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三章 白鴎の宮(5) 堪忍袋の緒

「肝が据わっているのか自分が置かれた立場を理解できないよっぽどの馬鹿なのか、片翼様はこんなことをされてるのに怖くねえのかねぇ?」

 怖いか怖くないか、と問われればとても怖い。

 気を抜けば震えが止まらなくなりそうだ。下顎の奥――舌の付け根に近いの窪みに指が食い込み、少し息苦しさを感じる。人を気絶させる『点』もこの付近にある。少しでも彼がその気になって手をずらせば、自分はあっさりと首を絞め殺されてしまうのではないだろうか、と考えた。さらに、フィーネは彼の手の並々ならぬ冷たさに驚いていた。つい今し方まで井戸で水仕事でもしていたのではないかと思うほど、いや、室内の暑さからは想像もできないほど彼の手は冷え切っていた。内心の驚きを押し隠しつつ、目線だけはそらさないように努めた。

 ラキアはそのまま空いていた右手でフィーネの顔を隠す冠に触れた。耳に掛ける意匠の冠の蔦は金で出来ており、音を耳元に伝える。耳朶(じだ)に触れられたときのようなざわ、とくすぐったい音が聞こえてフィーネは逃れるように微かに顔を右側に向けた。

 冠を引き剥がすつもりだ、と悟り、抵抗しなければと思ったのもつかの間、彼はさっさとその通りにしてしまった。


 薄絹の下から露わになった顔を見たラキアは目を大きく見開いた。

 対するフィーネは睨み続けたまま銀の目をラキアからそらさなかった。

 目の前でこちらを値踏みするように見つめてくる深い漆黒の瞳に映る自分は、恐怖に顔をひきつらせていた。

 理由は説明できないが、この男にだけは絶対に負けてはならない気がする。獣の喧嘩ではないが、こういう時は先に目をそらしたほうが負けだ。けれども、そう意気込んではみても、やはり怖いものは怖い。不安で押しつぶされそうになりながらフィーネは耐えた。

 一度戦いを始めたら、勝負が決するまで絶対に相手から目を背けてはならない。さもなければ、相手や己の命を失う結果となる。

 かつて医術のリリネ師匠から受けた喧嘩の極意を教訓にフィーネは敵を迎え撃つ覚悟で睨みつけた。

 だが、目の前の敵はなぜか一瞬だけ口を引き結んで今にも泣き出しそうな顔を浮かべた。

 どうしたのかとフィーネが訝しく思った時にはすでに弱気な表情はどこかに吹き飛んで再び下品な笑みに戻っていた。


 いつまでこの状態が続くのだろうか。試しにフィーネはラキアの右手首を両手で掴んだ。なんとかして引き離せないものかと試してみるがびくともしない。

「あんたは何者だ? カナーヤ皇族みてえな顔をしてるが、根からのウルガ人らしいし、そんなたいそうなやつがこんなところにいるわけはねえしなあ。ヴェシス、じゃないしリドアでもない。カルヴァって武芸の感じでもないし、ロクサでもねえな」

 彼はフィーネの反応をうかがいながら様々な家名を挙げていく。威圧的な視線に舐められ、不快感と苛立ちで今すぐその手をはたきたくなる。さらに、彼の中指と薬指が首筋の肌を伝い、喉頭の側面の柔らかなくぼみにふれた。


 ――脈を測られている!?


 そこは皮膚越しに脈拍を感じることが可能な場所だ。その拍動の調子は感情の揺らぎで変動する。その原理を利用して尋問が行われることがあるという話を聞いたことがあるが、これではまるでその通りではないか。

「ファーシャさまに狼藉を働くのはお控えください!」

 セイファンはフィーネを解放するよう命じた。しかし、ラキアは舌を出すだけで命令には従わなかった。それどころか、彼は急に閃いたぞと言わんばかりに不気味なほど得意げな笑みを端正な顔に浮かべた。

「ああ、わかったぞ! あんた、ユリフェの人間だろ。十中八九、間違いなくそうだ。ちんちくりんなとこが当主や父親にそっくりじゃねえか! やっぱちんちくりんの娘はちんちくりんなんだな!」

 自分のみならず、伯父や父を侮辱するこの言葉にはフィーネはむっとして反射的に片足を上げてラキアの向こう脛を思わず蹴りそうになったが、なけなしの理性が、どうにかそれを留めた。

 そうしたフィーネの一瞬の顔色の変化から彼はそれが正解であると理解したようだ。

「その様子だと、正解なんだな。そうなると、あんたがあの、噂に名高い『エレスの真珠姫』か。銀の瞳に白磁の肌、たゆたう絹糸の髪に鈴の音の声。月来香か蓮花のように闇夜や泥濘の中でも輝く美しさ。虹の女神のごとく儚げで霧の女神のごとく清らかで、まこと真珠のごとし。ふーん、なるほど。前々からギルガムがかなり溺愛していると聞いていたからどんな美人の姫様かと思ったが、とんだ期待はずれじゃねえか」

 期待はずれで悪かったですね、と心の中だけで毒づいたが、それを否定できないことが悔しい。どこからともなく誰かから勝手に名付けられたとはいえ、名前負けしている自覚はあったのだが、そこまではっきりと言われると少しもの悲しい気持ちになった。


 一通りフィーネのことを観察し終えると、ラキアは口元に妙な笑みを浮かべながら乱暴に手を離した。拘束を解かれたフィーネは脱力し、前屈みに少しよろけた。ヒレナがすぐに駆け寄り、体を後ろから支えてくれたがフィーネは悔しさと怒りで自分を抑えきれなくなっていた。

「ユリフェの姫君を差し向けてくるとはセイファン、よく考えたな。レリファ=シシカもか。だけど、よりにもよって片翼を騙らせるなんて、いくらなんでもそりゃねえだろ。何を企んでいる」

「企んでいるとは人聞き悪いことを仰らないでいただけませんか?」

 セイファンは悪びれもせずに笑顔のまま答えた。

「いや、あんたらはいつもろくなことを考えねえだろ。はっきり言ってこいつが気の毒だ。風神汚しの罪に問われたら取り返しがつかねえだろ」

「いいえ。彼女は疑う事なき本物の片翼でございます」

「……本物の片翼、か。さて、どうだかな。おまえはいつもおれに嘘をつくから信頼はできても信用はできねえ。まあ、おれが同情しても本人は怒るし、本物かそうじゃないかはおれにとっちゃ別にどーでもいいや。兄貴たちにはともかく、おれには関係ない話だしな。……ったく、くそガキといい、その侍女といい、なんで王宮にはろくな女がいないものかねぇ。こんなちんちくりんじゃ目の保養にもならねえし、気晴らしにこれから花街にでも繰り出すか。なあ、ディム?」

 ラキアはディムに目配せした。ディムは困惑した顔でセイファンに振り向いて視線で助けを求めた。

「それはなりません。あなたは馬鹿祭りの監督役です。期間中は王宮の敷地外に出てはならない規則となっております。また、さぼろうとしても無駄ですからね。あなたが馬鹿祭りを疎かにしたらどうなるかはご存知のはず。これから馬鹿祭開幕の宴が始まりますから、あなたには陛下の代理として必ず出席していただきますよ」

 ラキアは無表情だった。だが、セイファンの話が終わると深々とため息をついた。

「あー、ほんとにめんどくせえ。馬鹿祭りなんてほかの奴に任せてどこか遠くに行きてえな」

「そうはさせませんよ。わたくしたちは必ずあなたとの賭けに勝利してあなたの愚かな行いを(くじ)いてみせます。ファーシャ様が陛下から署名を貰えればわたくしの勝利となり、あなたには今後一切、国王殺しを諦めていただきます」

 ラキアは鼻で笑った。

「もし、それが出来なければおれの勝ちということで、すぐに殺していいんだったな」

「ええ。その通りです」

 落ち着き払った声音のセイファンに向かってラキアはそんなの楽勝だ、と言って不敵笑いを浮かべた。

「あ、それにひとつ条件を付け加えてもいいか?」

「なりません」

「は!? 何でだよ! まだ、何にも言ってねえじゃねえか」

「……どうせあなたはこの賭けの勝敗に関わらず、ファーシャ様を里下りさせろ、と仰るつもりでしょうからね。改めて申し上げますが、あなたには彼女の処遇を決める権限はございません。それが許されるのは『陛下だけ』です」


 ラキアはつまらなそうに舌打ちした。

「おれはお前たちの要求につき合わされるんだからそれくらい聞き入れてくれてもいいじゃねえか。こいつはこの上なく邪魔だ。賭けに勝てたっておれの邪魔をしかねえだろ。もしもおれの要求を受け入れねえと言うんなら、こんなくだらねえ賭けなんてやめてやるからな」

 わがままな弟の訴えを目を閉じながら聞き、セイファンは深々と聞こえよがしにため息をついた。

「……仕方ないですね。では、その件については、賭けが終わった後もあなたがまだファーシャ様にお帰りいただきたいと思われるのならそうしていただいても構いません。陛下に采配をお願いすることとしましょう」

 譲歩したセイファンの言葉を受けて彼はよっしゃ、と嬉しげな顔で両手の拳を上向きにして肘を後ろに引いた。

「あーあ、ホントやってらんねえぜ。なんでおれがこんなガキの子守をしなきゃなんねえんだか。ったくあのビビりで小便ちびりのアカゲザルは椰子の実に頭でもぶつけてさっさと死ねばいいのにさ!」

 その雑言を聞いた瞬間、フィーネの堪忍袋の緒がはっきりとした音を立てて切れた。

 どちらかと言えば短気な性格のフィーネはこれまで充分すぎるほど彼の雑言に耐えてきていた。自分のことをとやかく言われることは不愉快だが怒りを爆発させるほどのことではない。それくらいならば笑って耐え切るつもりでいた。だが、この男はフィーネの父と伯父も、ヒレナのことも、あまつさえ、アウィルドのことまでも馬鹿にした。それだけはどうしても許し難いことであった。


「……殿下、私はたった今、あなたに申し上げなければならなかったことを思い出したのですが、よろしいでしょうか?」

「何だ? やっぱり家に帰りたくなったか?」

 こちらを見下ろす目は冷ややかで口は奇妙なまでにつり上がり、整った白い歯がむき出しになっている。その様子がまたフィーネの癪にさわった。だが、あくまでも頬の微笑を絶やさずににっこりと首を傾げてみせる。長い鬢が頬に垂れかかって鬱陶しいがそんなことどうでもいい。

「そんなまさか、愚問です」

「言いたいことがあるなら早く言え。おれは気が短いんだ」

「ええ。もとよりそのつもりです」

 この男はフィーネの内なる怒りに気づいておらず、悠々とグラスを揺らしながらこちらを見る。赤い果実酒がきらきらと光に反射した。


 フィーネはゆっくりと第三王子のそばまで歩み寄った。一歩一歩確実に、息の根を止めるように。それから彼に向けて極上の作り笑いを浮かべると、しおらしく右手を頬に当てて首を傾げてみせた。


 少しだけ涼しい夕暮れの風が吹き抜ける室内。卓上の色とりどりの艶やかな花。赤や黄色、大振りの花弁からは甘い香りが漂い、これからはじまる静謐で密やかな夜を彩ってくれるだろう。

 それらを挟んで微笑み、しばらく見つめ合った後――


 フィーネは思い切り右手を振り上げた。


「……っ!」



 フィーネは手首の痛みに呻いた。予想外の展開に目を見開いたままラキアに掴まれた手を振りほどこうとした。しかし、彼の力は存外に強く、びくともしない。ラキアの大きな手が白く細いフィーネの手首をしっかりと握っていたのだ。

「いきなり何をするのだ! 危ないではないか!」

 静寂を破るように第三王子の激しい怒声が室内に響き渡った。だが、フィーネはひるむことなく言い返した。

「危ないとは誰がですか? あなたが王子だと思って耐えるつもりでしたが、やっぱり我慢なりません! 私のことを悪く言うのは結構です。好きになさればいい。ですが、あなたは私を侮辱するために、私以外の人のことも悪し様に言ったこと、それだけは許せません!」

「はっ、許さねえならどうするつもりだ、ファーシャどの(・・)?」

「あなたが私を馬鹿するために貶した陛下とセイファン様とユリフェ殿とヒレナに謝ってください!」

「はあ? 何言ってんだか。なんでおれがそんなことしなきゃならねえんだか意味が分からねえよ。てゆーか、その前にそのエレス訛りを何とかしたらどうなんだ。王都近郊(このへん)じゃ使われていない音が混ざっているぜ。それに発音が不明瞭――」

「謝れ、と言っているのがおわかりになりませんか」

「……お、おい?」

 高く澄んだ声から一転、どすの利いた低い声に変化した片翼候補の少女の様子を前にラキアはわずかに後ろに退いた。


「……このままでは」

 離れた場所から第三王子と片翼候補の睨み合いを見ていたヒレナはまずい、と直感した。

 フィーネは完全に怒りで我を忘れている。

 彼女は他人から自分のことについては何を言われてもにこやかにやり過ごすが、家族や友人の悪口を言われることを激しく嫌う。そして、一度火がついてしまえば手が着けられなくなるのだ。そのために彼女は今まで厄介ごとに巻き込まれ、取っ組み合いの喧嘩に発展し、体格差があったにもかかわらず同い年の少年を泣かせ、ギルガムは頭を悩ませた。

 そして、この第三王子は見事にその禁忌に触れたのだった。

「お言葉ですが、殿下。こうして会話できているのですから、まさかそんなことがあるはずが無いとは思いますが、万が一、私の言葉に田舎訛りがあって意味が通じていないようでしたらお詫びいたします。しかし、言葉が通じているにもかかわらず、そのようなことを仰られたのであれば、私にも考えがあります」

「落ち着いてくださいっ」

「ヒレナは黙っていなさい!」

 止めに入ろうと立ち上がったヒレナが発した制止の声は銀のきつい一睨みでつぶされた。彼女は色白の顔を青くして主が発するであろう次の言葉を待った。

「ずっと思っておりましたが、この暑い室内で長袖なんて着て、むやみやたらに派手な装飾品を身に着けて、見てて鬱陶しいことこのうえない! しかもあなたはなんて軽薄な方なのでしょうか? その、たくさんのちゃらちゃらとした耳飾りがついた穴だらけの耳の小さい穴かっぽじってよくお聞きなさい!」


 フィーネは力の限り息を吐くと肺が破裂しかねないほど思い切り吸い込んだ。


「あなたは王子の風上にもおけない最低の屑野郎です! 私はあなたを王子とは認めないし、必ずあなたの企みを阻止してあなたに泣きべそをかかせてみせますから覚悟なさい!」


 ラキアはしばし呆気にとられたように目を丸くした。

 その後、俯きざまに片方の口角をつり上げてくすくすと小さく笑い出した。かと思えばそれはそのまま大きくなってゆき、しまいには腹を抱えるほどの大笑いへと変化していた。


「……何がおかしいの?」


 もはや相手に対する礼儀も忘れてフィーネは普段の口調で問う。その猫がはがれたことが彼の笑い声をいっそう大きく育てた。

「いや、こりゃ滑稽だ。いや、非常におもしろい……。誰が泣きべそをかくって? 冗談は寝て言えよ。しかも、おれを()とうとした上に、斯様(かよう)に無礼な言葉を吐き捨てるとは、どんだけ恐れ知らずのすばらしい根性の持ち主なんだ。さすがはあいつの娘なだけはあるな」

 しまった、と背筋に冷や汗が伝う感覚を覚えながら冷静さを取り戻しつつあるフィーネは内心自分がしでかした無礼の数々におののいた。

 怒りが爆発したとはいえ、今のフィーネがしたことは立派な不敬罪であった。ラキアが気を悪くして一言命じればフィーネは罪に問われ、良くて鞭打ち、最悪だと打ち首の刑罰が待っている。身から出た錆なので自分だけならそうなっても構わないが、それに連座してヒレナやガイズが巻き込まれたりすれば死んでも死にきれない。

 内心青ざめたフィーネに対して、ラキアは笑いすぎのために続かなくなった息で苦しみながら、上機嫌そうに言葉を続けた。

「安心しろ。今までの無礼は咎めたりしねえから。けど、余計なお世話とは思うかもしれねえが時と場所はわきまえた方がいいぜ。おれは気にしなくても王宮内には許さねえとほざく頭の固い奴がいるからな。そんなことで死なれちゃおれも寝覚めが悪いし、あんたもそんな目に遭いたくはねえだろ。まあ、今この部屋にいる面々の前なら問題はねえからいくらでも詰ってくれてかまねえけどな」

 フィーネは震える右手をもう片方の手で押さえた。言葉で相手を説得しきれずに暴力という姑息かつ古典的な手段に頼ってしまった自分を恥じた。相手が誰であるのか失念していた。

 言ってわからない相手には時に強行的な手段に訴えなければならないことはある。例えば、森の中で不幸にも人食い虎に遭遇してしまったときだ。獣に人の言葉は通じない。説得を試みようとしても殺されるだけだ。だからこそ殺される前に武力をもって追い払うか、己の足を信じて逃げるか、さもなければ気の毒ではあるが、殺してしまわなければならない。

 だが、人と人とのやりとりでそれをしてしまうことはやはりまずかった。


 けれども、もはや後に退くこともできずフィーネは観念した。


「寛大なる殿下の御言葉に感謝申し上げます。ですが、陛下は絶対に死なせません。そのために私はここに来たんです。あなたが陛下のお命を奪うつもりであると仰るのなら、私はこの身を投げ出してでも、引き裂かれようともあなたを止めてみせます!!」

 必死に叫んだ言葉を聴くと、今まで笑っていたラキアの顔から瞬く間に笑みが消えた。凍てつくような眼差しに射られた瞬間、フィーネは並々ならぬ殺気を感じた。


「…………そんなことはやめておけ。後悔するだけだ」

「後悔なんてしません! 私は私の大切な友人のためなら、どんなことだってします。そのために怖い目にあったとしても、命を落とすようなことがあっても、悔やんだりしません!」

 強く言い放つフィーネと対峙する王子の目にふいに光が宿った。その瞬間、彼の面立ちに急にかつて自分が会った王太子の面影が重なり、フィーネはどきりとした。

 成長した彼は一体どのような姿で、どのような声で話すのかフィーネは知らない。しかし、かつて闇の向こうで泣いていた彼の今にも壊れてしまいそうな心を隠していたあの時の目と同じ光を宿していたのだ。

 世界に傷つけられた幼い成年の王太子は、自ら見えない鳥籠の内に引きこもって誰に気づかれないように声を殺して涙を流していた。


「……それなら勝手にしろ。言っておくけどな、おれだってあんたに負けるつもりはさらさらねえよ。ぜってえ賭けに勝って、あいつを殺してやる。その邪魔をするつもりなら、おれはどんな手を使ってでもお前を排除する」

 彼の声は磨き上げた短剣の刃のように鋭さを帯びてフィーネに突き刺さった。

「……けどさ、あんたのことは一応はちゃんと本物の片翼として遇してやるよ。だから、短い間だろうがここでの暮らしについては安心していいからな」

 さらなる予想外の言葉に驚いてフィーネはラキアを見上げた。

「それはどういう――」

「ああ、忘れていたけどこれ返しとくわ」

 彼は両手で冠をこちらに差し出した。

「ありがとうございま……っ!?」

 それを受け取ろうとして手を伸ばしたが、彼の左手を見た瞬間、フィーネは目を見開いた。いや、フィーネの予想は的中していたが、そんなはずはない、とフィーネの胸は早鐘のように打ち、嫌な汗が背中を伝った。

 恐る恐る彼の顔を再び見つめる。不敵笑いを浮かべ、(いや)らしい目つきでこちらを見下ろすこの男は何者なのだ。

「どうした、受け取れよ」

驚きと戸惑いで胸に動悸を覚えていることをラキアに悟られぬよう、フィーネは息を止めて押し隠した。

「……あなたは……やはり……」

「おれがどうしたって?」

「いえ、なんでもありません」

 俯いたフィーネに対して彼は首を傾げた。

「おかしいな、ファーシャ殿にはこの傷に覚えがないのか?」

 動揺のあまり瞬きしか返せずにいるフィーネの両肩に手を置くと左の耳元に顔を近づけ彼はそっと囁いた。



「風立つ波は空揺らし、其は美しや金砂の泉、星霜はるかに降る花は、泉にたゆたう我もがな。心は六花のごとく降りしきり、積もる想いは白妙に。果ては――」



 耳の付け根の柔らかい皮膚に吐息が触れてぞわぞわとした不快感が背中まで駆け抜けた。同時に耳朶(じだ)が熱くなり、フィーネは恥ずかしさから突き飛ばすように離れ、悲鳴を上げた。


「な、なっ、な!? い、いきなり何するんですか!?」

「何ってちょっとからかってみただけだぜ。こんなんで恥ずかしがるようじゃ初だねぇ」

「しょっ、初対面の相手にこのような真似をするなんて……し、ししっ失礼じゃありませんか! そそそんなの、へっ……へへへ変態のすることです!」

「おまえさ、男に幻想を持ちすぎだぞ。現実を見た方がいい。まあ安心しろ。あんたはおれの好みじゃないから大丈夫だ」

 涼しげな表情で馬鹿にしてくる青年の正体を悟ったフィーネは内心の戸惑いや驚きよりもふつふつと沸いてきた怒りに身を支配され始めていた。

「……ああ、そうですか。わかりましたとも。あなたがどういうつもりで私や私の大切な人たちを貶すのか存じ上げませんが、わかりましたとも」

 フィーネは国王の危機になにかしたいと思ってここにきた。それなのに、とうの国王は命をねらわれて憔悴するどころかぴんぴんとしていた。しかも何故か弟のふりをして女性の胸について熱く語る。そのくせ国王(じぶん)を殺すと豪語するのも意味がわからない。

 挙げ句の果てに破廉恥なことをしてくるとは、なんという悪夢だろうか。


「……っ、やっぱりあなたは最低です! 一瞬でも陛下ではないかと誤った考えを持ってしまった自分が許せません!」

「こっちこそ一瞬でもあいつと間違われてものすごく気分悪いけど。まあ、お互いに十五日の辛抱だ。終わればあんたは晴れて自由の身、おれはあいつを殺せる。悪い話じゃねえだろう。それより、この後は宴があるんだからぐずぐずしてらんねえぞ、ファーシャ殿?」


 ラキアはにっかりと不気味なほど明るく微笑んだ。




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