二章 碧海の都(4)翼王への不満
「――って、すみません、いきなり変なこと語ってしまいました」
青年はそばかすの浮かんだ顔で力なく笑った。
「いえ。怖くなる気持ちはとてもよくわかります。どうかそんな怖い予言は嘘であってほしいですよね」
冷やし終わった彼の足を軽く手拭いで拭き取り、彼に手当ての方法を教えながら湿布と包帯で固定し手当てした。
「初めの三日間は患部の腫れを防ぐためにこの冷湿布を使ってください。目印に外袋に丸を描いてあります。三日経って腫れがひいているようでしたら血行を良くする効果のあるこちらの温湿布を使ってください。もし、腫れがひかなかったりひどくなるようでしたらまたここに来てください」
「ありがとうございます」
フィーネは先ほどの母娘に渡したものと同じ組み紐の御守りを彼の腕に巻いた。
驚いて問う彼に対して先ほどと同じ説明をした。
「――私は神殿の巫女様ではないのでシュッタさんのことを守るための御守りを作ることはできませんが、どうか不安を紛らわすことが出来ますように、と願いを込めております。大丈夫、きっとこの噂は国王陛下をよく思わない誰かさんが言い触らしているだけだと思いますよ。もし予言にある出来事が本当に起きたとしても、いまの国王陛下ならきっと――」
「そうでしょうか……。確かに国王陛下は星見の乱で先王陛下を倒しておれたちを救ってくださいました。こうして救護所を開いてくださってとてもありがたいとは思います。ですが、神話にある『風の力』とやらを使えばあんなに国内がめちゃくちゃになる前に何とかできたんじゃないか、どうして使ってくださらなかったのかと、無礼ということはわかっていても恨めしく思ってしまうことがあるんです」
彼の震える拳を目の当たりにしながら、フィーネは口を引き結んだ。
「お気持ちはわかります。ですが、アウィルドリーシャ陛下にはいまだに片翼様がおられないので風の力を扱うことができないそうですよ」
「だったらどうして早く片翼様を探してくださらないでしょう? 神官様たちだってそうです。大工仲間や街の皆が言ってるんですよ。本当は神話は王家の権威や正当性をでっち上げるために創作された嘘っぱちで風を操る力なんてはなから存在しないんじゃないかって。『神鳥』も見たことないですし、鳥と会話できるという話も、鳥使いの技術の応用でそう見せかけていているんじゃないでしょうか」
彼の考えもわからなくはない。だが、フィーネは憤りを覚えて彼に反論したくなる衝動を必死に胸の内に押し込めた。彼は何も知らないから仕方ないのだ。アウィルドは確かに鳥と会話する力を持っているし、天候を予測することも得意だったことをフィーネはよく知っていた。
翼王は背中に翼の痕の印があるため一目で判る。一方で、片翼は見た目にはこれといった特徴がない。そのため捜すのになかなか苦労するらしい。
聞いた話によると、片翼が選ばれるには思いのほか面倒な手続きがあるという。まず第一に、翼王が生まれると、最高神官長が片翼を捜すために半年も神殿に籠もって占いをする。その間に各領主に対して領内に翼王と同じ日に生まれた者がいないか報告させる。さらに、過去の記録から、先代の片翼の趣味や癖を調べる。
場合によっては先代の片翼が来世はどこの誰に生まれ変わるか明言していることがあるからそれを捜す。
それらの結果を総合的に考慮して片翼候補を選定し、風玉輪に認められてはじめて片翼が決まるのだ。
「私には王宮勤めをしている知り合いがいるのですが、神鳥様はちゃんとこの世に存在しているそうですし、陛下は鳥と会話はできるそうですよ。星見の乱がうまくいったのがその証拠だそうです」
「……そうなんですか?」
「はい。それと、片翼様を探すのはとても大変なんだそうです。先ほどシュッタさんが仰ったことを国王陛下はかなり気になさっているという話も聞いたことがあります」
「それは……」
フィーネが静かに頷くと彼はばつが悪そうな顔で俯いた。
「お医者様、先ほどおれが言った発言はどうかお医者様の心の内に秘めておいてもらえませんか? ……正直なところ、おれ自身、自分の中にこんな黒くて不敬な気持ちがあったなんて知らなかったんです。それなのにこの救護所のお世話になってしまうなんて……最低です」
「わかりました、私は何も聞いておりません。安心してください。ですが、シュッタさんが悪いわけではありませんよ。それよりも、今はシュッタさんの足を一日でも早く治すことを考えていきましょう。いいですか、ひとまず三日間は絶対に動かしてはいけませんからね。先ほど教えた包帯の巻き方ですが、わからなくなったときはまたいつでもここに来て私達を頼ってください」
「ありがとう……ございます……」
深々と頭を垂れると彼はもう一度礼を口にして天幕から出て行った。
診療録を書き留める途中でふと鏡に映る自分の姿を目にしたフィーネは眉根を寄せた。
普段のフィーネはこの救護所では表向きにはフィドル・ロドと男の名前を名乗り、肩に詰め物を入れた男物の衣を着て、頭に手拭いで縛って髪を隠し、化粧ひとつしない顔には常に『医師の仮面』と呼ばれる皮製の仮面をつけている。
古来よりウルガにおいて、医療行為は神官や僧侶、呪術師が行ってきたという歴史から、その業務を引き継いだ『医師』は治療を行う間は、仮面を着用する決まりとなっている。人の生死に直結する業務のため穢れを受けやすく、死魔に魂を狙われる恐れがあるからだ。その所以から現在では医師の資格を得ると、免許として神殿から各々の医師独自の紋が刻まれた仮面を与えられる決まりとなっている。
普段は見えないが仮面の表面には夜明真珠の光で浮かび上がる特別なインクで偽造防止の細工がされており、氏名、出身、登録番号ならびに資格取得年月日と本人の署名などが刻まれている。
また、これらの情報は全く同じ物が神殿に保管されているので不正を簡単には行えないように工夫されていた。
フィーネの仮面は白猫を模しており、顔全体はもちろん、通常よりも極力目を晒さないような作りになっている。目の部分に針先ほどの小さな穴が無数に開けており、多少視界が暗くなることと遠くがよく見えるようになること以外は診察にほとんど差し支えない。この意匠にした理由はひとえに祖母の命令による護身のためであるのだが、『目』という隠せない部分はとても厄介だ。
スーヴェ大陸東部で暮らす人々の多くは黒い髪と瞳を持っており、他の色はとても珍しいと言われている。なかでも、銀の目を持つ者はとりわけ稀少で、カナーヤ系ともなると〈皇血〉と呼ばれてしばしば誘拐や拉致という災難に遭うのだ。その理由は北の隣国カナーヤ帝国にあった。
カナーヤ帝国の皇族は天帝の子孫であり、代々天帝と同じ銀の目を持って生まれるという。古い時代には皇帝の妃には皇族の血筋の姫が選ばれていたが、何代もわたって近親婚を繰り返すことによる血の毒が強まったため、百年前くらいからは皇族以外からも妃を娶るようになった。すると、皇族でありながら黒い瞳を持つ赤子が生まれるようになった。
銀の瞳こそ皇統を示す証であり、神の血筋が薄まることを危惧した帝国では、皇帝の妃には銀の目を持つ娘が優先的に選ばれるようになったという。
その結果、カナーヤに近い国で暮らすカナーヤ系の銀の目を持つ者は誘拐や人身売買など様々な意味で狙われるようになってしまった。しかも、男女問わず危険であることに変わりはなく、皇血の者たちは人目を避けて身を潜めて暮らすことが多いのだと祖母は教えてくれた。
全くもって迷惑な話ではあるが致し方ない、などとは言っていられない。フィーネにとっては大問題であった。医師として働きたいという目標の妨げになるし、今まで幾度となく攫われかけて、本家の人々に迷惑を掛けてしまった。
苦い過去を思い出したフィーネは首を振って嫌な考えを追い払おうと努めた。それでも一度湧き出た嫌な感情というのは次なる澱みを生み出すものだった。
先ほどのシュッタという青年の話を聴いて改めて思ったが、『片翼』さえいればアウィルドリーシャは風の力を扱うことができたのだ。
きっと先王の乱心も王都大火も星見の乱もググスの乱も起こらず、現在この救護所を必要としている人々は平穏に暮らしていたことだろう。沢山の無辜の命が喪われることもなかったはずだ。ましてや、片翼は風の女神から受け継いだ『風玉輪』という金の腕輪を使ってどんな傷でも癒やす力を持っているという。
男か女か、どんな人物かは知らないが、そんな大事な役目がアルにもかかわらず、その者は一体どこで油を売っているのだろうか。
「片翼様か……。あの時も片翼様がいらっしゃればあんなことにはならなかったのに……」
フィーネも恨み言のようにひとりごちると深いため息をもらすのだった。




