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翌朝、学園内は異様な緊迫感に包まれていた。
朝のホームルーム、壇上に立った吉田先生の表情は、いつになく険しい。
「周知の者もいるかもしれないが、昨日、神藤たちのチームが二階層において、想定外の変異個体――イレギュラーと遭遇した。神藤を含むメンバー数名が重軽傷を負い、現在、彼らのチームはしばらく活動休止(休み)となる」
教室内がガタリとざわめいた。あの学年トップクラスの実力を持つ神藤が、なす術なく敗れたという事実は、生徒たちに大きな衝撃を与えていた。吉田先生は教壇を一度叩き、ざわめきを静める。
「学園側で現在、ダンジョン内の魔力濃度の再計測と安全確認を行っている。そのため、本日より**『1週間、全生徒のダンジョン立ち入りを全面禁止』**とする。各自、座学と地上での基礎鍛錬に励むように」
「1週間もかよ……」
周囲から不満と安堵の入り混じった声が漏れる中、信也は静かに自分の左手の中指にある古びた指輪を見つめていた。脳裏に焼き付いて離れない、あの圧倒的な戦士の剣筋。
(1週間も指をくわえて待ってられるか。神藤すら倒したあの化け物は、今も地下で飢えているんだ)
放課後。
夏希たちには「今日は早めに寮に戻る」とだけ告げ、信也は一人、夕闇に紛れて学園ダンジョンの裏口へと向かった。立ち入り禁止のバリケードが張られていたが、連日の単独潜入で知り尽くした監視の死角をすり抜け、重い鉄扉を静かに押し開ける。
一階層を息を潜めて突破し、一気に二階層の深淵へと足を踏み入れた。
「グルルルル……ッ!」
まるで彼の来訪を予期していたかのように、紫の闇の奥から、あの大鉈を引きずる巨体が姿を現した。ゴブリン変異種。昨日、神藤を絶望の底に突き落としたそのハイライトのない瞳が、信也を明確な「宿敵」として捉える。
変異種の大鉈にどす黒い魔力が宿り、地を裂くような爆発的な踏み込みで間合いを詰めてくる。昨日までなら、恐怖に身体が強張っていたはずの速度。
だが、今の信也の鋭敏な感覚は、それ以上の「未知の領域」を求めていた。
「(まだだ……まだ遅い。あの指輪が見せた剣筋は、こんなものじゃない――!)」
ビキィィィンッ!
迫り来る大鉈の凶刃を、信也は紙一重のステップでかわす。強烈な風圧が頬をかすめて血が滲むが、信也の目は眩まない。
信也は木剣を構え直し、己の肉体を限界まで加速させた。目指すのは、脳裏に刻まれたあの残留思念の残滓。魔術の光すら置き去りにする、極限の、無駄を削ぎ落とした「本物の剣」。
「おおおあああッ!」
踏み込みの一歩。しかし、これまでの我流の動きとは何かが違っていた。身体の軸、骨格の連動、体重の移動。指輪の記憶が、信也の筋肉に強制的に正しい軌道を語りかけてくる。
変異種が即座に大鉈を翻し、防御の構えを取る。その鋼鉄の防壁に対し、信也は真っ向から木剣を突き出した。
ただの突きではない。残留思念の剣筋をがむしゃらに追い求め、なぞり、己の全存在を乗せた一閃。
ドォォォォンッ!!!
二階層の硬い岩壁が震えるほどの衝撃音が炸裂した。
信也の放った一撃は、変異種のどす黒い魔力の防壁を激しく叩き割り、その巨体を初めて数メートルも後方へと弾き飛ばした。
「グガァァッ!?」
変異種の口から、明確な驚愕と苦悶の咆哮が上がる。
しかし、追い求める「完成された剣筋」には、まだ遠く及ばない。反動で信也の両腕の筋肉がミリミリと悲鳴を上げ、木剣の表面に細かなひび割れが走った。
「(クソっ、今のじゃまだ、あの戦士の足元にも及ばない……!)」
体勢を立て直した変異種が、今までにない本気の狂暴性を剥き出しにして大鉈を振り上げる。
引き際だ。信也は悔しさに歯を食いしばりながら、残された力を足に込め、再び闇の通路へと身を投げ出した。
背後から迫る圧倒的な殺気を辛うじて振り切り、地上へと這い出した信也は、激しく息を切らしながら夜空を見上げた。
全身は傷だらけで、筋肉は千切れそうなほどに痛む。だが、その胸に宿る炎は、かつてないほどにパチパチと狂おしく燃え盛っていた。
(次はもっとだ。もっとあの剣筋に近づいて、次こそはお前を切り伏せる)
無能と呼ばれた少年の孤独な夜の死闘は、誰に知られることもなく、さらにその熱量を増していく。




