51. 休息
「久しぶり。急でごめんね。」
ずぶ濡れの私達を受け入れてくれた宿というのは、ヒスイの友人の家だった。と言っても貴族の屋敷などではなく、ここに来るまでにずっと見てきたようなごく普通の町の一軒家だった。
「まったくだよ!連絡もよこさないで!ま、元気そうでなによりだ。入んな!!」
そう豪快に笑った口回りに髭を蓄えた恰幅のいい男性は、ヒスイの顔を見るなり本当に嬉しそうに私達を招き入れてくれた。
見たところヒスイとは親子ほども年が離れていそうだが、一体どういうきっかけで知り合ったのだろう。
顔を見ていたのがばれたのか、ばっちりと目があってしまった。
彼は少し頭を下げて私と目線を合わせると、目がなくなるほどにっこりと笑った。
「お嬢ちゃんも、今日はゆっくり休みな!」
「ありがとうございます。」
土まみれの私を見ても事情も聞かず嫌な顔一つしない。
予想だにしない反応に困惑してしまう。
私が戸惑っているのに気がついたのか、ヒスイは彼の肩を叩いた。
「それで早速で悪いんだけど、お風呂借りていいかな、ギル。」
ヒスイが苦笑すると、ギルは再び豪快に笑った。
「勿論だ!二人とも濡れ鼠だもんな!!」
体を洗ってさっぱりすると、今度はお腹がすいてきた。
これだけ疲れているのだから眠気がやって来るはずなのだけれど、あんなことがあったせいか、むしろ今が一番目が冴えている。
ヒスイとギルのいるリビングに顔を出すと、気がついたヒスイが立ち上がってこちらへやって来た。
私がお風呂に入っている間、二人はずっと話をしていたらしい。
「さっぱりしたね。怪我したとこは?」
「腕と膝に少し擦り傷があるくらいです。もう血も止まっていました。」
なので手当ては必要ないと伝えたかったのだが、ヒスイはこういう時少し頑固だ。
「見てもいい?」
笑顔に若干の圧がある。
なんだろう、もとが心配性なのもあるんだろうけど、多分キョウのせいなんだろうな。
と、何となく確信めいたものがあった。
レイとヒスイがおそらくこれまでキョウに振り回されて来たであろうことは、3人を見ていて時々感じていた。
キョウが人に黙って無茶をする性格であることも。
(苦労するなあ…)
「うん、これなら1週間もすれば自然に治りそうだね。念のためあとで薬を塗っておこうか…って、どうしたのエマ。」
「いえ、なんでも。ヒスイ、いつもありがとうございます。」
「どういたしまして?」
顔に出ていたらしい。
ヒスイは疑問符を浮かべたまま、お風呂場へと向かっていった。
その姿を見送っていると、ギルがキッチンから顔を出した。
「エマちゃん、ハーブティー飲めるかい。」
「はいっ」
キッチンに足を踏み入れると、壁の棚一面にずらりと並んだ瓶に圧倒された。
一つ一つの瓶に乾燥した植物や木の根、粉などが入っている。
棗の実、柳の葉、クズの根…
知らない名前のものもあるけれど、おそらくすべて薬効のあるものだ。
(ギルさんって…)
「さて、どうするかな。」
水が入った鍋を火にかけ、彼は腕を組んだ。
ぼうっとしていると、くるりと振り返ったギルと目があった。
「エマちゃん、手伝ってくれるかい?」
ギルは茶目っ気たっぷりに笑ってウインクして見せた。
「ギル、あたたまったよ。ありがとう。」
ヒスイが戻ってきた。
ギルはキッチンから顔を出してヒスイに笑いかけると手招きをした。
「お安いご用だ。おっとエマちゃん、そいつは最後だ。火を止めてから入れてもいいぞ。」
ギルはすぐにキッチンに戻ると、そう言って火を少し弱くした。
「すみません。本で読んだ時は煮出す記述があったのでてっきり…」
図書館にあった、植物から作る薬の本だ。
(挿し絵がたくさんあって綺麗な本だったな。)
「それは多分乾燥させたやつだな。今回は生の状態のものをすりおろして使ったから、長時間煮込むと風味がとんじまう。」
「なるほど。」
やっぱり経験者の話は勉強になる。
先ほどから、ギルのアドバイスは細やかで分かりやすい。
「ちなみに乾燥したやつも、茹でてから乾燥させたものか、生のものをそのまま乾燥させたものかで効果が若干変わってくる。今回は本当は茹でて乾燥させたやつのがよかったんだが、丁度きらしててな。」
「何してるの?」
ひょっこり顔を出したヒスイが訝しげに私達の手元を覗き込む。
「もうすぐ出来ますよ。」
「エマちゃんとハーブティー作ってたんだ。」
「体が暖まって、筋肉もほぐしてくれるものみたいです。」
初め無色だった液体も、中で木の根や皮、木の実が踊るうち、薄い土色のどこか甘いような不思議な匂いのするものに変わっていた。
「いやそれハーブティーっていうか…」
「おっ、エマちゃんもう入れていいぞ。さっと混ぜたら火を止めて完成だ!」
「はい!」
何か言いかけたヒスイに構わずギルがゴーサインを出す。
ヒスイは気が抜けたように笑った。
「すっかり仲良くなっちゃって...」
「ハチミツ入れたかい?」
「はい。ちょっとぴりっとするけどおいしいです。」
味はほとんどハチミツの甘さだったけれど、鼻から抜ける香りは独特だ。後味も、少し苦い。
(…ちょっと癖になるかも。やっぱりこれ、薬だよね。)
「温まる。ありがとうギル、エマ。」
ヒスイは飲んだことがあるのか、一口飲んで中身が何か分かったらしい。ギルは嬉しそうに笑っている。
「ギルさんは薬…を作る人なんですか?」
「資格は持っているけどな。本業は植物学者だ。というか、植物マニアだな。」
「質のいい植物が手に入りやすいからって王都からこんなところまで引っ越すくらいのね。」
ヒスイが困った風に笑うと、ギルは両掌を見せて大袈裟にやれやれと首を振って見せた。
「学園の植物園も魅力的ではあったんだがなぁ。」
「えっ、学園の方なんですか?」
驚いてヒスイに視線を向けると、彼はカップから静かに一口飲むと、穏やかに微笑んで答えた。過去を懐かしむように。
「薬草学なんかを教えてた、僕の先生だよ。」
「そう。ヒスイは俺にとっちゃ教え子兼"元"同僚兼、友人だ。」
(同僚、そうか、卒業してから学園の授業を手伝っているって言っていたっけ。でも、"元"ってことは…)
「もう先生はやっていないんですか?」
「ああ、今は楽しく隠居生活だ。」
ギルはあっさりとそう言って、満足そうに笑った。
彼の授業はきっと楽しかっただろうなと、勝手に想像して、勝手に少し勿体ないような気になった。




