第九章 巨大魔獣の襲来と「物件損壊」の危機
十一月の下旬、朝夕の冷え込みが厳しさを増し、森の木々も葉を落として冬の装いを見せ始めていた。「転生者・異種族専門不動産トリス」の店内では、パチパチと音を立てて燃える薪ストーブの温もりの中、静かな時間が流れていた。「店長ー、朝のお掃除とゴミ集積所の点検、終わりましたー!ハイツ・ゴブリンのハルトさんとヴァルガさん、今日も二人で仲良くゴミの分別してましたよー!」ミアが赤い尾を嬉しそうに振らせながら、バケツと箒を手に奥から顔を出した。「それは結構なことです、ミア。入居者同士が協力し合い、マナーを守って生活する。それこそが快適な住環境の第一歩ですからね」僕がいつものように帳簿に目を通し、羽ペンの手入れをしていた、まさにその時だった。
ズズズズズズズズズ……!
地面の底から突き上げてくるような、不穏な微振動が始まった。最初は小さな小刻みな揺れだったが、次第にそれはドシン、ドシン、という足音のような重厚な地鳴りへと変わっていく。「ひやあぁぁぁっ!?じ、地震ですかーっ!?それともまたハルトさんの筋トレですかーっ!?」「落ち着きなさい、ミア。ハルト様の筋トレによる振動ではありません。この波形、そしてこの震源の大きさは……」僕は即座に視界の隅へ『管理者ステータス画面』を呼び出した。
【トリス管理システム:超大型脅威検知アラート】・接近中の対象:超巨大魔獣『ギガント・グランド・トータス』・危険度ランク:災害級(神話クラス)・移動ルート:森の奥から『トリス管理物件エリア』へ一直線 ・予測被害:『ハイツ・ゴブリン』全壊 『旧・暗黒竜の吐息ダンジョン(リノベ一号室)』踏み潰し『新規分譲開発エリア』全滅・推定被害総額:【三億八千六百万コイント】
「さ、三億八千六百万コイントぉぉぉーーーっ!?」画面に明滅する数字を目にした瞬間、僕の手から愛用の羽ペンがポロリとこぼれ落ちた。「大変です、店長ー!お外を見てくださいーっ!」ミアが窓際へ走り寄り、悲鳴を上げた。僕が窓の外へ目をやると、森の木々を薙ぎ倒しながら、山のように巨大な亀型の魔獣が、のしのしとこちらへ向かって歩いてきていた。その巨大な足が一歩踏み降ろされるたびに、地面が激しく揺れ、木々がへし折れる。そしてその進路の先には、僕たちが丹精込めて管理し、改修し、育て上げてきた大切な「トリス管理物件街」が存在していた。「あ、あの巨大魔獣、まっすぐハイツ・ゴブリンやダンジョン住宅の方に向かってますよー!このままだと、全部踏み潰されて平地になっちゃいますーっ!」ミアの顔から血の気が引いていく。三億八千六百万コイントの損失。せっかく積み上げてきた資産価値の無価値化。これから得られるはずだった何十年分もの安定した家賃収入の消滅。僕の脳内で、算盤の玉が弾け飛ぶような音が鳴り響いた。すーっ……と、僕の全身から温もりが消え去り、絶対零度の冷気が漂い始めた。「……僕の……」「え……?店長……?」「僕の大切な……管理物件(資産)に……手を出すな……っ!!」僕はずり落ちかけた眼鏡の位置を極上の静けさで直すと、冷酷そのものの真顔で店舗の扉を押し開けた。「ミア、非常招集の魔導ベルを鳴らしなさい。我がトリス不動産の『全入居者』を緊急招集します」「は、はいーーーーっ!!」
カンカンカンカンカンカンッ!
アパート街の中央広場に、緊急警報の鐘の音がカン高いく響き渡った。「なんだなんだ!?敵襲か!?」作業服姿のチート勇者ハルトが、スコップを手にして真っ先に飛び出してきた。続いて、百二号室から漆黒のローブを羽織った元・魔王ヴァルガ、さらには事故ダンジョンから駆けつけた魔族のツヴァイと元・聖女のリリィ、そして開墾現場からほうほうの体で逃げてきた錬金術師ケンジ、俊足者ダイスケ、空間魔法使いシンジら滞納者同盟の面々が集まってきた。「おい店長!一体何が起きて……うわああぁぁぁっ!??なんだあの大怪獣はーーーっ!?」ハルトが空を見上げ、目玉を飛び出させて叫んだ。山よりも巨大な『ギガント・グランド・トータス』が、すぐ目と鼻の先まで迫っていたのだ。その巨大な足が、まさに『ハイツ・ゴブリン』の屋根の上に振り下ろされようとしている。「ひえぇぇぇっ!家が……俺たちの住んでるアパートが潰されるーーーっ!」ダイスケが頭を抱えて悲鳴を上げた。混乱と恐怖が広がろうとしたその時、僕が広場の中央にある台座の上に立ち、冷徹な声で通告した。「皆様。落ち着いて、僕の提示する『現実』をお聞きください」「ね、ネイル店長!早く逃げないと踏み潰されるぞ!」ハルトが叫んだが、僕は微動だにせず、分厚い台帳を開いた。「逃げる必要はありません。……それよりも皆様、あのアドバンスド巨大魔獣によって我が街が踏み潰された場合、何が起きるかお分かりですか?」「何がって……家が壊れるんだろ!?」「そうです。家が壊れます。……つまり、あなた方が現在享受している『初期費用ゼロ・フリーレント(家賃三ヶ月無料)』の快適な住環境、およびせっかく見つけた『追手から逃れて隠れ住める理想の我が家』が、すべて消滅いたします」「「「な……なんだと……!?」」」全員の顔色が変わった。「ハルト様。あなたの仮住まいである百一号室が消滅した場合、あなたは極寒の冬空の下、テント暮らしをしながら修繕費の土木作業に従事していただくことになります」「て、テント暮らしで土木作業!?そんなの凍死しちゃうよぉぉぉっ!」「ヴァルガ様。あなたの百二号室が破壊された場合、人間界での潜伏先を失い、王都の衛兵隊や冒険者ギルドに身元が発覚するリスクが跳ね上がります」「ぬぐっ……!我が平穏なる人間界ライフが……!」「ツヴァイ様、リリィ様。お二人の愛の巣であるダンジョン住宅の入口が崩落した場合、再び行き場を失い、世間の冷たい目に晒される逃亡生活へ戻ることになります」「そんな……!せっかく二人で暮らせる場所を見つけたのに……!」「そして、滞納者同盟の皆様。現場が破壊された場合、作業効率が低下し、返済期間が三ヶ月から『一年に延長』となります」「「「一年に延長ぉぉぉーーーーっ!???嫌だぁぁぁーーーっ!!」」」広場に、入居者たちの絶望の悲鳴が吹き荒れた。僕は算盤をパチン!と力強く叩き、彼らに向かって言い放った。「我がトリス不動産の管理物件を守れるか否か……それは、今ここにいる皆様の手に委ねられています。自分たちの『我が家』を守りたいのであれば……あの不法侵入者を、今すぐ退去させなさい!!」僕のその一言が、全員の魂に火をつけた。「俺たちの……俺たちの『家賃無料の快適な家』を……壊させがあぁぁぁーーーーっ!!」ハルトの目が血走り、全身から眩い黄金のオーラが爆発した。「そうだ!せっかく静かに暮らせる住処を見つけたのだ!あの亀ごときに我が平穏を邪魔されてたまるかぁぁぁっ!」ヴァルガの背後に、巨大な漆黒の魔王の幻影が立ち上る。「リリィとの温かいお風呂を守るんだーーーっ!」ツヴァイの背中から漆黒の翼が広がり、超ド級の魔力が渦巻いた。「俺たちの返済期間を延ばさせないぞぉぉぉっ!『神速』『錬金』『空間魔法』……フル稼働だぁぁぁっ!」ケンジ、ダイスケ、シンジの三人も、目を三角にしてチート能力を全開にした。「ひ、みんなの目が……みんなの目が本気すぎるーっ!?」ミアが引きつった声を上げた。住処を奪われかける恐怖と、家賃無料の快適さを失う絶望。それが一つに合わさった時、チート勇者、元・魔王、異種族、そして転生者たちの秘められた破壊力が、極限まで高められたのだ。
「行くぞ野郎共ーーーっ!『我が家防衛大作戦』開始だぁぁぁーーーーっ!!」
「「「おあああぁぁぁーーーーっ!!」」」
ズガガガガガガガアアンッ!!
巨大魔獣『ギガント・グランド・トータス』が、自身の足元へ向かって突撃してくる人影に気づくよりも早く、猛攻が始まった。「『神速』で足元へ滑り込み!『空間魔法』で脚の関節を固定!『錬金術』で甲羅の成分を軟化させるぞ!」滞納者同盟の完璧なコンビネーションにより、巨大魔獣の足止めが完了する。巨大な亀がドスンと体勢を崩した。「今だ、ツヴァイ!ヴァルガ!」「おおおっ!『極大暗黒魔導砲』ーーーッ!」「『黒炎竜の咆哮』ーーーッ!」ヴァルガとツヴァイによる二大魔族の極大攻撃魔法が、直撃コースで巨大魔獣の頭部を穿つ。ドガアァァァンッ! と激しい爆発が巻き起こり、巨大魔獣が悲鳴を上げた。「そして仕上げだぁぁぁっ!俺の家を……俺のふかふか布団を返せぇぇぇっ!」空高く跳び上がった勇者ハルトの手には、眩いばかりの光を放つ聖剣が握られていた。「『チート聖剣創造・限界突破・一刀両断斬り』ーーーーーッ!!」
ドカアァァァァァァァァンーーーーッ!!
一閃。山のように巨大だった超大型魔獣『ギガント・グランド・トータス』は、空中で見事に真っ二つに切断され、ドサリと森の空き地へ崩れ落ちた。出没から、わずか数十秒。 災害級の巨大魔獣は、家を守ることに執念を燃やす入居者たちの手によって、文字通り「秒殺」されたのだった。
し〜ん……。
静まり返る森の中。真っ二つになった巨大魔獣の巨体の前で、ゼーゼーと肩で息をするハルトやヴァルガたち。「はぁ……はぁ……や、やったか……?」「ふぅ……我が家に……傷ひとつつけさせはせん……」入居者たちが安胸を撫でおろし、ハイツ・ゴブリンやダンジョン住宅を見上げた。建物は、何一つ壊れていない。完璧に無傷だった。「や、やりましたね、店長ー!物件が……物件が守られましたよーっ!」ミアがピョンピョン跳ねて歓声を上げた。僕はずり落ちた眼鏡の位置を直し、ゆっくりと倒れた巨大魔獣へ近づいて行った。そして、胸ポケットから羽ペンと査定シートを取り出すと、パチンと算盤を叩いた。「皆様、素晴らしい手際でした。ご協力に感謝いたします」「へへっ!見たかよ店長!俺たちの家愛をな!」ハルトが誇らしげに胸を張った。「ええ、実に見事でした。……さて、皆様。この倒された巨大魔獣ですが……非常に上質な『高硬度甲羅』と『高級魔獣肉』の宝庫です。ギルドへ売却すれば、およそ五千万コイントの値がつきます」
「「「ご、五千万コイントぉぉぉーーーっ!?」」」
全員の目がコインの形になった。「つきましては、今回の討伐手当および貢献度に応じまして、皆様の抱える修繕費および滞納債務から、特別相殺をさせていただきます」僕が算盤の玉をパチン!と叩いた。「ハルト様、修繕費残り十六万コイント……全額完済といたします」「よ……やったぁぁぁーーーっ! 借金返済だぁぁぁーーーっ!」ハルトが涙を流して大喜びした。「滞納者同盟の皆様、違約金および未払い分……全額完済といたします。明日からの強制労働は解除です」「「「神様!ネイル店長は神様だぁぁぁーーーっ!!」」」ケンジたちが抱き合って歓喜の声を上げた。「さらに、余剰の売却益に関しましては、我がトリス不動産の管理基金に充当し……『全管理物件の共用部エアコン完備』および『ハイツ・ゴブリンの防音工事増強』に使用させていただきます」「「「うおおおぉぉぉーーーっ!トリス不動産バンザイ!ネイル店長バンザイ!!」」」広場に、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。先ほどまで文句を言っていた入居者たちが、今や僕を神のように崇め、肩車しようと群がってくる。
「ひやあぁぁぁっ!店長、大人気ですねー!」
ミアが楽しそうに笑った。
「やめてください、服が汚れます。……ですが、ふむ」
僕は肩車されながら、空を見上げた。勇者も、魔王も、異種族も、転生者も。互いに争うべき宿命を背負った者たちが、今や「同じ街の住人」として、肩を組み合って喜んでいる。家を守る。日常を守る。それだけの共通の目的が、彼らの間に決して切れない強い絆を生み出していた。「不動産管理とは……ただ家を貸すだけではなく、人々が共に生きる『コミュニティ』を育むこと……ですね」「え? 店長、何か言いましたー?」「いいえ、何でもありませんよ、ミア」僕は完璧な営業スマイルを浮かべ、集まった入居者たちに向かって朗らかに宣言した。「さあ皆様!本日は解体作業と、夜は我がトリス不動産主催の『我が家防衛・大バーベキュー大会』を開催いたします! 高級魔獣肉を存分に味わってください!」「「「うおあぁぁぁーーーっ!!店長太っ腹ーーーっ!!」」」冬の澄み渡る空のもと、人々と魔族と転生者たちの歓声が、どこまでも高く、暖かく響き渡っていったのだった。




