三章 白鴎の宮(4) 放蕩無頼の第三王子
ディムに腕を引かれるように現れたのは群青の長袖の外套を羽織った男だった。
蜜色が似合いそうな低音の声。つややかな黒髪と日焼けした端正な顔。茹だるような暑さだというのに藍染めの長袖の外套を羽織り、下には黒い薄手のシャツと黒い袴を身につけている。胸元や腕や耳には鬱陶しくなるほどの数の装飾品がついていて、動くたびにじゃらじゃらと不愉快な金属音を立てた。
青年はこちらを見ると、まず第一に顔を強張らせた。それからフィーネを軽く睨み、次にセイファンに視線を移してきつく睨みつけた。
「……祭りの潔斎のために籠もっていた間にそなたらはなんと非道な真似をしてくれたのだ」
「おや殿下、十日間の潔斎、じつにお疲れ様でした。ご無事のお戻りを嬉しく思います」
至極当然のように返したセイファンの態度に、青年の顔に宿っていた静かな怒りが強まった。口角は下がり、鋭い眼光がまっすぐセイファンに向けられる。だが、それも一瞬のことで、彼は拳を額に当ててしばらく俯いた。何か考え事をしているような様子の後、彼は首を横に振り、長いため息をついた。
「わかった。あんたがどれだけ本気なのかその心意気は認めよう。ならばいよいよ観念するしかないか」
青年は嘆息するとフィーネに向き直った。
その目は凛々しく、澄んでいた。
向き合う形となり、そこでフィーネは改めて彼の姿をじっくりと確認することになった。
ディムほどではないが、とても背が高く、手足がすらりと長い。少なくとも六尺はあるだろうか。結った髪の房をそのまま根元からばっさりと切ったような無造作な長めの短髪の間から鼻筋の通った整った顔が覗く。夜の水面のように深い色をたたえた黒い瞳には意志の強そうな輝きが宿り、細筆で描いたように形の良い眉がそれを際立たせている。
まず、美男と評してよい顔立ちだった。
フィーネよりも年上だとは思うが、よく見ると目元にほんの少しだけ幼さを残しているために年齢の判断がつかない。その一点が彼に利発で若々しい印象を与え、彼自身は人懐っこく、対する者には警戒心を抱かせない優しげな雰囲気を醸し出す一因となっているようだ。
首から下を見ていくと、筋骨隆々とは程遠いがほどほどの筋肉がついている。かといって弱々しい印象は無く、猛々しさと清雅さの両方を持ち合わせて見る者に惹きつけられるような不思議な印象を与えた。
彼を見た瞬間、フィーネの脳裏には最後に会ったときの王太子の姿が浮かんだ。そして、混乱していた。さらに何故かはわからないが急に胃が痛み始め、ばれないように力強く鳩尾を押した。
何故いま、目の前に国王がいるのだろうか。セイファン達からは聞かされた話では、表向きには不在のはずだ。それとも祭りが始まるまでは姿を隠さないものなのだろうか。
「……あの、恐れながら……あなたは国王陛下であらせられますよね? 何故あなたがここにおられるのでしょうか?」
髪の色や雰囲気は違うが、目の辺りや鼻筋や眉がとてもよくアウィルドに似ている。幼い頃の姿しか知らないが、穏和かつ聡明そうな雰囲気はそのままに凛々さを増して成長したような印象を受けた。
だが、フィーネの問いを受けた次の瞬間、彼の顔から一気に凛々しさというものが消え失せた。
形の良い切れ長の目が急につり上がり、口はいびつな形となり、白い歯を出した。
「はぁ? おれがクソ兄貴だって? 馬っ鹿じゃねえの? まじありえねーっ!」
甲高い声で言いながらものすごく嫌そうに顔をしかめて「げぇぇぇ」と、のどを鳴らす下品な音とともに嘔吐する真似をした。今まで聞いたことのないような汚い音にフィーネは目を見開いた。彼は白目を剥きながら蛙のようにげこげこと鳴き、ぐぇっと舌を突き出した。
「ったく、なんでよりにもよってあいつに間違われなきゃなんねえんだよ」
彼はやれやれ、と言った具合にわざとらしく耳の穴に小指を突っ込み、耳垢をほじくった。下品かつ汚らしい行動を前にフィーネは面食らって硬直した。小指の先についた耳垢を一息吹き飛ばすなり彼は下卑た笑みでこちらを睨んだ。
「あー、よく聞け愚民。おれは第三王子のラキアだ。またの名を、ミムウェル・スヴァロン・ラウルガル・タイトという。いいか、スヴァロンとは智慧を司る偉大なる蛇神の名だ。あんな鳥頭の糞野郎なんかと間違えんじゃねえぞ、ボケ女」
「ええと、ぼけ……?」
いきなり悪口を言われて理解が追いつかないうえ、不快に思いつつも、先に間違えたのは自分のほうだから、とフィーネは反省した。笑顔を崩さぬよう気をつけて、すぐに第三王子に向かって深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。殿下のお顔立ちが陛下とたいへんよく似ておられたので、人違いをしてしまいました。ご無礼をお許しください。スヴァロン殿下、お初にお目にかかります。訳あって今は名乗ることが出来ませんが、わたくしはこのたび片翼として白鴎宮に参りました。どうか至らぬ点多かろうと存じますが精一杯ファーシャリーシャとしてお仕え致しますゆえ、何卒よろしくおね――」
「あー、そういうのいいから」
「……え?」
ラキアはずかずかと歩み寄ってくる。何をする気か、とフィーネは反射的に後ずさりしたが、ラキアはフィーネと一歩分の距離をとって足を止めた。
「……あんたさ――」
腕組みしながら彼はしばらく視線を二、三度上下に動かした。性別にかかわらず初対面の相手に対してじろじろと眺め回すことは非常に礼を欠いた行為だが何をするつもりなのか。
「――見た感じ、貧弱そうな上に貧乳だな。はっきり言って好みじゃない」
「………………………………は?」
その場で固まったフィーネの脇を素通りし、ラキアは円卓の脇の籐椅子に腰掛けて足を机上に投げ出した。どす、と大きな音とともに黒い革靴から土がこぼれ落ちるがそれには一切目もくれず、手を伸ばして卓上の籠から果実を一つ鷲掴みした。鰐が獲物を食べるように大口を開けて頬張ると、口を開けたまま咀嚼しながら彼は言葉を続けた。
「ほら、おれって生まれついての王子っていうからにはさぁ、すっげぇ贅沢ができるわけなんだよ。国中の美女を残らず集めて侍らせても、許される。ちなみに、おれはもっと豪華で大人な女が好みなわけ。わかる? だからあんたみたいなちんちくりんには用がねえんだよ」
――誰もあなたの好みなんてきいてない。
そう返したくなるのを堪えてフィーネは無言で次の言葉を待った。そして、胃の奥がきりきりと軋んだ。強くなる痛みをごまかすように鳩尾を押す指の力を強めて意識を目の前の王子に集中させようと努力する。
がりがり、くちゃくちゃと汚らしい咀嚼音を面と向かって聞かされるのは不愉快だ。ましてやそれが、国一番の高度な教育や礼儀作法を学んできたはずの王族の所行であるとはにわかには信じがたい。いや、信じたくはなかった。別に王族に対して夢を抱いていたわけではないのだが、品行方正なアウィルドやセイファンとの差にフィーネはひどく落胆した。
第三王子は放蕩無頼の馬鹿王子という評判は知っていたが、目の前の男は想像以上だ。フィーネは薄布越しにひきつりかけた作り笑いを崩さぬよう気を配った。
とにかくいまは我慢が肝心だ。顔を合わせた初日から妙な真似をしてこの男の機嫌を害して自分やヒレナを窮地に追い込むことはなるべく避けたいと頭の中の理性が訴えていた。
しかし、第三王子は耐え忍ぶフィーネの努力を知ってか知らずか、敢えて神経を逆撫でするような言葉を続けた。
「あっれ~? おれを無視するわけ?」
「殿下、意地悪はおやめください。彼女は陛下の片翼であらせられるのですよ。そして、あなたには彼女と一緒に賭けをしていただきたいと考えております」
片翼に対する非礼を咎めるセイファンの言葉を完全に無視し、ラキアは顔をフィーネに向けて顎を突き出す仕草をした。
「うるせぇな、おまえの指図は受けねえよ。ところでこのクソ女さ、見れば見るほどガキみてえに小せえな。お嬢ちゃん、お父さんはどこにいるんだい?」
今度は背の低さを馬鹿にされ、フィーネは再びむっとしたが、顔には出さずに相手は王族だから、と先ほど同様に心の中で言い聞かせて耐えた。確かに、フィーネの身長は四尺半しかなく、女性の平均的な背丈の五尺をそこそこ下回っているのだから、低いことは間違いではないのだ。だから六尺以上ありそうな長身の彼からすると、本当に幼子にしか見えないのかもしれない。
ついでにいえば、実父のガイズもフィーネより頭一つ程度しか高くはなく、一般的なウルガ人男性の平均を大幅に下回っていた。これはフィーネたち父子に限った話ではなく、エレス領出身者の特徴だった。はっきりとした原因はわからないが、エレス領で育った者は、総じて背が低い。一説には西の魔の王が封印されている山から吹き下ろしてくる風に毒が含まれているためという話や、エレスの民の先祖は葉陰で暮らす精霊だったためだといわれているが確実な理由は不明だった。
「いいかげんになさい!」
「はあ? なんでさ兄貴。だってさぁ、片翼ってゆーのはすげー神聖な存在なんだろ? それがなんで、こんなちんちくりんなわけ?」
「身長や容姿は関係ございません。この方は風玉輪の封印を解かれた稀なる存在であらせられます」
「……風玉輪の封印、なんてでたらめ言うんじゃねえよ。ただのガキを影武者に仕立てるなんてあんたらはうまくやったと思ってるかもしれねえが万が一のことがあったらどうしてくれるつもりだ」
「万が一など起こしません。我々が必ずお守り致します」
一礼するセイファンを見つめるラキアの顔から表情が消えた。否、黒曜石の如き双眸に一瞬激しい怒りのような色が宿った。だが、瞬きする間に再び下品な顔つきに戻ると白い歯をむき出しにして首をくねらせた。
「お守りするつもりなら、セイファン~、頼むから早くこいつを追い出してくれよぅ」
「それはできません」
女々しくも耳障りな声で甘えられたセイファンは、きっぱりと拒否した。普段は仮面のような笑顔ばかりで腹の底が読めない宰相の笑顔が目に見えてあからさまにひきつっており、フィーネは驚いた。
「よろしいですか、先ほども申し上げましたが彼女は陛下の片翼です。彼女の処遇は陛下が決めることであって、あなたにその権限はありません」
一方、頼み事を却下されたラキアは口をとがらせて舌打ちした。それからすぐにフィーネに憐れむような目を向けた。
「おい、今の聞いたか? まったくひどい話だよな。あんたは話半分にこいつらに攫われてきたようなもんだろ。可哀想に。おれはさ、そういう無理強いするやり方は大っ嫌いだ。いいか、前もって忠告しといてやるが、これから片翼としてここで暮らすんならつらいもんだぞ。自由はなく常に命を狙われる。そんなの気の毒で見ちゃいられねえ。だから、あんたが望むんならおれの命令で家に帰してやるよ。ていうか、ガキは日が暮れる前にさっさとお家に帰りな。あんたとあんたの侍女の命が惜しいなら、な、お、さ、ら、な!」
がはははは、と大きく高笑いしながら彼は果実酒を瓶からグラスに注いで一気に飲み干した。そこそこ度数の強い銘柄のはずなのに彼は頬一つ赤らめることすらなく涼しげな顔で次なる果実に手を伸ばした。
なんという洗礼だろうか。まだ顔を合わせたばかりだというのに、この仕打ちはひどいではないか。あんまりだ。第一印象で受けた知的な雰囲気は微塵もなく、今の彼は果実をがりがりと下品に貪る愚者そのものだった。
だが、フィーネは腹立たしさを感じながらも彼に対してある疑念を抱いた。
気のせいだとは思うのだが、いや、本当の本っ当に単なる思い込みかもしれないとは思うのだが、フィーネはこの男に対して初対面であるという印象を抱くことができずにいた。兄弟で容姿がよく似ているからだろうか。それとも、一連の下品な仕草から、どことなくわざとらしさを感じるからだろうか。やはり、アウィルド本人から意地悪をされているような気分になるのだ。
そして、フィーネは不覚をとったと後悔した。
第三王子の情報については事前に調べられるかぎりのことは調べておきたかったのだが、神殿での準備が忙しすぎてそれがかなわなかったことが災いした。通り一遍の知識しか持ち合わせていなかったフィーネには彼に対抗する術を持たなかった。
ミムウェル・スヴァロン・ラウルガル・タイト。父親である先王や先代の最高神官長と同じく神仙の一族と呼ばれるタイト家の姫を母に持つ彼は、父親譲りの金の髪と最上の美貌を誇る。年は十七歳で、フィーネとは二つしか違わない。黙っていればたいへん見目麗しく聡明そうで素晴らしい王子だが、口を開けば愚者そのものであり、さらには放浪癖があり、いつも国内外をぶらついていて、ほとんど王宮には帰ってこないらしい。
また、性格は非常に下品かついいかげんで、趣味は女遊び。三度の飯より女の尻を追いかける方を好むという、とんでもない評判の男だ。
また、優男じみた容姿に似合わず乗馬と槍の名手であり、女癖の悪さと相まって『千夜一夜の槍上手』などといういかがわしいあだ名までつけられる始末だ。
――確かに様々な浮き名を流すだけあって顔だけはいいみたいだけど。
上目遣いにちら、と見ると、フィーネはため息をこぼした。
端正な顔。切れ長で大人びていながらもどこか幼さの残る黒い瞳。日に焼けて少しだけ褐色の肌。さらに言うと、男のくせにフィーネが羨むほどきめの細かい肌をしていてなおさらいっそうのこと腹立たしい。彼の顔や思考をそれとなく確かめつつ、フィーネは口を開いた。
「殿下、お言葉ですが、私はこう見えても今年で十五歳になりました。もう成年の儀も済ませたれっきとした大人です」
「へえ。……大人、ねえ」
彼の黒い目は侮蔑に満ちていたが、これくらいのことで腹を立てていてはこの男の思う壺だろう。そしてやはり、先程も感じていたのだがこの男はわざとフィーネを挑発するような態度をとっているような気がする。フィーネの反応を見ているというか、時折、何かを探るような目をするのだ。
それらの点をふまえてフィーネの中にある仮説が浮かんだ。
だからこそ、フィーネはラキアの左手を見てみたいと考えた。もしもフィーネの考えが正しければ、彼の親指と人差し指の間に小さな傷跡があるはずなのだ。もしくは真水を髪に浴びせかけることができれば髪を染めているであろう染料を落として正体を知ることができるかもしれない。しかし、この場でそれを実行に移すことは難しかった。
「いい加減になさいませ! 彼女は片翼として陛下をお助けするためにわざわざ白鴎宮までお越しくださったのですよ。それなのに、あなたときたら、彼女に対して無礼極まりないことばかり言うなんて許せません。反省なさい!」
「はいはい、兄貴、熱くなるなって。おれが悪うございましたよ。でもさ、なんでこいつはわざわざこんな所まで来たものかねぇ。おれにはさらさら理解できねえよ。片翼なんて、翼王に一生を縛られてろくなもんじゃねえだろうに。その風玉輪もどきだって、細っこい手首に比べてでかすぎる。まるで手錠をつけられた気の毒な奴隷か足輪をつけられた哀れな鳥みたいに見えるじゃねぇか」
奴隷とは失礼な、とフィーネは眉を顰めた。布越しで表情がばれないことがせめてもの救いだが、今の言葉は少し胸が痛んだ。
「片翼は奴隷などではありません。そして、なりたくてなるものではなく、この世に生まれるずっと以前からすでにそう定められているものです」
「そんなこと知ってるさ。おれだって片翼が奴隷だなんて心の底から思ってるわけじゃねえ。けど、それが運命って言うんなら、なおさら気の毒じゃねえか。生家との絆を断たれ、居所や婚姻の自由も与えられず、当人たちにそのつもりはなくても周りからは翼王の所有物のような目で見られたりするなんて……そんなんじゃ呼び方は違ってるけど公奴婢と変わらないだろ。そんな酷い扱いをされるなんてこいつが可哀想だ」
「可哀想だなんて、わたしはあなたに同情される筋合いはございません」
これまで彼の相手はセイファンに任せていたが、フィーネの気持ちも事情も軽視したような発言にフィーネは腹が立ち、ついに口を開いてしまった。
「ん、せっかく心配してやってんのになんだ、その態度は?」
どすの効いた声は怖いが、フィーネは意を決してラキアを見上げた。
「おそれながら、ただの庶民である私めが尊き血筋の王子殿下に対して無礼な発言をすることをお許しください。ですが、私は私の境遇を不幸だなんて思っていません。勝手に決めつけないでいただけますか」
「なに怒ってんだよ。ああ、わかった。あんた、金目当てなんだな。片翼は国が養ってくれるから美味しいもんな。でも一生遊んで暮らせるなんて思うなよ」
「馬鹿にしないでいただけますか。自分が生きていくためのお金なら自分の手で稼いでみせます」
「へえ、そうか。ならなおさら解せねえな。……あんた、何が目的だ」
「私のことをお話する前にひとつだけ殿下にお尋ねしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「いいぜ、答えてやろう」
ラキアは尊大にも顎を上げて下目を使った。
その冷たいまなざしを見上げてフィーネは一瞬だけ迷ったが、逆に決意が固まった。
「大切なことですから包み隠さず率直にお尋ねします。私はここに来る前に、あなたが陛下のお命を狙っておられると伺いましたが、それは本当のことなのでしょうか?」
「………………は!?」
「え?」
「そんな!?」
「いきなりそれ訊いちゃうの!?」
フィーネの突拍子もない問いにラキアはおろか、二人を遠巻きに見守っていたヒレナやディム達までもがどよめいた。
「おい、待て!? そ……あんたはその話を誰から聞いたのだ?」
「わたくしがお話し致しました」
ラキアは無言でセイファンを横目で睨むと、舌打ちした。
「……ったく、なーにでたらめ言ってんだかな。おれとあいつは大の仲良しだぜ」
「ファーシャ様、殿下の言葉に騙されてはいけません。彼はすでに陛下のお命を百回以上は奪おうとなさりました」
「セイファン!」
まさか、とフィーネはセイファンの言葉を疑った。寒気が走り、息が詰まりながら銀の目はセイファンとラキアを交互に見た。
「……っ、百回も…だなんて、それは本当のことなのですか?」
「んなわけねえだろ。いくら馬鹿なおれでも国王を殺しちゃいけねえことくらい弁えてるし、んなことするわけねえよ」
「残念ながら偽らざる事実でございます。わたくしが把握しているだけでも百十七回。そうですよね、殿下」
セイファンの問いにラキアは目を反らして俯いた。
「まさか……本当に殿下はそんな……そのようなことをなさったのですか? 王族に危害を加える行いは死罪では……」
「あはははははははははは!」
突如として大声で笑い出したラキアの態度にフィーネたちはひどく驚いた。ラキアはにやにやと下卑た笑いを浮かべて腕を組んで胸を張った。
「あーあ、ばれちゃぁしかたねえよなぁ。ったく宰相サマはよくも本当に余計なことを吹き込んでくれたもんだ。無関係なただの小娘を巻き込んで何がしたいのやら」
「それでは、セイファン様の話は本当のことなのですか!?」
「ああ、そうだぜ。おれはあいつを殺したいと思っている」
「どうしてそんなひどいことを考えるのですか?」
「ひどいこと? あー、それは誤解だ。化け物から正しい王にこの国を取り戻すためには仕方のないことなんだよ」
「正しい王?」
どういう意味だ、とフィーネは眉をひそめた。アウィルドは正統な国王になりえる血筋で、問題などどこにも存在しないのにこの男は違うという。
「お前にはわからねえだろうけどな、本来この国の王になるべきだったのはセイファン……いいや、ドゥーウェル・リュシーリアス・ラウルガル・リヴェーラなんだ」
「セイファン様が?」
「そうだぜ。あらゆる面においてアウィルドなんかよりリュシーリアスの方がよっぽど王に相応しかった。だけど、母親の身分、というじつにくだらねえ理由でこいつは王子でありながら王位継承権を得られなかった。だから王にはなれなかった。んでさ、健気なことに、不甲斐ない兄をいっぱしのまともな王にするために王籍を離れて臣下になる道を選んだんだ。王籍から抜けた奴は王室典範という規則に従って王族としての名を捨てなきゃならねえ。だから、〈希望の光〉という立派な名を捨てて愛称の、〈煌めく虎〉と名乗らなきゃならなかった。一方でアウィルドは廃太子された身の上のくせに、どさくさに紛れてちゃっかり国王の座におさまった。まったくもって意味分かんねえ話だよ。あれは人殺しの化け物であって人間じゃねえ。王位欲しさに父親を殺したんだ。父親だけじゃねえ。あいつのせいでたくさんの無辜の民が死んだ。あいつは国王に相応しくない。だからおれはあいつを殺してセイファンを王にしてやりたいと思っている」
「そんなことやめてください!」
「ぁあ? いまなんて言った? やめろだなんてこのおれに意見するとはいい度胸だな」
「度重なる無礼であることは承知の上です。ですが、ですがっ!! ……あなた方はお母君は違っていても、血のつながったご兄弟でしょう? それなのにどうして……殺す、だなんて悲しいことを仰ることができるのですか」
「そうだな。そりゃ悲しいことだろうよ。……けどな、忘れてもらっちゃ困るが、すでに起きた事実として、あいつは『血のつながった』実の父親を手にかけた。生きたまま、首を剣で刎ね飛ばしたんだぜ」
「それは……」
「想像してみろ、血の通った人間の首を木こりが木に斧を打ち付ける時みたいな勢いですぱーっとひと思いにやったらどうなると思う? 切り口から噴き出した血で床も壁も天井も血塗れだ。父親の返り血を全身に浴びたままあいつはどんな様子だったと思う? けらけらと狂ったように笑い続けていたんだ。あいつのやったことは父祖を敬うこの国の道徳に反する行いだ。親の血にまみれておきながら、今は苦しむ民から巻き上げた税でのうのうと贅沢し続けている。そんな簒奪者は必ず報いを受けるべきだ。だからあいつがおれに殺されたとしても自業自得ってやつだ」
「自業自得じゃありません! 少なくとも、あの方は自分勝手に誰かを傷つけるようなひどい方ではありません! 先王陛下のお命を奪わなければならなかったことだって、ちゃんとした理由があったはずです!」
「いい加減にしろよ!」
フィーネの返答にラキアは苛立ったように声を荒げた。彼は椅子から立ち上がるとずかずかフィーネのすぐ目の前まで来て、その長身を生かして見下ろしてきた。
対するフィーネも負けじと上目遣いに睨みを利かせた。
敵は思ったよりも大きい。大木や熊のようだ、とフィーネは少し怯みそうになる。目の前には鳩尾があって背伸びをしたとしても彼の頭には手が届かないだろう。
「……あんた、一回死んでみないとわからない馬鹿か?」
先ほどとは異なり、低く脅すような声。第一印象の雅やかな雰囲気は微塵もなく、もはや悪漢か盗賊という言葉がよく似合う。それにフィーネを威嚇し、害そうとする意思さえ感じられる。その証拠に彼は左手をこちらの首に向けて伸ばした。反射的に首をすくめそうになるがフィーネは目を見開いて前を見据えた。睨み続けることで、首を掴まれて絞め殺されるかもしれない恐怖を必死に押し隠した。
しかし、予想を裏切ってそのようなことは一切無く、代わりに顎を掴まれ親指でぐい、と目が合うように上を向けさせられた。
ヒレナは身構えながら鋭く叫んだ。
「主に何をするおつもりですか!」
「動かないで!」
フィーネはヒレナに頼んだ。彼女はフィーネを助けるために機会があればラキアに飛びかかろうと体勢を低くしていたが、不服そうな顔で頷いて、その場で動きを止めた。彼女はラキアに手出しできない代わりに切れ長の黒い瞳から鋭い視線を放って威嚇した。
一方、黒髪の王子はヒレナが悔しがる様子を見ると愉しげに白い歯をむき出しにして下卑た笑みを浮かべた。
「おや、ファーシャさまは見た目によらず、ずいぶんと勇ましい気性をお持ちのようだ。こんなことをされても他人に助けを求めないでひとりで立ち向かおうとするなんてじつに気高い。褒めてやろう。それに、侍女の躾も行き届いている」
フィーネはラキアを静かに睨んだ。彼の切れ長の二重瞼の奥にある黒目は笑っているはずなのにどこか冷たい印象を受ける。揶揄するように歪めた口角も頬も上がって愉しげに笑っているが、凍てついた眼光は鋭く寒気がした。
彼がこのような行動をとるのには理由があります。
二人の行く末をぜひ見守っていただけると嬉しいです。




