形は違う。多分それも違う
まだ人間だった
スバルと別れた。
十年近く乗った車を手放しただけの話だ。
それでも僕の中では少し違った。
人は物を捨てる時、その物に染み込んだ時間まで一緒に捨てられるような気になる。もちろん、そんなことはない。
思い出は、いつも本体より軽い顔をして心のどこかに居座る。
新しい車が納車され、新しい職場にも慣れた。
半年。
知らない土地も、知らない人も、知らない設備も、僕は案外すぐに受け入れてしまう。
仕事のストレスがゼロということはない。でも、それは生きていれば呼吸をする程度のことで、以前のように夜中まで心を削ることはなくなった。
冷夏なのだろうか。
2026年の夏は少し涼しい。
1976年生まれの僕は五十歳になった。
でも精神年齢なんて十歳の頃から何も変わっていない気がする。きっと、多くの五十歳がそう思っている。
「天命を知る」という言葉がある。
でも五十年程度の人生で、そんな大層なものが見えるほど人間は単純ではない。八十歳まで生きられる気もしないし、もし生きたとしても、その頃の僕も今と大して変わらないのだろう。大人とは、年齢を重ねた子供たちが都合よく付けた呼び名なのかもしれない。
Afterコロナなんて言葉も聞かなくなった。
それでも街には、まだマスクをした人が多い。会社にも、ひとり気になる女性がいた。23歳か4歳。娘とほとんど変わらない年齢だ。
直属でもなく、職位も離れている。話す機会はほとんどない。彼女は決して評価の高い社員ではなかった。
むしろ逆だった。
「あの子を守りたい気持ちはある。でも、もう庇えない。」
「味方でいたいと思えなくなった。」
僕と同年代のベテランたちは、口を揃えてそう言った。不思議だった。僕が何度か話した彼女は、その印象とはまるで違っていたからだ。受け答えは論理的で、文章は驚くほど丁寧だった。話の筋も通っている。少なくとも、数か月一緒に働いた限りでは、僕は彼らより彼女の方がずっと聡明だと思った。
ある日、会社で発表会が開かれた。
正直、僕はああいうものが好きではない。誰のためなのかよくわからない発表を、皆で拍手して終わる。
そんな時間にしか思えなかった。彼女が前に立った。
手が震えていた。それは誰でも見ていた。
でも、発表が終わって席へ戻った時、小さく涙を拭ったことに気付いた人は少なかったと思う。彼女は俯いたまま、誰よりも真剣に他人の発表を書き続けていた。机の上のメモには、余白がほとんど残っていなかった。僕だけが、その二つを見ていた。
悔しかったのだろうか。
自分への怒りだったのだろうか。
認められたかったのだろうか。
理由はわからない。でも、諦めた人間は、あんな文字を書かない。その姿が、なぜだか心に残った。
23歳。
娘は22歳だ。
そんなことを考えながら、自分自身に問いかける。声を掛けたい。でも、それは違う。もし僕が声を掛けたら。僕はどこかで、「きっとうまくいく」と思ってしまう。その傲慢さを、僕は知っている。理解されない人を見ると、自分だけは理解できると思ってしまう。
そんな悪い癖は、真里と出会う前から変わっていない。
いや。
真里と別れた今でも、何ひとつ変わっていなかった。
幸せにする権利なんて、僕にはない。
50歳だ。
あの情熱で終わったはずだった。目の前にいる彼女は、真里ではない。娘に近い年齢の、一人の部下だ。
形は、まるで違う。
それなのに。。。理解したいと思ってしまう。人間という生き物は、本当に懲りない。
車を替えても。
街を替えても。
仕事を替えても。
五十歳になっても。
僕はまだ、人間というカテゴリーから抜け出せないでいる。
懲りない。。。
それだけは、昔から何ひとつ変わっていなかった。




