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アリスター=ホワイトベルの書斎はホワイトベルの邸宅一階の奥まった場所にある。
シェードの隙間を通して日光が室内を優しく照らす。クラシックスタイルの内装は、派手派手しい華美さはないが、部屋の主の確かな品格を表している。
部屋の主、アリスターはマホガニー製のデスクに向かって腰かけていた。
白髪を後ろに撫でつけ、生来の掘りの深さと、年輪を刻む皺で厳めしさが増した、鋭い眼差しで手元の書類に目を通している。すでにかなりの高齢のはずだが、彼をよく知る者たちは、むしろその覇気は往年よりも増していると言うほど、老いてなお壮健な姿だった。
コンコンとノックの音が響く。
「入れ」
アリスターは書面から目を離さずに言う。
「失礼いたします」
そう言って部屋に入ってきたのは、クローディア・ホワイトベルだった。
「おお、クローディア。珍しいな」
彼女の姿を認めてアリスターはその固くなった相好を崩す。
そして、すぐに眉を顰めて、不審げにクローディアの後ろに立つ人物を見る。
「そちらは何者だ?」
アリスターが不審がるのも無理はない。
彼女の後ろからやってきたのは、仮面をつけた奇妙な男だった。黒い髪に、ホワイトベル・ファミリーの構成員が着るような白のスーツを着用している。
構成員は全て把握している。しかし、このような人物をアリスターは知らなかった。
「彼が例の簒奪者の件の協力者です」
「ほう、腕の立つ目利きというのは君のことか」
よもやこのような怪しげな男とは思っていなかった、と口にしなくとも、その表情が物語っている。
「彼はジョン・スミスと言います」
「名無しの権兵衛?」
明らかな偽名にますますアリスターの眉間の皺が深くなる。オルランドの一件以降、この都市は少々物々しくなっている。如何にも怪しい人間がこんなに堂々と現れては、疑念と困惑を深めるのも無理はなかった。
──無論、ジョンの正体は変装した斬雄だ。
雅鸞の警備のため協力を申し出た斬雄だが、さすがに黒鉄の若頭がホワイトベルの屋敷を気軽に出入りするわけにもいかない。ホワイトベル・ファミリー構成員からの心象の問題もそうだが、都市の有力者からの要らぬ邪推を招く可能性があるからだ。
市中を歩き回る程度ならば多少の変装で何とかなるだろうが、邸宅に赴いてそこにいる人間たちとやり取りするには、斬雄の面は割れすぎている。
クローディアがしていたように魔導具を使う手もあったが、平時ならともかく、戦闘中に維持するには向いていない代物だ。
故に、怪しまれることは承知の上で、堂々と隠すという暴挙に出たのだ。
「ジョン、こちらがアリスター大叔父様です」
「お会いできて光栄です、アリスター閣下」
流暢なアルビオン語。アクセントやイントネーションにも違和感はない。上流階級のそれに近いが、少し訛りがある。庶民が貴族に合わせて振る舞っているかのようだ。
アリスターは少し警戒の表情を緩め、ジョンのもとまで向かい、手を差し出した。
「そうか、よろしく頼む。ジョン」
その返答は旭花語で為された。
ほんのわずかにクローディアの眉がピクリと動く。
ジョン・スミスもとい斬雄は困惑した雰囲気を見せる。
正体がバレた、わけではないだろう。おそらくはボロを出せば儲けものというハッタリ。仮に当たりをつけられていても、この応答ならば、いずれにせよ困惑が最も自然な仕草だ。
「おや、旭花帝国の人形に詳しいということは、彼の国の人間と思ったが、違ったかな?」
アリスターはさりげなくクローディアの方を視線だけで一瞥する。
「……失礼、癖のようなものでね。戯れと思ってくれ」
「いえ、こちらこそ、仮面をつけて閣下に拝謁する無礼をお許しください」
「ではお互い様ということだな。頼りにしているよ、ジョン」
斬雄は差し出された手を握り返す。
力強い握手。武を嗜む特有の厚みのある手。
斬雄は敢えて観察するような真似はせず、自然体を維持する。
眼前の男が傑物であることなど、観察せずとも知っている。
──魔導革命以降、カシーヤは長らくクライシュ帝国の直轄地だった。
それが自治都市になった契機はニンアンナの大火だ。
クライシュ内部の旭花帝国派と西方諸国連合派の内部闘争に端を発した大事件。それによって両者の争いは翳りを見せるどころか、燃え上がるように激しくなっていた。
そこで皇帝と官僚たちは、その派閥争いを帝都から遠ざけるために一計を案じた。
カシーヤの自治都市化。それにより、両者の闘争の場を別に用意することで、この抗争を帝都から切り離したのだ。
国家の基幹産業と言って差し支えないエネルギー産業の切り離し。普通に考えれば愚行以外の何物でもないが、当時の帝都は内乱前夜を思わせる緊張感の只中にあった。
内乱勃発を座して見守るか、それともカシーヤを切り離してでも戦火を防ぐか。
皇帝は決断に迫られ、カシーヤの自治都市化を一年という瞬きのような期間で実現させる。それだけ、かの大火は帝都に深刻なトラウマを植えつけたということかもしれない。
そして、この施策は功を奏し、クライシュの内部は落ち着きを見せた。
それが例え、問題の先送りに過ぎずとも、起こり得た惨劇を防ぐことができたのだ。
その際に、帝都ニンアンナからカシーヤまでの直通列車の運営会社もまた、国営から民営化することになった。
旭花帝国でも、西方諸国連合でもない、中立的な第三者企業への売却。
それ自体が新たな権益争いの種となるだろうが、当面はどちらのものにもならない。
そのはずだった。
契機はその企業の株式がとある三つの会社に買収されたことだった。
繋がりは見えず、それぞれが独立して売買を成立させた。そういう風にしか見えなかった。裏でそれら企業と繋がっていた黒鉄五輪によって、その三社が瞬く間に黒鉄の傘下となるまでは。
竜血を世界に運ぶ経済の大動脈、物流網の根幹が非の打ちどころのない合法的な手段で黒鉄の、ひいては旭花帝国のものとなったのだ。
その対抗馬だった西方諸国連合は激しく動揺した。
それを立て直したのがアリスター=ホワイトベルだった。
彼にとっての奇貨は二つあった。
一つは、列車の運営会社が売却される際、その運賃の値上げについては自治都市政府の承認が必要という制約が設けられていたこと。
二つは、クライシュ帝国から旭花帝国への航路よりも、西方諸国連合への航路の方が圧倒的に近かったことだ。
多少運賃が上乗せされようとも、元来の物理的な距離がその負担を受け止めるだけの余地を産んでいた。
それを利用して彼は連合内での利権争いを調整し、ホワイトベル・ファミリーという連合の代表を纏め上げ、黒鉄会に対抗し得る勢力を築き上げた。
敗北寸前から、五分と言って良いまでに持ち直した。その手腕は傑物と言って差し支えないだろう。
斬雄にとってもできれば長く話したい相手ではない。この手の喋るだけで疲弊する人間を相手するのは、全て五輪に任せておきたい、と斬雄は心の底から思っていた。
「では、大叔父様」
「ああ、そうだったな」
クローディアの言葉を受けて、アリスターは窓辺に置かれている書棚へ向かった。棚から本を一つ抜き、その奥に手を伸ばす。ガコンという機械が動作する音が響き、棚が窓を塞ぐように横へスライドする。
斬雄は床の一部が窪んでいるのを確認する。
「隠し通路、というわけですか」
「ああ」
アリスターは頷きながら床下への通路口を開く。
書棚の下にあったのは、通路口を開く取っ手の部分であり、扉の大部分は板張りの間にある目地で巧妙に隠されていたようで、その入り口は人が優に階下へ降りていけるだけの広さがあった。
「では、クローディア、ジョン、案内しよう。私の蒐集部屋へね」
階段は壁から部屋の中央に向かって伸びており、その部屋は書斎のちょうど真下に位置していた。
二人がアリスターのもとを訪れたのは、ただ彼に挨拶をするためだけではない。
簒奪者のターゲットである雅鸞が置かれている蒐集部屋はこの書斎からしか入ることができない構造になっている。
三人は蒐集部屋に降り立った。そこにはアリスターがクライシュ帝国に来て以来、方々から集めた品々が収められていた。
部屋の大きさは書斎よりも少し大きく、壁には武具が並べられている。その中には西洋剣のみならず、刀の姿もあった。他には鎧や宝石、剥製や使い道のわからない器具が所狭しと並んでいる。
博物館というにはあまりにも混沌としており、それでいながら、単なる無秩序ではなく、ある種の美学を感じる配置だった。
まさしく“驚異の部屋”だ。
クローディアが部屋を見回すが、やはりそこには旭花帝国の人形らしきものは確認できない。斬雄の方に視線を向けると、彼は迷いなく、並べられた鎧の方を観察していた。
鎧は三点ある。どれもフルプレートアーマーで、通路口から階下を見た方向の左奥に一点、右側に二点並んで置かれていた。
「ここにある鎧は全て魔導鎧だ」
魔導鎧はその字義の通り、鎧の形状をした魔導具の通称だ。
「正確には構造的に魔導鎧と推測されているが、その詳細な使用方法はわかっていないものを含めてだがな」
「使用方法がわかっていないものはどれですか?」
アリスターは左奥の鎧を指差す。
「一つはニンアンナで開かれたオークションで購入したものだ。クライシュ帝国の貴族が取り潰したとなった際に、先祖伝来の家宝の一つとして売りに出されたものと聞いている」
一般的な丸みを帯びた装甲と異なり、全体的に角ばった印象の鎧だ。鎧というよりは、戦車の装甲を人型に組み替えたような見た目をしている。
次にアリスターは右二つの内、奥側の鎧を指差す。
「もう一つは知人の商人が直接売りに来たものだ。近年、古代遺跡で出土された聖遺物という触れ込みだが、買った私が言うのもなんだが、怪しいものだな」
パッと見の印象こそ一般的なフルプレートアーマーに近いが、乳白色の奇妙な色合いに、つるりとした質感で、こちらはこちらで、別の意味で鎧らしくない独特の雰囲気があった。
クローディアが斬雄の方へ視線を向ける。
「雅鸞は鎧なのですか?」
「ああ、正確には鎧の形状をした人形だな」
その言葉を受けて、クローディアは乳白色の鎧に視線を向ける。
「一つがクライシュの貴族で継承されていたものであれば、怪しいのは古代遺跡の出土品という来歴不明の方でしょうか?」
「いや、この人形が失われたのは少なくとも二百五十年は前だ。それが遠い異国の地にあったとあれば、その正しい来歴は途中で失われてもおかしくはない」
それが本来は盗品であったとしても、人伝に渡って行けば、ある時を境に、由来確かな先祖伝来の家宝になることはそうおかしな話ではない。マネーロンダリングならぬトレジャーロンダリングといったところか。
「それに古代の聖遺物というなら、少なくとも二千年は前のものになるだろう。出所を誤魔化すことはそう難しくないが、年代を誤魔化すのはむしろマニア相手にはリスクが高い」
アリスターはその言葉に頷いた。
「確かに専門家の鑑定結果では、聖遺物の方の製作年は二千年前から二千五百年前の間と推定されていたはずだ。仮に不知斎の傑作人形だとすれば年代的に辻褄が合わない」
雅鸞の製作者は五代目不知斎。三、四百年前の人物だ。
「ええ、それに形状的にもこちらの方が文献の記述に近い」
斬雄はそう言って左奥の鎧に近づき、その継ぎ目の部分に触れる。
真剣な眼差しで覗き込んだ後、静かに頷いた。
「間違いない。これが雅鸞だ」
アリスターは斬雄が観察していた継ぎ目をまじまじと見つめ、首を捻った。
「傍目には何も見えんが、この継ぎ目に何か仕掛けが?」
「人形師が人形を操作するときに使用する心意の糸を“操糸”と呼びます。雅鸞は操糸を内部から鎧に通して操ることで、所有者の身を守る装甲の役割と身体機能を補助する攻防一体の兵器ですが、この鎧には、その操糸を通すための微細な穴が存在しています」
「ふむ、改めて見ても全くわからんな」
操糸は人間では目視がほとんどできないレベルの極めて細い糸だ。必然、それを通す穴もまた極小で目視の確認は極めて困難だった。
クローディアが鎧の継ぎ目に触れる。
「確かに、穴が空いているようですね。心意が抜けていくのを感じます」
「……普通は一発で感じ取れるようなもんじゃないんだがな」
「はっはっは、クローディアは優秀だからな。その程度のことは朝飯前だ」
斬雄の言葉にアリスターは愉快げに笑う。
「……ところで心意を流し込むことができるのであれば、この人形は我々でも扱えるのかな?」
アリスターの疑問に斬雄は横に首を振った。
「ただ心意を流し込むだけではこれは動きません。“操糸”はそれ自体がかなり高度な技術ですから、才能ある者でも、きちんとした指導者からの手ほどきを受けた上で、年単位の修行が必要でしょう」
「そうか、それは残念だ。ならば我らにとっては無用の長物だな。この騒動が終われば、旭花に返還するとしよう」
その言葉にクローディアは頬をつり上げた。
「大叔父様、まさかまだ諦めてなかったのですか?」
アリスターが大きな肩を縮こまらせ、指先をつんつんと突き合せる。
「だってだって手放すのが惜しいんじゃもーん! クローディア、この鎧いくらしたと思う? 公都の一等地が買える値段だよ? 庶民が一生働かずに暮らせる額だよ? それにこの見たことのない前衛的なフォルム! どこの芸術家が生み出したのかと思っていれば、かの不知斎の傑作人形だったなんて!」
「“じゃもーん”って。……ホワイトベルの首領としての威厳を壊さないでください」
こんな調子で駄々をこねるアリスターを説得した過日を思ってクローディアは自身の頭に手を置いた。
先ほどまでの威厳あるアリスターのイメージは霧散し、空気が一気に弛緩する。あまりにもあんまりな急変だが、クローディアの慣れた表情から察するに、どちらかというと、彼の生来の気質としてはこちらの方が素なのかもしれない。
斬雄は仮面の下の呆気に取られてしまった顔を取り繕い、アリスターの方を向いた。
「閣下、一応の確認ですが、旭花に返還しても構わないのですか? 有効に扱えるかもしれない兵器が相手方に渡ることになりますが」
「うむ、これについては仕方なかろう」
アリスターは表情をもとの険しいものに戻し、居住まいを正して答える。
「旭花の兵器を連合が所有しているというのは要らぬ争いの種になりかねん。私が知らずに保管している限りでは問題にならなかっただろうが、こういった騒動があってしまってはな。ファミリーに裏切り者が出るとは思っていないが、人の口に戸は立てられぬ。いずれ面倒な形で露見するのであれば、早めに手放してしまうのがいいだろう」
面倒なものを買ってしまったとアリスターは嘆息する。
「……いっそ簒奪者が持って行ってくれればとも思うが、賊に入られ宝を奪われたとなれば、それはそれでホワイトベルの沽券に関わる。──それに」
そこでアリスターは意味ありげに斬雄の方に視線を送った。
「黒鉄の会長はさておき、若頭は理性的な人物と聞く。恩の一つでも売っておけるのであれば、そう悪い話ではない」
「はい、良案ではないかと存じます」
斬雄はあくまでジョン・スミスとして、それ以上は何も言わず軽く頭を下げた。




