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あの激しい口喧嘩の余韻が教室にうっすらと残る中、5分ほどが経過した頃だった。
ガラガラと小気味いい音を立てて教室のドアが開き、一人の男性が足を踏み入れてきた。
ビシッと着こなしたスーツ姿に、年齢は30代前後といったところだろうか。どこか油断のならない、それでいて頼りがいのある雰囲気を纏った男だ。教壇に立つと、彼は教室全体をぐるりと見渡した。
「よし、全員揃ってるな。お前らが今年から俺の生徒になる面々だ。詳しい自己紹介は後にしてやる。もうすぐ入学式が始まるから、遅れないうちにホールへ移動するぞ。ほら、もたもたするな、一列に並べ」
男のぶっきらぼうながらも芯のある声に、生徒たちは「この人が担任の先生なんだ」と即座に理解した。先ほどまで一触即発だった勇希や神藤家の少年も、今は大人しく指示に従っている。生徒たちは静かに一列に整列すると、担任の後を追ってぞろぞろと大ホールへの移動を開始した。
たどり着いた大ホールは、外観から想像していた以上に厳かで圧倒される空間だった。新入生たちは、クラスごとに整然と用意された椅子へと次々に腰を下ろしていく。周囲からは「いよいよ始まるんだな……」と、これから始まる未知の魔術学校生活への期待に満ちた、興奮混じりの囁き声が聞こえていた。
やがて式が始まり、最初に理事長の挨拶、続いて校長先生からの訓話があった(……が、どこの世界でも偉い人の話というのは長く退屈なもので、ここでの内容は省略することにする)。
長い話がようやく終わり、会場の空気が少しだれかけたその時、進行役の鮮明なアナウンスが響き渡った。
『――続きまして、在校生代表、生徒会長による歓迎の言葉です』
その声が響いた瞬間、ホールの空気がガラリと変わった。
このエリート魔術師が集う青龍魔術学校のトップに君臨する生徒会長。それは新入生たちにとって、雲の上の存在であり、憧れの象徴でもある。誰もが尊敬と羨望の眼差しを壇上へと向け、背筋を正した。
――しかし、その張り詰めた空気の中で、ただ一人だけ、完全に異質な音を響かせている男がいた。
「スゥ――……スゥ――……スゥ――……」
松風信也、その人である。
彼は椅子の背もたれに深く体重を預け、完全に爆睡していた。
普段の朝なら、隣で「ちょっと信也、シャキッとしなさいよ!」と肘で小突いて注意してくれる夏希がいるのだが、あいにく今は出席番号順の座席配置。夏希の席は遥か遠くに離れてしまっている。
「ふぁ……天国……」と言わんばかりの無防備な顔で、信也はそれはそれは気持ちよさそうに深い眠りの世界を旅していた。
そんな信也の爆睡を置き去りにしたまま、壇上ではマイクを通した低く通る声が、ホール全体へ心地よく響き渡る。
「新入生の皆さん、入学おめでとう。今、君たちの胸の内は、これから始まる未知の魔術への期待と、少しの不安で一杯だと思う。だが、立ち止まっている時間はない。一日も早くこの学園の生活に馴れ、己の術を磨いてほしい。そして――秋に行われる『4大魔術学校対抗戦』の予選に、新入生からも一人でも多く挑んでくることを期待している」
堂々とした態度で新入生を激励するその男は、最後に静かに名乗った。
「在校生代表、生徒会長――樋口 隼人」
パチパチパチパチ……! と、ホール全体を割らんばかりの割れんばかりの拍手が包み込む。その地響きのような拍手の音で、信也は「はうっ!?」と音を立てて飛び起きた。
「……あ、あれ? 終わった?」
間抜けに周囲を見回す信也の耳に、『これにて、令和八年度、青龍魔術学校入学式を執り行います』というアナウンスが届く。
「ふぅ、危ねぇ……最高のタイミングで起きられたぜ」と、冷や汗を拭いながら胸をなでおろす信也。
そんな彼の様子など知る由もない他の生徒たちは、式典の余韻と興奮を胸に抱いたまま、クラスごとに再び列を作って、厳かなホールを後にしていった。
「おい、そこ。最高のタイミングで起きられた、なんて顔して胸をなでおろしてるんじゃねぇよ」
「ひゃいっ!?」
クラスの列に加わろうとした瞬間、信也の項首にガシッと容赦ない鉄爪のような手が食い込んだ。
恐怖に慄きながらゆっくりと振り返ると、そこにはいつの間にか背後に立っていたスーツ姿の担任の姿があった。その表情は、笑っているようで目が一切笑っていない、まさに般若のそれである。
「せ、先生……? え、いつからそこに……」
「いつからだと? お前が『スゥ――……スゥ――……』と気持ちよさそうに大音量で船を漕ぎ始めた、理事長の話の冒頭からだ。壇上の樋口会長にまで聞こえるんじゃないかと、こっちはハラハラしながら見守ってやってたんだぞ?」
「あ、アハハ……それはどうもご配慮ありがとうございます……って、いたたたた! 首、首が締まってます!」
担任は信也の襟首をがっちりと掴んだまま、まるで子猫でも運ぶかのように、ずるずると列から引き剥がした。
周囲の生徒たちが「あいつ、入学早々何やってんだ……」と憐れみの視線を向けてくる。遠くの列からは、全てを察した夏希が、額に青筋を浮かべながら「後でタダじゃおかないからね」と言わんばかりの恐ろしい形相で信也を睨みつけていた。
「先生、あの、みんなが教室に戻る列から外れてます! 俺の席はあっちです!」
「お前の行き先は教室じゃねぇ。新入生で記念すべき『居眠り第一号』の呼び出しだ。ちょっと職員室まで来てもらおうか。初日からたっぷり魔術学校の規律ってやつを叩き込んでやる」
「そんなぁぁぁ! 入学初日くらい大目に見てくださいよぉーっ!」
信也の悲痛な叫び声がホールに虚しく響き渡る。
楽しみにしていたはずの魔術学校生活は、こうして初日から職員室送りという、最悪の(しかし信也らしい)スタートを切るのだった。
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