3-2
孤児院はガーダム地区の端の、少し住宅街から外れた場所にひっそりと建っていた。少し老朽化はしているが、よく手入れが行き届いている。常ならば、敷地の外からでも子どもたちの声が聞こえる、活気に満ちた場所であったが、今は不気味なほどに静かだった。
孤児院の院長は矍鑠とした男性だった。この孤児院は元々ホワイトベルがこの地に来る前から運営されている施設だったが、当時は資金難で閉鎖寸前だったところを、ホワイトベルの出資によって持ち直したという経緯があった。それもあって、クローディアがエルヴィスと他三名の構成員を連れて孤児院を訪れると、院長は彼女たちを非常に歓迎してくれた。しかし、その表情は決して明るいものではない。
「院長、もう一度お話を聞かせてもらえますか?」
「ええ、お役に立てるかはわかりませんが」
院長はそう前置きをして話し始めた。
「事件に気がついたのは早朝です。朝の鐘が鳴り、起きてくるはずの子どもたちの姿がない。不思議に思った職員が部屋の中の様子を確認すると、すでにもぬけの殻になっていました」
「最後に子どもたちを見たのは?」
「前日の就寝時には皆いました。毎夜、点呼を行っていますので、間違いないと思います」
誘拐されたのは、就寝後の深夜から早朝にかけての時間帯ということになる。
「何か変わったことはありませんでしたか?」
「以前、ホワイトベルの方にお話しした内容と同じもので恐縮ですが、特段変わったことはありませんでした」
「夜間に物音などは?」
「我々も就寝中でしたので、確かなことは言えませんが、しなかったと思います」
「そうですか。では、現場を改めさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、構いません」
クローディアたちは現場に移動する。各部屋は相部屋になっており、二段ベッドが二つの四人部屋のようだった。
「ホワイトベルの方に言われ、現場の状況はそのままにしてあります」
少し空気が埃っぽい。ベッドには子どもたちが眠っていたであろう痕跡がそのまま残っていた。それ以外の部屋の様子は綺麗なものだ。争った形跡はまるでない。他の部屋も同様で、誘拐の経路を特定できる情報はなかった。
それも当然だ。すでにこの場所はホワイトベルの構成員たちが調べた後であり、そのような痕跡が残っていたのであれば、当に事態は進展を見せていただろう。
クローディアたちは、孤児院を後にする。
「特に成果はありませんでしたね、お嬢様」
院内を隈なく捜索したが、見落としは発見できなかった。
「ええ、事件があった日、院の人間が朝起きたときには、すでに孤児たちは姿を消していた。争ったような痕跡はなく、周囲からも目撃証言はない。目撃証言については、人気のない深夜ないしは、早朝に攫われた故だとしても、孤児院には三十人弱の子どもたちがいました。争った痕跡を残すこともなく、院長や職員に気づかれることもなく誘拐されたとは俄かには信じがたいのですが……」
クローディアは足を前に進めながら、口元に手を当てて考え込む。
「お疲れ様であります、ホワイトベル様」
そんな彼女に話しかける声があった。クローディアが顔を上げると、真っすぐ背筋を伸ばして立つ軽鎧姿の男がいた。角ばった顔の、如何にも実直そうな雰囲気の男である。その後ろには同じ装いの人間が二人。
「あなたは確か憲兵隊長の……」
「コルマク・イスハークであります」
彼は見た目に違わぬ堅苦しさを感じる口調で名乗った。
「調査に来られたのですか?」
「申し訳ありませんが、部外者に職務内容についてはお話できないのであります」
にべもない返答だ。一市民に捜査情報をペラペラと教える憲兵はいない。クローディアもその返答は当然のことだと思っていたので、特にそれ以上何かを言うことはなかった。
「では、我々は失礼するのであります」
「ええ、お疲れ様です」
コルマクは頭を下げて、孤児院の中へと向かった。背後にいた彼の部下たちは、クローディアたちを一瞥することもなく、彼に付いて行く。
「なんと無礼な!」
ファミリーの構成員たちが憲兵隊の態度に憤慨する。
「致し方ないことですが、すっかり嫌われてしまっているようですね」
ホワイトベルは直截にいえば、武力にモノを言わせて我が物顔で都市を闊歩する外国勢力だ。都市の治安維持を司る憲兵たちにとって、面白い存在であるはずがない。
特にコルマク・イスハークは、過去にホワイトベルの縄張りでの憲兵隊の動きに、苦情を申し入れた議員に対しても、最後まで強く抵抗したという話をクローディアは聞いたことがあった。
「……今、憲兵隊長たちが来たのはこちらの道でしたね」
そう言って、クローディアはコルマクたちやってきた方をじっと見て黙り込む。
孤児院の前はT字路になっており、孤児院は二つの直線の接点の所に位置している。彼らがやってきたのは、孤児院を出て正面の道だった。
「お嬢様?」
エルヴィスが様子の変わったクローディアに気づく。
「少し気になることがあります」
「気になること?」
「ええ、彼らは一体どこから来たのでしょうか」
頭にこの近辺の地図を思い描く。仮説はある。それは確信に近いものだった。
「彼らに聞いてきますか?」
「いえ、あの様子では変に拗れる可能性もあります。それに、現場検証は必要ですから」
クローディアはそう言って、東に向かう正面の道を進んでいく。道中緩やかなカーブに差しかかる。小さな横道を無視して、街灯が立ち並ぶ道を直進する。段々と道が狭くなっていく。そして、突き当たった行き止まりを避けて、横道に逸れると、細い路地裏に辿り着いた。
「お嬢様、ここは確か……」
「ええ、黒鉄の若頭が逃げるアイシャを見つけた場所です。彼は誘拐犯に背後から声をかけたと言っていました」
クローディアは周囲の様子を見まわし、来た道を振り返る。
「私たちはここまで可能な限り直線を進んで来ました。街灯の明かりに良く照らされた道です。それらは夜であれば非常にわかりやすい道しるべになるでしょう。つまり、アイシャは私たちが歩いてきた道を移動して、逃げてきた可能性が高い」
目的地があれば別だが、ただひたすらに逃げていた場合、自然に選択しやすい道順ということだ。そして、その道を逆に辿ると、当然その先には孤児院がある。
「たまたまでは?」
「かもしれません」
だが、引っかかることは確かだった。
「おや、お嬢様とエルヴィスではないですか」
そんな彼女たちに声がかかる。顔を上げると、そこには落ち着いた雰囲気の、栗色の髪の男が立っていた。白い修道服に身を包み、その首元から光輝竜アルルトゥルーシュを信仰する星光教会のシンボルである、丸い星の中心に十字を象った意匠の“星十字”が見える。
エルヴィスが彼の姿を見て、訝しげに眉を顰めた。
「モロー、貴様がなぜここに?」
男の名は、マルセル・モロー。セレステル公国出身の星光教会の修道士だ。異教の地であるカシーヤの教化のため、ホワイトベルの派遣に随行する修道士団の一員であり、所属としてはファミリーの一員ということになる。
とはいえ、彼の目的はこの地の教化であり、普段は近年建立された礼拝堂にて牧師として働いている。その辺の市場でふらっと出会ったならばいざしらず、このような路地裏に彼がいるのは不可解なことだった。
エルヴィスの疑問に、彼は柔らかな笑みを返した。
「ちょっとした調査ですよ」
「調査、失踪事件のか?」
「失踪事件? ……ああ、ガーダム孤児院のですか?」
「違うのか?」
「ええ、私が調査しているのは別件です」
そう言って、少し思案した後、マルセルはおもむろに口を開いた。
「……ここ最近、悪霊騒ぎが起こっているのは知っていますか?」
「知っている。だが、あれは噂話だろう? 悪霊が出たのであれば、事件化していないのはおかしい」
「その通りです。ですが、噂話とはいえ、悪霊と名のついた事件です。教会所属の身としては、確認をする必要があると思ったのですよ」
悪霊は通常の手段で払うことはできない。西方諸国において、悪霊祓いは星光教会の管轄である。
「最低限の確認を、と思ったのですがね」
それは、どこか含みのある物言いだった。
「何かあるのですか?」
クローディアの問いに、マルセルは少し困ったような顔をした。
話すべきか話さざるべきか迷っているといった様子だ。
「……いえ、ちょうどいい機会です。これはお嬢様にもお話しておくべきでしょう」
すぐに思い直したマルセルは話し始めた。
「最初は現場の確認でした。悪霊事件の噂を集め、その現場と思しき場所へと向かい、何もなかったことを確認して終わり。そのはずでした」
「そうはならなかったのですね?」
マルセルは頷く。
「教会の秘匿する魔術の中に、悪霊を探知するものがあります」
「悪霊の探知ですか?」
「ええ、悪霊とは、素竜子の思念に感応する性質から来る現象です。例えるなら、無色の素竜子に人の思念が色をつける、いえ、汚しているという方が表現としては正確かもしれませんが……。ともかく、その汚れを探知する、概ねそのような魔術です。そして、この都市にその魔術に引っかかる場所がいくつかあることがわかりました」
「……もしかして悪霊騒ぎがあった場所と一致しているのですか?」
マルセルが再び頷く。
「とはいえ、それはおかしい。そのポイントは二つです。一つは、各場所が悪霊の発生条件を満たしていないことです」
「ここは竜血の世界最大の採掘量を誇るカシーヤです。空気中の素竜子濃度も他の地よりも遥かに濃い。負の思念についても、人の世であれば、そのようなものはいくらでもあるのでは?」
クローディアの言葉にマルセルは首を横に振る。
「確かに竜血採掘場の地中深くや、その源泉に程近いと目されるアヴェスタ連山であれば条件を満たすでしょう。しかし、都市内部の大気中の素竜子濃度はそれ程ではありません。ここが戦場にでもなり、何百何千の怨念が募れば話は違うかもしれませんが、悪霊を生み出すには市井に溢れる一つ二つの悲劇ではとても足りません」
「……つまり、そもそも起こるはずのない場所に悪霊が発生しているということですね?」
「ええ。しかし、その辺りは調査中でして、今、私が問題にしているのはもう一つの方です」
「もう一つ?」
「悪霊が発生しているならば、その悪霊がどこにいったのか。それがもう一つのポイントです」
「……退治されていないならば、移動したということになりますね」
「ええ、しかし、悪霊は移動しません。あれは土地に根づくものですから、動ける範囲には必ず限りがあります。とすると、考えられる解は一つです」
クローディアは少し考え、その答えを口にする。
「“悪魔”、ですか」
彼女の言葉にマルセルが頷く。
「ええ、人間に取り憑くことで受肉し、高度な思考能力を得て土地という軛から解き放たれた悪霊、“悪魔”が生まれている可能性が高い」
それは星光教会の聖典にも出てくる人類の敵対者。教養として多くの者がその名を知っていても、市井でその姿を見たものはいない。いや、騎士や修道士であっても、それは同様だ。悪魔が出現したという記録は、ここ数百年に渡って存在しない。しかし、それがどのような存在であるか、大まかではあるが、多くの書物により伝わっている。
「……厄介ですね」
そう言うクローディアの声音は静かで淡々としていたが、わずかに緊張感を孕んだものだった。悪霊はあくまで残留する思念に過ぎない。故に自我はないに等しく、思考もまた同様だ。ただただ過去の怨念を再生するだけの現象。
しかし、人間の肉体を得た“悪魔”は、その思考する力を獲得する。
「はい、悪霊は人に害を為し、祓う方法も限られていますが、その被害は限定的です。しかし、悪魔は違います。人間の思考能力と自由を得た悪魔は、その機能によって自らの力を増幅させ、生まれ持った悪意の発散に活用する」
クローディアは目を閉じて、眉をしかめる。
「昔、聖典で読んだ覚えがあります。古代、魔術王ソロンが現代魔術の祖となる原始体系を確立する前までの間、魔術とは悪魔を生み出し、その生み出された悪魔が行う業のことだった、と」
彼女の言葉を補足するようにマルセルが口を開く。
「その力は現代魔術をも凌ぐと推測されています。残っている伝承がそのまま事実ならば、とても制御できるものとは思えませんので、当時の使用方法は相手の陣地に投げ入れる時限式の爆弾のようなものだったのでしょう」
もし実際に悪魔がいるのであれば、そのもたらす被害は計り知れないものとなりうるだろう。
「すぐに対処する必要がありますね。マルセル、調査状況を教えてください」
「はい、まず悪霊騒ぎが起こったのはおよそ三週間前です。そこから各噂の元となった場所を調べて、実際に残滓を確認できた場所をプロットした地図があります」
マルセルは懐から地図を取り出し、クローディアに手渡した。
「数が、多いですね」
「ええ、これだけの悪魔が誕生しているのであれば、由々しき事態ですよ」
クローディアは地図を見てあることに気づく。
「皆ついてきてください」
そして、彼女はそう言って走り出した。その後にマルセルが、慌ててエルヴィスと構成員たちが続く。
エルヴィスが隣に並び口を開く。
「お嬢様、どうされたのですか?」
「マルセルから渡された地図はある地点から広がるように点が打たれていました」
「ある地点?」
「そして、騒ぎが発生したのがおよそ三週間前」
「三週間前? まさか……!」
クローディアがエルヴィスに地図を差し出した。それを受け取って開く。
点が広がる、あるいは収束する地点。そこはガーダム孤児院がある場所だった。




