殿下、ならびにこの場におられます皆様、お初にお目にかかります。この度、わたくしは不遜にもファーシャリーシャを拝命いたしました。国王陛下および第三王子殿下をはじめ、皆々様におかれましては長年の不在となりましたことをお詫び申し上げますとともに、この場をお借りして深い御礼を申し上げたく存じます。いまだ、国王陛下より名乗りの許可は受けておりませぬ故、暫くはわたくしの名を申し上げることはかないませんが、十番目の翼王たる国王陛下ならびにこの碧海の守護国たるウルガ王国のために誠心誠意、尽くして参りたいと考えております。不肖ながら誠心誠意努力いたしますので何卒、よろしくお願い申し上げ奉ります」
声がうわずりそうになるのを必死に堪えて挨拶したが、練習通りにはいかないものだ。喉が震えて少し早口になってしまった。
「片翼とは我が祖の片割であるウーザン王こと人王オルレガの生まれ変わりと伝えられる尊きお方だ。本来であれば国王が自ら丁重に出迎えねばならぬのだがな、生憎と馬鹿祭りの期間中は身を隠す決まりとなってしまっている。故に、あなたへのこの多大なる無礼を許していただきたい。おれもあなたがこの白鴎を象った宮にお越しいただいたことをとても嬉しく思う。王宮での暮らしは不都合も多く、戸惑うことも多々あるだろうが、本当の我が家のように過ごしていただければ幸いだ」
朗らかな笑みを彼は十番目の片翼に向ける。
よくもまあ、心にもない言葉をつらつらとよどみなく述べるものだ、とフィーネは呆れた。先ほどのやり取りからは想像もできないほど和やかに話は進んでゆき、その後もいくつか挨拶を交わしてからフィーネは空席の国王の隣席に案内された。もはや逃げるわけにはいかない。ここまで来てしまった以上、覚悟は決めるしかないのだ。
フィーネが腰を落ち着けるとレリファ=シシカがしずしずと歩み寄ってきて、紫の衣の袖で隠した手で持っている籠の中から色とりどりの花びらを振りまいた。
生花は生命力の象徴で、神官にそれをふりかけてもらうことで生命力や幸福を与えてもらう。それぞれ花の種類や色は様々な意味の祈りを込めている。
赤は血の色を表し健康を。青は深い海を表し知恵を。黄色は幸福を。橙は情熱を。紫は深い愛情を願っている。白は誠実さと真心をもたらす。
色とりどりの花びらをフィーネに掛け終わるとラキアのいる段の下からラキアにも振り掛けた。
ラキアはレリファ=シシカを見つめながら、いささか気に食わなさそうな顔を浮かべていた。その後は場内を浄めるように全員に振りかけて回り、それが済むとレリファ=シシカは元いた場所まで戻り、再び一礼して自席についた。
一連の挨拶が終わるとラキアは肩を回して体をほぐした。
「さてと、堅っ苦しい挨拶は疲れるぜ。明日からは馬鹿祭りが始まることだし、今宵は無礼講といこうか。日頃の確執や身分の垣根は取っ払って各々楽しむといい。席も自由に動いていいからな。ただし、毎年羽目を外しすぎる奴がいて大小様々な問題が発生することも事実だ。どうかある程度の節度は守ってほしい」
すると、急にあちこちから唸るような鬨の声が上がった。
「今年こそは我々が勝ちます!」
「陛下なんか打ち倒せ!」
「覚悟してくださいませ、陛下!」
士気が高まるにつれて場内の鬨の声も大きく、揃っていく。
「おいおい、あんたらはどんだけ兄貴を目の敵にしてるんだっ」
ラキアが噴き出して笑い、家臣達にもどどっと笑いが伝播する。
「今年の除目はとりわけ大変でしたから、息抜きでございますよ! それに黒三つ星は御免でございます!」
「そういや王印偽造の騒ぎの時は皆に迷惑を掛けて申し訳なかった、解決のために尽力するから許してほしい、と兄貴から伝言を預かっていたんだった」
「おや、それは何より。それではそちらの件は陛下にお任せするとして、我々は今年こそは遠慮なく陛下を討ち取れますな!」
「ムヴァン、お前は兄貴の胃に穴を開けたいのか?」
「滅相もございません! 某なりに現状を打破する突破口を空けたいと欲する験担ぎにございますれば、この老翁の戯れ言など水に流していただけますれば幸いにございます。陛下には末永く健やかであらせられますよう、毎朝毎晩お祈り申し上げております」
「いいのか? あの頑丈さだけが取り柄な兄貴にこれ以上元気になられてみろ? お前達の馬鹿祭りの勝利は遠のくばかりだぞ?」
ラキアがわざとらしくため息をつくと再び場内は明るい笑い声に溢れた。
「あと、たいへん申し訳ないが、この阿呆で傍迷惑な宴の最中にも働き続けることになる衛士と調理及び給仕をはじめとする者らには後ほど別途褒賞をとらせる予定となっている。だから、頑張ってほしい」
「畏まりました!」
「ありがたや!」
給仕をしていた者達がいきり立つように気合いの入った声を口々に上げた。
ラキアは皆に料理が運ばれるのを見届けると、場を仕切り直した。
「んじゃ、まあ、十五日の間、順調に馬鹿祭りが進むことを祈って、乾杯!」
右手を挙げ、この場にいる者全員に食事開始の合図をすると、ほどなく皆、箸や匙などを使って料理を食べ始めた。
ラキアは行儀の悪いことに銀食器を持ち上げて大口を開けながら豚肉の鳳梨煮を啜るように頬張った。ずるずると音を立てて吸い込む様子を横目で見て顔をしかめながらフィーネも皆に倣ってようやく料理に手をつけた。木の箸を用いてフィーネは白身魚の香草焼きを一口大に切り分けて口に入れた。
その瞬間、とてつもないほどの辛さがフィーネの舌を襲い、全身の毛穴が一気に開いて汗が噴き出した。
ウルガ南部の料理は香辛料がきついので覚悟していたが、その辛さはやはり、予想をはるかに上回るものだった。口にひりひりと焼けるような感覚がして、全身の毛穴から一気に汗が噴き出す。吐き出したくなる気持ちを必死に押し隠して飲み込んだ。
涙が出てくる中、これは人間の食べ物ではないな、とフィーネは思った。別に南部地域の住人を侮辱しているわけではなく、これを食べても平気なここの人々は姿形は人間でも中身は超人なのではないか、と素直に褒め称えたい気持ちからだ。とはいえ、現在進行で苦しみの渦中にあるフィーネは焼けるような口の痛みと冷や汗がこめかみを伝い落ちる感覚を味わいながら目をぎゅっと閉じた。
――水が欲しい。
そう思ったフィーネの望みを叶えるが如く前に左下から銀の杯を差し出す手があった。礼を言ってそれを受け取り、中身を飲んだフィーネは目を丸くした。水かと思って飲んだものの、器の中身はまろやかな味の牛乳だった。しかも、それを手渡してきた相手の顔を見てフィーネはぎょっとした。
「大丈夫か?」
「!? へ、平気です!」
眉尻を下げて心配そうな顔で見てくる第三王子に向かって言い返すと、フィーネは中身が残ったままの器をそそくさと手元に置いた。先ほどのいざこざの後では気まずい。彼に助けられるのはあまりいい気分がしない。牛乳のおかげで苦しみは和らいだがそれでもまだ舌が痛かったため、目の前にあった水の入った銀の器に手を伸ばした。だが、何故かラキアも席を立ってすぐにそれに向かって手を伸ばす。彼が器を奪い取ろうとしていると気づいたフィーネは急いで苛立ちながらそれをふん掴んだ。
「待てっ、水は飲むな!」
ラキアはほかの者には聞こえないように押し殺した声で叫んだ。しかし、時はすでに遅く、苛立ちながらひと思いに水を飲み干したフィーネは、一旦収まった口の痛みが再発し、喉のかゆみとともに咳込みたくなって思わず片手で口元を抑えて俯いた。
すぐさまラキアは先ほどの牛乳が入った器をフィーネに差し出した。
「……唐辛子を使った料理の辛味を抑えるには牛乳の方が良い。水だと却って酷くなる」
「……はい」
「ったく、慣れてないなら無理すんじゃねえよ」
思わぬ形で助けられ、フィーネは悔しくて俯いた。
だが、彼のおかげで大勢の人の目のある場所でさっそくの粗相をせずに済んだのも事実だった。
「ったく、おれのことが気に食わねえのはよくわかるが、忠告くらいは聞いてくれ」
「申し訳ありません……」
「あ……いいや、謝る必要はねえけど……」
フィーネは肩を落とした。料理は決して不味くはないのだが、あまり食べやすい味ともいえなかったので食事の手を休めた。フィーネの下段に座していたセイファンが振り向いてゆったりと穏やかに話しかけてきた。
「ウリューゼの料理は初めてですか?」
「いえ、何度かあるのですが、なかなか食べ慣れなくて……」
「さようでございますか。王宮ではウリューゼ料理のほかに国内各地の料理が順々に提供されるのです。あなたの故郷の料理も時折並ぶことがあるのですが、どれも全体的に薄味ですよね」
セイファンはにこりと笑みを浮かべ、フィーネに気を遣ってか、各地の料理について教えてくれた。
この国で生まれ育っておきながら、王都の料理を食することができないとは情けないとフィーネはいたたまれない気持ちになって再び俯いた。
エレス料理は国内の他の地域とは異なり、山間の閉鎖的な地勢で香辛料があまり手に入らない。しかし、冷涼な気候のために生鮮食品の足が緩やかだ。さらにエレス領内独自でしか育たない作物も多いので野菜には恵まれている。そのため、香辛料も辛みの強いものはあまり使われず、全体的に味付けは薄めで、素材の風味を生かしたものが多い。例えば野菜は胡麻油で炒めて塩と胡椒だけで味を調えて野菜の香りを生かしたり、スープも、野菜と肉を煮込んだ出汁に少量の塩を加える程度で済ませてしまうのだ。また、米や小麦よりも蕎麦粉を多く使うことも特徴に挙げられる。
一方で、エレス以外の地域は概して辛いものが多い。国内外から陸路と海路を通じて質の良い香辛料が豊富に得られることが大きな理由だが、香辛料が持つ効果を期待してのものだ。香辛料は食品の臭みを消して風味を豊かにするだけでなく、防腐作用と、食欲増進作用などという目的がある。
これをうまく利用していくことが暑い気候で人間が生きていくための昔からの知恵である。
そんなウリューゼの人間でも恐れるほどの地獄の料理と言われているのが秘境と呼ばれるエレスとタイトの二領以外の北部地域の料理だ。主菜、副菜をはじめ、ありとあらゆる料理が辛いのだという。それはウリューゼ料理などまったく比較にならぬほどのもので、旅人から聞いた噂によると地獄の釜で煮炊きされたような赤々としたものばかりと聞くが、幸いにもまだお目にかかったことはない。
「……気にする必要はねえぞ。おれだって、ガキの頃は辛いものが苦手で七つになるまであまり食えなかったんだ」
「幼い頃の殿下は本当に小さくてやせ細っておられましたね」
「まったくだ。毎日食ってるおれでこれなんだから、その歳までずっと食べたことねえやつが受け付けられねえのは当然だ。誰にも責める資格はねえよ。ちなみに、王都の人間はそういうのにはおおらかというか、無頓着だから安心しろ。辛いものがどうしても駄目な奴というのはいるんだ。やばいと思ったら吐き出していい。糧を分けてくれた命に申し訳が立たないと思うなら祈りを捧げればいい。それより、食べ慣れてないものを無理に食べて体を壊す方が問題だ」
妙に正論を言うことが意外でフィーネはラキアの顔を観察した。彼は「なんだよ」と答え、そっぽをむいた。
ありがとうございます、と礼を言って視線を料理に戻すと今度はラキアが口を開いた。
「まあ、今日の料理は特に辛いだけで普段からこれほどというのはないから安心してほしい。こんなものばかりになっちまったのはこの献立が馬鹿祭りの開幕の宴に供されるものと古くから定められていたものだからなんだ。どれも魔を祓うといわれる料理で、古来から深い意味を持っている。なんでも香辛料が持つ霊力が重要らしいとかなんとか理由があるらしい。まあ、唐辛子はせいぜい五十年くらいの浅いもので元は胡椒を使っていたらしいがどのみち辛いことに変わりはねえ。だから、すまねえけど今夜のところは我慢してくれ」
フィーネはうなずきながら茶を口に入れた。真っ赤な色の薬草の香茶と薄い塩味のきいた薄平べったい麦餅はフィーネの口に合った。それに気づいたのか、ラキアは手つかずだった自分の皿の上に乗っていた麦餅をフィーネの皿の上に置いた。
「麦餅なら食えそうだな。もうひとつどうだ?」
「結構です。そんなにお腹すいてはいませんし……」
「いいから食え。背が伸びないぞ」
よけいなお世話だ、と言い返そうとした瞬間、ラキアは右手にパンをつかみ取り、左手でフィーネの顔を隠す薄布を鼻までめくりあげて無理矢理フィーネの口に押し込んだ。
フィーネはその場で悶え苦しんだ。準備もままならぬうちに口いっぱいに乾いた味がして何も喋れない。唾の水分が奪われて苦しく、フィーネは呻いた。
文句を言葉で言い返せない代わりに布越しだが目で威嚇すると、ラキアはふっと意地の悪い表情を優しげな笑みに溶かした。
「太陽の神は容赦ねえから、ちゃんと食わないと干からびるぞ」
「だからっていきなり人の口に放り込むことないでしょう!? 何するんですか! 殺す気ですか!」
どうにか口の中身を飲み下したフィーネはさっそくラキアを罵った。
「わー、怒った!」
「……なんですって?」
棒読み口調でげらげらと大声で笑うラキアの楽しげな様子にフィーネは腹が立った。先ほどの親切さも威厳もすっかりなりをひそめ、彼は悪童のような調子でからかってくる。彼はにたにたと意地の悪い笑みを浮かべたままフィーネに向けて両手をあわせて拝むような仕草をした。
「すまな……悪かった……いや、すいません。ええと、これでいいのか? すみませんだっけ? 申し訳ありません? ……ったく、とにかく悪気はなくはなくなくなかったのです。ですからどおか、お許しくださいませ、ファーシャさま」
「……殿下、謝ってるつもりないでしょう?」
「まさか、心外な! おれは最後のウーザン王の生まれ変わりであるファーシャ様に散々無礼を働いてしまったことを悔いているのですよ」
おおっぴらに悪気があったと言っておきながら謝られてもまったく誠意は感じられない。さらに、急に本気か揶揄なのか、かなり文法の怪しい敬語で喋り出し、もはやふざけているとしか思えなかった。
「殿下、それはかなり失礼ですよ」
「……そうみてぇだな。試しに敬ってみたけどかなりわざとらしすぎて却って不敬な感じになったな」
「あれで?」
そんなつもり全くなかっただろう、とフィーネは心の中で毒づいた。だが、よく考えてみると、候補とはいえ片翼――実際は違うのだが――ということになっているフィーネに対して目下の第三王子が敬語を使わないことは妙なことでもあった。そのことに今更気づいたフィーネはラキアに向き直ると言った。
「殿下、どうか普段通りの言葉遣いでお話しください。わたしはまだ正式に片翼と認められてはおりませんし、ずっと市井で暮らしてまいりましたので、殿下のような高貴な方に敬っていただくのは少々気がひけてしまいます」
「おお、ありがたい。慈悲深い片翼様に感謝を」
彼はわざとらしくも恭しく頭を下げた。とんだ茶番だが、このやりとりをしないとややこしそうだ。セイファンが穏やかに笑い、フィーネはため息をもらした。




