1-5
地下から上階に上がり、斬雄とクローディアはホワイトベルの邸宅を連れ立って歩く。
「後は警備をどうするかだな」
「簒奪者の情報源がわからない以上、今回も宝の在り処は知られている、という前提で動くべきだと思います」
「……当の所有者すら知らなかった宝の正体、さらにはその所在を把握していた情報源か。雅鸞の詳細な外観や機能は機密の類ではないが、史書の原文の記述やその専門書に当たる必要は出てくる。国外の人間がそうそう知っているとは思い難いな」
「情報源に旭花帝国の関係者が?」
クローディアは自身でその推測を否定するように首を横に振った。
「いえ、簒奪者はアウレロア公城の内情すら把握していました。こちらは間違いなく国家機密です。単に帝国の関係者とするには辻褄が合いません」
「大陸の東から西まで横断して、機密まで知ることができる情報網か。あまりにも荒唐無稽な存在だな」
「あるいは、それ自体が彼が所有する聖遺物の力でしょうか」
聖遺物、現代の技術では再現できない古代の魔導具。
その効果は、有用性から国宝として扱われているものや、再現できないだけで特に何の役に立つわけでもないコレクター需要しかないものや、そもそも正体すらわかっていないものなど多岐にわたる。
「聖遺物はその有用性には幅がありますが、その共通点は通常の魔術、科学ではその効果を再現できないことです。中にはそういったものがあってもおかしくはないとは思いますが……」
「何しろ理屈がわからないからな。現在の魔導理論の体系上は存在自体があり得ないものだ。それがあり得ないことを引き起こしていると言うのであれば、明確に否定する理由にはならない」
とはいえ、それで結論づけては思考停止にしかならない。
斬雄はこの話を煮詰めても意味はないと判断した。
「警備の話に戻るが、雅鸞の所在の情報源が聖遺物でないと仮定するなら、いっそこの邸宅から移送するってのも一つの手だな」
「その仮定が正しいとしても、移送中のリスクが高すぎます。相手方がこちらの動きを監視していれば、最も警備が薄い瞬間をみすみす与えているようなものです」
「まあ極秘裏に進めると言っても限度はあるからな」
「実際、宝を別の場所に移した被害者もいたようですが、その際も簒奪者は移送先に現れ、盗み遂せたそうです」
予告状を出して盗むと宣言した以上、盗まれる側が宝を別の場所に移したいと考えるのは自然な思考だ。簒奪者がそこを警戒していないはずもない。
「……ダミーを製作して盗ませるという手はどうでしょうか」
「さすがに準備期間が短すぎる。雅鸞の形状は特殊だ。張りぼてをつくるだけなら間に合わせることはできるだろうが、それで騙すのはさすがに無理があるだろう」
「やはり正面から警備を固める以外に対策がありませんね」
「残念ながらな。……こうなると適当なタイミングで盗ませた方が楽な気がしてきたな」
斬雄の軽口にクローディアは溜息を吐く。
「大叔父様が仰った沽券には、面子の問題もそうですが、犯罪者に不知斎の傑作人形を渡すわけにはいかないという意味合いも含まれます」
「人形師の技術は門外不出の専門技能だ。本来は異邦人に使いこなせるものじゃない、と言いたいところだが、例外を見たばっかりだしな」
斬雄は虚空の柩のハリカ・ナジャールの顔を思い出していた。
「……」
ふと斬雄が考え込むように無言になる。
「何か気がかりでも?」
「……いや、情報源の話だ」
「情報源? 簒奪者のですか?」
「ああ、大陸の東から西まで横断する組織に一つ心当たりがあると思ってな」
クローディアはすぐに思い当たらず首を傾げた。
「いただろう? 帝国と連合、その戦端を開く準備を整えるための工作員を抱えている組織がな」
「簒奪者と虚空の柩に関わりがあると?」
確かに東西を跨ぐという点では一致しているが、それだけで引き合いに出すには突飛な内容だった。
「……単なる思いつきだ。忘れてくれていい」
斬雄自身もそう思ったのか、すぐに意見を引っ込めた。
「……情報源については考えても詮無いことでしょう。簒奪者を捉えてから、本人に聞けばいい──」
そうやって二人が会話を交わしながら、玄関ホールに辿り着くと、ちょうど玄関から入ってきた男の姿が見えた。
たっぷりと髭を蓄えた、白髪頭の浅黒い肌をした男だ。ベルベット生地の豪奢な刺繍の入った袖の長いガウンを着ている。大きな宝石のついた指輪をしており、如何にも羽振りがよさそうな風体だ。
男もクローディアの方に気づき、二人は自然と会話を打ち切った。
「おや、クローディア様ではないですか」
「ゼンギン議員、お久しぶりですね」
カルタル・ゼンギン。カシーヤ評議会の議員だ。
彼は手を揉みながらクローディアに笑みを浮かべる。
「ええ、ええ、ご無沙汰しておりました。クローディア様は相変わらずお綺麗ですな、ガハハ」
「お上手ですね」
クローディアも柔らかな笑みを返す。
ゆったりとした発声と所作。深窓の令嬢もかくやの気品ある立ち振る舞い。
彼女をよく知る者から見ると、清々しいぐらいの猫かぶりだった。
普段は澄ました表情をしていることが多い彼女の笑みにカルタルはすっかり鼻の下が伸びている。
「夕方ごろに来られると伺っておりましたが……」
「いえね、急にこの時間が空いたものですから、もしアリスター様がいらっしゃればと思いまして」
カルタルはその後ろに控えている斬雄に気づいていただろうが、特に気にする様子もなく、クローディアの様子ばかりを気にしていた。
「先んずれば人を制すとも言うでしょう。何しろ今は、例の──」
「ゼンギン議員」
クローディアがカルタルの言葉を遮る。
「大叔父様は書斎におります。私が呼んで参りますので、客間でお待ちいただいても?」
「え、ええ」
そのやり取りを見て、斬雄が入れ替わるように玄関側へ立って、クローディアの方へ向き直った。
「それではお嬢様、私はこれで」
「ええ、ジョン。また」
斬雄は邸宅の門を抜けて、少し歩いてから振り向いた。
「カルタル・ゼンギン、か」
評議会の議席は、全部で三十六席ある。
選出の内訳は、有資格者による投票で選ばれた市民議席が十六席。商工会議席が八席。運輸・商業・医療・建設・職能組合の各組合が一議席ずつ、料亭組合と旅館組合の合同で一議席の計六席。都市内の司法機関を統括管理する法務委員会と、憲兵隊を含めた治安維持組織を統括管理する保安委員会で一議席ずつの計二席。クライシュ帝国政府より任命される四議席だ。
カルタルはその内、市民議席から選ばれた議員だった。
議員に任命される資格には出生地がクライシュ帝国内に限られるという要件があり、外国人と出生が定かではない人間はなることができない。
つまり、黒鉄会とホワイトベル・ファミリーは直接自国の人間を議員にすることはできないわけだが、では彼らが中立かと言えばそんなことはない。
収賄のような非合法の手段を使わずとも、現在のカシーヤでうまく事を運ぶには、いずれかの顔を立てる必要が出てくる。その結果として、この議会にも両組織の影響力は強く存在した。
オルランド・スパードの死後、最も問題となったのは商工会議席だった。
かつてこの八議席は事実上オルランドに掌握されており、議会の過半数の成立において強い影響力を有していた。彼単独で事を進めることはできるほどの力ではないが、黒鉄とホワイトベルの対立軸がある限り、オルランドの存在を無視することは決してできない。都市の均衡にとって最も重要な鍵の一つだった。
その均衡は彼の死によって崩れ去る。
商工会議席の動きにも両組織の意向が強く反映されるようになり、再編された勢力図は、かつてのものとは程遠い不安定な状態になってしまった。
そんな議会で現在、議題になっているのは、カシーヤからニンアンナ間の鉄道運賃の適正化だった。
現在の貨物料は法外とまでは言えないが、旭花帝国の傘下以外の企業にとって重い負担になっていることも事実であり、この運賃の引き下げは連合派のみならず、中立派の議員の中からも賛同の声が上がっていた。
カルタルは市民議員の中では未だ中立派に位置している男だ。
ただ、それはどちらにも与しないという意味ではない。
甘い汁が吸えるところにはどちらにでも寄る蝙蝠というのが、彼への周囲からの評だ。
それ故、これまで黒鉄会とホワイトベル・ファミリー、どちらにも明確な接近を見せたことはなかった。
そんなカルタルがこの邸宅を訪れた意味に気づかないほど斬雄は鈍くない。
そして、クローディアもまた斬雄が気づいたことに気づいているだろう。
二人の道は交差しているように見えても、決して重なってはいない。
「……さて、伯父上はこの情報をもとにどう動くかな」
現状、議会は特別措置法による運賃改定権を自治政府が握るという案をチラつかせて、自主的に適正な貨物料を要求する程度の状況だが、アリスター=ホワイトベルが本腰を入れた以上、盤面が動く可能性がある。
斬雄が空を見上げる。
遠く暗雲が都市を覆わんとしていた。
◇
斬雄がホワイトベルの邸宅を訪れていた頃。
カシーヤの東部にアイシャはいた。
落ち着いた薄い水色のスカートに、白いシャツの上からスカートと同色の羽織を纏っている。足元は白のパンプスになっており、全体的に清涼なイメージだ。明るめの彩色が、彼女の黒髪と小麦色の肌とコントラストを為しており、その可愛らしさを際立たせている。
すぐ傍にはゴドーが控えている。粗野な見た目だが、元来の掘りの深い顔立ちもあって、姫君に侍る下男といった雰囲気だ。
二人は都市北部にある商工会の臨時出張所からの帰りだった。
アイシャはゴドーの仕事の付き添いだ。
斬雄、朱奈、鳴子が多忙の際は、彼女の面倒はゴドーが見ることが多い。
それもあって、アイシャはゴドーの仕事に付き合ってあちこち出歩くことがあった。
「なんかこの辺、暗いね」
アイシャが周囲の街並みを見渡してそう言った。
赤茶色の瓦屋根の木造建築が立ち並んでいる。ところどころに無人となって寂れたまま放置された家屋の姿が見え、どこか翳りのある寂れた印象がある。人通りがそう多くないことも、そんな印象を強くした。
「この辺は旧市街地ですからね。南部とはやっぱり違いやすね」
カシーヤは自治都市化以降、アヴェスタ連山から放射状に広がるように開発が進んでいった。そのため南部の多くの地域は、開発を主導する黒鉄会とホワイトベル・ファミリーと流入した移民の影響を強く受け、旭花帝国と西方諸国連合のミニチュアのような状態になっている。
しかし、北部から南部との境界線までは、自治都市化以前の姿を保っている。
あるいは放置されているという方が正確かもしれない。
「資本の差ってこと?」
「え、ええ」
「資本主義は世知辛いね」
黒鉄会に保護された当初、アイシャは初歩の算数すら覚束ない有様だったが、たった三か月で彼女の知識を含めた知的水準は急速に成長していた。元々の能力の高さ故だろう。無論、まだまだ知識に偏りはあるが、その成長スピードはスポンジが水を吸うが如く。
その知識の偏りに、教えた人間の癖が感じられるのはご愛敬といったところだ。
「私はこういう景色も嫌いじゃない」
「そっすね。俺も元はここの生まれなので、昔ながらの風景には落ち着くものを感じやす」
「それはそれとして古くなった家を放置するのはよくないよね」
「若もこの辺りの街並みを維持したまま、補修をする案を考えているみたいですね」
「じゃあちょっと視察、しておく? ゴドーはこの後は大丈夫?」
「ええ、急ぎの要件は済みやしたので」
二人は視察を名目に旧市街地をぶらりと歩く。
特に面白みのある光景はないが、散歩がてらのいい気分転換になっているようで、アイシャは興味深げに色々な物を見つけてはゴドーに質問している。
その途中、人通りの少ない路地の向こうから一人の少女がやってくるのが見えた。
白と黒のゴシックドレス。金色の髪と金色の瞳。
ゴドーの印象は、人形めいた端正な顔立ちと変わった服装だなというもので、それ以外は何の変哲もない少女。そう判断して、隣のアイシャが足を止めたことに気づく。
目を大きく見開いて、彼女は何かを視ていた。
その横顔には驚愕の表情が貼りついている。
いや、それだけはない。
彼女の目が瞬く。表情がわずかにこわばっている。
「あなた、何?」
恐れの感情と共に、アイシャは対面からやってくる少女に問うた。
少女は立ち止まり、ニヤリと唇を弧の形に広げて笑った。
「そう、視えているのね」
アイシャが受けた、ヘテルツォラシュの適合者となるための人体実験。
その副作用として、彼女の瞳は人の体から立ち昇る色が見えていた。
それは怒りの赤。悲しみの青。喜びの黄。即ち人間の感情を色として認知する能力。
あるいは個々人の精神の在り様を色として認知する能力。
悪魔を繰る始原武装の適合者たる証。
そんな彼女の瞳には、目の前の少女の色もまた同様に見えている。
黒。黒。黒。黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒。
表に出てくる感情も、奥底にある心の色も、何もかもがドス黒く濁っている。
黒鉄の屋敷に来てから色々な人間に接してきた。
見た目は優しい人だけど腹に一物を抱えた人。逆に見た目は怖いけど心は優しい人。
刃のように鋭い色。炎のように鮮烈な色。雪のように儚い色。湖のように澄んだ色。
感情と心の在り様、それらが入り交じった色を彼女は見てきた。
だが、ここまで全てが一つの色に塗りつぶされた人間をアイシャは見たことがない。
憎悪よりも深い漆黒の汚泥。
それはまるで──、
「悪魔? ううん、違う。悪魔よりもっと希薄で、悪霊よりも濃い気配。あなた、一体……」
ゴドーには何も視えていない。しかし、彼女の言葉と表情から異常を察知して、アイシャの前に出る。
少女は構わずにアイシャに笑いかける。
「私は、そうね。アリスとでも呼んでちょうだい。アイシャちゃん」
三賢人アリストテレスはそう名乗り、楽しそうに笑う。
そういう表情をしている。
なのに、アイシャが視る彼女の色は真っ黒なままだ。
「ねぇ、アイシャちゃん。私と友達になりましょう?」
アリスがそう言った瞬間だった。
「ゴドー、逃げるよ」
「へ?」
アイシャは即座に抜けた声を出しているゴドーの手を掴み、後方に向かって大きく飛び上がった。
「ちょ、ちょちょちょおおおおおおおおおおおおおお」
突然の浮遊感にゴドーが叫ぶ。
そして、アイシャは屋根の上に飛び乗り、そのままゴドーを引きずりながら全速力で走り出す。都市南東部、即ち黒鉄の屋敷に向かって。
斬雄がアイシャを鍛えるにあたって、最も徹底的に叩き込んだのは、身を守る剣技ではない。
──いいか、アイシャ。怪しい奴に出くわしたら一目散に逃げろ。
──今のお前には、それが最も効果的で、最強の戦術だ。
逃走のための走力。そのための心意による肉体強化。今の彼女は子どもの身なれど、並みの大人よりも優に速く疾走できるだけの能力があった。
「ど、どわぁぁぁぁぁぁぁ」
凄まじい速度で屋根の上を走り、その間を飛び回る少女と、それに振り回され必死にしがみつくオッサンの姿を目撃した人々が何事かと口を半開きにして見送る。
後ろは振り返らない。気配だけは鋭敏に。一直線に目的地へ向かう。
その途中で、アイシャは動きを止めた。
追いかけられている様子はなかった。
「ひどいわ、いきなり逃げるなんて」
なのに、当たり前のようにアリスは目の前に立って、アイシャを待っていた。
「友達になってくれないなら、意地悪しちゃうかも」
アリスがそう言った瞬間、フード付きのローブを着た集団が姿を現す。
そのフードには渦巻く風の紋章が描かれている。
気づけばアイシャたちは完全に囲まれていた。
「こ、こいつは……」
ゴドーがそれを見て、少しへっぴり腰になりながら刀を抜いた。
彼は決して弱くはない。裏路地の喧嘩程度ならば十分に強い部類だ。
しかし、専門的な戦闘訓練を受けた集団と比べれば、一段も二段も劣る。
手詰まりになった二人に、アリスはゆっくりと近づく。
怖気の走る彼女の黒い思念と、袋小路の現状にアイシャは硬直する。
「ふふ」
瞬きの間に、アリスはアイシャの眼前に移動し、冷たい指先がそっと頬に触れた。
動けない。何より動きようがない。蛇に睨まれた蛙は食われる以外にない。
そのときだった。
二人の足下にある影が形を変えて浮き上がり、黒い槍のようになってアリスに向かって伸びる。
アリスはすぐさま後方へくるくると飛び上がって槍を躱し、重力を無視するように、ふわりと屋根に降り立った。
「どなた?」
いつの間にかアイシャの側に立っていたのは、青白い顔の痩躯の男だった。
赤の単と袴、黒の上着を羽織っている。狩衣をすっきりとさせたような服装だ。
「みっちゃん!」
「漆原の兄さん!」
アイシャとゴドーがその姿を認めて、同時に叫ぶ。
漆原景充。黒鉄会に所属する陰陽師を束ねる男であり、斬雄の側近だ。
「黒鉄斬雄の配下の一人ってところかしら?」
アリスはくすくすと笑う。
「影を操る魔術なんて初めて見たわ。ディシオーネの権能よね? 黄土? それとも朱火? まさか太極じゃないわよね?」
「……」
その笑みはすぐに酷薄なものへと変わる。冷たく暗い害意。
「……あなたが本当の護衛役ってわけね。でもたった一人だなんて、不用心ね?」
その言葉に合わせて、ローブ姿の集団が銃を構える。
「不用心?」
景充がゆっくりと首を傾げる。
「……この程度の雑兵を相手に用心の必要が?」
ローブ姿の集団から苛立ちの色が立ち昇る。
彼らが一斉に引き金を引こうとした瞬間、音もなく彼らの影が伸びて、彼らの体を締め上げる。
あっという間にローブ姿の集団は制圧された。
「ふふふ、やられちゃったわね」
それを見ても、アリスは笑みを崩さない。
「仕方ないから、今日はこれでお暇するわ。次はしっかり殺してあげる、陰陽師のお兄さん」
彼女はそう言って屋根の縁に立つ。
「じゃあね、アイシャ。また会いましょう」
そして、そのまま屋根から飛び降りた。
景充が追いかけるが、彼が下を覗いたときには、すでにアリストテレスの姿は影も形もなかった。




