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信也たちが地上へと帰還した頃、学園ダンジョン二階層のさらに奥深くでは、凍てつく冷気と狂暴な咆哮が激しく衝突していた。
「――『氷結弾』!」
神藤の鋭い声とともに無数の氷の礫が放たれ、周囲にいた通常のゴブリン3体を瞬時に氷漬けにして粉砕する。一階層を瞬く間に蹂躙した神藤のチームは、その勢いのまま二階層へと侵入していた。
「ハハハ! 二階層の魔物と言ってもこの程度か。やはり僕の『氷属性』の前にはゴミ同然だね」
「さすが神藤くんだわ! この階層もすぐにクリアね!」
取り巻きたちが歓声を上げた、その瞬間だった。
洞窟の奥から、言葉にできないほどの濃密な殺気と、どす黒い魔力の波動が濁流のように押し寄せてきた。
「――っ!? な、何これ……!?」
悲鳴を上げた女子生徒の視線の先、紫の闇を切り裂いて姿を現したのは、大鉈を引きずり、背中から禍々しい骨の突起を生やした「ゴブリン変異種」だった。そのハイライトのない瞳が、神藤たちを冷酷に捉える。
「グルルルル……ッ!」
「ひっ、あ、あれが吉田先生の言っていたイレギュラー……!?」
「神藤くん、これ、ヤバいっすよ! 戻った方が――」
「黙れ!」
怯える取り巻きを神藤が一喝する。プライドの塊である彼が、魔物を前に逃げ出すことなど許せるはずがなかった。
「ただの変異種が僕を怯えさせられると思うな! 凍りつけ――『氷結破』!」
神藤の最大火力。前方の一帯を完全に凍結させる、上位の『氷属性』魔術が放たれ、鋭い氷の棘が変異種へと襲いかかった。
しかし、変異種は避ける素振りすら見せない。どす黒い魔力を大鉈にまとい、ただ一振り、大気を切り裂いた。
ズガァァァンッ!!!
凄まじい衝撃波が放たれ、迫り来る氷の棘を真っ向から粉砕したのだ。飛び散る氷片の中を、変異種の巨体が肉眼を置き去りにする速度で突進してくる。
「速――」
神藤が驚愕した次の瞬間には、変異種は前衛の取り巻きの目の前に達していた。大鉈の強烈な横一閃。
ドカァァンッ!!
「ぎゃあああッ!?」
前衛の生徒が盾ごと吹き飛ばされ、岩壁に激突して気絶する。圧倒的な暴力。
「くっ、この化け物が! 『氷壁』!」
神藤は慌てて目の前に分厚い氷の壁を生成した。だが、変異種の大鉈は、その強固な氷属性の壁をガラスのように容易く一刀両断した。
パリィィィンッ!
「なっ……僕の氷が、一撃で……!?」
戦慄する神藤の胸元へ、変異種の丸太のような豪腕が容赦なく叩き込まれる。
バキィッ!!
「がはっ……、あああッ!」
強烈な打撃を受けた神藤は、無様に地面を転がり、エリートとしてのプライドごと泥に塗れた。完全に格が違った。上位属性であるはずの自分の氷が、掠り傷一つ与えられない。
「神藤くんが負けた……!?」
「いやだ、死にたくない、助けて!」
チームは一瞬で崩壊した。変異種が冷酷に大鉈を持ち上げるのを見て、神藤は恐怖に顔を歪めながら、なりふり構わず叫んだ。
「に、逃げるぞ! 盾を捨てて走れぇぇッ!」
仲間を見捨てるように地を蹴り、神藤たちは這う這うの体で二階層の闇の中を逃走した。後ろから響く魔物の嘲笑のような唸り声に背中を押されながら、惨めに命乞いをするように走り続けるしかなかった。
その夜、寮の自室。
二段ベッドの下で、信也は静かに横になっていた。
昼間の初めてのチーム運用、そして二階層の入り口で感じたあの重い空気。頭の中で今日の戦いを振り返りながら、信也は何気なく、自分の左手の中指に嵌められた古びた指輪を見つめた。
それは、身寄りのない信也が物心ついた時から持っていた、唯一の私物だった。
見つめていると、不意に指輪がドクン、と鼓動のような微かな振動を見せた。
「……っ?」
信也が息を呑んだ瞬間、脳裏に直接、言葉ではない「何か」が流れ込んできた。
それは、かつてこの指輪を持っていた、あるいはこの指輪に宿る誰かの、強烈な残留思念だった。
視界が歪み、一瞬だけ見知らぬ光景が脳裏をよぎる。
天を突くような巨大な建造物。世界を埋め尽くすほどの魔物の群れ。その絶望的な光景の中心で、一人の人物が、魔術の光ではなく、ただ一振りの「剣」だけを手に、超常的な速度で戦場を駆ける姿。
魔術など介さず、ただ己の肉体と、極限まで磨き上げられた剣技だけで、神の領域の魔物を切り伏せていく戦士の記憶。
激しい感情の奔流が信也の心を支配する。
悔しさ、闘志、そして、決して何者にも屈しないという絶対的な孤高の意志。
「ハァッ……!」
気がつくと、信也はベッドの上で跳ね起き、激しく息を切らしていた。冷や汗が全身を流れている。
指輪の振動はすでに収まっていた。しかし、脳裏に焼き付いたあの「剣の軌道」と、胸を焦がすような闘志の残滓は、消えずに信也の身体に溶け込んでいくようだった。
信也は自身の右手を強く握りしめた。
魔術がない。属性がない。それがどうした。
あの記憶の中の戦士のように、この身一つで、世界のすべてを切り裂いてみせる。
暗闇の中、信也の瞳には、かつてないほどに強固な、不屈の炎が宿っていた。




