44. 火の魔法使い
「エマ!!絶対に出てきちゃ駄目だ!!!」
気配を探ったが、近くに彼女がいる気配はない。
咄嗟に適当なところに転移させたが存外距離を稼げたのだろうか。
あるいは、それだけうまく隠れているか。
(あり得るな…だとしたら早く片付けないと厄介だ。)
「っ!」
意思を持って飛んできた泥や石、木の枝を風の層で捕まえ、跳ね返す。
そのどれもが的確に急所を狙って軌道を描いていた。
魔法を展開するスピードもパワーも、並みのレベルでないことは明らかだった。
そして何より、人を傷つけることになんの躊躇もない。
嫌なものだが、こと実戦においてはそういうところではっきりと実力に線が引かれるものだ。
攻撃の向こう側では、黒いローブを頭から深く被った小柄な人物が静かに立っている。
捌き損ねた小石が頬を掠めて浅い傷を作った。
(今のも避けなきゃ目をやられてたな。)
本来であれば、早々に無力化してエマと合流したいところだが、この状況で片手間にやり過ごせる相手ではなさそうだ。
かといって大がかりな魔法で制圧しようにも、エマの居場所がわからない以上、迂闊に手が出せない。
(さて、どうしようかな。)
先ほど、ほんの数分前。
僕らは今夜の宿を決めるため、古い教会の裏手で次の町の地図を広げていた。ここまでの道順の確認も兼ねていた。
傘を打つ雨音は絶え間なく続き、すでに耳に馴染んで気にならなくなっていた。
そんな折だ。
突然、なんの前触れもなく、連続していた音が途切れた。
先に異変に気がついたのはエマだった。
「ヒスイ!」
一瞬、反応が遅れ、しまったと思った時には既に魔法の気配があった。
そのまま考えるより先にエマの肩に触れ、驚いた彼女と目が合った瞬間に、その姿はその場から消えていた。
場所の指定をしなければ、そして比較的近い距離であれば、転移魔法は人体であってもその他の発動条件よりずっと早く、確実に行うことが出来る。
ただし、場所の予想が出来ない以上完全に賭けになることと、転移させた術者の魔力がごっそり失われるという大きなデメリットがある。
それは今回ももちろん例外ではなく、魔法の発動と同時に強い疲労感と激しい目眩に襲われる。
(だいぶ、持っていかれたな…)
そして、エマが消えたのと同時に、向こう数m先に黒いローブを頭から被った人影が2人と、同じく黒い布を被った犬…いや、きっと狼なのだろう四つ足の獣が現れた。
「子供がいないな。」
背の高い方が言った。やけに低い男の声だ。
「無理やり転移させたんでしょ。さっさと探して来て。」
もう一人が苛立ちを隠さず指示した。こちらは女のようだ。
「あたしは"こっち"を始末する。」
それに頷き、男が狼を連れて再び転移魔法を開始する。
邪魔をしようにも、魔法を弾き、立ちはだかった女には一切の隙がなかった。
そこで、先ほどの大声だ。
エマは敏い子だ。聞こえていれば合流しようとはしないだろう。
隠れるか、ここからなるべく遠くへ逃げるかどちらかを選ぶはずだ。
加えて先ほどの転移魔法への反応速度。
キョウの指輪もある。
数分は持ちこたえられる。
つまり自分はその間に目の前の相手を無力化してエマを保護しなければならないと言うことだ。
「あんた、氷の魔法使いでしょ。それも上級。」
ローブからす、と手がこちらに延びる。
「そう見える?」
「大抵の魔法使いは良くて土の上級が関の山。」
話している女の指先からふわふわと、無数の水滴が浮遊しながら、ゆっくりこちらへ向かってくる。
警戒を悟られないよう、それがどんな魔法か、観察する。
「実力のわからない敵と相対してそれだけ落ち着いてられるのは、自分の魔法に自信を持ってる一部の連中だけ。」
眼前に迫った水滴の一つが、内側から小さな土くれを聞き慣れた音と共に外へ吐き出した。
よくみると、他の水滴の中にも極小の気泡をまとった土が閉じ込められており、外へ浮かび上がり、そしてその水滴の輪郭からは微かに湯気があがっている。
(沸騰…いや、これは…)
「そう言うそっちは、火の魔法使いかな。」
ぴく、
女のまとう空気に怒気が混じる。
随分と短気な性格のようだ。
「そこまでわかってたの、なめられたものね!」
彼女が手を開くと、自分の周囲を包囲していた無数の水滴が一斉に勢いよく発火した。いや、水滴ではない。
(やっぱり油か!)
無数の煮え油が、発火したのだ。
四方を囲んでごうごうと燃える火の玉達に熱さのせいで皮膚がチリチリと焼ける。
「火と氷の魔法使いには天と地ほどの差があるの。それこそ、魔法を使える人間と使えない人間ほど。」
こちらの絶望を楽しむようにじりじりと寄る火の玉に自ずと汗が吹き出した。
気づかれないよう、左手から静かにチェーンを滑らせる。
袖の中で、リザドールを下ろした。
ローブの向こうで殺意と愉悦に女が目を細めた。
「それじゃ、さようなら。」
その時、
「子供が見つかった。」
背後から先ほどの男の声がして、女が勢いよく振り返った。
が、そこに男の姿はなく、はっとして視線を戻したときには、すでに勝敗は決していた。
なんてことはない。
風魔法で声を真似、女の注意を反らしたのだ。
そしてその隙に火に触れないよう火の外側を水の膜で包み、空気を閉じ込める。
先ほどまでの雨のお陰で周囲にたっぷりと水が染み込んでいたので、材料の調達には困らなかった。
火は数秒ともたず消えた。
魔法属性には相性というものがある。
一見水魔法に見えた攻撃は、通常なら同じく水か、使えるなら氷を直接ぶつけて対処する者が多いだろう。
今回の攻撃は、それを逆手にとった搦め手だったのだ。
(水魔法だと踏んで水で触れたら高温の水蒸気が散る。上位魔法だからと満身して氷で対処したら煮え油が膨張してさらに大規模に霧散する。どっちを選んでも最悪だな。)
かといって、風や土での対処も難しい。
水滴が油だと気がつき、火の魔法使いかカマをかけ、相手がそれに答えた時点で対応は決まっていた。
水の膜で空気を閉じ込め、炎の燃焼を利用して二酸化炭素に満ちた空間を作ってやる。
面倒な手順だが複数同時の魔法操作に慣れている魔法使いからすれば造作もないことだった。
一瞬の隙を突かれ、攻撃が呆気なく無力化されたことに、女は舌打ちをした。
「小細工を…!」
再び飛んでくる小枝や火の玉をかわして、弾いて消火する。
どうもこの魔法使い、センスはあるが、感情の制御が苦手らしい。
「さっきのお仲間も声を変えてたようだし、お互い様だよ。」
女が言い返そうと口を開いたその時、突然の息苦しさか、はたまた目眩か、ようやく自身を囲む水の膜に気がついたらしかった。
大きく目を見開き、息を止めたが、すでに充分量吸い込んだ後だ。
「もう遅いよ。」
女の重心が大きく揺れ、そのまま意識を失ってその場に倒れた。
女に吸わせたのは、先ほど燃焼した空気を一つの膜に集めたものだ。
枝やら土やらを飛ばすのに夢中になっている間に閉じ込めさせてもらった。
「ちょっとごめんね。」
ローブをめくると、長い前髪に隠れているが整った顔立ちが現れた。まだ幼さの残る顔立ち、エマと大して変わらない年齢かもしれない。
念のため、首筋から脈をとり、自分の狙いどおり相手が気を失っていることを確認して、すぐにその場を後にした。
(はやくエマを探さないと。)




