7-1.始原武装/Origin weapon
ヘテルツォラシュ。人間の悪性情報を記憶し、内部に遺されたソロンの力によって、それを現出させる権能を有する始原武装。即ち、それは過去に実在した悪魔を再現する力を有している。
悪魔の依代には条件がある。依代の肉体の強度、精神の成熟度が劣っていれば、悪魔の成り損ないしか生み出すことができない。高位の悪魔を再現するのであれば、依代には強靭な肉体と精神が必要とされた。そして、“壊剣”オルランド・スパーダがその依代として極上であることは言うまでもないだろう。
彼を薪としてくべることで、極上の呪いが受肉する。孤児院の悪魔の比ではない負の思念が溢れ出した。黒い粒子がオルランドを呑み込んでいく。
失われた腕が黒い粒子によって象られる。そして、その腕がアイシャの首元を掴んだ。
「ああ、あああああああああああああああ、ああああああああああ!!!!」
アイシャの苦悶の絶叫が響く。ヘテルツォラシュの起動者は、その内部に記録された悪性情報に汚染される。その悪魔を生み出すに至った、呪詛、怨念、あらゆる負の想念を浴び、その心を蝕まれるのだ。
斬雄とクローディアは自らの失態を悔いながら、共に即座に動く。
――黒鉄逸刀流 参之型 碎骨風
斬雄がアイシャを掴むオルランドの腕を斬り落とす。地面に落ちる彼女をクローディアが抱き止めようとする。瞬間、オルランドの肉体から大量の黒い粒子が溢れ出した。
それを見た斬雄の全身が総毛立つ。剣士として鍛え、術師として研ぎ澄ませた目が、それに触れてはならないと直観する。
「避けろッ!」
咄嗟にクローディアを蹴り飛ばし、自身もその勢いで後方に飛ぶ。
「あ、ああ、なんだ、なんだこ、あああああああああああ!」
最初に犠牲となったのは、最も近くにいた孤児院の院長だった。
彼の体に集るように黒い粒子がまとわりつき、粒子に触れた体の部位が腐敗する。生きたまま腐り果てていく苦痛と恐怖に叫び声を上げながら、その手が崩れていく。足が蝕まれて倒れ込む。骨が灰になる。喉はぐずぐずに潰れて息ができなくなり、眼球が腐り落ちて眼窩が露わになった。瞬く間に人だったものが、塵になって食い尽くされ、最後には衣服の一片すら残らず消え去った。
蠅は死体に集る習性があるが、この呪いはその逆だった。集った相手が死体になる腐敗の呪詛。そして、そのまま黒い粒子はアイシャを呑み込んでいく。
「星光」
クローディアの刃に収束する光が一直線にオルランドに向かって放たれる。しかし、黒い粒子が盾となって、光を弾いた。
「なっ!?」
全くダメージが通っている様子がない。クローディアが驚愕に目を見開く。
ブウウウンンン──ンンンン。
黒い粒の一つ一つから、蠅のような薄気味悪い羽音が響く。それらが連なって巨大な塊を形成し、やがて群体は蠅の形を象った。
斬雄とクローディアが悪魔から距離を取り、横に並んだ。
「……あれは、なんだ?」
産声をあげた化生のおどろおどろしい姿を見て、斬雄が呻くような声を上げる。
「おそらく、あれがヘテルツォラシュの励起でしょう」
「ソロンの始原武装、魔術王が調伏した七十二の悪魔が記録された“万魔目録”。ならば、あれは……」
「ええ、記録されていた悪魔の顕現」
ヘテルツォラシュに記された悪魔全ての記録が現代に残っているわけではない。しかし、有名な幾つかの悪魔の名は現代にも伝わっている。
「そして、七十二の悪魔の内、蠅にまつわる悪魔と言えば一体しかいません」
クローディアは聖典に残されたその忌まわしき名を口にする。
「蠅の王」
悍ましき蠅の悪魔が胎動する。
「チッ、あれに取り込まれたアイシャは無事なのか?」
「……ヘテルツォラシュを起動しているのはアイシャですから、おそらくは」
「まあ、そう信じるしかないか」
それは希望的観測だった。クローディアも悪魔については専門ではない。確実と言えることは何もなかった。
それを察して、斬雄は頭を切り替える。生きていることを前提にして、如何にアイシャを救い出すか。それだけに専心する。
蠅の王が膨張する。それは破裂寸前の風船を思わせた。
「おい、あれはまずいぞ!」
斬雄がそう叫び、二人が対抗する魔術を発動しようとした瞬間、蠅の王が大地より隆起する土の壁に覆われる。土の壁は三つの三角形により結ばれる四面体を描いていた。
「いやぁ、参りましたね。まさかあのレベルの悪魔が本当に出てくるとは」
二人の背後から声がかかった。振り返ると、そこにはマルセルとエルヴィスの姿があった。一度受けた傷を物語るように、二人ともその服には大きな切れ目があった。マルセルの治癒魔術によるものだろう。傷は少なくとも表面上は治っているようだ。
先程、蠅の王を覆った土壁はマルセルの魔術によるものだった。彼はエクソシズムの他、土元素の結界術に長けている。
「……お前ら、生きていたのか」
「勝手に殺すな、黒鉄!」
斬雄の漏らした言葉に、エルヴィスが青筋を立てて怒鳴る。
「壊剣の一撃、直撃を避けてもなお致命傷とは恐れ入りました。うっかりそのまま死ぬかと思いましたが、彼が強すぎたことが却って幸いしましたね」
オルランドに一蹴された後、マルセルは自身を治癒魔法で癒しながら、隙を見てエルヴィスの近くまで移動し、彼の治療をしていた。どうにか戦線に復帰できる目途が立ちここまで馳せ参じたが、状況はより一層悪くなっている。
「それで、マルセル。あれの浄化はできますか?」
クローディアが、内側からの圧力に押し出されるように、現在進行形で凸凹に形を変えられている四面体を指差して問う。それに対し、マルセルは首を横に振った。
「不可能ですね。あれほどの呪い、祓えるものなどいないでしょう」
「方法がない、人員が足りない、どっちだ?」
斬雄の問いに、少し考える仕草をしてマルセルが口を開く。
「どちらもです。あれは最上級の悪魔、魔王とでも呼ぶべき存在です。あれを祓うための術式は現存しません。仮にあったとしても、この都市にいる修道士全てを集めても、必要な出力には満たないでしょう」
「成程、そりゃ無理だな」
「でしょう?」
マルセルが内圧で風船のように膨れ上がり始めている四面体を見た。
「もう一つ問題があります。今の蠅の王は存在のスケールに対して、実際に顕現している規模が小さすぎます。探った感触としては、生まれたての赤子に近い。その素になるエネルギーは始原武装からほぼ無尽蔵に供給されますから、放っておけば、これからどんどんその規模を拡大させていくでしょう。あくまで推測にはなりますが、一日もあればあの悪魔はこの都市の全域を覆い尽くすと思われます」
「……時間との勝負か」
人員の不足はカバーできる可能性があったが、術式が存在しないのであればどうしようもない。魔術の新規開発など、天賦の才を持つ者がその半生を捧げてようやく一つできるかどうかの代物だ。到底一両日にできるものではない。かといってありもしない術式を探して、それを発動する術者を集める時間的猶予も残されていない。斬雄は術師としての知識と経験から、祓うという方法が不可能であると悟る。そうなれば蠅の王を退治する方法は一つしかない。
「あれを一撃で消し飛ばす火力か。しかし、さっきのホワイトベルの一撃が無傷となると、手詰まりだぞ」
斬雄の使える魔術の中には、単純に広範囲の術ならばいくつかある。しかし、先程のクローディアの一撃に勝る威力となれば彼には手がなかった。
「いえ、一つだけ手はあります」
クローディアは静かにそう言った。
「黒鉄の若頭、あれの足止めをお願いできますか?」
視線を交わす。数瞬おいて斬雄は頷いた。
「わかった。そこの眼鏡エルフと腹黒そうな坊主を借りてもいいか?」
「ええ、扱き使ってください」
「お、お嬢様!?」
自身の主の快諾にエルヴィスが焦ったような顔を見せる。
「それともう一つお願いが」
「ああ、わかった」
クローディアが何かを言う前に斬雄は肯定を返した。
「普通、何かを聞いてから返事をしませんか?」
「必要なことなんだろう? なら、やるさ」
それは戦士としてのクローディアへの信頼か。あるいは芽生え始めたそれ以外の何かか。その正体のわからぬ、しかし、はっきりとした彼の心に、クローディアは面映ゆさを感じつつ、わずかに眉間を上げて微笑みを見せる。
そして、表情を真剣なものへ変え、真っ直ぐに蠅の王の方を見据える。
「――あれは私が滅します」




