第30話 自分
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見慣れた景色が広がっていた。
大広間の天井に吊り下げられたシャンデリアは、埃が積もっているけれど。
嗅ぎなれた匂いが鼻腔をくすぐった。
自然の匂いは消え、無機物の匂いが充満しているけれど。
ただ、音だけが無かった。
ユージンによると使用人たちは皆、横暴さが増したミーシャに付き合いきれず、フォード家から逃げ出したそうだ。今では大金で雇われた兵が好き勝手に大きな屋敷を荒らしている。
「こっちだ」
ユージンが小声で合図を送った。
月明かりだけが差し込む大広間を通り抜け、両脇に広がる階段を上らず、裏手に回る。
階段の裏手には、鉄製の扉があった。
「行くよ」
ユージンが魔法を唱えて鍵を開ける。ガチャと鉄の冷たい音が静かな空間に響き渡り、私はびくっと心臓が跳ねた。
「……」
ユージンが動きを止め、異変を察知されていないか用心深く確認している。私も魔力の動きを感知してみたが、動きが普通。誰も気づいてはいないようだ。
アルトリウス達が私の肩をぽんと叩いた。
「レラ、位置は分かるか」
「正確な位置は分からないけれど、2人が近くで動かない……、多分階段下で立っています。少し遠くに2人が歩いていて、1人はやや遠くで歩いているような気がします」
「――5人で合っているかい?」
アルトリウスがやや早口でレラに問いかける。彼女は彼の顔を見て、慌てたように目を瞑った。
「あ、す、すみません。もう一度試します」
「5か6。先ほど君はそう言っていたからね。念のためだ」
「……やっぱり5です。先ほどは勘違いだったかも……」
「ありがとう。じゃあ、ハンスが階段下の2人。ユージンが2人。僕が1人を相手してレラを守る。追加の1名の可能性も視野に入れて動こう。気配を感知して姿を隠していたとしたら、手練れだ」
アルトリウスはサッと手を振った。
ハンスが猫のように扉の奥に広がる闇に溶けていく。ハンスの背を追うようにユージンが階段を降り、そしてアルトリウスはやや間を開けて階段を下った。レラも足音を立てぬよう必死についていく。
彼女が階段に足を降ろそうとしたその瞬間、鉄の激しくぶつかる音が暗闇から聞こえた。
「……そばを離れるな」
アルトリウス様が怖い顔をして私を睨んだ。声を出してもいけないような気がして、私は大きく頷く。
ついで、冷気があたりを包みこんだ。炎や雷と言った魔法が、刹那足元を照らす。
ハンスが2人を相手取り、ユージンが2人の影と闘っている。
「走るよ」
アルトリウス様が言うや否や、猛獣のように駆けだした。あまりの速さに驚いたが、彼は私の手をしっかりと掴んでいる。腕を引っ張られる形で、私はハンスとユージンのいる戦場を走り抜けた。
どうやら階段の下は彼らの生活の場となっていたようだ。木箱や衣類が乱雑に広がっている。
寝袋まであることから、彼らが地下を離れるつもりが無いことが伺える。
「どこだ?」
私の手をそっと放したアルトリウス様が、怪訝な声を漏らした。見取り図ではここが数多くの宝石が眠る倉庫のはずなのにそれらしきものは見当たらない。
「う」
――その時、レラの背中からすぅっと体温が奪われた。同時にズキリと神経が叫ぶ。
思わずはっと振り返ると、そこには頑丈な牢があった。牢の奥だけは明かりが無く、真っ暗闇。
そこだ。レラは口を開いた。
「アル――……」
「っぐ!」
彼に伝えようと声を発した瞬間、隣のアルトリウスがぐっと沈んだ。上空から大剣を振り下ろした男に襲われたのだ。
「僕の後ろに下がれ!」
「っ!」
アルトリウス様が物凄い剣幕で私に叫んだ。私は牢を背にしてじりじりと後ろに下がる。眼前の彼らの動きを見失わないようにしっかりと視界にとらえたまま。何があっても動けるように。
周囲に神経を張り巡らせていると、右端に動く何かを捉えた。反射のように振り向いたそこには――
「あ」
ああ、迂闊だった。レラは振り向きながら、脳の奥で後悔する。
彼女の背後には6人目がそこにいたのだ。彼の気配は目視するまで感じなかった。多分、ずっと前からこの人には気付かれていた。私達に不意打ちを仕掛けるために、虎視眈々と息を潜めていたんだ。
そして、その人は冷たい鉄格子の向こうから殺気もなく一筋のナイフを投げようとしていた。
対象は私じゃない。この場で脅威になりうる、アルトリウス様に狙いを定めている。
……私のせいだ!
考える間もなく、いや罪悪感を覚えているのだから本当は考えているのかもしれない――。
とにかく私は横に飛び出した。
まさか守られていた女が射線上に現れるなんて相手も予想はしていなかったようで、舌打ちが聞こえた。
「レラ!!」
がっと背に衝撃が走ると同時に、前方に見慣れた大きな剣が勢いよく突き刺さる。
レラは地面と衝突しながら、ひたすらに恥ずかしかった。
情けない私を嘲笑うようにナイフがカランコロンと床に転がる。
私がいなくてもアルトリウス様を守れる人はいたのに。私を守ると約束してくれた人たちに対して、身勝手なことをしてしまった。
自分が飛び出さなかったら、ハンスが剣でナイフを弾くことが出来たのに。
「ご、めん」
背中が冷たい。ただひたすらに。
冷水に浸かっているような感覚を覚えながら、背後で人が倒れる音を聞いた。
「レラ。――そうか」
敵の脅威が全て去ったことを確認したアルトリウスは、立ち上がろうとする私を支えようとして固まった。
多分、背中を確認してくれているんだろう。投げられたナイフが当たったのだから。
だけれども、先ほどから私は背の痛みを感じなかった。
あるのは冷たさというより、無。もはや何も感じないのは無傷ということ?
「……君はここで休め」
突然だった。アルトリウス様が私を地面に強引に横たえた。
感覚がなくなってしまった背中に手で触れようとすると、勢いよく手首を掴まれる。彼は血走った目をぎらつかせ、私に容赦ない圧を浴びせかけた。
「いたっ」
「触るな」
「大丈夫ですよ。何も感じないんです。ほら、血と、か出て……」
いない。なぜだろう。
「無意識に防御魔法を張ったんだ。訓練の中で、自然と体が身を守る方法を覚えていた」
「い、や」
そんなはずはない。
「とにかく触れるな。ユージン、彼女に治療を。ハンス、来い」
「なん、で」
ユージンが私の傍に来て、視界を塞ぐようにして立ちはだかる。背中に包帯を巻こうとするが、その手を思わず振り払った。私には必要ないのだ。
アルトリウスとハンスが灯りを持たず、牢に近付く。牢の傍には古びた血が点々と続いているのに気が付いた。目が慣れてきて、ぼんやりと中に人影のようなものが見え始める。
「レラ」
「どいて」
「ダメだ」
「ユージン!」
立ちふさがるユージンに私は初めて怒鳴った。感情のやり場が無い。
どうしていいか分からなくて無理矢理体を起こすと、手元に一欠けらの石が転がっていた。
――まるでナイフで削り取った残骸みたい。
見覚えがあるそれは透明な輝きで私に囁きかける。
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