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カシーヤ南東部、旭花帝国風の建築が立ち並ぶその一角にある黒鉄の屋敷の前に着物姿の年若い女がいた。
背中まで伸びた黒い艶髪を三つ編みにしており、色白の頬には赤みがほんのりさしている。
その姿を認めた黒鉄の構成員の男、ゴドーが彼女に駆け寄る。
「おお、山田さん。ようこそお出でくださいやした」
「斬雄はいますか?」
「若でしたら修練場の方に。ご案内いたしやす」
女の名は山田花子という。
斬雄に連れられ、彼女が黒鉄の屋敷を初めて訪れたのはもう三か月ほど前のことだ。どうにも偽名に思える名だが、黒鉄の者たちがその点を深く追求したことはない。何しろ突如として若頭が連れてきた妙齢の女性だ。深く追求する方が野暮というものだろう。
真実はさておき、道中すれ違う黒鉄の者たちはそれ故に皆恭しく彼女に礼を以て対応していた。
広い池のある庭を越えた先に、その建物はあった。
瓦屋根の木造建築。引き戸をガラリと開けると、無垢材の床張りの上に、相対する二人の人間がいた。
片方は藍染の道着姿の斬雄だった。体は戸の方を向いて立っている。その手にはだらりと木刀がぶら下げられており、力みの全くない自然体でいて、その体は真ん中に芯でも入っているように揺らぎがない。
そんな斬雄に相対するのは同色の道着を着た少女だった。肩の辺りで綺麗に切り揃えられた艶のある黒い髪に、わずかに覗く首筋から小麦色の肌が見える。
少女の名はアイシャ。三か月前、結社“虚空の柩”から逃げるところを斬雄に助けられ、以降黒鉄の屋敷にて暮らしている記憶喪失の少女だ。
彼女は木刀を正中線に沿うように、真っすぐ斬雄の喉元へ向かって構えている。
「はぁっ」
アイシャが掛け声と共に剣を振りかぶり、踏み込んだ。
斬雄はそれを手に持った木刀で軽く弾き、返す刀でアイシャの身を打ち据える。
「ぐっ」
アイシャは痛みに呻きながら、距離を取るが、決して斬雄から目を離さず構えを崩さない。
今度は斬雄が動く。その動きはとても自然で、何より静かだった。
アイシャは木刀でどうにか斬雄の一打を防ぐが、そう思ったときに二打目を打ち込まれていた。
それで斬雄の攻撃は止まらない。三打、四打、五打と次々に攻撃が飛んでくる。
アイシャは懸命にそれを打ち払おうとするが、叶わず幾度も打撃を受けてしまう。
それでも彼女は、斬雄の剣の動きを捉えようと目を離さない。
山田花子はその様子を横目に観察しながら、道場の脇に控える二人の女のもとへと向かった。
「よう」
二人の内、床に寝そべって打ち合いを見ていた女が、山田花子に気づき、片手を挙げた。
赤髪赤眼の大柄な女だった。その髪は毛先に近づくより明るくなっており、燃え盛る炎を思わせる。褐色肌の額からは二本の長い角が生えており、それは鬼人の特徴だ。彼女は伊吹朱奈、斬雄の側近の一人だ。
山田花子は朱奈に会釈を返し、ゴドーが置いた座布団の上に正座した。
その隣に座るもう一人の女を一瞥する。
雪のように白く、透明感のある横顔。その銀の髪は、わずかに青みがかって、海に浮かぶ氷雪を思わせるヒューマンの女。名は銀鏡鳴子、彼女もまた斬雄の側近の一人だ。
彼女はやってきた山田花子の方にちらりとも振り向くことなく、手元にある新聞に目を落としている。
「……大陸東部鉄道ですか」
山田花子はそこに映る工事中の線路の写真を見て呟いた。
その紙面には、旭花語で、──鉄道保安規制強化法案、参院を通過 大陸鉄道の工期に遅れか! という文字が踊っている。
大陸東部鉄道。旭花帝国の公表した完工までの期間は四十五年。旭花帝国第十一代、十三代~十五代内閣総理大臣を務めた、曳舟天諌が、首相在任中に建設を開始した、旭花帝国から大陸東部を繋ぎ、巨大な経済圏を築く、国家間を跨いだ、果てしなく遠大かつ無謀な計画は、曳舟元首相の剛腕によって現実に着工を開始し、三十七年の時を迎えていた。
しかし、順調に見えた計画は、完遂するまで八年というところで、暗礁に乗り上げる。その新聞記事には、現政権が提出した鉄道保安規制強化法案が衆参両議院を通過するまでの、あらましが記載されていた。
「そ。まあ、あれは軍部出身の曳舟総理が主導しただけあって、軍部の影響力がだいぶ強い国策事業だから、こういう新聞には大した情報はないけどねー」
「貴女はもう少し詳しく知っていることがあるということですか?」
「あのさー、そんなの知っててもアンタに言うわけないでしょ?」
「道理ですね」
鳴子の棘のある態度を気にするそぶりもなく、山田花子は打ち合いする二人の方へ再び視線をやった。
「少し構えが乱れているな」
斬雄が木刀を止め、アイシャの側に寄る。
「握る手に力を入れすぎだ。素早く振ろうと思うなら、力を入れるのはほんの一瞬でいい。それはわかっているだろう?」
アイシャが頷く。
「焦りが不自然な力みを生む。難しいとは思うが、一つ一つの防御を反射ではなく、丁寧に行うイメージを持つんだ。それを何度も繰り返して、そのうちに動きが体に馴染む。だが、それでも考えることは止めるな。常に最適な動きを実践できているかを考えるんだ」
そう言いながら、力の入ったアイシャの人差し指を木刀から離し、もう一度握らせ直す。
「彼はいつもああやって訓練を?」
山田花子は何度かこの屋敷を訪れているが、こういった訓練風景を見るのは初めてだった。
アイシャは“虚空の柩”から追われる立場にある。そんな彼女が護身の術を身につけるのは重要なことだろう。
しかし、斬雄は非常に多忙な存在だ。
彼の業務は主に二つに分類される。
一つは、現場で起こった様々な問題事を解決すること。ただし、ちょっとしたトラブル程度で彼のところに話が上がってくることはない。大抵の物事は各部門の責任者たちのところで解決され、斬雄のところに上がってくるのは、常に彼よりも下位の立場では解決できなかった難問であり、その種別も一様ではなかった。
二つは、現場で起こっている問題あるいは成果を集約し、会長の五輪に上申することだ。黒鉄会は五輪が立てた経営戦略に基づき運営されているトップダウン型の組織であり、ざっくりと言えば五輪の方針を基に、計画→実行→分析→改善を繰り返していくことで運営されている。その各部門で実行された業務報告を纏めて、定期的な報告を行うための事務的な業務を行う。その際は、ただ報告するだけではなく、より改善となる案を策定することも行われる。
二つ目については、それら業務が全て斬雄の手で行われているという意味ではなく、それら中間管理を担う者たちが行っている内容を整理するという性質が強いものだが、その業務負荷の大きさは想像に難くないだろう。
彼女はそういった内情を知悉しているわけではなかったが、カシーヤを二分する黒鉄会の若頭が忙しない立場にあるということは少し考えればわかることだ。
そんな彼がこうやって丁寧にアイシャに稽古をつけているというのは意外な光景だった。
「ま、私らの中で一番手加減が上手いのは斬雄だからな」
寝そべったままの朱奈が欠伸をしながら答える。
手加減。それは確かにそうだった。
斬雄は休みなくアイシャを打ちつけているように見えるが、実際にはその打撃はアイシャに殆ど痛みを与えていない。彼女が感じているのは、打撃のわずかな衝撃のみであり、その証拠に幾度打たれても、アイシャの肌には痣どころかわずかな擦れすら見当たらない。
達人の技巧が惜しげもなく手加減に振るわれているのは明らかだった。
それでいて、斬雄が振るう木刀の速度は、アイシャがちょうど反応し切れない程度を保っている。
やがて二人は互いに礼をして、稽古が終わった。
「山田さん」
山田花子の存在に気づいたアイシャが彼女のもとに駆け寄ってくる。
そんなアイシャを山田花子は優しく抱き止め、指先で頭をゆっくり撫でる。アイシャはそれに目を細めて身を委ねた。
「お疲れ様です、アイシャ。素晴らしい剣でした」
「うん、ありがと」
アイシャが頬を緩める。
クローディアの言葉は決してお世辞ではない。
斬雄が行っているのは、いわば常に格上を相手取って、その動きに適応して改善を繰り返す訓練であり、その濃密な経験値は、本人の才覚も相まって、初めて数か月とは思えないほどに、アイシャの剣技を急速に成長させていた。
なお、これは余談だが、山田花子が斬雄との関係を疑われているのは、アイシャの態度も影響している。
斬雄が連れてきた、彼によく懐いた少女と、同時期に屋敷を出入りするようになった少女が懐く女だ。邪推の種としては十分すぎるぐらいだろう。実際、様々な憶測が飛び交い、中にはアイシャは斬雄の隠し子ではないかと噂する者もいた。
二人のもとに斬雄が近づいてくる。
「よぉ、待たせて悪かったな」
「いえ、興味深いものを見せていただきました」
斬雄は鳴子と朱奈の方を向く。
「少しコイツと話があるから席を外す。アイシャのことは任せた」
「あいよー。ほらアイシャ。不埒な二人からは離れて、私たちと遊ぼ」
「不埒?」
アイシャが首を傾げる。
朱奈が鳴子の額を指で弾いた。
「あたっ」
「くだらないことを吹き込むんじゃねぇよ、馬鹿女が」
「はあ? 朱奈ちゃんには言われたくないんですけど?」
「ああ?」
「あぁーん?」
睨み合って一触即発の雰囲気になる二人。
そんな二人の間にアイシャが入る。
「喧嘩はダメだよ」
二人は出鼻をくじかれたような顔をして、少しバツが悪そうに矛を収めた。
「どうやら頼む相手を間違えたみたいだな」
そんな様子を見て斬雄が口の端をつり上げる。
「アイシャ、鳴子と朱奈を任せてもいいか?」
「任せて」
斬雄の軽口にアイシャは親指を立てて返した。
◇
斬雄は山田花子を連れて、自身の私室へ移動する。
そして、部屋の柱の一つに貼りつけられた呪符に触れる。
符に刻まれた刻印が怪しく光り、室内が結界に包まれる。
彼の私室は要人との会合で使われることもあり、この結界はその会合内容の盗聴防止やいざというときの守りにも使われるものだった。
「この結界を起動している間は、基本的に屋敷の奴らが立ち入ることはない」
山田花子は頷いて、三つ編みを留めている筒状の髪飾りを外した。
すると、その黒髪が先端から根元に向かって、みるみる色が抜けていき、プラチナブロンドへ変色する。
そうして彼女が首を振ると、そこには顔の印象すら異なる、全くの別人が立っていた。
先ほど彼女が外した髪飾りの形をした魔導具が、反射スペクトルの調整により髪色を変化させるのみならず、顔の陰影や輪郭などの光学情報を再構成することで、造形には一切手を加えず、観測される印象だけを別人へと書き換えていたのだ。
「おいおい、だからって幻術を解くのは気を抜きすぎじゃねぇか?」
「繊細な魔術ですから。魔導具による補助があるとはいえ、長時間の使用は神経を使いすぎますね」
斬雄の言葉に、その山田花子もといクローディア=ホワイトベルは悪びれた風もなくそう答えた。
そんな彼女の様子に嘆息して、斬雄は座布団の上に腰を下ろす。
クローディアもまたその対面に正座して座った。
「アイシャはかなり明るくなりましたね」
「ああ、鳴子や朱奈、後はゴドーなんかもよく気に掛けてくれているからな。出会った頃と比べるとだいぶ笑顔も見せるようになった」
「ふふ。一番気に掛けているように見えるのはあなたのように見えますが」
「俺か?」
クローディアは先ほどの訓練風景を思い返す。
攻撃よりも、防御に重きを置いた訓練内容。身を守り、生き延びるための剣。その意図は明瞭だ。
「……まあ俺ができているのは、今日みたいに護身のための訓練に付き合うぐらいで、他のことはむしろさっぱりでな」
斬雄は歯切れが悪そうにして、ふと思い出したように話題を変える。
「それで、俺に何か依頼があるんだったか?」
その内心を察してクローディアは少し笑みを浮かべた。
「ええ」
そして、表情を真剣なものに変えて首肯する。
「──“簒奪者”という名を知っていますか?」




