第四章 勇者様、敷金は戻りません
静かな森の朝だった。小鳥たちの清らかな囀りが梢の間に響き、木漏れ日が「転生者専門不動産トリス」の受付カウンターを優しく照らしている。 僕はいつものように、帳簿の数字を揃え、羽ペンの手入れをしていた。「店長ー、朝のお掃除終わりましたー! 今日も森の空気は澄んでて気持ちいいですねー!」ミアがパタパタと赤い尾を揺らしながら、バケツと雑巾を手に奥から顔を出した。ハイツ・ゴブリンの二百八号室から大賢者カザム氏が去り、リノベーション作業が順調に進んでいるおかげで、ここ数日は珍しく穏やかな時間が流れていた。「お疲れ様です、ミア。平和なことは良いことです。平穏こそが不動産管理の基盤であり、安定した家賃収入の源泉ですからね」「ですねー!このまま平和に、家賃滞納もしない普通のお客さんだけが来てくれたら最高なんですけど……」ミアがそう言いかけた、まさにその瞬間だった。ドッガァァァァンーーーーッ!地面を揺るがす凄まじい衝撃音が響き渡り、店の天井からハラハラとチリや埃が落ちてきた。鳥たちが悲鳴を上げて一斉に空へ飛び立ち、森の木々が大きく揺れる。「ひやあぁぁぁっ!? 今度は何ですかー!?」「落ち着きなさい、ミア。振動の震源地は……店舗の南東、徒歩三分。『貸戸建て物件・旧ウッドこもり小屋』のあたりです」僕は即座に視界の隅に『管理者ステータス画面』を呼び出した。
【トリス管理システム:緊急構造異常アラート】・対象物件:戸建て「ウッドこもり小屋」・入居者:ハルト(転生者/称号:【聖剣に選ばれしチート勇者】)・異変内容:外壁破壊(貫通)、柱の折損、地下空間の違法掘削を検知・建物耐久度:【八十五パーセント】→【二十二パーセント】へ急降下 ・原因分析:【室内における聖剣『アルティメット・ブレード』の振り回し行為】
赤く明滅するウィンドウを目にした瞬間、僕の眉間には深々と皺が刻まれた。「……ハルト様ですね」「あ……あの先週入居された、やたら威勢のいい勇者さんですか!?」「ええ。『魔王を倒して世界を救う!』と意気込んでおられたのは結構ですが……どうやらあのお方、不動産賃貸における最低限のマナーというものを現代日本に置いてきてしまわれたようです」僕はずり落ちそうになった眼鏡(伊達だが、商談用の演出アイテムだ)の位置を直し、鞄に契約書と電卓代わりの算盤を詰め込んだ。「ミア、現場へ急行します。これ以上の資産価値毀損を放置するわけにはいきません」「は、はいっ! 修繕費の見積もり用意します!」
「ウッドこもり小屋」は、木造二階建ての風情ある一戸建て物件だ。森の木々に囲まれた静かな立地で、元々は腕の良い木こりが住んでいた頑丈な家だった。だが、僕たちが現場に到着したとき、その静寂は無残に打ち砕かれていた。「ハーーーーッハッハッハ! 見ろ、俺の新たなる必殺技『超絶一文字・神炎斬り』の威力を!これなら魔王の城の鉄門だって一撃で真っ二つだぜーーーッ!」豪快な高笑いが、半壊した屋根から空へと響き渡っていた。見上げれば、二階の外壁には巨大な「く」の字型の亀裂が走り、二階の部屋から青空が丸見えになっていた。さらに、一階の玄関ドアは吹っ飛び、庭の芝生には巨大な掘削用の穴が開いて、土砂が山のように盛られている。「ひ……ひえぇぇぇ……! お家が……お家がボロボロになってる……!?」ミアが両手で口を覆って悲鳴を上げた。煙と砂塵が舞う半壊したリビングから、眩い黄金の聖剣を担いだ一人の青年が爽やかな笑顔で姿を現した。ツンツン跳ねた黒髪に、派手な意匠の装飾甲冑。自称・最強チート勇者のハルト氏だ。「おう、ちびっ子店長に猫耳ちゃん!様子を見に来てくれたのか?見てくれよ、俺のチートスキル『無限成長』と『聖剣創造』の成果を!いやー、この家、日当たりもいいし最高の特訓場だぜ!」爽やかな笑顔でサムズアップしてみせる勇者ハルト。その足元には、真っ二つに叩き切られた大黒柱と、木ゴミと化した元・最高級オーク材のダイニングテーブルが転がっていた。僕は深々と息を吐き出すと、凄まじい真顔でハルト氏に近づいて行った。「ハルト様」「ん?どうした店長、そんな険しい顔して?あ、もしかして俺の聖剣の眩しさに目が眩んだか?ははは!」「……部屋の中で聖剣を振り回しましたね?」「おう!技の軌道確認にな!ちょっと力が入っちゃってさ、壁に穴が開いちゃったけど、まあ勇者の特訓だし多少の破壊はつきものだろ?」「多少、ではありません。外壁の貫通、二階床板の切断、さらには家全体の構造を支える大黒柱の完全破断が確認されています。……それと、あちらの庭の巨大な穴は何でしょうか?」「ああ、あれか!」ハルト氏は誇らしげに胸を張った。「男のロマンだろ!地下秘密基地だよ!『チートスキル・土魔法』で勝手に地下二階まで掘り進めて、俺専用のトレーニングルームと大浴場を作ってたんだ!どうだ、凄いだろ!家賃そのままで地下室がついて、物件の価値も爆上がりだろ!」「……」僕は静かに手帳を開き、黒い羽ペンを取り出した。「ハルト様。一つお聞きしますが、入居時にお渡しした『賃貸借契約書』の第四条、および第十条をお読みになりましたか?」「え? 契約書?あー……なんか『三ヶ月無料』って書いてあるところだけ見てサインしたから、細けえ文字のところは読んでねえや!勇者は細かいこと気にしない主義なんだ!」「では、僕が音読させていただきますね」僕は冷ややかに、かつ滑舌良く読み上げた。
『第条【室内における危険物の使用および破壊行為の禁止】』 借主は、室内において武器の振り回し、著しい魔力の放出、および建物の構造を脅かす一切の行為を行ってはならない。『第十条【無断改築・掘削の禁止】』 借主は、貸主の事前の書面による承諾なしに、物件の改築、増築、壁の撤去、ならびに敷地内の過度な掘削を行ってはならない。違反した場合、直ちに原状回復費用を請求するとともに、契約を解除できるものとする。
「……と、はっきり明記されております」「え……? あ、いやいや、でも俺は勇者だぞ?魔王を倒すために修行してたんだから、不可抗力っていうか……」「勇者であることと、借主としての義務を果たすことは全く別の問題です」僕がパチンと指を鳴らすと、ミアが素早く【修繕費用算出シート】と算盤を差し出してきた。「さあ、ハルト様。現状のダメージに基づき、現地査定を行わせていただきます」「さ、査定……!?」僕は算盤の玉をパチパチと弾きながら、半壊したリビングを歩き回った。「まず、大黒柱の切断および破断による構造補強工事費……二万コイント。二階外壁の全面張り替えおよび耐力壁の復元費用……三万五千コイント。無断掘削された地下二階空間の埋め戻し、および地盤沈下防止用の土壌改良工事費……五万コイント。破壊された備え付け家具(オーク材テーブル、椅子四脚)の買い替え費用……一万二千コイント。 最後に、工事期間中の営業損失および物件価値毀損に伴う【損害賠償金】……五万コイント」
パチン! と算盤の玉が決定的な音を立てた。
「合計で【十六万七千コイント】となります。本日ただいまをもちまして、請求させていただきます」
「じ……じゅうろくまんななせんコイントぉぉぉーーーーッ!?」ハルト氏の目が目玉飛び出さんばかりに見開かれた。「ふざけるな!なんだその金額は!俺はまだ魔王討伐の旅に出たばかりで、手持ちの金なんて冒険者ギルドからの準備金三千コイントしかないんだぞ!?」「金銭がお手元にないことは承知しております。ですので、入居時にお預かりしている『敷金』から充当させていただきます」「おお、そうか!敷金ってのがあるのか!良かった〜、じゃあそこから払っておいてくれよ!」安胸を撫でおろすハルト氏。 しかし僕は、にっこりと完璧な営業スマイルを向けた。「ハルト様。あなたがお使いになったのは『新規転生者限定・初期費用ゼロ(敷金ゼロ・礼金ゼロ)キャンペーン』ですよ?」「……え?」「つまり、あなたのお預かりしている敷金残高は【ゼロコイント】です」「あ……」「したがって、敷金からの相殺は不可能です。全額、実費にてお支払いいただくことになります。なお、敷金が戻らないどころか、莫大な追加請求が発生している状態です」「そんなのアリかよぉぉぉーーーーッ!?」ハルト氏は頭を抱えて叫んだ。「だ、だって俺のチートスキルは『無限成長』と『聖剣創造』だぞ!?戦闘なら誰にも負けないのに、なんで借金で詰んでるんだよ!おかしいだろこの異世界!」「おかしくありません。いくら戦闘能力が最強であろうと、不動産管理のルールを守れない方はただの『最悪な迷惑入居者』です」僕はすっと冷たい眼差しを向けた。「ハルト様。あなたのチート能力……その凄まじい破壊力は、戦場においては称賛されるかもしれませんが、賃貸物件においては【甚大な損害を生み出すリスク要因】でしかありません。強ければ強いほど、壊した時の修繕費が跳ね上がる……ただそれだけのことです」「う、うぐぐ……っ!」「チート能力を振りかざして物件を破壊すれば、そのまま高額な修繕費請求としてあなた自身に跳ね返ってくる。それが我がトリス不動産の管理システムです」「悪魔だ……!この子供、魔王より悪魔だーーーッ!」ハルト氏はボロボロの床に膝をつき、絶望の表情を浮かべた。「どうすればいいんだ……十六万コイントなんて、雑魚モンスターを何千匹倒せば溜まるんだよ……。俺は魔王を倒しに行かなきゃいけないのに……!」「ご安心ください。我がトリス不動産は、返済能力のない借主様を見捨てるような真似はいたしません」僕は鞄から、もう一枚の書類を取り出した。「【トリス直営・建築改修ギルド作業員契約書】です」「……は?」「あなたのチートスキル『土魔法』による穴掘り能力、および『無限成長』による体力を評価いたしました。我が社が手掛ける新しい分譲開発エリア『旧・魔王軍演習場跡地』の開墾・整地作業に従事していただきます」「俺が……勇者の俺が、土木工事作業員……!?」「日給二千コイント。チート能力を駆使して通常の五倍の速度で作業を行っていただければ、各種特別手当を支給いたします。真面目に働けば、約一ヶ月半で十六万七千コイントの完済が可能です」「一ヶ月半も土木作業作業労働かよーーーッ!?」「返済期間中は、安全管理のため『管理者ステータス』により、聖剣の使用および室内での危険魔法の使用を制限させていただきます。また、住居はハイツ・ゴブリンの空き部屋(一畳半の物置部屋・月額三千コイント)へ強制転居となります」「物置部屋ぁぁぁ!?」「文句をおっしゃるなら、即座に全ステータスを五十パーセント減少し、王都の衛兵隊へ『器物破損および不法占有』で身柄を引き渡しますが、いかがいたしますか?」僕が静かに圧をかけると、ハルト氏はガクガクと震え、消え入りそうな声で呟いた。「……働き……ます……。土木工事……頑張ります……」「賢明なご判断です。では、こちらの契約書にサインを」羽ペンを受け取り、涙目で署名する勇者ハルト。こうして、異世界を救うはずだったチート勇者は、魔王と戦う前に「不動産の修繕費」によって完膚なきまでに敗北し、トリス不動産の専属土木作業員へと転身したのだった。
夕方。半壊した「ウッドこもり小屋」の前に、大工のオークさんたちが集まり、威勢よく補修工事を始めていた。その中で、作業服を着た勇者ハルトがスコップを手に、涙目で土を掘り返している。「ハーーーーッ!『チート土魔法・爆速整地』ーーーッ!」凄まじい速度で土砂が片付けられていく。さすがはチート勇者、作業効率は一般的な労働者の十倍以上だ。「店長ー、ハルトさん、すごいスピードで作業してくれてますねー!あの調子なら、新規開発エリアの整地、今月中には終わりそうですよ!」ミアがジュースの缶を飲みながら、感心したように作業風景を眺めていた。「ええ。彼のチート能力は、戦いよりも開墾や建築現場でこそ真価を発揮しますね。優秀な労働力を確保できて満足です」「店長ってば、本当にちゃっかりしてますよね……。あ、でも店長」ミアがふと首を傾げた。「ウッドこもり小屋の補修が終わったら、次のお客さんはどうするんですか? また勇者様みたいな人が来たら大変ですよ?」「ふふふ、心配いりませんよ、ミア」僕は手帳を開き、新しい入居募集のチラシ案を提示した。
【特別物件のご案内】『ウッドこもり小屋(完全補修済み)』・補強箇所:大黒柱(最高級鉄樹材へ変更)、耐魔防音壁完備・特長:チート勇者の攻撃にも耐え抜いた【超・頑丈耐震仕様】!・推奨入居者:魔法の威力が強すぎる方、または静かに暮らしたい魔術師様・家賃:月額二万五千コイント(※防音・耐震保証料込み)
「……っ!? 壊された部分を最高級の耐震素材で補強して、逆に『超・頑丈なセキュリティ物件』として家賃を釣り上げて募集してるー!?」ミアが驚愕の声を上げた。「災い転じて福となす、です。一度破壊されたからこそ、どこよりも頑丈な物件へと生まれ変わったのですから。すでに『静かに魔法実験がしたい』とおっしゃる元・魔導士のお客様から問い合わせが入っておりますよ」「店長……商魂がたくましすぎて、もう誰も勝てる気がしないです……」ミアが呆れ果てたように吐息をついた。「不動産屋は街の発展を支える存在です。家を直し、価値を高め、適切な人に貸す。これこそが正しいビジネスの姿ですから」僕は夕日を浴びながら、一生懸命に穴を掘る勇者ハルトの背中に向かって、静かに呟いた。「さて、ハルト様。しっかり働いて、早く全額弁済してくださいね。……あなたの次の『我が家』も、我がトリス不動産が心を込めてお探ししますから」夕暮れの森に、トホホ……という勇者の泣き言と、大工たちの威勢の良い槌音が、どこまでも高く響き渡っていたのだった。




