第34話 齟齬
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「貴女、アルトリウスと婚約しないの?」
がは、とレラが気管に入ったお茶を盛大に吹き出した。
クラリス様は「汚いわね」とさして気にする様子もなく、机を拭いた。
「ク、クラリス様が、それを仰いますか」
「わたくしだからこそ、ではないかしら。さっさとアルトリウスの呪いから解き放たれたいのよ。わたくしはアルトリウスがレラを見つけるまでの一時的な盾に過ぎませんわ。アルトリウスの前には、数多くの求婚者が列をなして待っているのだから。でも、その中の誰も彼を手に入れることは叶わない。早く覚悟を決めなさい」
「私とアルトリウス様じゃ身分が違います」
「貴方には古代魔法という武器があるわ。どれ程身分が高い人間でも手にすることが出来ない能力」
クラリス様はじっと私を睨むが、そもそも違うのだ。
「私はアルトリウス様との関係性を変えたいとは思っていません。婚約なんて恐れ多いですよ」
「……わたくしは早く婚約を破棄したいのよ」
「どうしてですか?」
「好いた相手がいるからですわ。……ただ、その相手はわたくしにことは眼中にないようですけれど」
クラリス様は私と目を合わせなかった。高潔な彼女の憂いた表情を見るのは始めてだ。
「その方に想いを伝えないのですか?」
「えぇ。彼にとってはわたくしの感情は障害になるでしょう。関係が変わってしまうのならば、今が一番いいのよ」
クラリス様は窓から降り注ぐ陽光を防ぐように、カーテンを閉めた。
**
それから幾月も経ち、私達は入学してから1年が経とうとしていた。
私達は毎日のように顔を合わせ、共に学び、笑い合った。とても充実した1年だったとはっきり言える日々だった。
――やや寒さの残るある日。アルトリウス様は私を呼び出した。
「レラ、君に言いたいことがある」
「何でしょう」
「あと1年したら、僕は卒業だ。その時に告白の答えが聞きたい。君の決断がどうであれ、君自身の言葉で伝えて欲しい」
「……分かりました。だから、最近クラリス様との婚約を白紙に戻したんですね」
アルトリウス様はつい先日、クラリス様との繋がりを絶った。
学園内に激震が走っていても、ただ彼女だけはいつも通り薔薇を愛でていた。
『ふふ。やっと解放されましたわね』
彼女が婚約破棄の了承を告げられたのは、夜中。ハンスからの言伝だった。
ハンスの視線を感じつつ、赤い髪を風になびかせた彼女は冷たい夜風を吸い込む。
そして、挑戦的な目つきで堅苦しい表情の騎士を睨んだ。
『貴方はいつまでアルトリウスの駒のつもり? いくら彼の傍に仕えても、その秘めた気持ちは成就しない。傍にいるだけ辛い。それでもいいのかしら』
『クラリス嬢は俺の何を知っているんですか。俺は私的な感情を持たない。ヴァンガーディ王国に心身を捧げています』
『アルトリウスに、の間違いじゃなくって?』
『何が言いたいんです』
『……彼が羨ましいわね』
は、とハンスが息を漏らす。誰が誰を。なぜ。彼は初めて目の前の令嬢が理解できなかった。
『余計な事を言いましたわ。忘れて頂戴。――アルトリウス・ヴァンガーディとクラリス・エンリーナとの公的な繋がりは今後、一切存在しない。了解いたしました。もう結構ですわ。愛する主のもとに帰りなさいな』
『いや、でも……』
『立ち去れと言っているのよ』
クラリスは立ち上がり、ハンスの背を押した。背の高い彼に触れたのは、実はこれが初めてだ。
困惑した彼が自室を去った後、クラリスは窓の脇にある机に突っ伏した。
齢18歳。叶わぬ恋心に胸を痛めることもあるだろう。足掻いても手に入れられないものがあることを知るだろう。感情のやり場が無くて真逆の行動をとることもあるだろう。
……羨ましい。何でも手に入る、手に入れるあの王子が。憎くてとても、羨ましい。
*
クラリスとの婚約破棄に触れられた彼は、あぁと頷く。
「僕がレラを見つけたことで、彼女の中で僕の利用価値が無くなったんだ。だが、だからと言ってクラリスと交流が無くなる訳じゃない。今まで通り、彼女は僕らの味方だよ」
「クラリス様は一体何をアルトリウス様に望んでいたんですか」
彼は少し迷い、口を開いた。
「……愛する人の幸せ。僕は身近な彼を人質にクラリスを従えたんだ」
アルトリウス様の顔に影が差す。穏やかに笑っているが、やるせない影を含んだ無の顔。
「え。もしかして、それは、ハン―……」
「しー」
その先を言おうとしたレラの口を、アルトリウスはそっと窘めた。その先は気高き女性の尊厳を踏みにじってしまう可能性を秘めているから。
彼女は感情を秘める決断をしたのだ。たとえ叶わぬ恋だとしても。
「君が現れて彼女は身を引いた。そうだね……、もう彼の幸せが叶わない事を悟ったんだ。僕は君を見つけ出し、手に入れてしまったから」
「それは違います。……待ってください。まるでハンスが私の事を好きみたいじゃないですか」
「……どう、だろうね。彼の気持ちは彼にしか分からないから」
答えを言う気が無いアルトリウス様に、レラはちょっと腹が立つ。
自分だけ答えを知っている顔をして、周りを混乱させて。
でもあなたは全てを理解しているんでしょう?
そんなのクラリス様が報われない。でも、私が原因でもあるかもしれないと思うとこの怒りは見当違いのような気がしてしまう。難しいな。
「……私のせいですか。クラリス様が笑えないのは」
「それは違う。僕のせいだ」
「嘘は必要ありません」
「事実だよ。君もいつか分かるさ」
それ以上、彼は何も言わなかった。
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