7-2
クローディアがこの場を斬雄たちに預け、走り去る。
「さて、この場の全体指揮は俺が預かる。異論はないな?」
その直後、斬雄は開口一番そう言った。
「私は問題ありません」
「……私も問題ない」
エルヴィスの表情は、若干の不服さを滲ませていたが、それでもすぐに頷いた。黒鉄の指揮下で戦うのに不満がないかと言えば嘘になるが、そのような些事を気にしていられる状況ではない。
「お前はエルヴィスだったな。それでそっちのお前は?」
「マルセルです」
「そうか、俺は斬雄でいい。あれをここに押し留める鍵は数だ。面の波状攻撃で四方から抑え込む」
黒い粒子自体を破壊できない以上、点と線の攻撃に意味はない。さらに一時的にせよ、マルセルの土壁で抑え込めていることから、質量で押し込むことはできると考えられた。故に重要なのは面による制圧。そのためには人手が多く必要だ。
「まずエルヴィスはホワイトベルの連中を纏めて、北から西側を担当してくれ。そっちの細かい指揮はお前に一任する」
「ふん、わかった」
エルヴィスは頷いて、すぐに行動に移す。
「マルセル、お前は東、俺は南だ。できる限りフォローはするが、一人でいけるな?」
「斬雄、私よりもあなたの方は大丈夫ですか? 正直、満身創痍に見えますが……」
「問題ない」
マルセルの懸念に斬雄は迷いなく頷く。確かに疲労感が全身を襲い、肉体は限界に近かった。治癒魔術は傷を癒すことはできるが、疲労までは回復できない。
だが、それが何だというのか。そのような泣き言を戦場で言ったとて、何の意味もない。
戦う意思は強く残っている。それで十分だった。
「黒鉄の方々はどうしますか? 居ると助かると思いますが……」
「呼びに行く余裕はない」
「まあ、そうですね」
大地の壁が決壊する。溢れ出した蠅の群れが周囲に広がっていく。その数は明らかに先程よりも増えていた。絶えずその数を増やし、膨張し続けている。そして、触れた場所は無機物ですら、塵になって崩壊していった。
「あれでは再び囲うのは無理ですね」
「出来るだけの広範囲攻撃で押し込むしかないか」
そう言って斬雄とマルセルは動き出した。
「泥入道錬成」
マルセルが魔術を発動する。大地から多量の泥が盛り上がる。それは濁流となって、蠅の軍勢にぶつかり、やがて大きな丸い頭部を象った。即席のゴーレム。それ故にその姿は不完全で、足は形を為さず、地を擦って移動することしかできない。
「起動」
泥人形の額に“אמת”の文字が刻まれる。辛うじて形づくられた両の手のようなものが、蠅の軍勢を殴りつけた。蠅の群れが眼前の障害物に向かって殺到する。無論、それだけで全ての蠅を抑えつけることは不可能だった。ゴーレムに向かう以外の方向にも大量の蠅が拡散する。
ひとまずホワイトベル・ファミリーが準備を整えるまでの時間稼ぎをする必要がある。斬雄はそのための魔術を選択し、詠唱する。
「蠢く枝 這い回る根 拡散する樹海 廻転する万斛の鱗 白き膚が波打つ 雲煙・牆壁・杯水・八門 開きて 悉く呑み干せ」
高位魔術の完全詠唱。竜の力、その一端が開放される。
「青木咒法・谺蛇流乱八波怒涛」
展開される八つの魔法陣。木が蛇の形を象り、洪水の如く蠅の王に放たれる。地を呑み干す程の大群が咢を突き立てながら、全てを押し流していく。広場の一帯が木の蛇によって埋め尽くされる程の波状攻撃。
だが、蠅の王の勢いは衰えることなく、むしろ蛇を貪り食らうように強まっていく。
「総員、放てッ!」
そのわずかに捻出された時間で、西側からホワイトベルの構成員を引き連れたエルヴィスが戻ってくる。
北から西を囲うように陣形を組んで整列し、魔術を放ち始めた。
岩の弾丸。渦巻く風。押し流す水。圧倒的物量により放たれ続ける魔術の弾幕が蠅の王の拡散を抑える。
それを目障りに思ったのか、蠅の群れがホワイトベルに狙いを定めた。黒い呪詛が弾幕の隙間を縫って、構成員たちの体を襲う。
「うわぁぁぁ、腕がッ!」
「クソ、治癒魔術が効かない! なんだこれは!」
幾人かの構成員たちがその呪いに飲み込まれる。魔術で治癒しようと試みる者もいたが、腐敗の力が強すぎて、その進行を遅らせることすら適わない。体の一部が腐り果てた者たちの慟哭が、周囲の動揺を誘う。
「怯むな! 必ずここを死守しろ!」
風精霊の羽衣を纏ったエルヴィスが前に出て、蠅の群れと対峙し、味方を鼓舞する。荒れ狂う風がエルヴィスの身を守り、蠅の群れを押し返した。
「触れなければ問題はない、距離を取って、押し込むことに専念しろ! 触れた者は一時引け、私が盾となる!」
「はっ!」
誰よりも前に出て、皆の盾となるその姿に崩れかかった士気が立て直される。
「大した奴だ」
その姿を見て、斬雄は賞賛の声を上げた。
確かにエルヴィスの風を纏う力であれば、蠅の王に直接触れることなく、前線に立てる。しかし、あの腐敗する力を見て、そこに飛び込める度胸は決して並み大抵のものではなかった。
「三段撃ち、構え!」
エルヴィスの指示に従い、ホワイトベルの構成員たちが整然と、淀みなく動く。
三段撃ち。魔術師を三列に配置し、前列が魔術を放つ間、後列が魔術の詠唱を行う。これにより、完全詠唱によって放たれる高出力の魔術を間隙なく放ち続けることができる戦術だ。
「放てッ!!」
広範囲かつ高威力の魔術が絶え間なく浴びせかけられる。魔術が波のように蠅の王を押し込んでいく。しかし、蠅の拡大速度が尋常ではない。一時的な拮抗を生み出しても、それを上回る速度で呪いが溢れ出す。三段撃ちによって形成された防衛ラインが少しづつ押し込まれる。
そして、その影響を真っ先に受けたのは最前列で戦うエルヴィスだった。彼を覆う風を貫いて、蠅の群れが指に触れる。
「くっ」
腐敗が浸蝕する。神経が蟲に食われたような激痛。エルヴィスは即座に自らの指を切り捨てた。
「風精霊の嘆き」
そして、自らを纏う風の精霊の力を全て前方に放出する。収束する風の力が広範囲を吹き飛ばす。それによって纏っていた精霊は消えるが、何とか蠅の群れを押し返すことには成功した。
「風精霊の羽衣」
すかさず風精霊の羽衣を発動し直す。
――精霊魔術。“精霊”と呼ばれる特殊な素竜子構造体を構築するエルフ秘伝の魔術。その力は戦術的汎用性に富み、強力無比だが、その使用には脳への多大な負荷を要する欠点があった。
間を置かない連続使用により、脳がオーバーヒートし、血圧が急激に上昇する。その身体負荷を物語るように、エルヴィスの眼球は赤く充血し、鼻から血が一筋垂れた。
北西をエルヴィス率いるホワイトベル・ファミリー、南に斬雄、東にマルセル。四方から蠅の王を懸命に抑え込むが、ダメージを与える術がない以上、その拡大自体を止める術がない。時間が経過するにつれて、余力の差がはっきりと現れ、仮初の拮抗を維持するための手札が次々と無くなっていく。
最初に崩れたのはマルセルが一人で担当している東側だった。ゴーレムは集る蠅を前に、肉体を維持し切れずに崩壊しかかっており、蠅たちは次のターゲットとして、術者であるマルセルに向かい始めている。彼は何とか土の障壁を展開し、身を守るが、蠅の王を押し留める次の手を打てないでいた。
想定よりも拡大が速い。マルセルの方を手助けしたいところだが、斬雄もホワイトベルの構成員たちも、そんな余裕はなかった。
「ちっ、このままだと決壊するぞ」
斬雄が魔術を放ちながらひとりごちる。あと少し、人員がいれば、そう思っていた時だった。
「氷花八重咲」
涼やかな女の声が凛と響く。
蠅の王の東側周辺の空気が凍結していく。大量の蠅を巻き込むように、爆発的に膨れ上がる氷が薔薇のように広がっていく。
斬雄の視界で、銀糸が揺れた。白皙の儚げな容貌。
銀鏡鳴子がひらりと斬雄の隣に舞い降り、快活に笑って、斬雄に向かって横ピースをした。
「真打登場だぜ~、ぶい!」
そして、彼女は改めて蠅の王の方を見て、口を大きく開けた。
「え、てか、あれ何!? ヤバそうだと思ってとりあえず攻撃したけど」
鳴子に遅れて東の方から黒鉄会の構成員たちがやってくる。
その先頭に立つのは朱奈だった。左腕を失っているが、それでも顔には戦意が満ちている。
斬雄は最高のタイミングの援軍に笑みをこぼす。
大丈夫か、なんて無粋なことは問わない。ここに来た時点でその意思はわかっている。
「あれには触れるな! 質量で押し込め! 時間を稼ぐ!」
斬雄からの端的な指示を受け、朱奈と鳴子がやるべきことを理解する。
「りょーかいっ」
「オラァァァッ、やるぞ、野郎ども!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
朱奈が咆え、黒鉄会の者たちが雄叫びを上げる。
それは勝鬨にも似て、味方を鼓舞する勇壮さだった。
それを見たエルヴィスが自嘲の笑みを浮かべ、呟く。
「よもや黒鉄会を頼もしいと思うことになるとはな」
全く腹立たしいことだった。
「黒鉄に後れを取るな! 最後のもうひと踏ん張りだ!」
「はっ!」
戦いは終局へ向かっていく。




