二章 碧海の都(7)予期せぬ来客
「お帰りなさいませ。……フィーネお嬢様、少々よろしいでしょうか」
「どうしたの?」
普段は朗らかで優しい二人が妙に緊張したぎこちない様子でいることを訝しみ、理由を尋ねようとすると右に立つセドがおずおずと口を開いた。
「突然ではございますが、お嬢様に客人が……」
「申し訳ございませんが、裏門に回っていただいてもよろしいでしょうか。中にティーシャがおりますので、彼女にお聞き下さい」
左に立つシドルは深々とフィーネに頭を垂れた。
よくわからないが物々しい雰囲気にただならぬ気配を感じ、フィーネは不安を抱いた。
門番たちの指示通りに裏門から入ると、やはり落ち着かない様子のティーシャが待っていた。三十路過ぎの彼女が取り乱す姿を初めて見たなとなんとなく思っていると「お早く、お早く!」とすぐに湯殿に連れて行かれた。その途中で車止めに見慣れぬ馬車が停まっているのが見えた。豪奢な金飾りのついた大型の馬車で、暗くて目を凝らしてもよく見えないが鷹のような金の飾りが後部扉についていた。
「ヒレナさんはあちらで身支度を整えますから」
と、ヒレナと引き離されたフィーネはすぐさま頭の手拭いと服をはぎ取られてティーシャをはじめとした五人の侍女に身体を洗われた。それどころか、普段のフィーネが仕事の妨げになるため塗るのを拒絶している香油を無理やり全身に塗りだくられ、普段よりも念入りに髪の毛を梳かれた。何が起きているのか問おうにも、可能な限り早くフィーネの身支度を整えることが優先され、彼女たちは答えてくれなかった。白粉と頬紅と口紅を顔に施されたが目の前に鏡がないので彼女たちがフィーネの顔をどのように仕上げたのか不明なまま次の工程に進んでいった。
肩を露出した若草色の衣を纏い、腰まである長い黒髪は一部を頭の高い位置で結い上げ、残りは肩から下に流した。手足には質素で小さめの銀の輪飾りを身につけ、長い裳の裾から時折それが覗いて白く輝いた。艶やかな金糸の刺繍の鶺鴒が羽ばたくこの若草色の衣はガイズによる指示で選ばれたとても格式高いものだという。
理由もわからずひどい目に遭ったとうんざりしているとユリフェ家に仕える侍女の正装である紅色の衣で美しく着飾ったヒレナがやってきた。フィーネとは異なり露出は抑えられ、柄は生地と同系色の質素な花の刺繍が施された上品な衣裳で、今のティーシャや他の侍女と同じ服のはずなのに、めりはりがある体型の美しいヒレナが着るとまるで天女のようだった。
身支度を終えて廊下を移動する間にフィーネは三度ほど裳の裾を踏みつけて前に躓いた。ヒレナが肩を支えてくれていなければ、惨めに顔から倒れていたことだろう。床に引きずりそうなほど長い裳は足に纏わりついてどうにも苦手でいまだに着慣れない。故郷にいた頃や現在も普段は動きやすい農作業用の男物の衣で過ごしていたために、お洒落な衣は苦手だった。
フィーネは幼い頃より幾度となく人攫いに誘拐されそうになった。そのため、彼女を心配した祖母の助言で護身のために男物の服を着せられて育てられたのだ。実際、女物の服より格段に動きやすく、治療の手伝いをするにも利点が多かった。
だからこそ、理由もわからず正装をしなければならないという今の状況に不安を抱いた。客人はおそらくかなり高貴な身分の人物なのだ。
ティーシャに案内されて応接間に入るなり、フィーネはどきりとした。
木目調の室内の大きな円卓を囲んで、三人の男が座っていた。彼らは一斉にこちらに目を向けた。
「フィーネ、お帰り」
「……っ、ただいま戻りました、父上」
父のガイズに和やかな声で呼びかけられ、フィーネは帰宅の挨拶を述べた。
ガイズはユリフェ家特有の、美男でも不男でもない特徴の薄い顔でにこやかに微笑んだ。半年ほど前の事故で負傷し、今は邸で療養しながら仕事をこなしている。相変わらず手足と首に包帯を巻いた痛々しい姿だ。
彼がいることは別に驚くべきことではない。この邸の主なのだから当然だ。問題はフィーネから見てガイズの向かって右の上座に見慣れぬ二人がいることだった。
若い茶髪の青年と、大柄な老年の男。二人はなぜか、円卓の中央奥にある最も格式高い席を一つ空けた状態で、その左右に腰掛けていた。
これが件の客人か。
何しにきたのだろうか、フィーネが彼らの来訪の理由を考えていると、ゆっくりと茶髪の青年が立ち上がり、歓迎の意を示すようにこちらに穏やかな笑みを投げかけた。
「お初にお目にかかります、ヴェル・フィーネ・ユリフェ殿。わたくしはウルガ王国宰相、セイファン・リヴェーラと申します」
朗々とし、若葉のような色が似合いそうな声だ。彼は北方系の色白の肌の持ち主で、均整のとれた端正な顔をしており、短い茶色の髪を中央で左右に分け、眉尻や目尻の垂れた鳶色の瞳は柔和で温かな光をたたえている。一目には感じの良い男だとフィーネは思った。




