53. 戸棚の子
「僕の目、右目が光に弱いって言ったよね。その頃にずっと光の当たらないとこでいたせいらしいんだ。
左目はずっと戸棚の隙間から外を見ていたから、明るいところでも問題なく見えるんだけど。」
そう言って笑ったヒスイの右目につい目が行ってしまう。
顔の半分を隠す髪の奥で、未だ暗闇の中にいる ヒスイ色の瞳。
「ま、悪いことばかりじゃないよ。代わりに暗いところでは人の何倍もよく見えるわけだし。ね。」
暗い顔をしていただろうか、ヒスイは明るい声でそう言った。
そうだ、その目に暗い森の中でも助けられたんだ。
私も努めて明るい表情で頷いた。
「そんな風に数年を過ごして僕は10歳になった。そのころ母はもうほとんど寝たきりになってたんだけど、僕も僕で今思うとかなり衰弱してたんじゃないかな。それでなくても知識や考え方も、連れてこられた頃のままだったし、まともな状態ではなかったんだけどさ。母はそのまま亡くなってしまった。その後 僕は、父親の屋敷から逃げ出した。ある人に手助けてもらってね。」
「ある人?」
ヒスイは目配せをして、頷いた。
「母が、亡くなる前日にいつから用意していたものだったのか、手紙を送ってたんだ。…きっと自分でも死期が近いこと、わかっていたんだろうね。送り先は母の父、僕の祖父だった。」
「ヒスイのおじいさんって、旅の一座の?」
「そう。本来なら貴族の屋敷に忍び込むなんて危険をおかすべきじゃない。だけど、自分がいなくなったあとで僕がどうなるか、母なりに考えた結果だったんだと思う。戸棚での生活のせいで自力で逃げ出すには難しい状態だったし。」
確かに、光も浴びず、1日のほとんどを戸棚の中に隠れるように過ごしていては体力がないどころか、うまく体を動かすことも難しかっただろう。
それでも、さっきのヒスイの口調には、そんな状態であったとしても何も出来なかったことへの後悔が滲んでいた。
「僕は母に連れられてきたけど、父親にとっては邪魔な存在だったから、隙あらばご飯に混ぜ物がしてあったりして、一人残っても無事に生きていけるとは思わなかった。
戸棚の中にいる間は、母を経由するせいで表だったことはできなかったみたいだけど。」
「混ぜ物って…」
ヒスイは困ったような顔で笑った。
(聞かなくてもわかるだろう、エマ。毒だ。毒だったんだよ。)
食べ物に悪意を入れられると、とたんに生活の全てが脅かされる心地がする。それは、私もよく知っている。
母の式の当日、がらんとした別棟の母の部屋に一座のメンバーがやって来た。懐かしい顔だった。
式に人手がさかれ、警備が手薄な日といえ貴族の邸宅だ。
ある程度の警戒はされていたはずだ。
それでも、魔力探知に頼ったこの国の衛兵は、彼らの障壁にはならなかったのだ。
彼らはバルコニーに侵入し、窓から室内へ入ると、僕と、僕の恩人を抱えてすぐに屋敷を後にした。
あんなに不可能だと思っていたのに、こんなに呆気なく外に出られたことがとても苦しかった。
だったら母さんも、と考えて、きっとやっぱりこういう形でしか実現出来なかっただろうと首を振った。
祖父は、最期に母の顔を一目でも見たかったのだと思う。
その場には姿を見せなかったけれど、しばらくして合流すると、僕を抱きしめてくれた。
とても、あたたかかった。
救出された僕と、僕の恩人は、一座の一員として雑用や興業の手伝いをして過ごした。
「その恩人って、」
「母つきのメイドの一人、ネフィという当時12歳の少女だった。」
「じゃあもしかして、その人がヒスイの?」
「そ、初恋の子。」
ヒスイは穏やかに、そして誇らしげに笑ってみせた。
「いつも戸棚の中にいる僕に声をかけていろんな話をしてくれてね。
他の使用人が僕を"戸棚の子"って呼ぶ中、名前で僕を呼んでくれたのは彼女だけだった。
母の手紙を祖父に届けたのも彼女だ。貴族の屋敷の使用人は手紙を送る魔法や日常魔法を使えることが多いから。」
使用人として働くための学校ではそうした手紙や清掃などの決まった魔法だけを習得させてくれるところがあるらしい。あとは、勤めた先で教わったりするのだそうだ。
「もちろん、主人に黙ってそんなものを送れば使用人も無事ではすまない。それをわかっていたから他のメイドにはできなかった。そして彼女はそれをわかっていながら、手紙を届けてくれたんだ。」
「勇気がある人だね。」
「うん。かっこいいんだよ。」
ヒスイは、きっと目蓋に彼女を浮かべて、ゆっくりとまばたきをした。
「ひどい目にあうとわかってて、置き去りになんて出来なかった。だから、一緒に連れていってほしいって頼んだんだ。彼女に身寄りがないのも知っていたしね。」
彼女とヒスイは一座の暮らしの中で過ごすうち、自然と特別な関係になっていったそうだ。
この辺りを詳しく話すと夜が明けてしまうからとヒスイに割愛されてしまった。
(と言いつつ、すごく話したそうにしていたけど。)
「それから5年、一座の皆とにぎやかに暮らして、僕は15歳になった。その頃にはまじないでも時々舞台に立たせてもらえるようになって、魔法も…父親の血だろうね。僕には魔力があったから、ネフィと旅先で少しずつ教わったりして、基礎的な魔法なら大体は使えるようになってた。そんな時、再び父が僕の前に現れたんだ。」
「えっ」
思わず声をあげた私に、ヒスイはくすりと笑った。
「どうして、来たんですか?」
「なんでも、後継者に据える予定だった長男の魔力がほとんど使い物にならないレベルだったらしい。そこで、こそこそと僕のことを粘着質に調べあげて、僕を家に引き戻すことにした。けど、一度見捨てた手前 実子として扱うのは体裁が悪いってことで、貴族の慈善活動の一環として僕を養子として引き取ることにしたんだって。で、断ったら一座と母の墓の無事は保証しない。なんて言ってね。」
なんて、自分勝手なんだろう。
他人事のようにからりと話すヒスイとは対照的に、聞いている私の方が腹が立ってきた。
「ヒスイ、こんなこと言っちゃ駄目なんだろうけど、でも、ヒスイのお父さんって…」
私が言うよりも早く、ヒスイがその先を続けた。
「クズだよね~。人を人とも思ってない感じ。まあ、あれが人間だって言うなら僕は人間じゃなくたっていいけどっ。」
明るく吐き出すようにそう言うと、ヒスイはにっと笑った。
その勢いと切れ味の良すぎる言葉に思わず吹き出してしまった。
「全部言われちゃいました。」
というか、それよりもっと凄いことを言ってた気がする。
ただ、同じようなことを、自分も思ったことがあるから気持ちはよくわかった。
「エマの口から、こんなひどいこと言わせないよ。」
穏やかな声でヒスイは言った。
大人の都合に振り回されて育って、私たちは少し似ていると思った。
だからこそ、自分にはないヒスイの明るさや優しさを心から尊敬している。
「そんなこんなで、父の元へ向かったんだ。今度は僕一人でね。一座の皆は…ネフィも、止めてくれたけど僕は僕の意思で、あの屋敷に戻ったんだ。」
「どうして、ですか?」
「半分は皆やネフィを危険な目にあわせたくなかったから。もう半分は、もう二度と父親に好き勝手させないよう力をつけるため、かな。」
「力…」
はじめは私の学園入学に反対していたヒスイが、親身になってくれた理由がわかった気がする。きっと、他人事に思えなかったのだろう。
「それが済んだら、また一座の皆と旅をして暮らすのが僕の夢なんだ。」
「素敵な夢ですね。」
でしょ、とヒスイは笑った。
「それからは1年間家庭教師付きっきりで必要最低限の知識を詰め込んで、僕はなんとか学園に入学することができた。」
「あれ、だけどヒスイは奨学生だったって…」
「それは2年に上がってからなんだ。1年の間は皆についていくのに必死だったよ。」
と、ヒスイは肩を竦めた。
それでも、その1年で奨学生になるまでの実力をつけたのだから、きっと並大抵のことではない。
「凄いことだと思います。」
ありがと、とヒスイは少し照れくさそうに首を傾けた。
「でもねぇ、僕が18歳、第3学年の時に入学してきた誰かさんなんて、僕の卒業と同じタイミングで卒業しちゃったんだから、僕なんて本当に奨学生なんて言っても凡人だよ。凡人。」
確か、学園は4年制のはずだ。
ということは、その人は飛び級してたった2年で卒業したということになる。果たしてそんなことが可能なのだろうか。
「それは、確かに凄いですね。その人。」
「キョウだよ。」
「えっ」
私の驚いた顔を見て、ヒスイはふふっと笑うと、もう一度告げた。
「キョウは、学園を2年で卒業してる。それも、15歳で入学してね。」
学園に入学できる年齢は15歳から、だけど大抵は16~17歳でようやく合格する人が多いと聞いた。
「はじめは後輩として入ってきた新入生が気付いたら同級生になってるんだよ。もうホラーだよね。」
「二人は、学園の頃から交流があったんですか?」
「寮の部屋が偶然同じだったんだ。」
「それは、楽しそうですね。」
こんな風におしゃべりしたり、勉強でわからないところを教えあったりするのだろうか。友達との生活ってうまく想像できないけれど憧れだ。
するとヒスイは大げさに首を振った。
「いやいや、今でこそキョウって物腰柔らかいけど、あの頃は全然違ったんだよ。もう別人だよ。暗くって近寄りづらくて無愛想でその上 他人になんて興味なくてさ。ってそれは今もそうか。あ、僕が今言ったことキョウには内緒ね。」
「ふふ、わかりました。」
だけど、暗くて無愛想なキョウなんて想像がつかない。
「そして卒業から今まで、僕は在学中に出した論文を足掛かりに各地に根付いた魔法を調べる研究者になったんだ。卒業後家を継がなくていいように、4年かけて根回しした成果だよ。ギルや他の先生、あとキョウにも協力してもらってね。この辺りも以前しばらく研究のために滞在してたんだ。」
それを聞いてようやく腑に落ちた。
ここまでの道中、始めてきたにしてはやけに土地勘があるなとは思っていたのだ。最初の町での飲食店のスムーズな見つけ方にしてもそうだ。旅に慣れていると感じていた。
「じゃあ今は、研究はおやすみして、キョウの従者をしているんですか?」
「そんな感じ。今までにも時々そういうことはあったから仕事の方は問題ないんだ。有難いことにわりと融通が効く立場でね。ま、こんなに長期になるのは始めてだけどね。」
「そうなんですね。」
そういうお仕事もあるんだ。
改めて私って、なにも知らないな。
「昔話のつもりが最後まで話しちゃったよ。エマ、眠れそう?」
そう言うヒスイの方が眠そうだったので、私も無理やりにでも目を閉じることにした。
少なくとも、さっきよりは少し落ち着いている。
「おかげさまで。ありがとうございます、ヒスイ。」
「よかった。おやすみ、エマ。」
「はい、おやすみなさい。」
ランプの明かりが消え、辺りが暗闇に包まれる。
ここは静かだ。森と違って虫の声や木が風に揺られる音もない。
(ああ言ったものの、眠れないな。)
キョウとレイは今頃どうしているだろう。
まだ別れて1日しか経っていないのに随分会っていないように感じる。
しばらくして、ヒスイの規則正しい呼吸が聞こえてくる。
今日はヒスイに頼りっぱなしだった。
実力を考えると仕方がないことなんだろうけど、情けなくて申し訳ない。
もしまた敵の襲撃があったら、次は何か助けになれないだろうか。
(せめて、火の魔法が使えるようになっていれば…)
目蓋を閉じると浮かんだのは今日見た敵の赤い炎ではなく、いつかの狼の前に出現した青い炎だった。
それを思い浮かべていると、なんだか体があたたかくなってくる感じがして、同時に意識が遠退いていった。
そこで意識は途絶え、ようやく眠りに落ちたらしかった。




