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第二章 お得意様は元・魔族と現・魔王

 「……ではソリッド様、こちらの『旧・聖騎士駐屯所跡地』につきましては、敷金として家賃二ヶ月分、さらに礼金一ヶ月分を頂戴いたします。なお、魔族特有の体臭や魔力放射による壁紙の変色に関しましては、退去時に実費にて原状回復費用を請求させていただきますので、あらかじめご了承ください」「む……むう……原状回復だと? 貴様、このオレを相手に容赦がないな……」「契約ですので」カウンター越しに提示された契約書を前に、巨躯の魔族・ソリッド様は巨大な爪を尖らせながら、渋々といった様子で署名欄に魔力を走らせた。金貨のぎっしり詰まった重厚な革袋がカウンターの上にドスンと置かれ、心地よい金属音が店内に響き渡る。「毎度ありがとうございます。鍵はこちらになります。なお、毎月一日の家賃支払期日を三日過ぎますと、管理者ステータス経由で物件の自動施錠機能が発動いたしますのでご注意ください」「くっ……相変わらず隙がないガキだ。だがまあいい、あの湿気くさい城とおさらばできるなら安いものだ!」ソリッド様は満足そうに鼻を鳴らすと、大きな鍵を握りしめ、頭を低くしながら店を出て行った。カランコロンとドアの鈴が鳴り、静けさが戻る。



 「ふはぁぁぁ……! 生きた心地がしなかったですよ~!店長、あんな恐ろしい魔族の人に『原状回復』とか『自動施錠』とか、よく平気な顔で言えますね!?」カウンターの下から這い出してきたミアが、ピンと立てた猫耳を弱々しく寝かせながら叫んだ。「ミア、何度も言っているでしょう。お客様の種族や威圧感に惑わされてはいけません。不動産屋にとって重要なのは、相手が魔族か人間かではなく『期日通りに家賃を支払う資質があるか』それだけです」「いやいや!普通は命の危険を感じますって!金貨の袋を投げて寄越された時、叩き潰されるかと思いましたよ!」「しっかり支払ってくださったのですから優良顧客です。……さて、帳簿に記帳を……」僕が羽ペンを走らせようとした、まさにその時だった。



カランコロン。



 ドアの鈴が、先ほどのソリッド様の時とは全く異なる、重厚で静謐な音色を奏でた。直後、店内の空気が一変した。肌を刺すような絶対的な圧力。大気が目に見えて歪み、天井のランプの炎が青紫色の魔導光へと変色する。森の羽虫や小動物たちの気配が一瞬で消え去り、静寂を超えた「死」の気配が部屋を満たした。「ひ……ひやああぁぁぁっ!?」ミアが悲鳴をあげる暇もなく泡を吹いて倒れそうになったのを、僕は手で制して椅子へと座らせた。「ご無沙汰しております。魔王様」僕は椅子から立ち上がり、いつもと変わらぬ角度で深く一礼した。そこに立っていたのは、漆黒の外套を纏い、威風堂々とした佇まいの男。現・魔王その人であった。一見すると洗練された人間の中年貴族のようにも見えるが、その瞳の奥には無数の生命を滅ぼしてきた圧倒的な魔力の深淵が渦巻いている。



「うむ、ネイルよ。息災であったか」



 魔王様は鷹揚に頷くと、小さな木造店舗にはあまりにも不釣り合いな豪華な身のこなしで、お客様用の丸椅子に腰掛けた。ギシ……と椅子が悲鳴を上げる。「ええ、おかげさまで本日無事に開店を迎えることができました。これも偏に、魔王様からのご愛顧のおかげでございます」「ハッ、相変わらず口の減らないガキだ。……しかしネイルよ。貴様がワシに『不動産投資』という概念を提案してからというもの、ワシの懐は桁違いに潤っておるぞ」魔王様はフッと満足げな笑みを浮かべ、組み替えた脚の上に肘を乗せた。「今や我が魔王軍の主な財源は、人間どもからの略奪でも鉱山の採掘でもない。貴様を通じて買い集めた物件からの賃料収入だ」「それは何よりでございます。現在の所有状況はいかほどになりましたか?」「うむ。今では魔王城を百八十六つ、別荘を八つ、賃貸物件を百二十七戸所有しておる」「……増やしすぎでは?」僕は思わず羽ペンを止め、無表情のままツッコミを入れた。「何だと?」「いえ……いくらなんでも魔王城百八十六つはポートフォリオとして偏りすぎています。魔王城は維持費も高額ですし、需要も限られます。固定資産税という概念がこの世界に導入されたら一発で破産しますよ」「ワシは魔王だぞ?城を所有して何が悪い。男のロマンというものだ。……それに、まだ買うぞ」「そうですか」僕は深い溜め息を悟られないように処理し、管理台帳を開いた。「商売繁盛で何よりです。……して、本日はどのようなご用件でしょうか?また新しい魔王城の買い取り案件でございますか?」「それもあるが……フッ、実はな。最近、ワシ自身が住む場所に少し悩んでおってな」魔王様はどこか気恥ずかしそうに咳払いを一つした。「現在の本拠地である第八十二代目魔王城だが……どうにも広すぎる。広大すぎる敷地、無駄に高い天井、無数の玉座の間……。一人で過ごすには少々寒々しくてな。たまにはこう、落ち着いた、手頃な物件に住んでみたいのだ」「なるほど。プライベートな生活拠点をお探しということですね。……ところで魔王様」「む?」「今日は良い物件があるか、とお尋ねになりたいのですか?」「うむ!察しが良いな。ワシにふさわしく、かつ適度に落ち着ける素晴らしい物件はあるか?」「ございます」僕は即答し、カウンターの下から特選物件のファイルを一冊取り出した。「どこだ?」「旧四十二代目魔王城です」僕が提示した間取り図と写真を見た魔王様は、眉をひそめて首を傾げた。「……ん?旧四十二代目……?おいネイル、待て。これは……ワシの城ではないか」「はい」「なぜワシがワシの城を借りるのだ?」「現在の所有者が魔王様だからです」「……」魔王様が絶句した。 店内を一瞬の沈黙が支配する。気絶しかけていたミアが「え……? どういうこと……?」と薄目を開けて僕たちを見つめている。「魔王様、整理して申し上げます」僕は指を一本立て、淡々とロジックを組み立てた。「現在、旧四十二代目魔王城は『魔王様個人』の資産ではなく、魔王様が設立された『魔王不動産法人』の所有物件となっております。法人の所有物である以上、いくら魔王様ご本人であっても、無償で占有利用されると業務上横領および賃貸事業の会計上の不正処理に該当いたします」「ほ、ほう……?」「つまり、魔王様がそのお城に個人的にお住まいになりたいのであれば、個人として法人にお支払いをいただく、あるいは個人と法人の間で適正な賃貸借契約を結んでいただく必要があるのです」「……待て。ワシがワシの会社からワシの城を借りて、ワシがワシに家賃を払うのか……?」「そうなります」「何かおかしくないか!?」魔王様が身を乗り出し、凄まじい威圧感とともに叫んだ。「ワシの金がワシの懐から出て、ぐるっと回ってワシの懐に戻ってくるだけではないか! それに何の味がある!?」「税務上の区分と、物件管理の明確化です」僕は一切表情を変えず、淡々と書類を指し示した。「個人資産と法人資産の混同は、事業破綻の第一歩です。魔王様が私的に城を使用し、修繕費を法人の経費から落とすようなことを認めれば、他の出資者や魔族の幹部たちへの示しがつきません。それに、契約を結ぶことで我がトリスが管理に入り、清掃やメンテナンスを代行いたします」「む……むぐぐ……」「さらに言えば、旧四十二代目魔王城は重厚な石造りながら、居住スペースがコンパクトにまとまっており、プライベート空間としての評価が非常に高い物件です。家賃は月額五十万コイント。……家賃、お支払いになりますか?」僕の静かな問いかけに、魔王様は額に青筋を浮かべ、拳を握りしめた。「貴様……ワシを謀ったな……!?ワシの所有物件を使って、ワシから仲介手数料と管理費を巻き上げる気か……!?」「滅相もございません。健全な不動産取引の提案でございます」魔王様は「ぬぬぬ……」と唸り声を上げ、僕の顔を睨みつけた。 その威圧感たるや、普通の人間なら精神が崩壊するレベルの魔力波であったが、僕の『不動産管理者ステータス』は一切の精神攻撃を無効化する。十秒。二十秒。視線が交錯した末に、魔王様はガクッと肩を落とした。「……分かった。払う」「えっ、払うの!?」思わずミアが叫んでしまったが、魔王様は力なく羊皮紙に署名し、金貨が詰まった巨大な袋を幾つもカウンターの上に並べた。「うむ……確かに管理が入るのは助かる。以前、四十二代目に住んでいた時は地下の魔物撃退と屋根の補修に時間を取られておったからな……。仲介手数料と初月家賃だ。受け取るが良い……」「確実にお預かりいたしました。毎度ありがとうございます、魔王様」僕は金貨の枚数を素早く数え、完璧な動作で領収書を発行して手渡した。「ふぅ……全く、貴様と話していると魔王としての威厳が削削削削削削削られていくわ……。時にネイルよ」「はい、何でしょうか?」「先日、貴様が貸し出した『旧ゴブリン洞窟二百三号室』の転生者だが……」魔王様がふと思い出したように目を細めた。「あの男、なかなか面白いステータスをしておるな。『雑用処理・極』か。我が軍の補給部隊に欲しい人材だ」「あのお客様は現在、三ヶ月の家賃無料期間中でございます。契約上、我がトリスの担保下にございますので、無断での引き抜きやスカウトは固くお断りいたします」「フン、分かっておる。契約を破ればワシのステータス担保にも影響が出るのだろう? 恐ろしいガキだ。あの転生者には、せいぜい真面目に薬草でも摘ませて家賃を稼がせることだな」「ええ、そのように指導しております」魔王様はフッと口元を緩めると、大柄な体を翻して立ち上がった。「ではワシは四十二代目へ引っ越しの準備をする。鍵の引渡しは明日だな?」「はい。明朝八時に現地へミアを派遣いたします」「よろしく頼むぞ」魔王様はそう言い残すと、黒い外套をなびかせ、空間を切り裂く転移魔法とともに姿を消した。 圧倒的な圧力が立ち去り、店内に静寂が戻る。



「……ふう」



「た、助かったぁぁぁぁーーーーっ!?」



 ミアがカウンターに突っ伏し、ゼーゼーと荒い息を吐いた。「店長!店長はおかしいです!異常です!なんで魔王相手に自分の城を借りさせて、家賃まで回収してるんですか!?一歩間違えたらこの森ごと消し飛んでましたよ!?」「失礼なことを言わないでください、ミア。魔王様は我がトリスにとって最大の太客であり、非常にロジカルなお考えをお持ちの優秀な投資家です」「投資家ってレベルじゃないですよ!魔王ですよ!?」「どのような身分であれ、契約書にサインをした以上は等しく『借主』です。……さて、ミア。喜んでばかりもいられませんよ」僕は画面の端に浮かび上がる管理者ステータスの通知ウィンドウを開いた。



 【トリス不動産・管理者ステータス通知】・新規契約完了:旧四十二代目魔王城(借主:魔王)・仲介手数料回収:五十万コイント・管理物件総数:三百二十一戸 ・アラート検知:【二百八号室】・状況:入居者(元・大賢者)が深夜二時十四分より上級魔法の詠唱を開始。 ・苦情:隣室より三件(「壁が振動して寝られない」「呪文の声がうるさい」)・未払い家賃:【三ヶ月滞納】



 画面に表示された文字を追ううちに、僕の目は急速に冷ややかに、鋭く細められていった。「あー……またか……」僕は深々と溜め息をついた。「ちょっとあの方には退去していただくしかないかな……。でも空室になるのも問題だしな……。……上級魔法かぁ。退去させるのも惜しいな」「て、店長……?顔が……顔がすごく真顔になってますよ……?」ミアが引きつった顔で僕の顔を覗き込んでくる。「家賃は?」僕が呟くと、管理者画面の文字が赤く点滅した。【三か月滞納】「……退去していただきましょう」僕は即座に結論を出した。さっきまでの穏やかな少年経営者の顔は消え去り、そこには冷徹な不動産管理者の目が光っていた。「ミア、準備をしなさい。明日の朝一番で二百八号室へ『内容証明付き退去勧告書』を届けに行きます」「ひえっ……! 元・大賢者様のお部屋ですよね!?上級魔法を使って暴れてる人のところへ行くんですか!?」「相手が大賢者であろうと、勇者であろうと関係ありません。家賃滞納は重大な契約違反です。支払わない者には出て行ってもらう。……それとこれとは別問題です」僕は羽ペンをペン立てに戻すと、小さな鞄に警告書の書類を丁寧に詰め込んだ。魔王に城を貸し出し、大賢者に立ち退きを迫る。転生者専門不動産トリスの毎日は、どうやら一筋縄ではいかないようだ。「さあ、ミア。明日は忙しくなりますよ」「うう……私、もっと普通の不動産屋さんでバイトしたかったです……!」ミアの情けない悲鳴が、暮れかけた森の静寂の中に虚しく響き渡っていた。


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