6-4
「なんだ、これは……」
その違和感にオルランドが気づいたのは幾度目の剣を交わした頃だったろうか。
わずかに、しかし、着実に。
斬雄とクローディアの一合打ち合うごとに研ぎ澄まされていくその速度が上がっていく。
何が起きているのか、理解できなかった。
戦いの最中で成長した、あるいは眠っていた力が覚醒したとでも言うのか。
否。そのようなことは馬鹿げている。
剣術とは日々の鍛錬の結果だ。積み上げた戦いの末路だ。
駆け引きで虚をつかれたというならわかる。
しかし、一朝一夕で、その剣技が、剣速が急成長するなどあり得ない。
では今まで力を隠していたのか。それこそあり得ない。そんなことには何の意味もない。混乱の中で、オルランドはその違和感を手繰り寄せる。
そして、気づいた。
二人の力量は卓越している。後一年と評したように、そのスペックだけで言うならば、すでにオルランドに届きうる。
彼らに足りないのは死線の数だ。自らの命を天秤に乗せ、勝ち取った戦いの数だ。
死の危険性を前に、より強く、より大きく踏み込む間を見極める戦闘経験。
こればかりは天賦では如何ともできず、天地を分かつ断絶となって横たわる。
その超越者たちの領域に今、二人は踏み込まんとしていた。
無論、この戦いの中でその間を会得したわけではない。そのような隙を与えるほどオルランドの剣域は生易しいものではない。
一足飛びにその線を越えようとすれば、彼の剣は容赦なく、二人を奈落の底に叩き落とすだろう。
これは単純な話だった。斬雄もクローディアも、そもそも間を見極めてなどいなかった。
彼らはただただ、死地を前に、防御の一切を捨て、攻撃に全霊を注いでいるだけだ。
ではなぜ二人は生きているのか。その愚かしい捨て身に、オルランドは刃を叩き込めていないのか。
斬雄の隙を狙えば、クローディアがこちらの心臓を狙ってくる。
クローディアの隙を狙えば、斬雄がこちらの首を狙ってくる。
守り合っているという表現は正確ではないだろう。
二人はただ、互いが互いの隙を潰す間合いで、全霊の斬撃を放っているだけだ。
言い換えれば、相手の動きを自らの動きの一部として考え、互いにそれがあることを前提に剣を振るっている。
「黒鉄とホワイトベルが随分と仲良しじゃないか」
狂っている。背中どころか心臓を預け合う行為。
信頼関係なんて言葉では、到底説明がつかない。
相手の命を守ると思って行動すればできるというものではない。
目の前の敵を打ち倒すための最適。それを必ず相手が行っているという前提の動き。
相手が過てば、その時点で自らは死ぬ。
リスクとリターンが全く見合っていない。
それが信頼なのだとすれば、盲目的という言葉すら生温い愚行。
にも関わらず、二人は今なお生きていた。
「ああ、よく付いてきているな、ホワイトベル」
「わかりました、もう少しスピードを上げますね」
「……あいよ」
言葉通りにさらに速度が増した。それに比例して、二人はより死の領域に近づいていく。
斬撃の数はすでに百を優に超えている。
二人の間にあるのは何なのか。その正体は斬雄とクローディアの心中ですら定かではない。即席のコンビ、互いに言葉を交わして数日の仲だ。知っているのは互いの少しの身の上だけ。信頼関係など合ってないが如く。友情などあるはずもなく、無論、恋情も、愛情もあるはずもない。あるとすれば目的の一致。それぐらいだ。
斬撃の数が千を超える。
交わした言葉で相手を信じたわけではない。力を合わせようなど微塵も思っていない。そもそも相手に命を預けたつもりもない。ただ、そうしなければ勝てないからそうしているだけ。
斬雄とクローディアは互いの戦闘論理に従って、勝利のために命を手放したのだ。
一歩間違えれば死に至る場にあって、二人はお前/あなたが勝手についてこいと言わんばかりに剣を振るっていた。そこを斬れ。俺/私がこっちを斬りたいから。
その実、相手が合わせろと思ってすらない。
そのような無駄はすでに捨てている。
ただ、当然そうあると、自分勝手に傲慢に、そして、ただ愚直に、相手を自らの一部として行われる剣の舞踏。どちらかがリードするわけでもなく、二人は好き勝手に心地よく舞っている。
それでいて、不思議とその動きは溶け合って、互いの刃を高め合っていった。
斬撃の数は万に達していた。
「あり、得ないッ!」
力の差は急速に縮まり、拮抗し、そして今やオルランドが押されている。
そのようなことはあり得ないはずだった。
連なった二つの刃が絡み合い、比翼の翼を広げて、英雄の高みに到達する。
オルランドの脳裏に敗北の二文字が過ぎる。
──ふと馬鹿げた考えが頭に浮かんだ。黒鉄とホワイトベルの円舞。その美しさに、帝国と連合の行く末、その希望を見たような気がしたのだ。もし彼らが手を取り合っていたら、あのような悲劇は起こらなかったのだろうか、と。
「……あり得ない」
なんて戯けた妄想だろうか。そんなことはあり得ない。あり得なかったのだ。怨念を燃やす。憎悪の薪をくべる。ここで負けたら、誰が我が妻と子の無念を晴らすのか。認められない。そのようなこと、認められるはずがない。
「まだだッ!」
オルランドの剣もまた激しさを増していく。彼の肉体は限界をとうに超えていた。嗚呼、だからどうしたというのか。この程度の苦難は幾たびも踏破している。
ヴェルク大樹海に眠っていた古き魔獣の討伐。
二代目“雷霆”との壮絶な一騎打ち。
“狼拳”とその配下の夜襲を生き延び、“天槍”の絶技から逃げ切った。
友軍を逃がすため“大戦鬼”を相手に殿を務めたこともあった。
数え切れない戦いの軌跡は、決して勝ち戦ばかりではなかった。
泥を啜りながら、格上との戦いを生き残り、男はここに立っている。
ならば、此度の死線もまた、乗り越えればいい。ただそれだけだ。
枯れた心に熱が灯る。怨嗟と、ほんの少しの過去の残痕。
傭兵たちの英雄と謳われた伝説が、──再びここに英雄譚に名乗りを上げる。
戦闘中の覚醒など馬鹿げていると心中で一笑に付した男が覚醒する。
「ぉぉぉぉぉおおおおおおッッ!」
響き渡る戦場の雄叫び。漲る心意が全身の筋肉の動きを、さらには神経伝達すら掌握し、強化する。五感感覚の拡張。空間全体を全ての感覚器官が明瞭に知覚する。
今の英雄には未来が視えている。
「マジかよ」
「……これは」
斬雄とクローディアは全霊を放ち続けながら、驚愕する。
引き離される。先程まで確実に追いついていたにも関わらず、再び彼我の差が開いていく。
今のオルランド・スパーダは人の領域を超えていた。
「これで終わりだ、若造ども!」
遠ざかる勝機。それを再び手繰り寄せるには、オルランドと同じく、二人がもう一歩を踏み越えるしかない。
しかし、もし斬雄かクローディアのいずれかが、わずかでも躊躇してタイミングがズレれば、あるいは踏み越えられなければ、すべてが瓦解する。もう片方を置き去りにして、絶望的な一対一で敗北を喫することになる。
そうなれば、もはや今の拮抗を維持し続け、その中で打開策を模索するという選択肢すら残らないだろう。
合図はなかった。互いに視線はただ敵だけを見据えている。
その両者の瞳を視ていたのはオルランドだけだった。
「魅せてみろ! お前たちの天稟を! そんなものがあるのならばなッ!!」
思考の時間は全く同じだった。
斬雄とクローディアは一瞬の躊躇すらなく、その分水嶺を踏み抜いた。
クローディアの刃が煌々と光る。白い燐光となった素竜子の奔流が翼のように広がっていく。防御も回避も何一つ思考にはない。もはや後のことを考える必要はない。ただその一撃にすべてを乗せる。自身を引き絞って、光矢と為す。極限を越えた彼女の人生最高の一刺。
全く同時、斬雄が刀を振り抜いた。
――各流派には、術理が存在する。一撃必殺を極めた剛の慈眼流。相手の動きを見切り受け流すことに長けた柔の心陰流。
そして、それは当然、黒鉄逸刀流にも在った。
その術理は単純明快である。相手の攻撃よりも先に、相手を切り伏せること。
それは先の先でも、後の先でも構わない。起こりを消し、虚を狙い、独特の歩法、刃の運びにより、間合いを狂わせ、斬撃が当たるまでの時間を誤認させ、実際以上の速度に見せる迅の剣。それこそが黒鉄逸刀流の極意だった。
黒鉄逸刀流を学ぶ者たちは、まず初伝で全ての型を覚える。
次に中伝にてそれらを習熟させ、最低限修めたと認められ奥伝を与えられる。
そして、それまでに覚えた型の全てを捨て去ることで皆伝へと至る。
それはただ速度のみを求めた剣。虚実綯交ぜの刃を見続けた敵は最早その剣を識ることさえ叶わない。
――黒鉄逸刀流 奥義 佳刃桜花
確かにこの瞬間、斬雄は自身の壁を越えた。
刃が消える。
その絶技を前にオルランドは獰猛な笑みを見せた。
「視えているぞ」
しかし、それでもなお届かない。
オルランドが視ているのは刃ではない。その放たれた未来。彼は斬雄の限界を超えた斬撃を見切り、大剣で弾き飛ばした。そのままの勢いでクローディアを叩き切る。それで全て終わりだ。そして、その光景が視えた。
「白光」
クローディアの刃が正面からオルランドの心臓を穿っていた。
「ごはっ」
視えていた。しかし、それでもなお回避し切れぬ一撃。
即ち、剣鬼のみならず、剣姫もまた自らの壁を越えていた。
「見事」
オルランドの体から力が抜け、崩れるように仰向けに倒れ込む。
一気に力を使い果たしたクローディアが地に膝をつく。荒く息を吐き、その額からは滝のように汗が流れていた。
斬雄は早鐘のように動く心臓を落ち着けるようにゆっくりと深呼吸する。恐るべき敵だった。最後の瞬間、オルランドは自身が知る最強の剣士、人類の到達点たる“剣聖”と同じ頂きに足を踏み入れていた。運が良かったのだ。彼がその一歩目を踏み込んだばかりだったからこそギリギリのところで打倒することができた。もし、最初からあの域に彼が達していたならば、斬雄たちの勝機は万に一つもありはしなかっただろう。
「大した奴らだな、黒鉄斬雄、クローディア・ホワイトベル」
噛み締めるようにオルランドは武人として自らを打ち倒した二人の名を口にした。そして、彼は少し表情を緩め、話し続ける。
「……なあ、黒鉄、ホワイトベル。二つの組織の抗争、それによって引き起こされる帝国と連合の戦争。それが俺たちの目的だと言ったな? ……だが、これは下策だと思わないか?」
その顔を見て、斬雄は違和感を抱いた。清々しいその顔は、敗者のものではない。
「他者の心理を誘導し、まるで自在に操るようにして事を為す。まあ決まれば格好良いがよ。結局それは駒を動かす決定権は相手にあるってことだ。少しの不確定要素で容易く覆る。実際そうなったしな」
相手が自身の想定よりも賢くても、愚かでも失敗する。上手くいくこともあるだろう。しかし、世は常に物語のように都合良く進みはしない。
「そんなものは下策以外の何物でもないだろう?」
クローディアはオルランドの言葉を思い出す。
──すでに勝敗は決している。
これがもし事前の勝利宣言ではなく、その言葉通りの意味だったとすれば、それは何を意味するのか。
斬雄とクローディアは、オルランドの息の根を止めるために、握った柄に力を込める。それは合理的に弾き出された思考ではない。目の前の悪意に対応できる最短の行動を反射して選択する。
「真の策とは、自らが駒を動かして為す物を言うんだぜ?」
瞬間、オルランドの体から外装骨格、いや、その本体が形を為す。
それは蟲だった。キチキチと音を鳴らす百足のような怪物が現れる。
「ッ!」
それは所詮、宿主を失った死にかけの寄生蟲に過ぎない。
斬雄とクローディアはそれを一太刀で切り伏せる。
だが、それは悪手だった。限界を超えた集中を維持し続けた激戦の後、勝利を確信した瞬間のほんのわずかな心理的空白。それは、その間隙を狙うための、目くらましに過ぎなかった。
失われた心臓の代わりに、残った最後の命を燃やし尽くしながら、オルランドは走り出す。外装骨格が繋げていた右腕はなく、かつての速度はもはや見る影もない。
だが、目的地はそう遠くなかった。商工会本部入り口前、オルランドが向かった先には男が立っていた。白髪の老人、ガーダム孤児院の院長。その腕には囚われたアイシャの姿がある。そして、もう片方の手には六芒星の形をしたヒトデが張りついたような、不気味な本が握られている。
始原武装“万魔目録”ヘテルツォラシュ。魔術王ソロンが遺した禁忌の魔導書。斬雄とクローディアはすぐに追いかけるが、オルランドがその本に触れる方が速かった。そして、呪いが溢れ出した。




