2-1.交差/Communicate
翌日の昼前頃、黒鉄の屋敷にドタドタと騒がしい足音が響いた。
バタンと襖を開けて、斬雄の居室に慌てた様子でやってきたのは、ゴドーだった。
「た、大変です、若!」
「ゴドーか、どうした?」
事前に声をかけることなく襖を開けるのは礼を失しているが、斬雄はそれについては触れなかった。それは彼がそのような些事を気にする性格ではなかったこともあるが、ゴドーの慌てた様子がのっぴならない事情を感じさせたからだ。
「ど、どうしたも、こうしたもありやせん! ホワイトベルが! ホワイトベルが乗り込んできました!」
「ホワイトベル? ああ、昨日言っておいただろう。適当にもてなしておいてくれ。俺もすぐに向かう」
しかし、その言葉にゴドーは歯切れの悪い様子を見せる。
「い、いえ、その、本国の兄さん方がすでにですね……」
斬雄は何が起きたかを察して天井を仰いだ。
「わかった、すぐに行く」
足早に玄関口まで向かう。玄関から門までは少し距離があるが、遮るものはないため、一目で門前での様子がわかった。
そこには剣呑な雰囲気の黒鉄会の構成員と、彼らに囲まれてるクローディアの姿があった。
「おぅおぅおぅ、ホワイトベルのクソ女! テメェ、ここが黒鉄の屋敷と知ってきたのか、ああんっ!?」
「一人でカチコミたぁ、良い度胸だ!」
厳めしい顔で恫喝する構成員たちに対して、クローディアは歯牙にもかけない様子で瞼を閉じ、泰然とそこに立っている。
そんな様子がむしろ気に障るとばかりに、構成員たちは苛立ちを募らせているようだった。すでに刃傷沙汰になっていないことが不思議な程のピリピリとした空気。
斬雄が浅く息を吐き、石畳で舗装された道を歩く。
「おい」
彼が一声そう呼ぶと、バッと構成員たちが彼の方を向き、頭を下げる。
「お疲れ様です! 若!」
斬雄はそんな男たちを尻目に、クローディアの前に立つ。
彼女はゆっくりと瞼を開いた。翡翠の瞳が静かに斬雄を射抜く。
「よぉ、良くきたな。まあ、上がっていけ」
◇
廊下を連れ立って歩く二人の姿を見て、すれ違った構成員がギョッとした顔をする。しかし、隣にいる斬雄が平然としているからか、何を言うでもなく頭を下げて道を開けた。
「来ると伝えておいたはずですが」
「俺もあいつらに伝えたはず、なんだがな……」
クローディアを囲んでいた構成員は皆、本国から派遣されてきた者たちばかりだった。彼らは現地で斬雄が集めた構成員と違い、連合への敵愾心が非常に強い。
それも相まって、ホワイトベルの若頭が来るなど、何かの冗談だと思っていたのかもしれない。或いは、客人とわかっていてなおそうしたのか。
魔導革命以降、帝国はその強大な軍事力を以て勢力圏を広げていたが、その過程で連合とは幾度もぶつかってきた。戦場での怨嗟が、彼らの中には澱のように積み重なっている。頭の痛い話だった。
「しかし、一人で来るとはな。大した度胸だ」
「何があっても、一人ならどうとでもできますから」
そう涼しげにクローディアは言う。敵地と言ってよい場所に居てなお、彼女は自然体のままだ。
侮られたと取ることもできる言葉だが、それを横目で見る斬雄の表情は何とも愉快げだった。
「それで、あの娘の容体はどうですか?」
「ああ、今朝方、目を覚ましたよ。大した外傷はないんだが、ちと問題があってな」
「問題?」
話している内に目的の部屋に辿り着く。立ち止まり、斬雄が襖を開けた。
「あ、斬くん! と、ホワイトベルのお姫様じゃん!」
部屋の中には鳴子と朱奈の姿があった。手には花札が握られている。そして、彼女たちと一緒に花札を囲っているのは、昨夜、斬雄が助けた少女だった。
伸びっぱなしだった黒い髪は、肩口で綺麗に切り揃えられている。
薄汚れていた肌はすっかり綺麗になり、健康的な小麦色の肌は艶めいていた。
簡素だが仕立ての良い白いワンピースに身を包み、ピンと背筋を伸ばして座っている。
身綺麗に整えられたことで、その所作の美しさが引き立っており、事情を知らなければ良家の令嬢か、貴族の姫君にしか見えない佇まいだった。
たっぷりとした睫毛の下に覗く、琥珀の瞳がじっとクローディアを見ている。
クローディアはその優美な姿に息を呑む。そして、少女の前に膝をついて、できるだけ目線を合わせるように座った。
「こんにちは、私はクローディアと言います。あなたのお名前を教えてもらえますか?」
「……アイシャ」
アイシャは物怖じしつつも答えた。その表情筋はお世辞にも豊かとは言えない。
「体の具合に異常はありませんか?」
こくりと頷く。
「それでは早速で申し訳ないのですが、いくつか質問をしても良いですか?」
その問いにアイシャは言い淀むような様子を見せた。
クローディアの表情に浮かんだ疑問符に、斬雄は頭を掻きながら口を開く。その先を聞いた彼女は目を見開いた。
「──記憶がない?」
「ああ、覚えているのはファーストネームぐらいのもんでな。日常生活には問題ないようだが、昨日の出来事はおろか、それ以前どこで何をしていたのかすらわからないみたいだ」
「彼の言うことは事実ですか?」
再びアイシャは頷く。真っ直ぐその瞳を見る。じっと見つめられ、少女がこてんと首を傾げた。
嘘を言わされているようには見えない。クローディアはひとまずそう判断した。
「それは困りましたね」
「……ごめんなさい」
俯いたアイシャに、クローディアは安心させるように柔らかく微笑んで頭を撫でる。
「あなたが謝る必要はありませんよ」
優しい手つきに、アイシャから先ほどまでわずかに見せていた体の硬直が抜けていく。
「では、黒鉄の若頭。昨日のことを詳しく聞かせていただけますか」
「ああ──」
斬雄は昨日の大まかな流れを説明する。誘拐現場に遭遇する前のことは適当に誤魔化したが、クローディアはそこについては深く追求しなかった。どうせ答えまいと思っているのかもしれない。そして、それはその通りだった。
一連の内容を聞いたクローディアは迷いを含んだ、微妙な表情をしていた。
「それで、昨日の二人組はどうなった?」
「牢に繋いでいます。軽い尋問を行いましたが、彼らは黒鉄会に連れ去られようとしている子どもを助けようとしたところ、襲われた。そう主張しています」
斬雄の主張とは真逆である。そう言うしかないと言えばそうなのだろうが、大した面の皮の厚さだった。
「それでホワイトベル、お前はどう見ているんだ?」
「あなたか彼ら、どちらかが嘘をついているの間違いないでしょう」
両者の言が矛盾しているならば、同じ西側の民の言を信じる。そういう思考になってもおかしくないにも関わらず、クローディアはそうは言わなかった。
「それを確かめるためにここに来たのですが、収穫はあまりないようですね」
アイシャが全て覚えていれば話は簡単だったが、記憶喪失となればどうしようもない。無理に思い出させようとしたところで、却って状況が悪化する可能性もある。そして、斬雄もクローディアもそうさせようとは、微塵も思っていなかった。
クローディアはそのまま思考の中に沈むように黙り込む。それは答えに迷っているというよりも、すでに決まった答えをどう扱うか吟味している、そんな雰囲気だった。
斬雄はそんな彼女の様子を見て、ふと昨日のサラとの会話を思い出す。
「そういえば例の孤児院の集団失踪とは関係ないのか?」
「……あの件は箝口令が敷かれているはずですが、なぜあなたがそれを知っているのですか?」
「答えると思うか?」
クローディアがきつく斬雄を睨みつけるが、彼はその視線を軽く受け流す。無意味な問答と悟ったか、彼女は首を振って口を開いた。
「……まあいいでしょう。彼女は失踪した孤児ではありません」
「なぜわかる?」
「あの孤児院には何度か訪れたことがありますから。私の記憶の中に彼女の姿はありません」
黒鉄の女中たちにもみくちゃにされ、身なりはすっかり整えられてしまったが、アイシャはその所作に秀でるものがあり、印象に残りやすい。見たことがあれば、必ず覚えているだろう。というのは非常に納得できるものだった。
「とすると、現状の手掛かりはさっぱりないってわけだ」
「現場検証はさせていますが、逃げてきた方向もわからないのではどうしようもありませんね。夜の深い時間帯でしたから、目的証言も期待できないでしょう」
パンと斬雄が手を叩く。
「考えてもしょうがないことを悩んでも仕方ねぇ。とりあえずそうだな、飯にでもするか」
「はい?」
その唐突な発言にクローディアは首を傾げた。




