一章 ~七年前 王太子との約束~(12) ユリフェ家の風護の誓い
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あれから幾つもの日々が過ぎた。
かの王太子と星を眺めた夜はもう七年も前の過去になった。
あの瑠璃砂の舞う晩から今日に至るまでの間には、誰もが予想だにしなかったとても多くの悲しい出来事があった。
善王と誉れ高かった国王リルダムが唐突に乱心し、国内が激しく乱れて多くの命が喪われてしまった。
宰相は自害し、佞臣が幅を利かせ、無実の罪で投獄された第二王子は見せしめとして車裂きの刑で危うく命を落としかけた。アウィルドリーシャは堕落した父王を諫めようとしたがゆえに逆鱗に触れ、廃太子されて東北方面のエスタという僻地に流罪となり、消息がわからなくなった。
アウィルドや彼に同行したガイズからの手紙が途絶えた時は恐怖と彼らの無事を祈り続け、夜も眠ることができなかったことを今でも忘れることはない。
悪夢のような三年間であったが、フィーネはまだ幼かったために歯がゆさを覚えながらも何もすることができなかった。
だがその地獄のような日々すら、四年前の『星見の乱』と呼ばれる政変によって国王が代替わりした今となってはすっかり過去となり、今のウルガ王国には平穏が戻りつつある。
その日々の中でフィーネも順調に齢を重ねて今日、双子座から流星雨が降り注ぐ晩を言祝いだ『双子座の星祭り』が行われる素晴らしき日に十五歳の誕生日を迎えた。
ウルガ王国北西部の山奥にあるエレス領。その領都である『霧の古都』の西端の外れにある洞窟の奥には『霧の女神』を祀る神殿がある。
洞窟の中程に設けられた祭壇の前でフィーネは石の床に片膝をつき、頭を垂れていていた。洞窟内の空気は涼しくも湿り気があり、身に纏う白絹の長衣をしっとりと濡らす。
今宵、この神殿でフィーネは一族の掟に従い、成年の儀に臨んでいた。
古来よりエレス領主を代々務めてきたユリフェ家には十五歳の誕生日に特別な成年の儀を行うしきたりがある。
霧の女神の御前で王家に忠誠を誓う『風護の誓い』を立てるのだ。
フィーネの父も伯父も、祖父もそのまた曾祖父も、この儀式を経て大人になった。フィーネの身に流れる血は遠い昔に現在のウルガ王家に恩を受けたひとりの農夫から続いており、かつてこの地を治めていたウーザン王国の王家を祖とする現在のウルガ王家を守護するための誓いを立てたのが始まりで、密かに二千年以上も続いてきた伝統である。
だからこそ、この家に生まれついた者はいかなる場合でも国王に従う義務を負う。たとえ己の命や大切な者を喪うことになろうとも、たとえ国王が道を誤っていたとしても、諫めることなくただ命じられるままに主君の最期の瞬間まで付き従うこと。この国の終焉の日が来るまでこの掟は守られなければならず、いかなる例外も赦されず、掟に背いた者は血を分けた一族の者によって粛清される定めだ。
「ヴェル・フィーネ・ユリフェ」
フィーネは名を呼ばれて顔を上げた。
一段高い場所から厳かな声で呼んだ現エレス領主の伯父は口を引き結んでいた。長い顎髭のよく似合う愉快なおじさんという日頃のだらけた笑顔は今は失せ、建国以来の由緒正しき領主一族の長としての厳めしい面構えで彼はこちらを見下ろした。
彼の背後には荘厳たる祭壇が築かれ、灯籠が明々と輝き、さながら後光の有り様だ。
夜闇を照らす灯りは蝋燭や油を注いだ燭台を用いることが常だが、霧の女神は火の煤を嫌う。そのため、灯籠の中に納められているのは夜明真珠だ。
それらの真昼のような明々とした白い光で照らされた青銅鏡や銀製の調度品が放つ煌びやかな輝きが星のように散っている。
幻想的とも言える空間で、フィーネは伯父が霧の女神に捧げる祈りの言葉に耳を向けた。
「万物の父なる天の主神。偉大なる創世神より賜った我らが血脈よ。あまねく神々より賜りし幸いとともに綿々と紡がれし約定により結ばれし縁よ。其は正に双翼のごとし理なり。我らわだつみより生じ霧の加護を受けし一族の葦の根たる者はかつて、天の主神の末娘たる風の女神とともにこの世を蝕むことを企てた魔を祓い、封印し、この碧海の守護国の平和と民の幸福を希求するものであった。故に我ら一族は一人残らず風護の誓いを立て、風の女神の末裔たる我らが君王を守護し、己が命を捧げ奉ることを命とすることを約束した。今宵、この佳き日に霧の女神の御前にて、新たにこの風護の誓いを立てる者ここに一名あり。愛称を、ヴェル・フィーネ・ユリフェと申す。フィーネよ、己が身の内に流れる血に従い、生涯この風護の誓いを遵守することを誓うか?」
「はい」
静寂に声が通り、矢のように洞窟の奥までまっすぐ響いていった。
「ならば霧の女神に汝の魂の名たる諱を告げ、その証を受け取るが良い」
フィーネは深く呼吸した。緊張を和らげようと、フィーネは二、三度深呼吸を繰り返した。今から諱を唱えるのだ。諱とは魂に名付けられた真の名だ。普段用いるフィーネという愛称とは異なり、とても長い名ではあるが、神と何かを誓ったり願ったりする際に名乗るための本名だ。絶対に読み上げを失敗するわけにはいかない。
「――わたくし、フィルナアリア・ラーシャネリムレジナムーア・トゥルウェルフ・ナハタムヤーンは今宵、畏くも此の成年の儀に際し、『霧の女神』御神にこの誓いを奏上す。わたくしは、かの風の女神の末裔たる天孫を敬い、守護し、我が知識、我が心、我が生涯をかけて我が身、我が命をこの碧海の守護国の長である国王陛下に捧げ奉ることを固く誓います」
フィーネは伯父に促され、壇上に向けて左手を差し出した。彼はあらかじめフィーネのために祭壇に用意していた平たい形状の組み紐をフィーネの左手首に結わえ付けた。
赤緑黒白金の五色の糸で編まれた真新しい紐を手首の太さに合わせて結ぶと、端を切り落として金の金具で留めた。この組み紐の腕輪は風護の誓いを立てた証であり、一度でもこれを外せば元に戻すことは不可能である。いかなる場合であっても勝手に外すことは赦されず、万が一そのようなことをすれば、不心得ありと見做され、血を分けた一族の者が必ず粛清するという決まりとなっていた。
たかが一本の組み紐ではあるが、これを受けるということはいかなる犠牲を厭わず重責を背負ってこの先の人生を歩んでいくという覚悟を受け入れる証だった。
実際にユリフェ家では早世する者が多かった。半数以上が四十歳を迎える前に何らかの理由で命を落とした。その死因の大半はこの風護の誓いに由来するものであった。
元からなのか、はたまた険しい山々に囲まれた閉鎖的な地勢もあいまってか、ユリフェ家は団結力が異常に強い変わり者一族である。男児が産まれやすく、四、五代に一人生まれれば良い方と言われる女は他家には絶対に嫁がず、一族の者と結婚する。分家で生まれた子供は十歳まで本家で育てられ、様々な技術を会得するために里に修行に出される。そういう決まりであった。
――この家に生まれたことは生涯最高の名誉であり、人生最大の不幸でもある。
誰の言葉かは知らないが、ユリフェ家の者でこの言葉を知らぬ者はいなかった。
フィーネも同意見だ。恐らくではあるが自分もそう長く生きることは出来ないだろう。
だが、今のフィーネの銀の瞳には恐れも一点の曇りもなかった。
成年の儀――どれだけ長い間、この日を待ったことだろうか。今まではこのエレスの領内から出ることは許されなかったがこれからは違う。
いつか必ず来る終わりの日を考えている暇などない。ようやくこのエレス領から出て王立医術学校のある王都に行くことが出来るのだ。最終試験はまだ受けていないが、絶対に合格してみせる。そして四年間学んだ暁には医学者となり、高度な医術をこの辺境の地に持ち帰って領内で採れる特別な薬の材料を生かして、現代のウルガで治すことが不可能な病をひとつでも減らすのだ。
幼い頃からの目標を叶えるための一歩が今この瞬間、ここから始まるのだ。
――この家に生まれたことは生涯最高の名誉であり、人生最大の不幸でもある。
もう一度この言葉を思い出し、フィーネは決意を秘めた眼差しで水晶製の霧の女神の神像を見据えた。
この家に生まれたことを不幸と泣いていたフィーネはもういない。この手、この血、持てる力のすべてを最大限利用して必ずや多くの人々を救う医師になってみせる。
少なくとも、フィーネはそのように考えていた。
ひとまず過去編が終わりました。
次回から現在になります。




