第五章 訳あり物件「事故ダンジョン」のリノベーション
一筋の湿った風が、鬱蒼と茂る森の隙間から吹き抜けていく。落ち葉を踏みしめる乾いた音が、静寂の広がる谷間にささやかに響いていた。「て、店長……ここ、本当に人が住めるような場所なんですか……? なんだか空気がすごーく重たくて、背中がぞくぞくしてきます……」僕の後ろで、ミアが猫耳をぺたりと寝かせ、怯えたように僕の服の裾をぎゅっと掴んでいた。 彼女の視線の先、苔むした巨大な岩壁の根元に、黒々と口を開けた不気味な洞窟が存在していた。看板の残骸らしき腐りかけた木片には、掠れた文字でこう記されている。
『危険・立ち入り禁止 旧迷宮・地下十層構造』
「恐れることはありませんよ、ミア。不動産において『難あり』とされる要素は、見方と運用次第で唯一無二の価値へと昇華させることができるのですから」僕は微笑みながら、胸ポケットから専用の羊皮紙と、お気に入りの羽ペンを取り出した。「本日ご案内するのは、トリス不動産が新たに長期一括借り上げ(サブリース)契約を結んだ注目物件……『旧・暗黒竜の吐息ダンジョン跡地』です」「名前からして不吉すぎますー!ここって、昔冒険者ギルドから『魔物が無限に湧き出す危険地帯』として完全封鎖されたっていう、噂の事故ダンジョンじゃないですか!」「ええ。定期的に低級魔物が自然発生する不具合……いわゆる『魔物湧き現象』のせいで、近隣の領主も持て余し、何十年も完全な負動産として放置されていた事故物件です。しかし、立地を見てください。街道まで徒歩十五分、日当たり良好な高台の麓、さらには敷地内に豊富な地下水脈が存在します。実に素晴らしい条件ではありませんか」「でも魔物が湧くんですよね!?生活どころか命の危険がありますよー!」「ふふふ、そこが『リノベーション』の腕の見せ所というものです」僕たちがそんな会話を交わしていると、背後の草むらから、遠慮がちな足音が近づいてきた。「あ……あの……すみません、こちらがトリス不動産の方でしょうか……?」振り返ると、そこに立っていたのは一対の若い男女だった。男性の方は、背中に黒い翼を生やした、小柄で心優しそうな魔族の青年。女性の方は、純白の修道服を身に纏い、可憐な面持ちをした人間の元・聖女の少女だった。
青年はツヴァイ、少女はリリィと名乗った。「初めまして、ツヴァイ様、リリィ様。『転生者・異種族専門不動産トリス』の店長、ネイルと申します。こちらがアシスタントのミアです」「い、いらっしゃいませ……!」ミアがお辞儀をすると、二人は顔を見合わせ、不安と希望が入り混じったような、痛々しいほど切ない表情を浮かべた。「ネイルさん……僕たち、本当に行く場所がないんです。魔族と人間が駆け落ちしたということで、どこへ行っても『忌み子』『裏切り者』と石を投げられ、王都の借家も追い出されてしまって……」ツヴァイが強くリリィの手を握りしめる。リリィもまた、自身の小さな手で彼の手に寄り添うように力を込めた。「手持ちのコインも、もうほとんどありません……。どんなに狭くても、古くても構いません。二人で静かに、誰にも邪魔されずに暮らせる場所があれば……それだけでいいんです」「なるほど。世間の偏見と予算の壁……異世界において最も過酷な居住難民のケースですね」僕は静かに二人の状況を把握し、胸の奥で温かな決意を固めた。 不動産屋の本分とは、単に家を売ることではない。居場所を失った人々に、新しい人生を始めるための「帰る場所」を提供することなのだから。「お任せください。お二人のご予算とご要望に完璧に合致する、最高のリノベーション物件をご提案いたします。さあ、中へどうぞ」僕は怯える二人とミアを促し、真っ暗なダンジョンの内部へと足を踏み入れた。
ダンジョンの第一層は、静寂と冷気に包まれていた。 足元は頑丈な岩盤で覆われており天井は高く、湿気はあるものの不思議と嫌な臭いはしない。「うわぁ……ひんやりしてて、外の暑さが嘘みたい……」リリィが驚いたように周囲を見回す。「ええ。ダンジョン特有の地盤構造により、内部の気温は一年を通じて十五度前後に保たれています。これは素晴らしい利点です」僕が言い終えるか言い終えないかのうちに、通路の奥から「シャーーッ!」という鋭い威嚇音が聞こえてきた。「ひやあぁぁぁっ!?で、出たーーーッ! 魔物ですー!」ミアが悲鳴を上げる。 闇の中から現れたのは、体長一メートルほどの巨大なアイス・スライムと、冷気を纏ったコウモリの群れだった。「ツ、ツヴァイさん、後ろへ! 私が聖魔法で……!」リリィが身構えようとしたが、僕はそっと彼女の手を制した。「ご安心を。入居前のアフターサービスおよび構造説明の一環です」僕は視界の隅に『管理者ステータス画面』を呼び出した。
【トリス管理システム:ダンジョン構造解析】・物件名:旧・暗黒竜の吐息ダンジョン(第一層)・環境特性:冷気属性の魔素循環エリア ・発生ポイント:第一層奥の『魔素の湧き出でる泉』・出現魔物:アイス・スライム(無害級)、チル・バット(無害級)
「ミア、算盤と魔法陣のスクロールを」「は、はいっ!これですね!」僕は手際よく、第一層の壁面に刻まれた古代の魔導回路へ近づき、羽ペンの先に自分の魔力を込めて、いくつかの符節を書き換えていった。「このダンジョンで魔物が頻繁に湧く理由は、奥にある魔素の泉の循環系が目詰まりを起こし、溢れ出た魔素が過剰に結晶化していたためです。ですので……こうして魔素の流れるルートを書き換え、指向性を持たせます」僕が魔導回路の最終節を書き換えた瞬間、ダンジョン全体に青白い光が走り抜けた。すると、襲いかかってこようとしていたアイス・スライムたちがピタリと足を止め、ぽよんぽよんと心地よさそうに壁際へと移動し始めた。それらは壁の隙間に入り込み、定期的に冷気を排出し始める。「え……?魔物が……おとなしくなった……!?」ツヴァイが目を見開いた。「魔物を『敵』とみなすから事故物件になるのです。彼らは単に、魔素の濃度に合わせて存在する自然現象のようなもの。……ご覧ください。アイス・スライムの配置を室外の通気口周辺に固定することで、この部屋全体に『自動温度調整付き・全館天然冷房システム』が完成しました」「えぇぇぇーーーっ!?スライムをエアコン代わりに利用してるーーー!?」ミアがひっくり返りそうな声を上げた。「それだけではありません。こちらのチル・バットたちの習性を利用し、入口付近に音波察知の魔法陣を組み込みました。部外者や悪意を持った侵入者が近づくと、彼らが警報として可愛らしく鳴き声を上げて知らせてくれます。つまり、セキュリティ費用ゼロの『天然ホームセキュリティシステム』です」僕の説明に、ツヴァイとリリィは口ぐちに感嘆の声を漏らした。「すごい……!あんなに不気味だった場所が、すごく快適で安全な空間に……!」「まだまだこれからですよ。さあ、こちらがメインのリノベーション空間です」僕が奥の広い大広間へと二人を案内した。そこは、かつて中ボスが鎮座していたとされる円形の大部屋だった。天井の亀裂からは温かな太陽の光が差し込み、中央には澄み切った地下水の泉がこんこんと湧き出ている。僕はすでに職人たちを手配し、壁面を温かみのある木目調の板張りで覆い、頑丈な石造りの暖炉と、清潔なキッチンカウンターを設置させておいたのだ。「まぁ……!なんて素敵なの……!光がいっぱいで、まるで森の中の隠れ家みたい……!」リリィが瞳を輝かせ、胸の前で両手を合わせた。「水回りには地下水脈から直接引き込んだ天然の鉱泉を使用しています。魔素をろ過する浄化フィルターを設置済みですので、二十時間いつでも温かいお風呂に入ることができますよ。もちろん、防音・耐震性に関してはダンジョンの岩盤構造ですから世界最高峰です。外からいくら探そうと、追手や悪意ある者がこの隠れ家に気づくことは不可能です」「ここなら……誰の目も気にせず、二人で暮らせる……」ツヴァイの目から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちた。「でも、ネイルさん……こんなに素晴らしいお部屋、僕たちには到底払えない家賃なんじゃ……」「気になるお家賃ですね」僕はパチンと算盤の玉を叩き、満面の笑みを浮かべた。「こちらの『事故ダンジョン・リノベーション一号室』……本来であれば月額五万コイント相当の高級物件ですが、今回は『管理協力型賃貸契約』とさせていただきます」「かんりきょうりょくがた……?」「はい。お二人には、この第一層の清掃と、アイス・スライムたちの魔素調整……要するに『ダンジョン管理者』としての簡単な日次点検をお願いしたいのです。それを作業手当として相殺させていただきます」僕は提示額を、指で示してみせた。「差し引きまして、月額家賃は【三千コイント】。……いかがでしょうか?」「さ……三千コイント!?? 王都のボロアパートの三分の一以下じゃないか!!」「ええ。事故物件だからこその特別価格です。敷金・礼金も全額免除とさせていただきます」「ネイルさん……!あ、ありがとうございます……!僕たち、ここで暮らしたいです!ここで、新しい人生を始めさせてください……!」ツヴァイとリリィは、弾けたように僕の手を両手で包み込み、何度も何度も頭を下げた。 リリィの目からも、ボロボロと溢れ出る涙が止まらなかった。「ようこそ、『トリス不動産』の物件へ。お二人の新しい門出を、心より歓迎いたします」
数日後。すっかり様変わりした「旧・暗黒竜の吐息ダンジョン」の入口には、可愛らしい木製の表札が掲げられていた。『ツヴァイ&リリィの家』中を覗くと、手作りのエプロンを身につけたリリィが、冷房効果でひんやりと快適なキッチンで美味しいスープを煮込んでおり、ツヴァイが庭代わりに整地した洞窟の前庭で、アイス・スライムたちと楽しそうに戯れながら清掃作業を行っていた。「店長ー、なんだか二人とも、すっごく幸せそうですねー!」離れた高台からその様子を眺めながら、ミアが嬉しそうに尾をパタパタと振った。「ええ。家とは、単なる雨風を凌ぐ箱ではありません。住む人の心を癒やし、明日への活力を養う場所……人生の再スタートを切るための『原点』なのですから」「はいっ!なんだか私、トリス不動産で働けて、本当によかったなって思いました!」「ふふ、ありがとうございます、ミア。ですが、感動に浸っている時間はありませんよ」僕は手帳を開き、羽ペンを走らせた。「今回の『事故ダンジョン・リノベーションプロジェクト』の成功により、ギルドや領主から『うちの放置ダンジョンも住居化してほしい』という依頼が怒涛のように舞い込んできています」「えええっ!?また事故物件ですかー!?」「次は『火炎地獄ダンジョン』を『天然サウナ付き超高級スパリゾートマンション』に改修する計画です。需要は無限大ですよ」「ひやあぁぁぁっ!また忙しくなるぞーーーッ!」爽やかな風が、新緑の森を吹き抜けていく。 かつて人々から恐れられ、捨てられていた事故ダンジョンは今、二人にとって世界で一番温かい「我が家」となり、新しい希望の光を放ち始めていたのだった。




