七話「渡会」
「平行世界?」
「えぇ」
「平行世界か」
「そうよ」
平行世界って、アレだよな。パラレルワールド的なやつだよな。
渡会の顔色を窺う。渡会は至ってまじめな無表情を貫いている。
ツッコむべきか、あるいは頷いてみるべきなのか、何をしたらいいのか分からない。
一旦、質問を続けてみようか。
「平行世界って、僕たちがいる世界とほとんど変わらない、別の世界がある……と言うイメージで合ってるか?」
「……飲み込みが早いのね」
「全然飲み込めてないよ」僕は首を横に振る。「飲み込めてないけど。一応、毒見はしておきたいかな」
言うほど、今の例えは気が利いているのか? 僕は自身を訝しむ。
ともあれ。
飲み込むかどうかは、色々聞いた後に判断しよう。
「そう」渡会は頷いて、言った。「ほとんど変わらないわ。先生も一緒だし、親も妹の名前も一緒。生憎、有名なラーメン屋も一緒だし、有名なお笑い芸人も変わらない」
生憎、と表現したことが少しひっかかる。。
ラーメン屋が違えば、巡れる店が二倍になって嬉しいな……とでも思っているのだろうか。
中々平和的な思考だ。
「そうなんだ」僕は頷いてみる。「でも、ほとんど? ちょっと違うところもあるの?」
「えぇ。ほんの少しだけ差異はある。よく経験するところで言えば、英語のスペルね。クリスマスのスペルが微妙に違う」
「クリスマスのスペル?」
「あっちの世界だと、"t"が入るの」
「えぇ?」
ク、リ、ス、マ、ス……。
暗唱してみるが、た行の発音はない。
「……どこに?」
「"S"と"M"の間に」
へぇ。
Chrismasじゃなくて、Christmas。なんで?
意味は分からないけど、その不条理さは、確かに平行世界っぽい感じがするな。
それでも皆、クリスマスクリスマスって呼んでいるのよ、と渡会は言う。
「あっちの世界って渡会は言ったけど。平行世界って、いっぱいあるものじゃないのか?」
平行世界って、何というか、色んな可能性が分岐して、自分がいる世界と非常に似た世界が分裂して生成されるイメージを、個人的に持っている。
例えば今、僕がサイコロを振ったとして。
その取り得る可能性の数ぶん、つまり、僕がいる世界と合わせて、6つの世界が出来上がる。
サイコロにどんな目が出たとしても、未来は変わらないから、それらの世界はほとんど変わらない。
そんな、今いる世界とよく似た世界が束になっているという状態を、なんとなく想像している。
「それは違うわ。平行世界はたった2つしかない」
「少ないな……。それは、僕たちのいる世界を含めて?」
「そう。私は便宜上、それぞれをA世界、B世界と名付けているわ。この2つの世界はほとんど変わらない。でも、ほんの少しだけ違う」
「因みに、僕のいる世界は?」
「B世界よ」
「えぇー……」肩をガックリ落とす僕。「こっちがifの世界っぽいの、ちょっと嫌だな……」
ライトノベルでは時折「主人公があの時、別の選択をしていたら……」的な、あり得たかもしれない世界の話が語られることがある。
もしも、本来のお話だと結ばれることはなかった、サブヒロインと主人公が付き合っていたとしたら……みたいな、そういうアレだ。
それをもしもの世界、ifの世界と表現されているのをよく見かける。
だから、こちらの世界をB世界を渡会が呼んでいることは。
自分がもしもの世界にいる、つまり本来の世界にはいないと、渡会に暗に言われている気がして、少し嫌な気持ちになる。
「だから、便宜上って言っているでしょう。電流の向きを一旦定義してみたら、実は電子の流れと逆だったようなものよ」
「……分かったよ。一旦それで納得しておくよ」
「聞き分けがいいわね」
他に議論したいことが沢山あるだけだ。
「私は、A世界とB世界を行ったり来たりしている。基本的には、寝て起きたら、もう一方の世界に渡っていると思ってもらって構わない」
「……渡会。それはおかしい。それなら、渡会とは隔日でしか会えないことになるよ。昨日会った渡会が、えっと、今日の朝にA世界に行ってしまっているとしたら、僕は今日渡会とは会えていないことになる」
「二人いるの、私が」
間髪を入れずに、渡会はそのような突飛なことを言う。
「何だって?」
「私が二人いるの。A世界とB世界で、それぞれ一人ずつ。寝て起きたら、もう一方の世界にいる私と入れ替わってる。今楠見くんと喋っている私は、昨日はA世界にいたの。逆に昨日楠見くんと喋った私は、今A世界にいる。楠見くんは毎日私と喋っていたつもりだけど、毎日入れ替わりで、双子の私と喋っていたようなものね」
「……そう、いう……」
「A世界とB世界に、一人ずつ同じ人間がいるのだから、不思議なことではないでしょう」
なるほど。
ちょっと、腑に落ちてしまった。
それなら、渡会が特定の記憶がなかったりあったりすることに対しての説明がつく。
自分が徒歩で登下校をしていることを知っている渡会は今、このB世界にいて。
僕が本当は家系ラーメンが好きということを知っている渡会は今、A世界にいる。
そういう理屈。
納得はできる。ただ、ミステリー小説のトリックに気づいた時と同じ気持ちではある。
現実感は全くない。
「その……昨日こっちの世界にいた渡会とは、記憶の共有はされないのか?」
「されないわ」
「そうか」僕は言った。「それは……つらかったな」
仮にそうだとしたら。
渡会は両方の世界で、それぞれ半分の記憶を失くした状態で、生活を続けなくちゃならない。
それはかなりキツイ、縛りプレイだろう。
いくらもう一方の世界が、こちらの世界とは似ているとは言っても。
昨日誰と喋ったとか、どこまでRPGを進めたとか、数学の授業がどこまで進んだかとか、そういった事象を把握できないのだ。
まるで、自分が知らない宿題を、皆が机の上に広げ始めた時のような。そんな疎外感。
それを、渡会は毎日味わっているというのだ。
……ん?
返事が中々返ってこないことに気づいて、グルグルと考えていた頭を上げる。
渡会は、今までに見たことがないほど目を見開いていた。
「……」
嬉しがっているような、はたまた泣いているような、そんな複雑な表情を浮かべている。
ボケている時も含めて、基本的に無表情なのに、意外と器用な奴だ。
そんな場違いな感想を抱くとともに、僕はその無垢な表情に、ちょっとだけドキッとしてまう。
「……渡会?」
「え、いや、えっと。ごめんなさい、なんでもないわ」
「そ、そう」
一つ咳払いをして、渡会は自身の能力に関する説明を続ける。
「記憶の共有はされない。でも、何も対策をしていない訳じゃない。もう一人の私とは、密に連絡を取っているの」
言って、渡会はポケットからメモ帳を取り出して、机に広げる。
そこには、昨日渡会が経験したであろうことが記されてあった。
・赤信号に一度も引っかからなかったので、いつもより10分早く席についた。
・2時間目の授業で出された宿題の内容。
・誰にも話しかけられなかった。
・楠見くんに会心のボケを突っ込んでもらえて嬉しかった。
・帰りにあるラーメン屋に寄って特製を食べた。
・ある芸人のラジオが当たり回だった。
等々。
ちょっと僕に見られたら恥ずかしそうな内容もあったけど……なんなら僕が恥ずかしい。
でも、渡会は気にする様子がない。あるいは、そんなメモが書かれていたことをまだ"知らない"のか。
「このメモに、今日あったことをできるだけ詳細に、都度都度書いてる。夜に一気に書き上げることは滅多にしない……寝落ちしてしまったら、大変なことだから。そして、朝起きて、もう一人の私が書いたものをできる限り頭に入れてから、学校へ向かうの」
「昨日あったことを全部覚えるなんて、可能なのか?」
「普通に生活していたら、まず無理ね」
言って、渡会は言葉を区切った。
自分で考えろ、ということらしい。
いきなりとんでもない設定をぶっこまれているのに、中々渡会は厳しいことをする。
ほんの少しだけ、話を整理しよう。
渡会は、寝て起きると、もう一つの平行世界に飛ばされてしまう。
その平行世界では、昨日何が起きたかが分からない。それは、もう一つの世界に飛ばされた渡会も同様だ。
だからお互いのために、メモを書き残していると言う。今日あったことを詳細に書き残して、明日のもう一人の自分へ、バトンを渡す。
そのメモに書いてあることが膨大だと、覚えるのがキツイ。それに加えて、メモに書いてあることが、昨日自分が経験したことと余りに乖離していると、より難易度は跳ね上がるだろう。
だから、メモの内容をできる限り短くしたい。
そのために、渡会がしていることって、何だ?
渡会の、普段の振る舞いを思い返してみる。すると、意外とあっさり、一つのことに思い当たる。
「……誰とも関わらないようにしてる?」
「そう」渡会は頷いた。「誰かと関わるほど、自分の身の回りの環境は複雑になっていく。私くらいのコミュニケーション能力なら、友達を作ることなんか容易いわ。おちゃのこさいさいよ。朝飯前よ。造作もないことよ」
語彙の豊富さは置いておいて、渡会が変な自己肯定感の保ち方をしている……。
まぁ、概ね同意だけど。佐藤は面白いから。
「でも、環境が複雑になるほど、覚えておかなくちゃいけないことが煩雑になるわ。だから、私は何もしない。誰とも関わらない。シンプルな暮らし。それを実現することが、私の指針よ」
A世界とB世界の暮らしをシンプルにすることで、身の回りの差異を生じさせないこと。
それが、渡会の行動指針だと言う。
A世界で経験したことと、B世界で経験したことが同じであれば、翌日へスムーズに移行できる。
そのため渡会は、何もしようとせず、話しかけられても答えない。
しかし、渡会。
その行動指針に大きく反することを、今まさに渡会は行っている。
「じゃあ、僕と話しているのは、どうしてなんだ?」
「……」
僕は渡会に問いかける。
それに、渡会は応じない。
畳み掛けよう。
「そもそも、僕に近づいた理由は何だ? 僕と漫才を組もうとした理由は? 毎日僕と雑談している理由は? 全て、君の言っていることと矛盾しているじゃないか」
僕に散々見せてきた、渡会が言う行動指針とは相反するような行動を、僕は指摘する。
指摘して、渡会に降参してもらう、つもりだったんだけど。
渡会は無表情のまま、こう答えた。
「楠見くん。あなたはA世界にはいないの。A世界のあなたは、幼い頃に既に亡くなっている」




