52. まじない
「ギルさん、いい人ですね。」
部屋の端と端に2つ並んだベッドに腰掛ける。
来客用の部屋にベッドまであるなんて、実は本当に宿屋だったりするのだろうか。
「先生やってる時からあんな感じでね。ため口で話してたのも僕だけじゃないよ。だけど、皆から尊敬されてた。」
授業も面白かったしね、とヒスイは懐かしむように微笑んだ。
「貴族出の先生なのに親しみやすかったなぁ。」
「学園の先生ってやっぱり貴族が多いんですか?」
「いや、意外とそうでもないかな。教会出身の人とか、僕やエマみたいに貴族の養子になった人とか、色々だよ。」
「そ、うなんですね。」
(ヒスイももとは平民だったんだ…)
「気になる?僕のこと。」
考えていること出ていたのか、ヒスイは話すのを止めて顔を覗き込むと、まだ何も答えていないのに吹き出した。
「あはは、図星だ。」
(そんなに分かりやすかったかな…)
それにしても、よくこの暗さでわずかな表情の変化に気づけるものだ。
「聞いてよければ、知りたいです。」
「いいよ。それじゃあ寝物語に話そうか。
あまり楽しい話じゃないかもしれないけど…昼間の"あれも、あとで説明するって約束したもんね。」
昼間のあれ、とは、雨の魔女の魔法の中でヒスイが"魔法じゃないなにか"を使っていたことだ。
あのあと色々と可能性を考えていたけれど、どれも説明がつかなかった。
何より、魔力の動く気配が一切なかったのだ。
(魔力を使わない方法ってこと…?)
ぼんやりしていると、ヒスイが自分のベッドに横になった。
エマも、と促されて自分のベッドでそれに習うけれど、一向に眠気がやってくる気配はない。
一方でヒスイは眠いのだろう、いつもより少し気だるげだ。
一つに結わえていた髪紐を解き、サイドボードに置くとこちらに深い緑色の目を向けた。
「エマは、セルダードって知ってる?」
サイドボード上の小さなランプの明かりが暗闇に淡く灯っている。
ヒスイは静かに話し始めた。
セルダード、その昔、確か200年ほど前に隣国ティグレドから内戦を逃れるようにグラッサルへと流れついた放浪の民だ。
その多くはやがて国に住み着き、次第に姿を消していったという。
一方で一部のセルダードは国中や時に国外を渡り、その特殊な技を各地で披露して暮らしているという。
魔法が珍しい他国でならいざ知らず、グラッサルにて特殊といわしめるそれが何なのかは、記述にもまちまちで正確な情報は残されていなかった。
「僕はね、セルダードの旅一座の生まれなんだ。って言っても、生まれも育ちもグラッサルだし、父はルークル家当主のレバロ当人なんだけど。色々あって、血は繋がってるけど養子ってことになってる。
ヒスイって名前も、この国の言葉では聞かないでしょ。」
「珍しい響きだとは。」
「グラッサルの言葉じゃないからね。この国での…貴族としての僕の名前はジェド。ヒスイの意味だ。宝石にもあるよね、要はこういう緑色のこと。
そう言ってヒスイは自身の左目を指さして見せた。
僕の母は座長の一人娘で、一座の看板娘だった。」
ヒスイは言葉を選びながらゆっくりと話す。
父親が貴族なら、それは貴族出身ということになるのではないかとも思ったが、続きを聞いていると、どうもそうはならなかったようだ。
「よくある話なんだけどね。貴族が目についた母を見初めてお手つきにした。それで僕が生まれた。だけど、そのことを父は知らなかった。僕は、6才まで一座の中で母と育ったんだ。」
セルダードの旅一座、そこでは全員が魔法を使わずして魔法のような現象を起こすことが出来るのだそうだ。
「僕らは"まじない"って呼んでた。この国では魔術、ティグレドでは妖術なんて呼ばれてた。一座の皆は優しくてね。全員が僕の先生だった。
今はティグレドにいるみたい。去年、しばらくティグレドを回るって手紙が来てたから。またグラッサルに来るときは手紙をくれるって書いてたから、楽しみにしてるんだ。」
ヒスイは嬉しそうに目を細めた。
「では、そのまじないというのが、今日ヒスイが使ってたものなんですか?」
「そう、まじないは魔法とは根本的に違う。まじないに必要なのは魔力じゃない。だから雨の魔女の魔法も効かない。」
「必要なもの。」
「祝福だよ。ま、呪いとも言うけど。」
「呪いって…」
ヒスイはふと自嘲するように笑って、人差し指を立てると仕切り直すように話し始めた。
「むかしむかし、セルダードの民の一人が彼らの神に水を願った。神は人に力を与えた。あるものは岩でふさがった道を開く力を、あるものは大切ななくしものをみつける力を、そうしてさまざまな力を得た民が最後に望んだのは、死んだ人間に会いたいという願いだった。けれど、それはただ唯一神だけの領分だった。分不相応にも神の力を欲しがったセルダードの民に、以降神は何の力も与えようとはしなかった。だから、僕らが神に願ったことは絶対に叶わないんだ。僕らは、叶えたいことや本当の願いは神に願ってはいけない。だけど神を敬うことも忘れてはいけない。つまり、セルダードの民は心のよりどころとしての神を永遠に失ったんだ。そして神は、その対象を見失わないように僕らセルダードの民に印をつけた。目に見えるものではない確実な印を。その有無は、まじないが使えるかどうかでわかる。市井に混じろうと世代を経ようとそれだけは変わらない。だからこれは祝福で、呪いなんだ。」
「そんな話、初めて聞きました。」
「記述にはきっとまともな形で残っていないんじゃないかな。だけど、死者の蘇生が禁忌だってことは、どんな場所でも、たとえ魔法の領域でも共通してることだよ。このお話が関係しているかはわからないけどね。」
願っても叶わない願い。
それなら、セルダードの民は禁忌とされる死者の蘇生だけは叶わないとわかっていて神に願うことが出来るのだ。
なんだか、神様は時々ひどく意地が悪い。
よく知っていたことだけれど。
「エマ、眠くない?」
「すみません…」
「いいよ。そうだね、ここまで話したら最後まで話してしまおうか。」
ヒスイはゆっくりと瞬きを一つして、彼の物語の続きを聞かせてくれた。
「僕が6才になった頃、いつから探してたのか、父が一座の場所を突き止めて母に会いに来たんだ。本妻が亡くなって、母を後妻にしたいって、強引に母を屋敷へ連れていった。僕は母が父の反対を押しきる形で一緒に行くことになった。母は、望まない暮らしに次第に心を病んでいった。強くて、明るくて、前向きな…美しい人だったのに、広い部屋で、綺麗な服を着て、だけど言葉も表情も失ってしまったみたいに空っぽの状態で、毎日僕に何度も謝ってた。僕は、いつからか1日のほとんどを母の部屋の戸棚の中で過ごすようになった。父は母と僕を一緒にいさせたくなくて隙あらば僕をいなかったことにしようとしていた。母はそれに気づいていて、常に僕を手元に置いておきたかったんだ。だけど、だんだんおかしくなっていって、最後には僕を鍵のついた戸棚にしまいこむことで、ようやく安心していたみたいだった。戸棚の中での暮らしは、僕が7歳になる少し前から10才まで、3年ほど続いた。」
一日中、戸棚の中で。
暗くて狭いその空間で、ヒスイは何を思いながら過ごしていたのだろう。
いや、ひとつだけわかる。
子供のヒスイが、少なくとも神様に自由を願わなかったことだけは。戸棚から出たいと願わなかったことだけは、きっと事実なのだ。
神様に願ったことは絶対に叶わない。
あの時のヒスイの"絶対"には実感がこもっていた。
なにか、他に願って叶わなかったことがあったのかもしれない。
暗い顔をしていたのか、ヒスイは小さく笑った。
「そんな顔しないで、エマ。お陰で僕はそこで好きな人が出来たんだから。」
「え?」
予想外の展開に目を丸くした私に、ヒスイは私を安心させるように笑顔を見せ、話を続けた。




