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二章 碧海の都(2) 甘いお菓子で休憩を

 ふと、天幕の外に人の気配を感じたかと思えば、入り口に手がのぞき、入室の合図とともに籠を手にした壮年の男がひょこっと顔を覗かせた。

「いやはや、フィー……じゃなくてフィドルさん。早朝からずっと働かせてしまって申し訳ありません。少し休憩してくださいな」

「ありがとうございます、ダルド様」

 彼の言葉に甘えて仮面と口元を覆っていた布を外すと、甘い香りが漂ってきた。籠の中身は焼き菓子とみえる。

「紅茶味と椰子(やし)の実入りの乾餅(クッキー)です、先ほどの母娘(おやこ)にもお渡ししたらとても喜んでもらえました」

 とフィーネに中身をよく見せながら彼はにやついた。

 ダルドは箸で乾餅を小皿に六枚取り分け、小机に置いた。それと、籠から取り出した硝子瓶から木の杯に蕃石榴(グァバ)果汁を注いでくれた。瑞々しい香りに鼻をくすぐられ、フィーネは腹の虫が鳴きそうになって咄嗟(とっさ)鳩尾(みぞおち)に拳を食らわせた。

 焼いてきつね色になった香ばしい小麦と卵の香りがふんわりと甘く、細かく刻んだ椰子の実がシャリシャリサクサクしていてたいへん美味だ。紅茶の葉を練り込んだものもあり、(かんば)しい香りが鼻腔(びくう)を抜けて涼しげな心地良さを覚えた。蕃石榴(グァバ)果汁の酸味が火照った身体に染み渡り、気分がすっきりとした。

「前から思っていたのですが、このお菓子はこの地区の方々と私たちに毎日配られておりますが、一体どなたからの差し入れなのでしょうか? とても美味しいです」

「これは王都内の色々な菓子店から届けられるんですよ。菓子店が何軒も持ち回りで作っているんですが、じつはこれもね、陛下からの支援の一環で行われているんですよ。じつは……」

 そっと声を潜めるように説明するダルドの言葉にフィーネは納得した。王都の復興も進んできてはいるがまだまだ菓子を扱う店が少ない。貴族相手の老舗はいざ知らず、庶民向けならなおさらだ。この地区に暮らす者に菓子店での見習いとして仕事をしてもらい、技術と手当てを得られるようにしているらしい。

「そうなんですね。ありがたいことですね」

「ええ、本当に。……それにしても、わたしもあなたには感謝しているのですよ。ガイズ・ユリフェ様にはこんなに良い医師をご紹介していただいたお礼を申し上げなければ」

「もったいないお言葉です。私はただダルド様や皆様のお手伝いをさせていただくだけで手一杯ですから」

「そんなことはありませんよ。我々十五人は忙しすぎて目が回っていたところですから、入学式までの期限付きとはいえ、この一月の間手伝ってもらえてとても嬉しいんですよ。あなたはとても頼りがいのある戦力です。まだお若いのに診断も的確で治療の腕も良く、さすがリリネ殿に師事していたということはありますね」

「そう仰っていただけるととても嬉しいのですが、皆様が支えてくださっているお蔭です。私は一応医師の資格を持ってはおりますが、まだまだ未熟者です。知識としては知っていてもいざ実践となると経験が浅いことを度々思い知らされます」

 ダルドはほんわかした声とはあまり似つかわしくない精悍な顔つきで意外と大男ではあるのだが、その見た目ともちぐはぐな可愛らしい表情で首を傾げた。

「そうかな? でも、この前の王立ウーゼ医術学校の入学試験に合格されたのでしょう? ただでさえ十五歳の若さで医師の資格を持っているだけでもすごいのに、あそこは長年医師をやってる人間でもなかなか入るのが難しいんですから、自信を持っていいと思いますよ。卒業できれば王宮勤めか、研究者への道が開けることですし、頑張ってくださいね」

「ありがとうございます。ところで、私はよく存じ上げないのですが、リリネ……いえ、我が師匠はそんなに有名な方なのですか?」

「そうとも。彼女は王立ウーゼ医術学校に九歳で入学して最年少かつ主席で卒業したんですから。ありえませんよ、本当に。さらに宮廷医術師になるはずだったのにそれをあっさり蹴って旅医者として国内のあらゆる場所に出向き、人々を治療して回ってるんですよ。……彼女は薬王の徒名がつくほど薬の知識に通じていましてね、自ら開発した特殊な『麻酔』なる妙薬を使って患者に痛みを与えることなく腫瘍を取り除く、白内障手術を墜下法ではなく摘出術というとんでもない方法で行い、難産の母親の腹を切って赤子を取り出して母子ともに無事、というとんでもないことをあっさりとやってのける。細菌や微生物、消毒、殺菌、滅菌、除菌、という概念や蜜柑創の薬を発明したのも彼女です。そのおかげで我が国の医学は少なくとも三百年ほど進んだのです。まったく大人顔負けの大した女性でしたよ、彼女は……」

 同窓生だと以前聞いたことがあったが彼はとても懐かしそうだ。

「ウーゼの出身だったというのは初耳です。師匠は様々なことを教えてくださりましたが、ご自分の過去と麻酔についてだけはまったく教えてくださりませんでした。知っていることと言えばタイト領の神殿の巫女だったことくらいですかね。あと、特に麻酔はそれ自体が毒であり、扱いがとても難しいし下手をすれば人をを助けるどころか殺しかねない危険な技だからあんたはあと少なくとも二十年は修行が必要だ、と言われてしまいました」

「そうですね。長年、この仕事を続けてきたわたしでも、恐らく扱うことはできないことでしょう。彼女の知識と繊細な神の腕は本当に喉から手がでるほど欲しいものです。そこで、医術庁は彼女を中央にお迎えしたいと何度も誘っているのですが、その想いはいまだ通じぬままとなっているのですよ。なにか良い案はないものでしょうか」

「ええと、残念ですがそれはきわめて難しいと思います。師匠は幼い頃に決めた信念のもと、旅医者をしているそうでしたから、ひとところに留まることは好まない方なのです。お酒は大好きですが権力に関わることは鳥肌が立つほど大嫌いでしたし、地位や名声にも興味がなくてその日生きるのに必要な寝床と食事があればそれでいいという開き直った方でしたから。薬だって買うより自分で作った方が早いし安全だ、なんて言うくらいでお金も持たずに旅する始末で……。エレス領内に留まって私に医術を教えて下さった六年間はかなりの苦行だったみたいでした。私が神殿から医師の資格を得た途端にさっさとエレスを離れて今もどこか行方知れずになっておりますし、私からはなんとも、ダルド様のお力にはなれないという申しわけなさしか思い浮かばなくて……」

「彼女の唯一の弟子であるあなたでしたらもしや、と思ったのですが彼女は相変わらず我が道を突き進んでいるのですね」

 ダルドは肩をすくめて力なく笑った。彼は謙遜しがちな性格や、ほわほわした雰囲気の可愛らしいお兄ちゃんとおじさんの間くらいの年齢の男なので騙されそうになるが、国王直々にこの救護所の責任者を任されてもいる切れ者だ。医術庁の副長官でもあるが元々は神殿に仕える死刑執行人の一族出身でありながら医師を志し、先王から軍医に取り立てられて医術庁に入職することになった変わった経歴の持ち主だった。彼は麻酔は扱えないが(はり)を手足の"経穴"という部分に刺すことで痛みを抑えるという変わった知識を持っていた。傷の縫合もほとんど痕が残らないという評判で、貴族の間でも名を馳せる名医であった。

 短期間ながら、そんな人と間近で一緒に働く機会を得られたことはたいへん名誉なことであった。

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