40. お茶会
カチャン、
「茶菓子なんざ置いてねえぞ。」
「ええ、おかまいなく。」
一人用の小さな丸テーブルに粗雑に置かれたばかりのティーカップの中では、深い橙色の液体が大きく波打っている。
その波が落ち着くのを待ってから、彼女がソーサーとカップへ手を伸ばすと、華やかな香りが鼻腔をくすぐった。
「ふふ、いい香り。セキス、私の侍女が入れるよりもずっと美味しくてよ。」
「そりゃ光栄なこった。こんなとこさっさとやめて、クイン様の給仕になるかな。」
「あら、それは楽しそうね。」
この二人は立場上、そして目的上、これまでにもこうして二人で会うことが度々あった。
おかげで最初は笑顔の裏で腹の探り合いを繰り広げていた両名も、今では慣れた軽口を交わす程度には打ち解けていた。
「で?何の用だ?この雨の中じゃ、俺みたいな"普通の魔法使い"は能無しだぜ?」
べ、とセキスはギザギザした歯から舌を出す。
彼女はそれを歯牙にもかけずに紅茶をもう一口含むと、その余韻に浸りながらうっとりして言った。
「…わかりましたわ。あの子の居場所が。」
「そりゃ、…まじかよ。」
セキスはこれまでの茶化した態度から一変、驚いて言葉をつまらせた。
その表情を横目で小気味良く観察しながら、クインは続ける。
「わたくしずっと不思議でしたの。望遠の魔女の力をもってなお、なぜこれだけの間あの子がどこにいるのか検討もつかないのかしらって。だってデュオの屋敷から子供が逃げられる範囲なんて限られていますわ。」
「それは、そうだが。向こうには煙の魔女がいるんだ。そんなのいくらだって...」
言いかけたセキスをクインは目で制した。
「わたくしだって、13大の魔女ですわ。確かに一人の魔法使いとしては、経験も実力もまだ及ばないことは認めます。けれど、わたくしも"魔女"である以上、その魔法を完全に封じられることはないのよ。少なくとも、煙の魔女が不在の間は彼の魔法下に置かれた森の中でも、動物の目を通してしまえば惑わされることなく巡回することができたもの。」
「だが、それでもこの1ヶ月以上、なんの痕跡も見つけらんなかったんだろ?」
「ええ、そうね。」
クインは紅茶に口をつけ、ふ、と笑いとも嘆息ともつかない息を吐いた。
「わたくし、勘違いをしていたようなの。」
「勘違い?」
「煙の魔女はね、わたくしからあの子を隠していた訳じゃなかったのよ、セキス。もちろん、デュオからでもないわ。」
「あ?」
「この国を隣国から守っているものは何?」
突然飛躍した質問に眉を寄せながらもセキスは訊ねられるまま、思い付くものを指折り答えていく。
「そりゃ、魔法使いだろ?あとはまあ、地形と、国境に広がるでけえ山脈、その周りに森...待て、」
セキスの顔がひきつった。
馬鹿げた考えだ。あり得ない。
いや、あり得ないからこそあり得る。
しかし、その言葉は喉につっかえて出てこなかった。
「あなたのそういう勘の良さが、デュオの気に入っているところなのかもしれないわね。」
「冗談じゃないぜ...」
いつもの悪態も歯切れが悪い。
それはクインの発言に対してか、はたまた彼女が言おうとしているあり得ない仮説についてか判然としなかった。
悠々と構えて何も言わないクインに変わって、セキスは口許を押さえ、呟いた。
「"13人の偉大な魔女がいればよい"」
「そういうことよ。」
それは、魔法を題材とした多くの物語で、あるいは数ある史実の中で、誰からともなく語り継がれてきた荒唐無稽な一節だった。
「この国の国境全て、煙の魔女が守ってるって言いたいのか?」
「きっと事実よ。」
クインはきっぱりと言いきった。
すでに仮説は確信へと変わっているのだろう。
「私はずっと、望遠の魔女の魔法でも"見えない"場所を探していたの。それが煙の魔女の隠れ家であり、あの子のいる場所だと思ったから。だけど違った。」
「 "見えない場所"はあえて作られた囮だったって?」
「実際、それだけでもとても広かったのよね。おかげですっかり騙されてしまいましたわ。だけど1週間前、例の狼を使ってようやくあの子の姿を捉えましたの。あの子は、 フェナスコにいましたわ。」
例の狼とは、先日の定例会でデュオが話していた策の一つだった。
予備案だったが、本当に実行し、そして成功したらしかった。
「フェナスコ…って、ほとんど国の端から端じゃねーか。けど、それがなんだって国境全域に魔法がかかってるなんて"名推理"に?」
セキスは気を取り直していつもの悪態をついたが、クインの反応は予想に反してそれが勘に触った様子も嗜めることもなかった。
彼女はいつもの微笑が抜け落ちた冷たい瞳で宙を見つめ、低く呟いた。
「…魔法がかかっていることすらわからなかったわ。」
「あ?」
「"見えない場所"の外を見ていた時も、きっとわたくしは煙の魔女の魔法で実際とは違う景色を見せられていたの。」
それはつまり、自分たちの天敵である煙の魔女は、"見せない"ことも、任意のものを"見せる"ことも出来てしまうということだ。
これほど厄介な魔法もないだろう。
特に、望遠の魔女とは相性が悪すぎる。
「で?なんで景色が実際と違うって気づいたんだ?」
クインは小さなため息を一つ吐くと、いつもの微笑を取り戻して答えた。
「簡単な話よ。狼があの子と対峙した時、あの子の姿がわたくしの知っている子と全く別人だったんですもの。」
「なるほどな。」
「そこからは国境の森を一通り巡回、周辺の村や町に比べるとわずかに魔力が漂っていることを確認して、ついでにあの子を見つけた周辺の魔力の揺らぎから、ようやく隠れ家に当たりをつけたところよ。」
説明し終えたクインと視線が交差し、セキスはにやりと片方の口角を上げて笑った。
「つまり、こっからはデュオの仕事ってわけだ。」
「そうなりますわね。早く"この雨"が止んでくれるといいのですけれど。」
セキスはカップの中の紅茶を一気に飲み干すと、はっ、と息を吐いた。いや、あるいは笑ったのかもしれない。
いずれにしても機嫌がよさそうだ。
「まったく、どう見えてんのかね。望遠の魔女サマの目には。」
するとクインは立ち上がってスカートの裾を払い、2歩、セキスに近づいた。どこか怪しい余裕たっぷりの瞳で、彼女はセキスの顔を覗き込んだ。
「…教えてあげましょうか?」
セキスは茶化そうとして出来ず、一度捉えられた視線を逸らすことも叶わずに、彼女の瞳にはりつけにされ、数秒の間息も出来なかった。
魔法などではない。彼女の持つ"何か"がそうさせるのだ。
ふ、と笑ってクインは身を引いた。
「フランシュスカ先生がいらっしゃるわ。」
そう言って彼女はテーブルから教本を手早くまとめ、同時にドアがノックされた。
「シュバルス先生、少しよろしいですか。」
品がありつつも威厳のある声、クインの言った通り、フランシュスカの来訪だった。
「ええ、どうぞ。」
ドアが開くのとほぼ同時に、クインはセキスーシュバルスへの礼を終えた。
「先生、ありがとうございました。」
「またわからないところがあれば、いつでもどうぞ。」
シュバルスはいつものように柔和な笑みでそう告げ、フランシュスカに向き直った。
「フランシュスカ先生、どうされましたか?」
フランシュスカが室内に入るのと入れ替わりにクインは彼女に礼をして、部屋を後にした。
扉の閉まり際、横目でこちらを見ながら笑みを浮かべたクインが目に入り、セキスは心の内で辟易して舌を出した。
(…おっかねぇ女。)




