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第七章 魔王と勇者が隣同士!? 集合住宅の壁一枚

 十月の半ば、秋の深まりとともに森の木々が赤や黄色に彩られ始めていた。「転生者・異種族専門不動産トリス」の受付カウンターでは、いつものように澄んだ森の空気を吸い込みながら、僕が羽ペンを走らせていた。大手不動産ギルドの介入を見事に撃退し、事故ダンジョンのリノベーション事業も大成功を収めたことで、我がトリス不動産の評判は王都から辺境に至るまで響き渡っていた。だが、賃貸管理という仕事において、真の脅威は外部のライバルではなく、いつだって「入居者同士のトラブル」という内部から生じるものだ。



ドォォォォンーーーッ!



 突如として、店舗の床と壁が激しく振動した。棚に並べられた契約書類のファイルが一斉に崩れ落ち、天井のシャンデリアがガチャガチャと悲鳴のような音を立てる。「ひやあぁぁぁっ!? じ、地震ですかーっ!?」ミアが猫耳をピンと立たせ、抱えていたお茶のトレイをあやうく落としそうになりながら悲鳴を上げた。「いいえ、ミア。揺れの波形と周期から見て、自然災害ではありません。震源地は……店舗から徒歩一分、我が社が誇る主力集合住宅『ハイツ・ゴブリン』の一階部分です」僕はずり落ちかけた眼鏡の位置を静かに直し、管理者ステータス画面を呼び出した。



 【トリス管理システム:緊急騒音・振動アラート】・対象物件:集合住宅「ハイツ・ゴブリン」・発生箇所:百一号室および百二号室の境界壁・入居者: 百一号室:ハルト(称号:【チート勇者】/現在、土木作業員として返済中) 百二号室:ヴァルガ(称号:【元・魔王】/正体を隠して人間界へ潜伏中)・異変内容:境界壁(木造・防音仕様)に対する限界を超えた衝撃波および魔力干渉・建物耐久度:【九十八パーセント】→【六十二パーセント】へ急降下中・原因分析:【隣室同士による激しい壁ドンおよび魔導音波の応酬】



 「……始まりましたか」「は、始まりましたって……店長、知ってたんですかー!?」「ええ。先週、チート勇者ハルト様が修繕費返済のための仮住まいとして百一号室へ強制転居となった直後、奇しくも百二号室に『身元保証人なし・即入居希望』のヴァルガ様がお入りになりました。察するに、ヴァルガ様は魔王軍の敗戦に伴い、人間界で潜伏生活を送るために我が社の格安物件をお選びになったのでしょう」「えぇぇぇっ!? 魔王と勇者が壁一枚を隔てて隣同士に住んでるんですかー!?」「はい。お二人ともお互いの正体には気づいておりませんが……悲しいかな、宿敵同士の魂の相克と申しますか、生活リズムとマナーの不一致により、入居直後から険悪な状態が続いておりました」僕は深々とため息をつくと、電卓代わりの算盤と、太い「入居規約違反警告書」を鞄に詰め込んだ。「ミア、現場へ向かいます。世界平和の崩壊よりも何より、我が社の『ハイツ・ゴブリン』の資産価値が崩壊することだけは阻止しなければなりません」「は、はいっ!ヘルメット持って行きます!」



 「ハイツ・ゴブリン」は、木造二階建て、全八部屋の標準的なアパート物件だ。家賃の安さと日当たりの良さが売りで、主に駆け出しの冒険者や訳ありの異種族が暮らしている。僕たちがアパートの廊下に足を踏み入れた瞬間、凄まじい大音量の怒声と、壁を叩くドカドカという衝撃音が響き渡ってきた。「おい隣の奴!いい加減にしろよな!毎朝毎朝、朝の五時から『魔王軍再興の儀式』だか何だか知らねえが、ぶつぶつ怪しい呪文を唱えながら骨の笛を吹くのをやめろーっ!夜勤の土木工事で疲れて寝てんだよっ!」百一号室のドアが勢いよく開き、土木作業服を着たチート勇者ハルトが、髪をボサボサにして飛び出してきた。ハルトは境界壁に向かって、怒りに任せて思い切り拳を叩きつける。ドドンッ!すると、即座に百二号室のドアがバシャーンと開いた。中にいたのは、漆黒のローブを身に纏い、禍々しい角を頭に生やした厳めしい大男。元・魔王ヴァルガ氏だった。「黙れ無礼者が!貴様こそ、昨夜の深夜二時に『チート筋トレ』と称して、床に百キロのバーベルをズドンズドン落としていたではないか!我が秘術の冥想が台無しになったのだぞ!そもそも貴様、昨日のゴミ出しの日、指定の『透明な魔法ゴミ袋』を使わずに、粗大ゴミの木くずを適当に放置していただろうが!」「あんだと!?あれは俺が聖剣で削った木くずだから、自然に返るからいいんだよ!」「言い訳苦しいぞ愚民め!分別ルールを守れぬ者は、我が冥府の炎で燃やし尽くしてくれるわ!」「やってやろうじゃねえか!俺のチートスキルを見せてやる!」バチバチバチッ!ハルトの右手には黄金の聖剣の光が宿り、ヴァルガの掌には漆黒の暗黒魔導波が渦巻き始めた。 アパートの廊下の空気が歪み、壁のクロスがパリパリと剥がれ落ちていく。「二人ともやめてくださいー!アパートが吹き飛んじゃいますー!」ミアが頭を抱えて悲鳴を上げた。世界を賭けた最終決戦が、アパートの狭い廊下で今まさに勃発しようとしたその瞬間。「……そこまでです」氷のように冷ややかな声が、二人の間に割り込んだ。ハルトとヴァルガがぎくっとして振り向くと、そこには胸の前で腕を組み、凄まじい真顔で佇む十二歳の少年。僕が立っていた。「ね、ネイル店長……!?」「な、なんだこのガキは……?ぬう、このプレッシャーは一体……!?」「お二人とも。聖剣と暗黒魔法を今すぐ収めなさい。……さもなければ、本日付で『即時強制退去』および『敷金全額没収・違約金請求』の手続きに入らせていただきます」「「え……?」」僕がパチンと指を鳴らすと、ミアが素早く二枚の座布団を廊下に敷いた。「ハルト様、ヴァルガ様。そこに正座してください」「え、あ、いや、でも俺は勇者で……」「正座です」「は、はいっ!」「我は魔界を統べる魔王ヴァルガ……なぜ人間の一等地にすぎぬガキに正座など……」「正座をしなさいと言っているのです、ヴァルガ様」「……はい」絶対的な静寂と圧迫感に屈し、最強のチート勇者と、恐るべき元・魔王が、狭いアパートの廊下で並んでチョコンと正座させられた。



「さて」



 僕は正座する二人の前に立ち、鞄から分厚い『ハイツ・ゴブリン管理規約集』を取り出した。「お二人に深刻な欠如が見られるのは、世界を救う情熱でも、魔界を復興する野望でもありません。……『集合住宅における基本的マナーと他者への配慮』です」僕は算盤を構え、まずは百一号室のハルト氏を指さした。「ハルト様。深夜二時のウェイトトレーニングによる重低音および床振動。これは入居規約第十五条【夜間帯(二十二時から翌七時)における騒音・振動の禁止】に明確に違反しています。床の防音マットも敷かずにダンベルを落とす行為は、下階の住人および隣室への著しい迷惑行為です」「うぐっ……! で、でも俺はチート能力を維持するためにトレーニングが……」「トレーニングは屋外の公園か、ご自身が作業されている土木現場で行ってください。また、ゴミの分別の件ですが……ヴァルガ様のご指摘通りです。『可燃ゴミ』と『木くず等の産業廃棄物』を混同してゴミ集積所へ放置するのは厳禁です。カラスや小動物が荒らしたらどうするのですか?」「す、すみません……」勇者ハルトがしょんぼりと肩を落とした。それを見て、隣の元・魔王ヴァルガがニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。「クックック……見ろ愚かな勇者め、店長殿から徹底的に絞られているではないか。やはり人間などという粗雑な種族に、我が崇高な規律を理解することなど……」「ヴァルガ様」僕の冷たい視線が、ヴァルガ氏へ向けられた。「……な、なんだ?我は正しくゴミを分別しておるぞ?」「ゴミの分別は入居者として当たり前の最低限の義務です。ほめられるようなことではありません。それよりも問題なのは、早朝五時における骨笛の演奏および大声での呪文詠唱です」「む……!?あれは魔王軍の英霊に捧げる朝の神聖なる儀式であって……」「共同住宅において、他人の睡眠を妨害する音はすべて『騒音』です。神聖であろうと邪悪であろうと関係ありません。入居規約第十六条【楽器演奏および宗教的・魔導的儀式の制限】に基づき、室内の防音処置が完了していない状態での音出しは一切禁止されています」「う……うむむ……っ!」「さらに言えば、先ほど壁に向かって放たれた『暗黒魔導波』。あれにより境界壁の内部補強材が劣化し、修繕費としておよそ一万五千コイントの損害が発生いたしました」「い、一万五千コイントだと……!?我の今月の生活費が……!」ヴァルガ氏の顔が真っ青になった。僕は算盤の玉をパチパチと弾きながら、二人に交互に視線を送った。「お二人とも、よくお聞きなさい。集合住宅とは、生まれも育ちも、価値観も異なる人々が、壁一枚を隔てて共に暮らす『小さな社会』なのです。勇者だから許される、魔王だから特別だ……そんな特権意識は、我がトリス不動産の管理下においては一切通用いたしません」



「「はい……」」



 「お互いに不満があるのなら、壁を叩いて壁ドンをするのではなく、まずは管理会社である僕に相談するか、冷静に入居者同士の話し合いをしなさい。壁一枚の向こう側には、あなたと同じように一日を必死に生きている『一人の人間(あるいは魔族)』がいるのですから」僕の説教に、ハルトとヴァルガは完全に毒気を抜かれたように、深々と首を垂れた。隣で見守っていたミアが、クスクスと笑いながら二人に温かいお茶の入った湯呑みを差し出した。「二人ともー、お茶でも飲んで落ち着いてくださいー!店長は厳しいですけど、ちゃんと二人のこと考えて言ってるんですよー?」「あ、ありがとう……猫耳ちゃん……」「うむ……かたじけない……」湯呑みを両手で持ち、ズズズ……とお茶をすする勇者と魔王。 壁一枚を隔てて殺し合おうとしていた宿敵同士が、廊下で並んでお茶を飲んでいる姿は、どこか微笑ましくもあった。「……あのさ、隣の人」ハルトが湯呑みを置き、気まずそうにヴァルガを見た。「俺も……深夜にドタバタして悪かったよ。夜勤明けでイライラしててさ」「……ふん。我の方こそ、早朝から騒がしくしてすまなかったな。人間界の朝の静寂というものを考慮しておらんかった」「ゴミの分別も、次からちゃんと透明な袋に入れるよ。やり方教えてくれよ」「……フッ、易しいことだ。我の完璧な分別法を伝授してやろう。その代わり……お前のその、筋トレのバーベルとやらの下に敷く『防振ゴムマット』とやらは、我が魔導で作成して進呈してやってもよいぞ」「マジで!?助かるよ!サンキュー!」顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる二人。 宿命の対立を超えて、二人の間に「良き隣人」としての小さな絆が芽生えた瞬間だった。「ふむ……雨降って地固まる、ですね」僕は手帳を閉じ、満足そうに頷いた。「ではお二人。壁の修繕費一万五千コイントにつきましては、お二人で折半とし、各自七千五百コイントずつ、来月の家賃に上乗せして請求させていただきますね」「「えぇぇぇーーーっ!?折半なんですかー!?!?」」「当たり前です。二人で壊した壁なのですから。さあ、ハルト様は土木工事へ、ヴァルガ様は内職のアルバイトへ行って、しっかり稼いできてください」「「は、はいーーーーっ!!」」叫び声を上げながら、慌ただしく部屋の中へ戻っていく二人。 廊下には、どこか和やかな空気が漂っていた。



夕方。



 修繕作業が終わった「ハイツ・ゴブリン」の百一号室と百二号室の窓から、夕食の美味しそうな匂いが漂ってきた。「店長ー!見てください!ハルトさんとヴァルガさん、百一号室で一緒に晩ごはん食べてますよー!」窓越しに覗くと、ハルトが買った安売りのお肉と、ヴァルガが作った特製魔界スープを囲み、二人で楽しそうに乾杯していた。「ええ。壁一枚の隔たりも、お互いを理解し合えば、かけがえのない絆へと変わるのです。これこそが、集合住宅管理の醍醐味ですね」「ですねー!世界を救う勇者様と、世界を滅ぼす魔王様が、お隣さん同士で仲良くご飯を食べるなんて……世界平和って、案外こういう小さな場所から始まるのかもしれませんねー!」ミアが嬉しそうに目を細めた。「そうかもしれません。ですが……」僕は手帳を開き、新しい管理スケジュールを書き込んだ。「明日の朝のゴミ出しで、もし二人が分別を間違えていたら、容赦なく二人まとめてアパートの草むしり奉仕作業を命じますよ」「きゃーっ!店長、世界平和の守護者になっても、やっぱり容赦ないですー!」秋の夜長、星々が美しく輝く空のもと。勇者と魔王が暮らす小さなアパートからは、今夜もにぎやかで温かな笑い声が、どこまでも優しく響き渡っていたのだった。


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