47. やみ間
街中で人に紛れつつ道を行くヒスイとエマに対し、こちらは再び森に入り、ひたすら道なき道を進んでいた。
先ごろから雨はやんでいたが、それでも依然足下は滑りやすく、鬱蒼とした木々に囲まれ、辺りは暗いままだ。
しばらく先を進んでいたが、耐えきれず口を開いた。
「向こう、そろそろ追い付かれてるんじゃないか。」
「そうですね。」
雨がやんだ、ということは転移魔法が使えるようになった、ということだ。当然敵はエマのところへ向かっただろう。
想定していたこととはいえ、いざこうなってみると気が気ではなかった。
「お前は心配じゃないのか。」
「心配ですよ。ですが、こうなることは予想の上での割り振りですから。それに、エマに何かあれば、おそらくわかります。」
「…今度は何をしたんだ。」
聞き捨てならない回答に視線を向けると、キョウは苦笑した。
「そう睨まないでください。不可抗力ですよ。エマが魔法を使えるようになる手伝いをした時に、お互いの魔力が一部残ったままになっているので、彼女が魔力制限を超えて魔法を使用した際にはわかるんですよ。」
「魔力制限を超えて?越えられないから"制限"のはずだろ。
まさか…」
「そのまさかですよ。通常なぜ魔力制限を超えて魔法を使うことが出来ないか、それは人間の体に本来魔力抵抗があるためです。逆にいうと魔力抵抗のない私たち触媒体質には、そもそもその制限がない。なので、通常であれば自身に危険が及ばない最低限度の魔力までは例え意図的に使おうとしても使えないものですが、それすら燃料として消費してしまえる。」
「魔力を全て使いきるとどうなる。」
そうですね、とキョウは記憶を辿るように目を伏せた。
「直後は意識を失い、長時間眠ったままになるかと。目覚めてからも少なくとも数日は魔法は使えないでしょう。ちょうど、エマが私と出会ったときの状態ですね。」
「そうか、あの時は魔力のコントロールも出来ない中で炎を出す魔法を使ったんだったか。」
「まあ、意図せずとはいえ無茶をしたものですね。他の不調に関してはなんとも言えませんね。私もそうなるまで魔力を使ったことはありませんから。」
とにかく、今はまだそこまで切迫した状況ではないのだろうということだけ理解した。キョウのことだ。きっとそれ以外にも向こうの様子を把握する方法を用意しているはずだ。
これは長い付き合いゆえの確信だった。
俺に言わないということは多少後ろめたい方法の可能性もあるが、そこは一先ず不問としておく。
しかし、エマに対してはそれほど過保護だからこそ、ずっと引っ掛かっていたことがあった。
「どうかしましたか。」
黙した俺にキョウが静かに問いかけた。
聞くなら、今しかないか。
「正直、意外だった。」
「何がです?」
「エマのことだ。俺は、お前が引き取るんだろうと思ってた。お前の師が、かつてお前にそうしたように。」
キョウは俺を一瞥しただけで、その真意は計りかねたが、予想していた範疇の質問だったのだろう。
常のように温度のない微笑のまま、静かに首を振った。
「以前にも話しましたが、ただでさえ狙われやすい私のそばに置いてはエマにも危険が及びます。レイだって言っていたじゃないですか。」
「そういう理屈を無視してでも、我を通すんだと思ってたってことだよ。」
僅かに苛立ちをのせて言い返すと、キョウはため息をついた。
「揃いも揃って私をなんだと思っているんですか。」
おや、と思わず瞬きをした。
いつの間にか先を越されていたらしい。
「ということは、ヒスイにも言われたか。」
3人の中ではヒスイが最年長だ。学園時代、一応先輩後輩の間柄であったこともあり、キョウといえどヒスイには反論しづらいことが時々あるらしい。まあ、それは学校が違うとはいえ、自分にも言えることだ。
「ヒスイの方は何て?」
「私の立場で執着するなら彼女の人生に責任を持て、と。」
はっ、と思わず吹き出してしまったので無駄と知りつつ喉をならしてごまかしておく。
それにしても、ヒスイもまたえらくはっきりと口にしたものだ。
今ではあいつもすっかりエマびいきだな。勿論従者としての意見でもあるのだろうが。
じとりとキョウは物言いたげな視線を投げ、ため息混じりにくどくどと答えた。
「そもそもお前たちが思うような意味合いの執着なんてしていませんし、エマだって私のことをそういう対象には見ていませんよ。大体歳の差だって…」
「たったの6つ差だ。貴族には珍しくない。」
「…生きていくのに手一杯な時は、そんなこと、考えもしないものですよ。」
なんて言いつつ無意識のうちに自分の過去とエマを重ねているじゃないか、と言おうとしてやめた。
そういうところが、他の人間には向けていないエマへの特別な感情だと言っているのだが、きっとこいつは頑として認めようとはしないだろう。
表情だって、エマについて話すときはいくらか人間らしい。
「その論でいくと、エマが学園に入学したら、普通の学生として過ごすうちに恋人の一人や二人出来るかもしれないぞ。」
「まずお前の許可がおりるとも思えませんが。」
「それは…相手による。」
ふっと笑って息を吐くと、キョウは遠くどこかを見ながら、観念したように言った。
「まあ、そうですね。強いて私のわがままを言うなら、エマには、幸せになってほしいと思っています。そのためなら、私に出来ることはなんだってしてやりたいと考えるくらい。これが兄心、あるいは、親心というものかと最近少しお前の気持ちがわかってきましたよ。」
そう言って得意気に自分に目配せをしたキョウに、なんと答えたものだろうか。
自分は周囲の人間から人より妹への愛情が強め、いわゆるシスコンだと言われているうえ、その自覚もあるのだが、それでもキョウのエマへの感情は自分のそれとは似て非なるもののように感じる。もちろん、親心とも違うだろう。
どちらかというと、献身、敬愛…例えば、主人に忠誠を誓った従者のような。
そんなことは到底口には出せないが、ただ、それでも、キョウのこれまでを思えば、血のかよった人間らしい感情が芽生えたことは奇跡とも言える喜ばしいことだ。
こいつの境遇を考えれば、この先こんなことはないのではないかと、大げさでなく思う。
エマの兄としては複雑な心境だが。
「エマは、お前に懐いてる。」
「ええ。レイとヒスイにも。」
「ああ。」
だけど、違うのだ。
エマがキョウに向ける感情もまた、自分とヒスイに向けるものとは少し違っているような気がする。
気がする、というのはキョウもエマも感情をあまり表に出さず、加えて自身の感情にどこか無頓着なせいだ。付き合いが長い分、キョウの方がまだわかることもある。
無意識のレベルで感情のコントロールが上手いのだろう。
それに振り回されるよりはよほどいいとは思うが。
…いや、違うか。きっと自身の感情に振り回されていてはとても正気で生きてはいられない境遇だったのだ。
エマが自分やヒスイに向ける感情はそれこそ兄弟や、子どもが信頼のおける大人に向けるものに近い。
対してエマがキョウに向けているのは、大人も子どもも身分も関係ない、対等な人間へのもの。一人の人間としてのなんの装飾もない純粋な何かだ。
キョウがエマに抱いているものに近いのかもしれない。あるいは深い同族意識のようなものかもしれない。
いずれにしても互いの関係に恩人や保護者以外の名前が付かない以上、あれこれ考えるだけ無駄とはわかっている。
が、自分もヒスイも、主人があまりに自身の幸せに無関心なせいでこうしていらぬ世話と知りつつ気をもむのが性分になっているのだ。
「将来、エマがお前にそういう好意を向けたらどうする。」
「仮定の話に意味はないと思いますよ。」
どんな形だっていい。
少なくとも幸せを願う時に、エマに"は"なんて言わなくなれば。
自分の幸せも勘定にいれてくれるようになれば。
幼なじみとして、従者として何も言うことはないのに。
「ですが、そうですね。もしそうなったら、エマと私を引き剥がすのはお前の役割ですよ。知っているでしょう、これまでの煙の魔女がどういう運命を辿ってきたのか。」
「もちろん、知っている。」
歴代の煙の魔女に寿命を全う出来たものはいない。
例外なく、皆殺されているのだ。
それは煙の魔女が担う役割によるところが大きいのだが、それだけでなく、大切な何かと自身の命を天秤にかけたとき、迷いなく後者を投げ出してしまえる、煙の魔女を継承できる資質も大きく影響していた。
「ならこの話はここで終わりです。先行きの暗い男のもとへ妹をやるなんて、兄として職務怠慢ですよ。」
キョウは言葉とは裏腹に穏やかに微笑むと、歩みを僅かに早めた。もう雑談には飽きたのだろう。
たしかに、これ以上の問答は水掛け論か。
「じゃあもう一つだけ。今回の作戦、ヒスイとエマにこっちの計画は伝えておかなくてよかったのか。」
「向こうにはしっかり逃げ切ってもらわないと困りますから。それに、言ったとしてこちらを気にする余裕もないでしょうし。」
「だったらなおのこと、こっちは失敗出来ないぞ。」
「そうですね。作戦が終わって無事合流したら、一緒にヒスイに怒られますか。」
そう言ってキョウは愉快そうに笑った。
「ったく、本当なら俺も止める側に回りたかったんだがな。
で、学園の方に連絡はついたのか?」
「ええ、こちらの希望通り、第8席が協力してくれることになりました。あとは一刻も早く学園に着くだけですね。」
やるからには成功させるしかないのだ。
息を吐き出し、気合いを入れ直して一歩踏み出したところで、ふいに雨粒が鼻先を叩いた。
次いでぽつりぽつりとはるか遠い上空から億劫そうに落ちてきては、やがて一定のリズムが周囲から聞こえてくる。
「降ってきましたね。」
「雨の魔女か。」
ほんの30分も止まなかったではないか。
これではかえって状況がややこしくなっただけだ。
それでも、ヒスイなら上手くやるんだろうが。
「まったく自分勝手だな。13大の魔女ってやつは。」
「おや、心外ですね。」
もどかしさと忌々しい気持ちで悪態をつくと、隣の魔女が堪えた様子もなくそんなことを言う。
「ふん、」
息を吐いて、今はただ本降りになる前に少しでも先へと、歩調を早めた。




