14.まったく冷静ではありませんでした。
お客さん凝ってますねえ。
心境といったら、そんな感じだろうか。
黒い石は、触れた瞬間は驚いたように拍動したが、あとは微動だにしないただの巨石に戻った。
黒い靄は、いつも呪いに触れるときと同じような抵抗感で、消えまいとする意思のようなものを感じさせた。
けれどゆっくり、少しずつ凝った体を揉み解すように、優しく撫で摩り、黒い靄を消していく。
(あれ、意外にも出来てしまう……)
ヒロインのチート力、というところだろうか。
触れるところから、靄が晴れる。
こんがらがった髪を梳いていくように、撫でた箇所からどんどんと指通りがよくなる。
あまりに順調にいくので、調子に乗り、どうか正常に戻りますように、そんな願いを込めてせっせと靄を晴らしていった。
これが正統な呪いの解き方なのかわからないが、これまでずっとこれできているので、地味だし時間がかかるけれど、丁寧に丁寧に、撫でさすり靄を晴らすことを繰り返した。
石は大きく、わたしの子ども身長の二倍以上はあるので、手が届かないところもあるが、手の届く範囲はひたすら撫でた。そのうち黒い靄自体がわたしの手の届く範囲に自ら身を寄せるかのように集まってきて、そうして消えていった。
(地は琥珀みたいな色だな)
靄が消えていき、黒かった石の表面がどんどん明るくなっていった。
前世で図鑑で見た宝石のような、艶やかな石に様変わりしていく。
(石自体がもともと禍々しいものなわけじゃなくて、これも一種の呪いか何かなのかなあ)
思い浮かぶのは、前世の呪われた王家の宝石とかそういう類いの話だ。
長年降り積もった念のような、そういうものを払っている感覚だ。
あまりに対象が大きくて時間がかかるので、途中から緊張感も忘れて鼻歌まじりだった。誰にも聞かれていないことをいいことに、自由に音楽をかけはじめたりした深夜残業を思い出す。
とにかく物量をこなさなければならない時のノリだ。
「ふうー、こんなものかな」
そうやって作業を続け、よくやく靄を払い切った。
果たしてそこには、巨大な琥珀の塊が、中から先ほどより強い光を放って立っていた。
改めてそれを見上げてみると、なんとなくはじめてしまった作業だがやり切った感がある。
……だけど、それで?
これからどうなるのだろうかと思い至った。
このどこだかわからない空間に放り投げられ、せっせと石を磨いたが、これで元居た場所へ、そして結界の外に出られるのだろうか。
まったく考えなしだったので、この後どうしたらいいのかちょっと狼狽えてしまう。
「君が力を貸してくれたりしないの……?」
長時間撫でさすっていたので、無機物とわかっていて語りかけてしまうくらい愛着が湧いている。
もちろん応えなど期待していなかった。
『ちから、かす、なにしたら、いい?』
「そうだね、ここから出られたら、うれし、い……???」
わたしはいったい誰と話しているのか。
突然降ってきたような声に、言葉を止めて辺りを見回す。
『ここ、でる、うれしい?』
お、っと……本当に、声が聞こえる。
周りには誰もいない。
あるのは輝きを増す巨大な琥珀のような石。
「ええと、……君は、誰?」
とりあえず、とりあえずこの石が話していると仮定しよう。
わたしがおかしくなったわけではないはず。
落ち着けわたし。大丈夫。ここは女神のいる世界。石だって喋る。
『……?』
目の前にあるのは石の艶やかな表面だけ、いまだに自分のものとして違和感のある顔がぼんやりと映りこんでいる。
長いゆるふわ金髪の少女のシルエットが語りかけている相手は石だが、なぜかその感情が手にとるように伝わってきた。
「君が誰かっていうのは、わからない?」
『うん、わからない』
今の質問には、答えを持っていないようだ。
声は幼い子供のようで、話す言葉もどこか拙い。
けれど懸命に、わたしの言葉に応えようとしてくれている。
「ここがどこかは、わかる?」
『ここ、下』
「どこの下?」
『天の、下』
範囲が広い。
「神殿はわかる?」
『?』
「君はここで、なにをしているの?」
『?』
うーん。これは、ほとんど何もわからないのと一緒だな。
「ここから出ることはできるの?」
細かいことは置いておいて、最初の目的に戻ることにした。
『できる。あなた、呪縛、といた』
呪縛。石を取り巻いていた靄のことだろうか。
『とっても、やさしい、手。
あなた、つれて、でる』
とても嬉しそうな声がして、石が震えはじめた。
それと一緒に、空洞も震えている。
「え、待って。君も出るの?」
『でる。あなたといっしょ』
「待って待って、その、さすがに石は連れて歩けないっていうか、大きすぎて困るというか?」
もう完全に石と話していると思ってそう言うと、しゅんとした感じがして、振動が弱まる。
『おおきい、だめ?なにがいい?』
なんだろう。小さな子犬に訴えかけられているような気分になってきた。
『いぬ?それならいい?』
わたしの考えていることも伝わっているのか、声が先んじて提案してきたことに驚く。
「ええと、まって、本当にいろいろ待って、理解が追いつかない!」
『うん、わかった、まつ』
話しているうちにだんだん混乱を極めてしまった。
相手は「待て」という言葉に従って、おとなしくしている。本当に犬のようだ。でもわたしは猫派だ。前世ではアレルギーで飼えなかった。あの世界一優美で愛らしいフォルムを考えはじめて、すぐに現実逃避をしていると自覚する。
だけど考えることといったら、この石がなんなのかとか、そもそもここはどこなのかとか、そういう考えたってわからないことばかりだし、この石は答えを持っていなさそうだし。
(考えるの、やめよう)
考えたり悩んだりしても仕方のないことは、思考を止めるに限る。
前世はそれでうまくやってきた。
「よし、わかった。わたしはここを出たいし、君がここから連れ出してくれるならそれでいいし、なんなら結界も出られるかもしれないから一旦外に出よう。で、出るにしてもサイズ感が無理なので、こう、小さいものになれるならそれで」
『ちいさい、これなら、いい?』
パン!と破裂音が響いた。
目の前で風船が割れたような衝撃。
思わず目を閉じて開くと、キラキラと辺りが煌めいていた。
「!?」
その隙間からよく見ると、目の前にあったはずの巨大な石がなくなって、空洞が広がっていた。
キラキラ、キラキラと紙吹雪のように舞い落ちているのはまさか欠片?
あんな大きな、水晶でなければ琥珀でできた御神体だと言ってもよさそうだったのに、なくなってもいいものだったの?
動揺を隠せないで立ち尽くしている足元に、スリ、とすり寄ってくるものがあった。
『これ、すき?』
フカフカの毛を擦りつけてこちらをつぶらな瞳で見上げるのは、茶トラの小さな子猫だった。




