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第16話 過去

閲覧ありがとうございます!

アルトリウスの過去です。

 

 寒い。痛い。僕はここで死ぬんだろうか。

 厳しい冬の真夜中、7歳の幼いアルトリウスは鉄格子のなかで震えていた。

 ……こんなことになるならば、お城を勝手に抜け出すんじゃなかった。

 彼は幼いながらに自分の迂闊な行動を恥じ、そして反省していた。あれほど勝手な行動はするなと言いつけられていたのに。あの時の自分は、真面目な護衛を掻い潜り、出し抜くことが楽しいと感じていた。

 それがこの結果だ。幼い体では抵抗もままならず、アルトリウスの身分を知らないであろう無知な野党に雑に攫われた。

 今まで大人達に得意げに見せつけていた魔法も、恐怖と動揺から全く意味をなさなかった。むしろ、魔法が使えることで野党の目が光った。


「……帰りたいなぁ」


 野晒しの鉄格子から覗く星々を見上げ、透明な息を吐く。白い息はとうの昔に出なくなっていた。

 感覚の無い指先をこすり隣の不思議な少女を見る。彼女は放心状態で夜空を見上げていた。

 アルトリウスは初めて、自分より幼い横顔に話し掛けた。


「ねぇ」

「……」

「君だよ」

「……私?」


 彼女はゆっくり振り返る。


「君以外に誰がいるのさ。君の名前は?」

「……知らない」

「え?」


 透明な瞳をした彼女の目の奥は濁っていた。目の前の彼に、全てに、無関心だった。


「僕はアルトリウス。君はいつからここにいるの?」

「星が」

「星……?」

「星が綺麗だから、静かにして欲しいな」


 そう言って彼女は、口元に人差し指を当てて空を見上げる。

 幼く、上品な仕草にアルトリウスの心が奪われる。

 自分の問いかけを生まれて始めて無視されたことなんか忘れていた。数多の星々に照らされる彼女の神秘的な横顔に魅入ることしか出来なかった。


 次の日は冷たい雨の日だった。どんよりと薄暗い森の中で、僕らは鉄格子の中でただただじっと息を潜めていた。


 ――その日の夜。彼は彼女に問いかける。相も変わらず心が空に在るみたいだ。夜空と同化してしまいそうな姿にどこか焦りを感じた。


「君はさ、どうして星を見ていたいの?」

「キラキラしているでしょ。夜空は私の地図。宝石が散りばめられた道しるべなの」

「その……夜空の地図を広げて、君はどこに行きたいの?」

「……故郷」


 彼女と目が合った。透明な瞳に輝く星々が映り込んでいる。彼女との会話を終わらせてはいけない。

 アルトリウスは会話を続けようと試みる。


「どこにあるの?」

「無いよ」

「……」

「もうないの。……私が生まれた夜、全てが消えて星になった。夜に育てられたけれど、この前見つかっちゃって、それで今ここにいる」

「夜に……育てられ……?」


 困惑するアルトリウスをよそに、彼女は独白を始める。彼の試みもむなしく、彼女の世界に彼は入らない。


「私は何でも造れるの。食べたいものも、着たいものも……話し相手もね」

「そんな魔法、聞いたことが無いな」

「ま、ほう……?へぇ、そう言うんだ」


 特段驚きもせず、彼女は透明な髪を北風に揺らした。まるで氷みたいな髪の毛が、サラサラと空に溶ける。歳不相応に美しかった。


「寒いでしょ」


 と、彼女はおもむろに小さな炎を作り出した。流れるように出現した小さな熱源に、アルトリウスは思わず声を上げてしまった。む、と初めて彼女が表情を見せる。


「しっ。大きな声を出さないで。あの人達にバレたら面倒だよ」

「ご、ごめん。それより、君は魔法が上手なんだね。実は僕も使えるんだ。君ほど上手く扱えるかは分からないけれど」


 アルトリウスは小さな風をおこす。彼女は相変わらず表情を動かさない。

 彼が微笑むと、彼女は彼の顔を不思議そうに見つめていた。


「どうして笑うの?」

「君に笑って欲しいから」

「……笑い方、分からない」

「楽しい事を思い出すんだよ」

「無い」

「じゃあ、今から作ろう!」

「しっ!だから大きな声出さないで」

「あっ、ごめん……」


 アルトリウスが俯くと、ふ、と声が聞こえた気がした。

 遠くの木々の音に掻き消されそうだったが、確かに聞こえた。


「え、もしかして笑った?」

「……笑ってない。馬鹿にしたの」

「はは!なんだ、笑えるじゃないか」


 その言葉に彼女がまた不器用に笑む。

 ――可愛いな。アルトリウスがそう思った時。


 不意に地面が揺れた。

 無造作に暗い森に置かれていた彼らの鉄格子が底から揺れる。ごごごご、と不安を煽る重低音がそこら中に響いている。攫われた子供たちが闇の中でキャーキャーと泣き叫んでいる。正直、アルトリウスもその恐怖に飲まれそうになっていたのだが、彼を立ち上がらせたのは隣にいる少女だった。


「君、大丈夫?怖くない?」


 必死に平静を装い、7歳のアルトリウスは少女に手を差し伸べる。予想に反し、膝を抱えて座っている彼女は至って冷静だった。


「……森が怒ったみたい」

「え?」

「逃げるなら今の内だよ。皆が逃げてって言ってる。ほら、早く!」


 いうや否や、彼女は鉄格子を捻じ曲げた。どこにそんな力が、と唖然とするアルトリウスを無視し、彼女は地面に足を降ろした。彼女の両手は淡く光っている。おそらく、高難易度の魔法だろう。見たことが無い。

 ぐっと手を引っ張られ、彼の意識が引き戻される。


「おいっ!!! 高値のガキが逃げるぞ!! 追え!!」


 野太い怒号が背後から飛んできた。振り返られなくても分かる。自分と彼女の事だ。

 他の子どもたちはパニックになり、大人に怒鳴りつけられたり、鞭で叩かれたりしている。

 その間も地面の轟音や、空の雷鳴が止まない。この場で唯一、彼女だけが全てを理解しているかのような落ち着きを払っていた。いや、理解しているのだろう。彼女はこれがただの災害では無い事を。


 2人が駆けだしたその時、彼女の足がもつれた。


 ドチャ


 スローモーションのように彼女がぬかるんだ地面に伏す。アルトリウスの顔にも泥が跳ねあがった。

 彼女の足に巻き付けられた茨の先を辿ると意地の悪い笑みがあった。

 血の気が引く。粘着質な中年の声が、純粋なアルトリウスの精神を醜く犯す。


「易々と逃がしてたまるかよ。魔法が使える餓鬼なんざ、高く売れるだろぉ。おまけに容姿も良いときた。お前らがいれば、一生働かずに暮らせるぜ。お前らは俺らの代わりに、一生労働だ。可哀想になぁ」


 怖気がした。剥き出しの悪意を全身に浴びるのは初めてだった。

 足元に転がる彼女の存在なんか、とうに頭から離れていた。

 奴隷、労働、暴力、飢え、そして、死。

 この先、悪意によって起こりうる未来を考えることで精一杯だった。


 足が動かないことに気付いたその瞬間、アルトリウスは宙に放り出されていた。


「え?」


 冷たい北風が頬を切る。視界の端が薄く黄色に染まっていた。夜明けが近いのだろう。

 自分を見上げる顔がいくつも並んでいる。その中でただ、彼女だけが動いていた。


「逃げて!!」


 叫び声が聞こえ、シュっと目の前が何かを霞めた。アルトリウスよりも高く放られた何かが、日出の光を受けて、キラリと金色に輝いた。手を伸ばして必死にそれを掴む。


「あげる!! 使って!!」


 大きく口を開いた彼女は、初めて笑った。

 ――朝日が昇る。透明だった彼女の髪色が初めて色を帯びる。朝焼けの金色だった。


 ダメだ!と叫ぶアルトリウスの声は、彼女に届くことは無かった。急速に森が小さくなっていく。

 最後に見た彼女の姿は、泥にまみれ、美しい髪を強引に引きずられていた。




 いつまでも彼女との別れに想いを馳せてはいられなかった。落下する我が身をどうしたらよいのか。死が迫っている。

 眼下には甲冑を身に着けた大勢がいた。ぶつかる?避けられる?

 どちらにしろ自分は―――。


「――っ!!」


 落下していた体が急にふわっと持ち上げられる。その落差に内臓が驚いた。ドスンと尻もちをついたことで何とか吐かずに済んだ。

 一体自分の身に何が起こったのだろうか。確認する前に誰かに強く肩を掴まれた。大人の男だ。


「離せ!」

「王子!!」


 それは数日前に城で出し抜いた、自分の護衛だった。心配する彼の顔を認識したアルトリウスは、鼻の奥がツンと痛んだ。


「ご無事で良かった……!」

「ご、ごめんなさい」

「説教は後です。今は王子が無事に帰ってきたことを喜ぶ時間ですから。……とはいえ、アルトリウス様は凄いですね。空から何かが落ちてきたかと思えば、目の前で静止したのですから。いつの間に風魔法が上達していたんですか?」

「僕が、必死に、自分の風魔法で……」


 彼女に見せた唯一の魔法だった。僕が風魔法を使えると知ったから、彼女は僕を放り投げたんだ。

 その方角に見慣れた顔があって、こうして無事に生きている。僕だけが。


「……! あっちに! 奴隷商人が!! 急いで追ってくれ!!」

「え?」

「僕はあっちから飛んできたんだ! あっちに囚われている子供たちがっ、彼女がいる!!」


 兵たちは足早に駆けていく。

 ……しかし、僕らがいた場所には、何事も無かったかのように静まり返った森があった。

 ぬかるんだ地面が、不可解なほど綺麗さっぱりなかったのだ。

 彼女との出会いは幻だったのだろうか。

 胸に抱いた宝石を力強く握りしめた。


 (僕は、勇敢な彼女に救われた。)


 必ず探し出す。絶対に諦めない。

 ――今から10年前、幼いアルトリウスは誓ったのだ。


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