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第八章 結界破れる! 滞納者たちの「夜逃げ」計画

 十一月の半ば、秋の終わりを告げる冷たい木枯らしが、森の樹々を激しく揺らしていた。「転生者・異種族専門不動産トリス」の店内には、パチパチと心地よい音を立てる薪ストーブの温もりが満ちていた。僕は受付カウンターで、温かい紅茶を口に含みながら、分厚い台帳と羊皮紙の請求書を検分していた。「店長ー、薪の補充終わりましたー!うぅ……外は風が冷たくて、すっかり冬の気配ですねー」ミアが真っ赤になった鼻をさすりながら、薪をストーブの脇に積み上げた。「お疲れ様です、ミア。季節の変わり目は体調を崩しやすいですから、温かくしてくださいね。……さて、季節の変わり目といえば、我がトリス不動産にとっても『非常に重要な時期』がやってまいりました」「重要な時期……? あ! もしかして……!」ミアがハッと目を見開いた。「ええ。我が社が夏のオープニングキャンペーンとして展開していた『新規転生者限定・フリーレント三ヶ月(初期家賃三ヶ月無料)特約』の適用期間が、今月末をもって満了となります。……つまり、来月一日からはじめての『家賃回収期』が到来するのです」僕は台帳のページを指でたどった。「フリーレント期間中は、いくら快適に過ごそうが家賃は発生しません。しかし、無料期間が終われば、当然ながら毎月約束された家賃を支払っていただく義務が発生します。……そして、人間の心理として最も過ちを犯しやすいのが、この『無料から有料へ切り替わる瞬間』なのです」「う……確かに……『今までタダだったのに、なんでお金払わなきゃいけないの?』って思っちゃう人が出そうですね……」「その通りです。そして残念ながら……我がトリス不動産の管理システムは、すでに何名かの入居者様が『よからぬ企み』を抱いていることを検知しております」僕がパチンと指を鳴らすと、空間に巨大な【管理者ステータス画面】が青白く浮かび上がった。



 【トリス管理システム:リスク挙動アラート】・監視対象:賃貸アパート「ハイツ・ゴブリン」二階および貸戸建て数件・該当入居者: 二百一号室:ケンジ(転生者/職業:【チート錬金術師】) 二百二号室:ダイスケ(転生者/職業:【チート神速俊足者】)二百三号室:シンジ(転生者/職業:【チート空間魔法使い】)・検知された異常フラグ:【荷物の極端な段ボール梱包化(部屋の空洞化)】【深夜帯における移動速度の上昇および契約境界線への接近】 【深夜密談による『他国(隣国ルヴェン帝国)への逃亡計画』の発覚】・判定結果:【集団夜逃げフラグ(進行度九十四パーセント)】



 「ひ、ひえぇぇぇーーーっ!?『集団夜逃げ』ぁぁぁーーーっ!?」ミアが跳び上がって悲鳴を上げた。「二百一号室のケンジさんに、二百二号室のダイスケさん、二百三号室のシンジさん!?あの人たち、先週まで『トリス不動産最高ー!』ってニコニコしながら住んでたじゃないですかー!」「言葉巧みな入居者ほど、腹の中では家賃踏み倒しを画策しているものです。彼らはフリーレントの三ヶ月間、甘い汁だけを吸い尽くし、家賃の支払い義務が発生する直前で隣国へ逃亡し、契約をうやむやにしようと『滞納者同盟』を結成したようです」「そんなの許せませんー!家賃を払わないで逃げるなんて、泥棒と同じじゃないですかー!」「ええ。不動産管理において、家賃の滞納および無断退去(夜逃げ)は最も悪質な契約違反です。……ですが、ご安心ください」僕は眼鏡の位置を静かに直し、冷ややかな笑みを浮かべた。「我がトリス不動産の契約書は、単なる紙切れではありません。そこにサインした瞬間から、入居者のステータスと物件の鍵には……『不動産管理者の絶対権限』が組み込まれているのですから」僕は算盤と、黒い契約書マスターキーを鞄に収めた。「ミア。決戦の時は今夜、丑三つ時です。静かに、かつ確実に詰んで差し上げましょう」



 午前二時。月明かりすら雲に覆われた、深く暗い森の夜。「ハイツ・ゴブリン」の裏手にある街道沿いで、黒いフード付きのマントを羽織った三人の男たちが、息を潜めて集まっていた。「おい……準備はいいか、二人とも?」大きなリュックサックを背負った錬金術師のケンジが、周りを警戒しながら囁いた。「バッチリだぜ!『神速』の俺の脚なら、荷物を持ったまま五分で隣国の国境線を突破できる!追っ手なんて追いつけやしないさ!」俊足者のダイスケが、不敵な笑みを浮かべて足をストレッチする。「ふふふ、僕の『空間魔法』でアイテムボックスに部屋の家具を全部詰め込んできたからね。あのガキ店長、明日の朝部屋に入ったら空っぽで腰を抜かすんじゃないかな?」空間魔法使いのシンジが、クスクスと鼻で笑った。「ヒヒヒ!ざまあみろだ!『初期費用ゼロ・三ヶ月無料』なんて甘いキャンペーンを打つからこうなるんだよ!タダで住めるだけ住んで、金を取られるようになったら他国へトンズラする……これぞ転生者様のスマートな生き知恵ってやつさ!」「よし、決まりだな!それじゃあ脱出開始だ!隣国でまた新しい偽名を使って、無料の借家を探そうぜ!」「「おう!!」」三人が意気揚々と一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。



カチリ。



 静寂の広がる夜の森に、金属が噛み合う小さな、しかし明瞭な音が響いた。「……え?」ダイスケが脚を動かそうとしたが、まるで地面に強力な接着剤で貼り付けられたかのように、一歩も前に進まない。それどころか、全身の関節が固まったように固直していた。「な、なんだ!?脚が……脚が動かない!?『神速』のスキルが発動しないぞ!?」「僕の空間魔法も……アイテムボックスが開かない!? 中の荷物が取り出せない!?」シンジが青ざめて叫ぶ。ケンジも慌てて錬金術の鞄を開こうとしたが、ファスナーすらビクともしなかった。「な、何が起きてるんだ!?事故か!?敵の襲撃か!?」狼狽する三人の頭上から、静かで透明感のある少年の声が降ってきた。「事故でも襲撃でもありませんよ。……単なる『契約条項に基づく強制執行』です」暗闇の中から、青白い光を纏った一人の少年と、猫耳の少女がゆったりと姿を現した。僕の手には、青く発光する『管理者ステータス画面』と、黒いマスターキーが握られていた。「ね、ネイル店長……!?な、なんでお前がここに……!?」ケンジが引きつった顔で悲鳴を上げた。「夜風が冷え込む時間に、大きな荷物を抱えてどちらへお出かけですか? 二百一号室、二百二号室、二百三号室の皆様」「う……うぐっ!別にお前に関係ないだろ!俺たちは散歩に出かけるところだ!」「深夜二時に、部屋の家具をすべて空間魔法で撤去し、隣国の国境線へ向かって『神速』で疾走するのが散歩ですか?ずいぶんアクティブな散歩ですね」僕が完璧な営業スマイルで皮肉を叩きつけると、三人は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。「ハッ!バレちまったなら仕方ねえ!おいシンジ、ダイスケ!力ずくでこのガキをぶちのめして逃げるぞ!たかが十二歳のガキ一人の結界なんざ、俺たちのチートスキルで破壊してやる!」ケンジが腰の短剣に手を伸ばそうとした。しかし僕は、冷たい眼差しで彼らを見つめ、マスターキーを手に持ち、静かに宣告した。「無駄です。……皆様がお使いのチート能力、およびそのお体は、現在『不動産管理者の遠隔ロック』機能により、完全に制御下にあります」「な……なんだと……!?」「お忘れですか?入居時に皆様がサインされた『賃貸借契約書』の第ニ十八条……【家賃未払いおよび夜逃げ未遂時における緊急制限措置特約】を」僕がパチンと指を鳴らすと、彼らの目の前に金色の契約書文字が浮かび上がった。『第ニ十八条【夜逃げ・踏み倒しに対する事前保全措置】』借主が家賃の支払いを免れる目的で無断退去(夜逃げ)を試みた場合、貸主は即座に以下の管理権限を行使できるものとする。一、借主の全スキルおよび魔力行使の【遠隔一時凍結】。二、借主が保有する全資産(ギルド口座、アイテムボックス内の財産)の【仮差押え・遠隔ロック】。 三、借主の物理的移動速度の【ゼロ化(身体固定)】。「な……なんだよそのメチャクチャな契約はーーーっ!?そんなの聞いてないぞ!?」ダイスケが泡を食って叫んだ。「聞いていないのではなく、お読みにならなかったのです。サインの際、僕は『細かい注意書きまで必ずご確認ください』と、確か三回はお伝えしましたよ?」僕は算盤を構え、パチパチと冷酷な音を立てて弾き始めた。「さて、査定を行います。皆様の来月分の家賃……一室あたり月額八千コイント、三部屋で合計二万四千コイント。さらに、無断退去未遂に伴う『違約金(家賃三ヶ月分)』および『深夜緊急対応手当』を加算いたします」


パチン!



 「合計で【十万二千コイント】となります。……今すぐお支払いいただけますか?」「は、払えるわけないだろ!金がないから夜逃げしようとしてたんだよ!」ケンジがやけくそになって怒鳴り散らした。「知っています」僕は冷ややかに微笑んだ。「お金がないことは百も承知です。ですので、我がトリス不動産は、返済能力のない滞納者様のための『特別救済プログラム』をご用意しております」「救済……プログラム……?」不気味な予感に、三人の顔が引きつる。「はい。あなた方のチートスキル……『錬金術』『神速』『空間魔法』。これらは賃貸物件の破壊には有害ですが、我が社の『新規分譲エリア開拓事業』においては、極めて有能な労働資源となります」「え……?」「ケンジ様には『建材用特殊セメントの錬金生産』。ダイスケ様には『開拓エリア間の爆速資材搬送』。シンジ様には『大量土砂の空間転送処分』。……明日から三ヶ月間、無休で開拓現場にて働いていただきます」「さ、三ヶ月間無休で土木作業だとぉぉぉーーーーっ!??俺たちはチート能力で無双するために異世界に来たんだぞ!なんで土木作業員にならなきゃいけないんだよーっ!」「自業自得です。家賃を踏み倒そうとした報いですよ」僕が指を鳴らすと、三人の体に光のチェーン(管理用拘束魔法)が巻き付いた。「ミア、彼らをハイツ・ゴブリンの地下作業員控室へ連れて行きなさい。明日の朝六時から開墾作業開始です」「はいっ! 店長! 皆さん、ほら、諦めて歩いてくださいー!夜逃げなんてしようとするからですよー!」「いやだぁぁぁっ! 助けてくれーっ! 家賃払うから!働きたくないよーっ!」「フリーレント三ヶ月に戻してくれぇぇぇーーーっ!」悲痛な叫び声を上げながら、ミアに引かれて連れて行かれる『滞納者同盟』の三人のチート転生者たち。 夜の森に、彼らの絶望の悲鳴がどこまでも虚しく響き渡っていた。



翌朝。



 雲ひとつない秋晴れの空のもと、「旧・魔王軍演習場跡地」の開発エリアでは、作業服を着た三人の転生者たちが、涙目で汗を流していた。「ひ~ん……『爆速資材搬送』……! 足が千切れそうだよう……!」ダイスケが大量の丸太を背負って爆走している。「『空間転送・土砂処分』……!魔力が底をつくよぉ……!」シンジがゲッソリとした顔で土砂を空間の穴へ放り込んでいる。「『セメント錬金』……手が荒れるよお……!」ケンジが必死で魔法陣を叩いている。その傍らでは、すでに先輩作業員として慣れた手つきで穴を掘っていたチート勇者ハルトが、ニカッと爽やかな笑顔で声をかけていた。「おう、新入りども!最初はツラいだろうけどな、真面目に働けばトリス不動産の店長はちゃんと温かいメシと風呂を用意してくれるぞ! 一緒に借金完済目指して頑張ろうぜ!」「「「お前と一緒にすんなぁぁぁーーーーっ!!」」」三人の絶叫が開拓地にこだました。離れた高台から、その光景を眺めながら、ミアが感心したようにスープの入った保温ボトルを抱えていた。「店長ー、ケンジさんたち、すごい勢いで作業してくれてますねー!あの三人のスキルが合わさったら、開発エリアの工事、予定の三倍のペースで進みそうですよ!」「ええ。彼らのチート能力は、戦闘や悪知恵に使うよりも、社会インフラの整備に使ってこそ真の価値を発揮します。無駄な夜逃げを阻止し、労働力として最適配置できたことは、我が社の経営にとっても大きなプラスですね」「ふふっ、店長ってば本当に容赦ないですけど……でも、これで彼らもちゃんと働いて、家賃を払う喜びを知ってくれたらいいですねー!」「ええ。家賃を納め、社会の一員として責任を果たす。これこそが、転生者たちがこの世界で『第二の人生』を正しく踏み出すための第一歩なのですから」僕は手帳を開き、羽ペンで彼らの返済スケジュールにチェックを入れた。「さて、ミア。温かいスープを持って、彼らに差し入れに行きましょう。労働者の健康管理も、優秀な不動産管理者の大切な務めですからね」「はいっ!店長!」爽やかな秋風が、新しく生まれ変わりつつある開発エリアを駆け抜けていく。夜逃げ未遂事件は見事に解決し、トリス不動産の管理下で、今日も新しい街づくりが着々と進められていくのだった。


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