二章 碧海の都(9)片翼様を守るために身代わりになってほしい
「ヴェル・フィーネ・ユリフェ殿、急で申し訳ないがそなたには十日後に王宮――白鴎宮に上がってもらう。そのために、医術学校への入学は諦めてほしいのだ」
やはり聞き間違いでないことを理解すると同時に、何とも言い難い怒りのような感情が腹の底から沸いてきた。
何故、そのようなことをよその領主から命じられなければならないのかとフィーネは憤った。
ウルガ王国は王家を頂点としてその下に地方を治める領主が従っている。
この国における『領主』は、王国建国以前から元々この地で小国の王として自領を持ちながらウルガ王国に組み込まれて王家に忠誠を誓った豪族上がりの謙王領主と、ウルガ王国国王から役人として任じられたり褒賞として土地を治める権利を与えられたりして領主となった封王領主の二種類に分類される。
フィーネの生家のユリフェ家と、現在フィーネが相対しているムヴァンの生家のカルヴァ家は前者の謙王領主で、しかも、どちらも建国神話に登場する十三の家柄に入ったかなりの名門だった。
通常、領主というのは王家に対しては忠誠を誓ってはいるものの、領主同士では互いに独立性を保っており、余所の領主一族の行いには互いに口出しすることはほとんどないし、従う義理もない。だから、フィーネにはカルヴァの要求を断っても差し支えはない。だが、フィーネが驚いたのはもう一つ理由があった。
それはフィーネが学生であることだ。
今し方カルヴァはフィーネに白鴎宮に上がれ、と告げたが、彼の言葉が王宮への出仕を求めるためのものならば、フィーネにはこの命令を拒否できる権利があった。なぜなら、王立および国立学校の学生は入学前ならびに在学中は徴税や出仕を免除される、という法律があるからだ。
一般的に貴族の子女は十二、三歳になると、王宮に奉公する者が多い。特に女子は、結婚相手を探すために早めの年齢で王宮に入る。とりわけ名門ともなると、出仕や仕官ではなく国王の妃候補として直接王宮に召し上げられたりする者もいる。運良く国王のおめがねにかなえば、妃に選ばれ実家を繁栄させることができるため、名門と呼ばれる家の者たちは日々、血眼になりながら並々ならぬ努力を重ねていた。
それが一般的なこの国の貴族の生き方だ。
だが、専門的な知識を身につけるための勉学を志す者はこのかぎりではないという規則も存在する。その方が国にとって有用だと考えられているからだ。したがって、フィーネは最低でも今後四年間――医術学校を卒業するまでは、出仕を免除されることを約束されているはずなのだ。さらに、王宮から領主の親族に出仕を要請する命令を伝える時は特別な『鈴』を持った伝令の役人が来るのが常だ。だが、その様子はない。
色々と反論したくなる気持ちを抑えながら、フィーネはゆっくりとカルヴァの顔色をうかがった。
「……それは、学生の身分を放棄し出仕せよというご命令でございますか?」
「困惑するそなたの気持ちもわからなくもない。だが、事態は一刻を争う状況なのだ。此度の件は国王陛下の命……いや、下手をすれば国運にまで関わることなのだ」
「え、それは一体どのような意味でしょうか!?」
国王の命や国運にかかわるという穏やかではない言葉にフィーネは思わず声を荒げた。あがりかけた息を整えようと、強く瞬きをしながら目の前のカルヴァの白い髭を見つめながら返答を待つ。
「言葉通りの意味だ。そのために『ユリフェ家』のそなたに協力を願いたいのだ。……ところで、フィーネ殿は、このウルガ王国の『片翼』という役職を知っておるか?」
唐突に出てきた『片翼』という単語は予想外のもので、思わずフィーネは眉根を寄せるように視線で疑問をカルヴァにぶつけた。
片翼なら知っている。ウルガ人にとってみれば常識中の常識で、文字を習ったことのないような子供でさえ知っているくらいの事柄だ。だからこそ、彼の言葉の意味が分からず何度も心の中で繰り返し唱えた。
「……片翼、とは翼王の治世で設置される臨時の役職であり、風の声を聞き、鎮める力ならびに、いかなる傷痍をも治すことの出来る力を持つ、初代国王――ウェルフ・オルレガ・ラウルガル・ウーザン様の生まれ変わりです。また、風の女神様と魂を共有した片割れであり、いわゆる巫覡である、という話は存じております」
「その通りだ。片翼は翼王と対を成す尊い御方だ。翼王が神界よりこの穢土に留まられている代においては、片翼には翼王の次に偉い地位が与えられる。翼王は片翼なしでは風を操ることが出来ぬゆえ、丁重に扱われるのだ。さて、フィーネ殿は現在の国王のアウィルドリーシャ様に片翼がおられないという話も知っておるな?」
その問いに恐る恐る頷くと、カルヴァは厚みのある唇を横に伸ばして笑んだ。こめかみに妙な汗が伝う不快感を覚えながら、フィーネは生唾を飲んだ。
「じつはな、たいへん喜ばしいことについ先日のことであるが片翼様が見つかったのだ」
「本当ですか!? それは一体どなたなのですか!?」




