48. ヒスイ
魔力の気配があった方向に向かったが、そこにはエマの姿も敵の姿もなく、地面に過分な魔力を含んだ土が散乱しているだけだった。
おそらくはエマが、これを囮に敵を誘導したのだろう。
彼女が転移したのは教会の中だったのか。
それにしても、込める魔力の量で囮を作るだなんて、初歩の初歩の魔法知識だけで上手く応用したものだ。
授業をしているときにも感じていたけれど、一つ教えただけで多くを得られる子だ。
持ち前の思考力と知的好奇心の高さあってのものだろうか。
教会の中に足を踏み入れる。
中はしんと静まり返っていた。
正面には目隠しをした女神像があり、そこへ至るまでの短い通路の両脇に長椅子が並んでいる。板張りの床には新しい湿った土の足跡が残っていた。
足跡は教会の奥へと続いている。
大きさからしてエマのものではない。
おそらく、エマは教会の中に転移した。そして間髪入れずに追手の男がやってきた。見つかる前に囮で男を外へ誘導し、教会のさらに奥へと逃げ込み、囮と気付いた男がその後を追った。
開いたままの扉を辿っていくと、閑散とした中庭に出た。
見たところ隠れられそうな所もない。
(抜け穴か。)
塀に沿って見てみると、茂みに隠れた一角が欠けているのをみつけた。
この大きさだと、おそらく華奢なエマでもぎりぎりだったはずだ。
当然大の男が通れるような大きさではない。
破壊しようにもそれで僕に気付かれては本末転倒だったのだろう。
(だけど教会の足跡は女神像以降に引き返した様子はなかった。)
ということは、考えられる道は一つ。男は再び転移魔法を使ったのだ。
この穴の向こうは雑木林になっていたはずだ。たしかに転移魔法で捜索範囲を絞った方が効率的だろう。
仕方がない。
いつも愛用している袂の広がった袖の内側には外からは見えないよういくつかポケットを縫い付けてあった。
そのうちの一つから小さく畳んだ薄紙を取り出す。
中にはまばらな長さの黒い髪の毛が一束包まれている。
出掛ける前、本人の許可を得て手に入れたエマの髪だった。
自分の髪もエマに持たせているのでこちらはあくまで補助だが、魔力を消耗している今は少しでも転移の精度を上げたかった。
数本をつまみ取り、手慣れた感覚で魔力を操作する。
自分にとってそれは床に散らばった小麦粉がひとりでに集まって小さな山を作るような、そんなイメージだ。
重心からぐらりと脳がゆれるような感覚があり、目を開けると、林の木々の中に立っていた。
相当ぬかるんでいるのか、足先が地面に埋まった。
エマの姿はない。
代わりに、ローブの男が立っていた。
エマはまだこの男にみつかっていないらしい。
(さすが、僕の弟子。)
「…なんてね。」
ゆっくりと振り向いた男はこちらを認めた瞬間、愉快そうにその口許を歪めた。
「それで背後をとったつもりなら、魔力操作があまりにお粗末だよ。」
背後に先ほど倒したはずの女が立っている。
上手く転移したつもりだろうが、振り返らずとも気配でわかった。加えて今の言葉でさらに殺気だったらしい。
「僕の弟子の方がよっぽど上手く隠れたみたいだ」
前の男に笑いかけると、こちらもやや殺気だつ。
あるいは、戦闘態勢に入ったのか。
先に仕掛けてきたのは女の方だった。
「私一人でも手こずってたくせにっ!」
「手加減が難しくてね。今度は2人まとめて来ていいよ。」
次の瞬間、鋭い氷柱が息吐く暇もなく四方からまっすぐに飛んでくる。
さすがに一度倒れた後ですぐに火魔法を使う余力はないらしい。しかしこの攻撃も、これだけの量となると相当な魔力消費だろう。
そこに追い立てるように体の動きを封じようと風魔法の拘束が足や腕にまとわりつき、避けても魔法で払ってもしつこく追尾してくる。
そうしてかわしていると後ろからヒステリックな叫び声が上がった。
「~っ!ちょこまかと!!」
「いやいや、そりゃ避けるでしょ。」
何かが聞こえ目を向けると、氷で埋まる視界の向こうで男が魔法を発動しながら何かを詠唱していた。
男が顔を上げると、周囲の音が突然消えた。
(聴覚を遮断されたか。)
先ほどまでの氷柱が空を切る音が聞こえなくなり、完全に視覚と魔力探知での対処となった。
その視覚もこうも遮るものが多いとあまり当てにならない。
とはいえ、現状の攻撃は魔力探知と風魔法による移動速度の強化だけでほぼ物理的にかわせる範囲だ。
しかしこれではっきりした。
一人は火、もう一人はおそらく人体干渉に特化した魔法使いだ。
それなら、女がここにいる理由にも説明がつく。
以前古い文献で読んだことがある。
魔力交換で、治癒魔法を使える者が魔力を体内に意図的に残し、相手の魔力が枯渇、あるいは意識を失った状態であれば体内の魔力を介して離れていても治癒魔法を施せるという術。
けれど実際は魔力交換自体のそもそものリスクが高いうえ、交換できる適合者は血縁者など極端に相性の良い者に限られ、さらに魔力消費も激しい、”現代では”実用性に乏しいものだった。
つまりは、かつての治癒魔法を使える者がそこらじゅうにいた、今よりずっと魔法使いの数も魔力量も多かった時代だから成立していたものだ。
しかし、それ以外で現状あの状態の女をこの場所から回復させる術はないはずだ。
このように時代を経て失われていった魔法は数多く存在する。
遠隔での治癒だけでなく、男が使っていた声を変える魔法もそのうちの一つだ。
(そんなもの一体どこで覚えたんだか。)
依然目の前の男はフードを深く被っている。
口許が動いているところを見るに次の詠唱を唱えているらしい。
次に封じるなら視覚あたりだろうか。
(それじゃ、準備も整ったことだし、こっちもそろそろ反撃させてもらおうかな。)
左右の手から対象から幾重にも細く伸ばした糸を引き合わせ、手の内で絡まり結びつく様をイメージして、
一つ、手を叩いた。
「え…?」
「は?」
2人の声が耳に届く。
周囲は再び音を取り戻し、氷柱は重力に従ってその場に落ちて、すぐに水となって消えた。
何が起こっているのかわからないのだろう。
一瞬にして魔法が使えなくなったのだから。
そして、雨の魔女の魔法以外に"そんな魔法は存在しない"のだから。
即座に手をこちらに向け、魔法を繰り出そうと試みるも不発に終わったようだ。こちらを睨み付けながらじりじりと距離を計っている。
「何をした。」
男の声はこれまでの不自然な低音ではなかった。
なるほど、やはり人体干渉が得意なものほどよく効く。
あとは、感情的な人間にも。
「君たちに魔法が使えないようにさせてもらった。」
「そんな魔法があるわけ…」
「だけど、使えないでしょ?」
そう、これは魔法じゃない。
そして効果も一時的な子供だましの術だ。
だけど、今はそれで充分だ。
防御する手段を失った彼らを一方的に風魔法で拘束し、跪かせる。
男のフードがめくれ、悪事に似合わない色男が顔を出した。
もっとも、憎しみに染まった表情のせいでとても見られたものではなかったけれど。
「狼はどこ。」
「誰が…ぐあっ…」
男の足を氷の刃で切りつける。
気絶しない程度に、だけどなるべく深く。深く切りつけた。
「答える気はない?」
睨み付けて黙したままの男をもう一度切りつけた。
奥歯が割れるほど固く食い縛って悲鳴をこらえている。
隣の女が口を固く引き結んで目を反らした。
「じゃあ君に聞こう。狼はどこ?」
浅い呼吸に女の肩が揺れる。
次に来るであろう痛みに震えているのだ。
(この程度のことで怯える人間が…エマはどれだけのことをされたと思ってるんだ。)
追手が来てから抑え続けていた怒りが感情を乱しそうになるのをなんとか宥める。
しゃがんで、女と目を合わせた。
目尻には涙が浮かんでいる。
「ね、どこ?」
「し、知らな…」
女の視線が意図せず一瞬泳ぐ。
「…ああ、なるほどね。」
立ち上がって振り返り、女の視線が一瞬示した方向を見上げると背後の大木の上に身動ぎせず静かに立っている四足の獣の姿があった。
下から見ると被ったベールの内側が露になっている。
あれはやはり、狼だ。
風魔法で拘束し、浮かせようとした瞬間。
魔法が弾かれ、狼にかけた拘束が解かれた。
「動くな。」
「あれ、もう解けちゃったの。」
振り向くと、男がすでに足を治癒した状態で立っていた。
(まあ仕方ない。
あれだけ痛みを与えれば、解けてもおかしくはないか。)
彼らにかけたのは、催眠術の類いのものだ。
厳密には、魔法を使った催眠術だが。
2人とも仕掛けにはまだ気がついていないのか、女の方は未だ魔法を使えずにいるようだ。
とはいえ、魔法を使えるようになった男の方だって、あれだけの怪我を一気に直したのだ。
いくら治癒魔法が得意とはいえ、相当魔力を消費したはずだ。
(どうしようかな。さっきとは立場を逆転して今度はこちらが魔法で攻撃してもいいんだけど。)
いずれにしても可能なら魔力は温存しておきたい。
さて、どうしたものか。
その時だ。
ふいになんの気配もなく、静かに、静かに、一滴の雨粒が僕らの間を落ちていった。
それを見た両者の反応はまったくの対極にあった。
それが普通の雨粒でないことは一瞬でわかった。
次いで一滴、もう一滴と雨粒が落ちてきて、次第に先ほどまでのように雨が降りつけるだろうことは 想像に難くなかった。
男の方針がこちらへの攻撃を迷う様子から一転退却に舵を切ったのと反対に、こちらはこれ幸いと一気に攻撃の準備に入った。
すでに雨は降り出している状況。
本来であれば魔法は思うように使えないはずだ。
降り始めの今なら転移魔法も、その他の魔法も、なんとか発動させることができる。
今はそのぎりぎりのデッドラインだった。
ただしそれは、"魔法を使う場合の話"だ。
転移魔法を発動しようと女に駆け寄った男の足元を風魔法ですくう。男の体勢がぐらついたのに対し、女は先ほど僕がかけた風魔法が切れたのか、立ち上がって男との間に立って入った。
最後の魔法の発動でこちらに大規模な攻撃を仕掛けようとしているらしいが、まだ催眠術が解けていない以上、それはかなわないだろう。手を上げたまま固まっている。
その間に男がこちらに土を巻き上げた風魔法を飛ばし、再び転移魔法の準備に入った。
風魔法が僕を通りすぎ、そして、女は目を見開いた。
「どうして…」
女の声に男がこちらを向く。
あちらの予想に反し、僕には髪にも衣服にも土埃どころか風の一筋もぶつかっていない。
「氷の魔法使い程度じゃ、もう魔法は使えないはずでしょ…」
「それはそっちも、じゃない?」
女が振り返ると、男が女に目で合図を送る。
どうやら転移魔法の発動に間に合わなかったらしい。
沈黙を埋めるように雨音が満ちていく。
「雨、降ってきたね。」
敵は懐に手を伸ばしてこちらを睨み付けた。
さすがに武器の一つや二つ備えているか。
(それじゃあ、そろそろ反撃させてもらおうかな。)
閉口したまま唇の裏側を噛んで、流血させた。
それを舌に馴染ませ、空気に溶かすように息をそっと吐き出す。
すると、背後から風が巻き上がり、リザドールを垂らした左手で敵を指さすと、激しく渦を巻く空気の柱がその勢いを増しながら2人に向かっていく。
女の声がする。
「どういうこと!?」
「何だっけ、『魔法を使える人間と使えない人間ほどの差がある』だったっけ?」
「!」
「本当に、その通りだったね。」
敵の顔に焦燥と絶望が色濃くなっているのを傍目に見ながら、最後の仕上げにと手を挙げた。
その瞬間 、地面が足元から崩壊した。
目の前1mもない先で大きな穴があいて、敵は土にのまれるように姿を消す。
周囲の木々も支えをなくして突如現れたその大きな穴に吸い込まれるように倒れ、一瞬にしてその一帯の森がひっくり返ったようになった。
驚いたのは、これが自然に起きた現象ではなく、魔法によるものだったということだ。
こんな状況でこんな大規模な魔法が発動出来るなんて 。
第3者の気配もない。敵も巻き込まれてしまった。
となると、この場でこんなことが出来る可能性があるのは1人しかいない。
崩壊の瞬間、あいた穴から弾き出されるように地面の中から姿を現した、彼女だ。
「…エマ、」
泥の上で呆然と座り込んでいる彼女を呼ぶ。
彼女は僕をみつけると、安心したように 笑った。




