三章 白鴎の宮(3) 馬鹿祭り
現在、ウルガを治めるアウィルドリーシャは御年十九の若き国王であり、四年前に、先代の国王だった父親を討ち、王位についた。
先王リルダム・ラウルガル・タイトは乱心し、暴政で大勢の家臣や貴族や民が犠牲になった。
アウィルドは暴政を布いていた父王に意見したため、流刑に処されたが、それから二年後に彼は盗賊と手を組んで蜂起し、手始めに流刑先で悪事を行っていた領主を打ち倒した。さらにそこから仲間たちとともに味方を増やしながら南下し、最終的には大軍を率いて王宮を攻めて父王を討ち取った。
そのときの政変は後に星見の乱と呼ばれた。
国王即位後は王都や地方の復興に励み、法制改革を進めるとともに後宮を解体し、政務全般の見直しと整理を行った。
その甲斐あってか、現在では混乱はほぼ収まったものの、いまだに問題が山積みになっているという。
辛い過去を語っているはずなのに、朗らかに笑む宰相の顔は仮面のようにどこか歪で不気味に思えた。
それからフィーネはセイファンから今後の方針を説明された。
フィーネが白鴎宮でまずやらなければならないことは、『馬鹿祭り』という行事に参加し、王宮内の何処かに隠れた国王を見つけ出すことだった。
この祭りを利用してセイファンはミムウェル・スヴァロン・ラウルガル・タイトこと、ラキアにある賭けを挑んだ。
馬鹿祭りでセイファンが呼んだ者がアウィルドを見つけ、任命の署名を得られればラキアは王殺しを諦める。さもなければ言うまでもない。
それが、アウィルドリーシャを害そうとする第三王子との賭けに勝利する条件だという。
「馬鹿祭り、というのは……本当にそのような名前の行事なのですか?」
「ええ。正真正銘、なんのひねりもなく、馬鹿祭りで間違いございません。乾季に入る前の、雨去りの除目の締め括りに王宮内で行われる息抜きのような催し物で、新たに王宮に出仕することになった官吏を歓迎したり、王宮で働く者が総出で国王に臨時報酬を要求したり、国王はその要求を必死に拒否して逃亡したり、まさに王宮が馬鹿だらけになる悪夢のような十五日間なのです。名前はとてもふざけたものなのですが、今から五百年ほど前――七番目の翼王の御世から毎年行われている由緒正しき大切な宮中行事でございます。元々この除目の時期には王宮内の魔除けの結界を修復するという神事を行っていたのですが、その神事とからめて新人官吏が早く王宮勤めに慣れることができるように、という心配りとして始まったと伝え聞いております」
それだけではなく、国王と家臣との間の労働環境や給金の俸禄賃上げ要求など協議の側面が強く、また、新しく王宮で働くことになった者たちへ歓迎も兼ねているという。
セイファンが説明した馬鹿祭りの規則は次の通りだった。
馬鹿祭りの期間中、国王は王宮のどこかに身を隠す。代わりに自身の代理として、王宮内の誰か一人を監督役に任命する。
監督役は馬鹿祭りの進行を務め、儀典に従ってあらゆる儀式や行事を恙なく執り行う役目を負っている。また、此度の除目で王宮入りした新人官吏の人数の二倍の数の銅の記章を王宮内の各所に隠す。記章の両面には信頼の意を持つ睡蓮の花の意匠が施されており、新人官吏は先輩官吏と二人一組となってそれらを探す。祭りの終了時点で官吏全員が見つけた記章の獲得数の合計が多いほど、馬鹿祭りに勝利したときの報酬の内容が豪華になる。
新人官吏の中でも、宰相に特別に任命された一名は、『ファム』と呼ばれ、他の官吏とは異なる動きをすることになる。雛鳥という意味と同時に何物にも染まる前の無垢な者という意味も併せ持つ『ファム』は、国王の代理人たる監督役と一緒に協力して官吏たちが王宮内のどこかに隠した五つの宝物を探す。
馬鹿祭りの勝敗の条件は次の通りだ。
監督役とファムが宝物をすべて獲得できれば国王の勝利でファム以外の官吏への報酬は一切出ない。
監督役とファムが五つの宝物すべてを見つけることができなければ、官吏側の勝利となり、ファム以外の官吏は臨時報酬を貰える。
なお、ファムが国王を見つけることが出来ればその時点で馬鹿祭りは御開きとなる。その場合は、ファムは特別な報酬をもらえ、官吏は無報酬となる。また、国王は罰を受けることとなる。
セイファンの説明を聞きながら、フィーネは眉根を寄せた。
「王宮ではずいぶんと妙なことをなさるのですね」
苦々しく顔をしかめたフィーネの表情を見たディムが白い歯をむき出して笑った。
「そうなんですけどね、楽しいだけじゃないんですよ。新人たちの親睦会を兼ねていましてね、これのおかげで白鴎宮の各部署での人間関係は上々なんですぜ。アウィルド様が国王になってから今まで二回開催されたんですが、今のところアウィルド様が二勝している。おれたちは煮え湯を飲まされた思いをさせられていまして、今年こそは臨時報酬が欲しいと、各々息巻いているんですよ」
「そこまでして欲しくなるような報酬とは何なのでしょうか?」
セイファンはにこやかに笑みを浮かべ、宙に指でくるくると何らかの数字を描いた。
「その時々で違うのですが、大体は半月分の給金になります」
どれくらいの給金か、詳しいことは知らないが、確かにお金はいくらあっても困ることはない。
「それでしたらわたしもできれば官吏側で参加してみたかったですね」
残念がるフィーネの言葉にディムが頷いた。
「そうですねぇ。では、来年はぜひとも一緒に頑張りましょう!」
可能であればそうできればいいなという言葉をフィーネは心中に留めてにこにこと頷いた。
「……しっかし、陛下はケチでしてね、ちっとも負けてくれねぇ」
「あの方は大人げないのですよ。今までの国王は適当に遊んで頃合いを見計らいながら負けていたという話です。陛下は国庫を預かる会計官でさえ呆れるほどの筋金入りの守銭奴でしょう」
思いのほか無遠慮で無礼なことを言うディムとノルンにフィーネは驚いた。だが、二人を見ていると、どことなく彼らとアウィルドの普段の関係が見えるような気がした。アウィルドの手紙にも書いていたが、彼らは長らくアウィルドを支えてくれているらしい。しばしば一緒に船遊びや魚釣りに出掛けているらしく、手紙に書いてあった数々の武勇伝から察するに、友人として忌憚なく話ができる仲なのだろう。
「ですがレムリス殿、報酬は出ないという建前ですが、分割して三カ月分の俸禄に報酬と同額で上乗せされているではないですか。それでも不満なのですか?」
「そりゃそうですけどね、宰相様にはわからないかもしれませんが……『特別感』というものがほしいんですよ。下々の者が力を合わせて権力者から勝ち取る。そういうところに魅力があるんです」
そういうものなのかな、とフィーネは首を傾げた。
説明を聞き終えたフィーネはとりあえずのところは一通り自分が王宮で行わなければならないことを頭の中にまとめた。
フィーネは六の月三十日の、馬鹿祭り終了の合図となる十八時の鐘がなる前までに白鴎宮の何処かに隠れている国王を見つけ、任命書に自筆の署名と捺印をしてもらう。
セイファンから手渡された紙にフィーネは目を通した。上質な羊皮紙に、任命の文言が書いてある。下の方に署名を書くための欄が設けられていた。ここにアウィルドの名を書いてもらえばいいのだ。
その後も色々と王宮での過ごし方についての説明を受けたが、そのうちに、セイファンが国王を探すための手掛りを教えてくれた。
髪は赤、瞳の色は黒、日に焼けた少し褐色の肌。背丈は六尺以上ととても高い。
ディムが手を挙げた。
「あー、陛下には基本的に不可能という言葉がない、も付け加えておきましょうぜ。それと、武術は剣術、弓術、槍術、投擲術、体術をはじめ、あらゆるものを得意としていらっしゃいます。性格は几帳面だけど大雑把で生真面目で根暗というまあ、どーにも面倒くさい感じです。趣味は読書と料理と鷦鷯宮の中庭で花を育てること……特に食べられる実がなる花が好きみたいですよ。あと、困っている人間を見過ごせなくて、よく厄介ごとに巻き込まれる」
「すごい……」
ディムの話を聞いてフィーネは敬嘆し、同時に少し不安な気持ちになった。
アウィルドの常人を超えた能力は確かにすごいのだが、その完璧ともいえる能力のためか、彼の人間性はなんとなく危ういものと化しているのではないのだろうかとフィーネは常々、不安でいた。彼は人の心がわからないわけではないのだが、なんでも考えることなく直感でこなしてしまうため、凡人の悩みや苦しみをどこまで理解出来ているのか謎だった。その反面、ぼやぼやしたところがあるというか、私欲に基づくことなく行動し、自身の感情に疎く、欲望と呼べるものを顕わにしたことがあまりなかった。彼がそういった感情をフィーネに見せたのは、一緒に海岸で星を見た晩くらいのもので、あの時は本当に驚かされたものだ。
「あとはですね、色んな国の言語に通じておられます。何ヶ国語喋れたでしょうか……。ウルガ、カナーヤ、シュリーゲル、トンタン、ネラウァリエ、シャールク、フルレン、デーヴァ・トーダ、ナーヴァ・トーダ。片言でよければトリヴェルグ、ラサーナ、アンディア。国内の方言を入れても……だめだ、指の本数が足りねえ。あ、そういや陛下は鳥とも話せるってファーシャさまもご存知ですよね」
「はい」
「あれはかなり羨ましいもんですよ」
うんうん、と頷くと、ディムは思い出したように拳でもう片方の掌を打った。
「それとですね、陛下の歌はすごいですよ。あの歌声を聴いた人間は老若男女問わず、ほぼ全員が腰を砕かれて立ち上がれなくなる」
「ぐふっ!」
傍らで静かに聴いていたはずのノルンが急に噴き出した。だが、すぐにそれがかなり不敬なことであると思ったのか、失礼、と詫びて咳払いをした。
「あの、ディム様? 立ち上がれなくなるというのは、どういうことですか?」
「そりゃ、おれたちの口からは言えませんって。陛下にお会いしたら、ぜひ、一度歌ってもらってくださいよ。ありゃ聴いたら涙もの。全国民が泣けること間違いなしです」
朗らかに笑むディムのもみあげとつながった顎髭を見つめながら、フィーネは首を傾げた。
アウィルドは確か、楽器も何種類か嗜んでいた。その腕前は少しかじっただけとは思えぬほどなかなか見事なものだった。そして、歌も上手だった。だが、確かにすばらしくはあったが、全国民に涙を流させるとはどういうことかさっぱり理解できない。感涙させられるほど素晴らしいのか。と思ったのだが、三人の様子を見ていると恐らくこの予想は外れているのだろう。
それからディムとノルンはアウィルドについてしばらく思い出話をしてくれた。
「……ていうかさ、陛下の脱走癖はなんとかならねえもんですかね? こないだも丸一日、王宮を抜け出して街中に出掛けてたんです。んで、どこに行ってたと思います? 新アトヌ十八区ですよ。陛下ときたら、大工に混ざって屋根の上で金槌打ってたんですよ? しかも、誰にも気づかれてねえんですからもう、呆れるしかありませんでしたよ」
「え!? 大工?」
新アトヌ十八区は救護所があって毎日フィーネはそこで手伝いをしていた。アウィルドがすぐそばまで来ていたのは知らなかったし、向こうは知っていたはずなのだから一目会いに来てくれれば良かったのに、と思わず鼻を鳴らしてしまった。
「ええ。陛下の悪い癖ですよ。困ったことにあの人は、辺境出身の人足だの、用心棒だの、料理人だの、博打打ちだの、庭師だの、ユリフェ家の奉公人だと色々身分を偽って王都をうろつくことが趣味でして、突然誰にも行き先を告げずに二日三日どころか十日くらい留守にすることもしばしばあるんですよ。鳥の連絡網で国王としての仕事は怠らないところはまあ、しっかりしてていいんですけど、化粧や仮装で顔と体形をまるっきり変えたり、変な薬で声を変えたり、使っている香の種類まで変えたりされた時には本当にお手上げでしたよ。探す方の身にもなってほしいもんですよ、まったく……」
「ええと、それは民の暮らしぶりをお忍びでご自分の目で調査なさっておられるということでしょうか?」
ディムは眉尻を下げて途方に暮れたように力無く笑った。
「それでしたらまだ良かったんですけどね……」
「違うのですか?」
「ええ。端的に言えば、小遣い稼ぎですかね。ファーシャ様、お気を付けください。あの方はひどい守銭奴ですよ。けちな上にいちいち細かいんです。そのくせ豪胆な奢り癖もあるのか、アントンとかいう賞金稼ぎを名乗ってごろつきどもと一緒になって派手に酒盛りしていた時には呆れましたよ」
「ちょっと待ってください、状況がまったく想像できないのですが……」
「実際見たおれでも理解できませんでしたよ。当時十六歳の若君が、見た目五十代後半くらいの隻眼の髭面オヤジになっておられたばかりか、酒場の円卓の上に土足で立って樽から酒を両手に踊りながら直飲みなさっていたなんて、悪夢以外の何物でもありませんでした」
ディムは聞こえよがしに深々とため息をついて項垂れた。
「ですがまあ、今回はそういうのは無しで、とお願いしてはいますから、女官や老庭師に扮して隠れておられるなんてことはないはずですのでご安心ください」
彼の変装術は元々ガイズや暗殺を生業とする者が教え始めたものらしいが、そこまで芸術的に進化しているとは思いもしなかった。
「お話から想像するしかできませんが、ディム様はかなり苦労なさっておられるのですね。というよりも、陛下は女官や老庭師に変装なさったことがあるのですね……」
呆れるフィーネに対して彼は力なく笑うと、思い出したようにセイファンに向き直った。
「あ、宰相さまちょっといいですか? そろそろスヴァロン殿下をお連れしようかと思うのですが、大丈夫でしょうか?」
「構いませんよ。お願いします」
「ありがとうございます」
それでは、と彼は立ち上がったが、少し迷いがある様子で表情が二転三転した。
「ただ……あの様子ではどうなることか、ちょっと心配でもあるんですけどね」
不穏な様子を見せつつディムは一礼すると退室した。
「さて、ファーシャ様にヒレナ殿。こちらをお渡ししておきますね。王宮内ではこれがないと入れない場所もありますので、陛下捜しに支障があってはなりませんから」
フィーネとヒレナはセイファンから一風変わった指輪を渡された。それは、王宮内のあちこちにある門をくぐる際に必要となる通行証らしい。幅広い金属の板状の指輪には細かな紋様が印されている。天辺にはめ込まれた飾り石の下には文字とウルガ王国の国章である三枚の神鳥の羽が描かれている。
――来客用、三百七番と、三百八番。
飾り石の下には金色の文字が覗いた。
「ファーシャ様のことは皆に内密にしなければならなかったため、今は仮の来客用の物しかお渡しすることができませんが、後日、正式なものをお渡ししたいと思います。こちらは輪の大きさの調整が出来るので、指輪として使っていただいて構いませんが、大きくてなかなかに邪魔なので、指輪よりも鎖を通して首飾りにする者の方が多いですね」
そう語るセイファンは空色の石が煌く自身の通行証を見せてくれた。
セイファンに貸出申請書に名前と登録番号と自筆の署名の記入を依頼され、フィーネとヒレナはそれに従った。本来であれば通称と姓の両方が必要だが、正式な片翼となるまでは名前を伏せる決まりであるため、今回は『ファーシャ』とのみ記入した。
「遅くなりました、宰相さま!」
室内外を区切る簾の向こうからディムが恭しく呼びかけた。
「ありがとうございますレムリス殿。では、二人とも中へ」
セイファンの招きに対してしばらく簾の向こうから小声でディムと男が言い争う声が続いた。
「――ほら、殿下っ、いい加減腹をくくって観念してくださいって」
「いいか、何度も言ったが、賭けなんてやはりやめだ!」
「我が儘おっしゃらねえでくださいや。もう賭けは始まってるんですから」
「だが……やめろ、ディム、放せ!」
ややあってディムに腕を引かれるように現れたのは群青の長袖の外套を羽織った男だった。
次回はようやくフィーネが敵となる第三王子と相見えることになります。
彼はいったいどのような人物なのでしょうか。
三度の飯より女が好きと言われている第三王子なのでろくなことにはならないと思います。
よろしくお願いいたします。




