表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/33

三章 白鴎の宮(2) 顔合わせ 

 初日は身の回りの世話をしてくれる者たちとの簡単な挨拶と歓待の宴で終わった。

 今日はいよいよ件の第三王子と顔合わせをする日だ。

 午前中は女官長から王宮での過ごし方を教わり、昼食を終えるとヒレナとともに鷦鷯宮(しょうりょうきゅう)の応接間である(おおとり)の間に向かった。


 花の良い香りがする。日差しが入らぬ北向きのかなり上等な良い部屋だ。

 窓際には日除けの(すだれ)がかかり、外界から反射した光が天井に影をのばしていた。隙間なく横に通された(よし)の間から漏れ入る優しい光は穏やかで、むっとした部屋には時折涼しい風が吹きこんだ。


 室内には陶磁器の花瓶や金や銀があしらわれた高価そうな調度品が並ぶ。西方から輸入したと思われる幾何学模様の目にも鮮やかな青の絨毯が足元を彩っていた。


「改めて、白鴎宮にようこそお越しくださいました、片翼(ファーシャ)様」


 片翼(ファーシャ)という呼ばれ慣れない呼称にフィーネは改めて戸惑った。セイファンはフィーネの畏縮した様を見て穏やかに笑みを返した。

「そう緊張なさらずともよろしいのですよ。片翼は翼王の対。現国王と等しく地位ある立場でございます。ですからもっと堂々となさってくださって大丈夫ですよ」

 申し訳ありません、と頭を下げつつ、フィーネは自分を叱った。今の自分は偽者とはいっても片翼だ。いきなり堂々と振る舞えと言われても難しいが、片翼が引け目を感じて卑屈になっていては周囲の者にかえって気を遣わせてしまう。

 セイファンはフィーネとヒレナを席に案内した。すでに部屋にいたセイファンの従者が椅子を引いた。侍女の身でありながら同席を許可されたヒレナはためらいがちに頷くと、フィーネが椅子に座すのを確認してから同じように従った。


 セイファンは早速、二人の従者を紹介した。同い年くらいの少年と、無精髭を生やした壮年の男だ。

「こちらは図書寮長官のノルン・フェーテスと、陛下付きの近衛兵長のディム・レムリスです」

 彼らは深々と一礼した。

 フェーテスという少年はフィーネと同い年で、細身の華奢な印象を受けた。それに対してレムリスは武官らしく大柄でがっしりとした体躯の均整のとれた体つきをしている。きちんと揃えられた顎髭が彼の四角い顔を縁取り、逞しさを際だたせていた。

「この度は、ようこそお越しくださりました」

「彼はノルン・フェーテス。十五歳という若さながら、記憶力の才を買われて書庫課の責任者を務めております」

 書庫課とは文部省図書寮に属し、公文書や、様々な書籍を記録したり保管したりする仕事を担う部署で、その長官は代々、書物の目録をすべて記憶し、特別な訓練を経た者が選ばれると言われているが、彼は若くしてそれを成し遂げたというかなりの逸材だった。


 ――彼が噂に名高い歴代最年少の図書寮長官か。


 彼の涼しげな目を見つめながら、自分と同い年のはずなのに、と心の底から感嘆した。


「……先ほどからずいぶんとわたしを注視されているようですが、何か気になる点でもございましたでしょうか?」

 少しきつい目つきと声音に恐れをなして、いえ、と慌てて視線をそらした。それからゆっくりと顔を上げて、今度は大男に目を向けた。三十歳くらいの筋肉質の彼は鼻の下から顎にかけて無精髭を生やし、強面ながらも人の良さそうな雰囲気を漂わせている。椅子からはみ出しそうなほど彼は縦にも横にも大きい男だった。喩えて言うなら熊か(サイ)か、といったところだが、顔つきは虎に似ていた。


「彼はディム・レムリス。国王直属の近衛兵長です」

「ディム・レムリスと申します。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


「ファーシャ様の王宮内の案内や護衛は主にヒレナ殿とノルンに任せます。お部屋を離れる際は、必ず二人のうちどちらかを伴ってください」

「あの、よろしいのですか? フェーテス殿にはほかのお仕事があるのではありませんか」

「ご心配なく。彼は此度の除目(じもく)で片翼付きの護衛の役割も併せて任命されたのです。それに、元々我が国の図書寮というのは他国とは異なり、恐ろしく暇な部署なのです。諸々の記録を取り扱うのは文部省ですし、書籍の保管や管理以外はほとんど外部の人間を相手にする機会はございませんので、時間の都合をつけやすくはあるそうですので」

 セイファンの言葉にノルンも真顔で頷き、同意した。

「ええ。王宮をはじめ王都やウルガ南部の者は総じて書物や本を、単なる枕か置物程度にしか考えませんから、書物の虫食いや(かび)の対策をする程度にしか仕事がございません」

 真顔で冗談なのかそうでもないのか微妙な発言をするノルンにどのように接すればよいかはかりかねてフィーネは苦笑を浮かべた。

 確かに、ウルガ南部に暮らす者は書物を読まない民として国内外によく知られている。識字率が低いというわけではないので『読めなくはない』のだが、とにかく『読まない』のだ。

 王族や貴族階級の者や、学問に志す意欲的な者であれば、多少は読書を嗜むのだが、多くの人々は自分の目の前に書物が置かれていたとしても、一切目もくれずにいるのだ。部屋を飾りたてるために書棚に書籍を並べたりすることは楽しむが、その中身に目を通すという行為をしない。彼らの行いは北部出身者のフィーネには全くと言って理解できない謎だった。

 その理由について、高温多湿の気候によって読書をすることが億劫になることが原因か、とも考えたのだが、王都のガイズの邸にいた奉公人たちに話を聞いてみたところ、どうやらそういうわけではないらしいのだった。


 それはひとえに陽気な南部の者の気質によるものらしく、彼らは賑やかな場所が好きで、多くの人々と接したり常に面白いことや祭り騒ぎをしたいと思っている。そして、何よりも孤独を嫌うのだ。

 彼らにとって読書とは、単なる文字の羅列にすぎないものを延々と見るだけの、自らの目の前や周囲にいる人々から自らを遠ざける行いであるらしい。すでに過去のものとなった閉じられた記録を読むことよりも、今この瞬間の生身の人間と相対して一緒に新たな世界を紡いでいく方が有意義であるという考えをするのだ。



『お嬢様、そんなに書物ばかり読んでいてはじめじめがうつって頭から茸が生えてきてしまいますよ』


 ガイズの邸にいた門番の少年は医学書とにらめっこをしていたフィーネを見て心配そうに忠告してくれたことがある。

 読書をする時間があるのなら、外に出掛けて、家族や友人と顔をつきあわせて話をして過ごしたい。そう考え、現実での人と人とのつながりを重んじる彼らの気持ちは確かに大切だとは思う。だが、書物が人を孤独にする、という考え方は読書をすることで現在や過去の様々な人間の思考や知恵に触れることに喜びを感じるフィーネにはやはり理解が難しいものだった。


 読書を好む人間を風変わりだの根暗だの物好きと評する南部の者とは正反対に、ウルガ北部の人間は、日頃から読書を愛する者が多かった。


 いつの頃から言われているのかは不明だが、北部の人間は元々物静かな気質といわれており、外に出て大勢でわいわいと賑やかに過ごすことは比較的少なかった。また、北の隣国カナーヤ帝国に近いことも読書が普及した理由のひとつであった。カナーヤはウルガより二千年以上も歴史が古く、周辺国と比較しても文化的にたいへん進んだ国である。記録を好み、書物を尊び、古き教えに学び、陸路海路で得た異邦の知識も積極的に取り入れ、現在を生きる者の手でさらに成長させる。それはまるで智慧の大樹を育むように何世代にもわたって長年積み重ね発展を遂げたものであり、周辺国のみならず大陸のはるか西方にある国々にも影響を与えるほど優れた文化を有する国であるといわれていた。


 ウルガ王家はカナーヤ経由で東西あらゆる国の優れた知識を得たいと望み、積極的に質の高い書物を求めた。そのおこぼれを北部地域に住む者たちは頂いたのだった。

 ノルンの色素の薄い顔を見るだに、彼もおそらくはフィーネと同じく北部の出身なのだろう。


「いや、だけど驚きましたぜ。陛下の片翼が見つかったなんて。……あ、お気を悪くしたらすいません、ファーシャさま。口が悪いものでご容赦願います。おれは陛下に武官として取り立ててもらう前はエスタっていう超ど田舎の盗賊だったもんでしてね、育ちが悪かったせいか、直したいんですがどーしても、端々(はしばし)でこの喋り方が抜けねえんですよ」

「お気になさらないでください。私としてはその話し方には親しみがあって安心します」

「おお、それなら良かったです」

 ばふばふと金属の鎧の継ぎ目を鳴らしながら彼は笑った。どうやら彼は見た目に違わず豪快な気質の男のようだ。彼の温かみがありながら無遠慮な第一印象にフィーネは好感を抱いた。

 エスタといえばかつては北東の貧困地帯として有名で、領主が不正を行ったり盗賊が跋扈(ばっこ)していたりと、かなり柄の悪い土地柄だと言われており、アウィルドリーシャが廃太子された時の流刑先でもあった。


フィーネはセイファンに促されて契約書に署名することになった。セイファンがさらさらと筆を走らせていく様子を見ながらフィーネは、契約書に添えられた彼の右手には、手のひらから甲にかけて大きな傷跡が横一直線に走っていることに気づいた。何の傷か訊ねるつもりはなかったのだが、フィーネの不躾な視線に気づいた彼は話してくれた。

「これは、わたくしと兄の絆のようなものですね」

 それは六年前に彼が先王によって車裂きの刑に科せられた時に負った傷だった。

 車裂きの刑は、人間の手と足にそれぞれ縄を掛け、頭と足方向に馬などで身体が千切れるまで引っ張り続け、命を奪う処刑方法であり、実の息子にその刑罰を科した先王の考えが全く理解できなかった。

 セイファンは先王によって謀反の冤罪を掛けられ、処刑されることになった。王太子だったアウィルドが弟を助けるために処刑場で先王を諌めようとしたが、そのせいでアウィルドは先王の逆鱗に触れてしまった。

 セイファンは許された。しかし、王太子は廃太子されて拷問の後流刑にされることとなった。しかし、ガイズがアウィルドを庇い、代わりに拷問にかけられて左の目の光を失ったのだった。

 その頃のフィーネは遠方の王都で何が起きたのか、その事情を知りたくてガイズの士官学校時代の友人を頼って手紙でやりとりした時に聞いた話によると、じつに目を瞑りたくなるほどの辛い出来事だったらしい。

 そして、しばらく消息不明だったアウィルドから久々に届いた手紙にもその時のガイズの怪我の具合や回復の様子が詳しく書かれていた。その時の筆跡は日頃字の上手な彼が書いたとは思えぬほど後悔と怒りで激しく震えて読みにくかったのを良く覚えている。


「では、こちらに名前をお書きください」

 フィーネは手渡された誓約書の文言に目を通すと、名前を書くために設けられた空白を見てフィーネは手を止めてしばし考えた。

「あの、セイファン様。こちらは苗字を書く欄がございませんが、こちらは苗字を抜いた通称を記入すればよろしいのでしょうか」

「はい。片翼様は姓を持たないため、通称のみをお書きください」

 フィーネは頷くと、フィーネ、と通称を記した。


 ほとんどのウルガ人は、二つ以上の名を持つ。日常的に用いる通称と、親しい間柄で呼び合う愛称と、魂に名付けられた諱であるが、通称と愛称を兼ねることも多い。これは、魔物から身を守るために名前を使い分けているのだ。

 諱はいわばその人の魂の本名で、それを用いれば、魂ごと相手を支配することも可能であると信じられている。諱は本人と両親もしくは一族の当主しか知らず、冠婚葬祭の時くらいしか使う機会はない。だが、ごくたまに、神殿への出生届や死亡届などの正式な文書では、諱を要求されることがあるため、公的な契約書などを記入する際は相手にどの名を使うべきか確認することが暗黙の礼儀となっているのだ。


 フィーネも、『フィーネ』というのが通称と愛称で、諱としてもう一つとても長い名前を持っているし、ヒレナもガイズも皆二つ以上の名を秘している。中には四つも五つも名を持つ者がいるが、特別な地位の人間に限られる。


 誓約書を書き終えてセイファンに手渡すと、彼はインクが乾くのを待ちながら様々な事情を話してくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ