六話「平行世界」
それから一週間、僕と渡会は放課後、毎日空き教室で過ごした。
渡会が好きだという漫才のコピーを演じてみたり、中々上手い具合に決まらないツカミについて相談し直したり。
渡会のオリジナルの漫才を他人を無差別に傷つけるからという理由で却下したり、僕のツッコミの弱さを直すために指導を受けたり。
たまに他愛のない雑談をしたり、それはもう色々と。
渡会の願いである "文化祭で漫才を披露する" という目標からは、着実ではないけど、本当に少しずつ近づいている気がする。おかげさまで、僕のツッコミの勢いは気持ち増したように思う。そして、渡会と僕の距離感も、ただの知り合いから、友人と呼べるようなそれになってきている……はず。
だからこそ、僕は渡会に、違和感を覚える場面が増えてきていた。
「……」
渡会が、忘れっぽすぎる。
会って三日目から、気になる発言はあった。自分たちにとって大事だと言い張っていたツカミを軽視したり、オリジナルをしようと張り切っていたのに、好きな漫才をコピーしようと申し出たり。
最初は、結構気分屋なのかな、だとしたらちょっとダルいな、とか、そういった平和なことを考えていたんだけど。
そんな、渡会と会って三日目からなんとなく感じてきた違和感が、ここ最近でも大きくなっている。
ちょっと怖くなってしまうくらい、渡会は忘れっぽすぎるのだ。
二日目、僕が言った冗談でちょっと気まずくなったのに、翌日はケロッとしていたのも。
気持ちを切り替えて僕に接していたのではなくて、単純に忘れてしまっていただけなんじゃないのか?
「すぐにじゃなくて、ちょっと間を置いてからツッコんでいるだけなのに、どうしてこんなに面白くなるのかしら。すぐ反応しない方がかえってリアルに映るからか……でも、そもそも、普通に喋っている途中でコントに切り替わる雑談なんて、考えてみれば全くリアルじゃないわね。うーん……まぁ、今は『そういうもの』として覚えておきましょう」
今日も今日とて、渡会はスマホを眺めながら、漫才の奥深さに対する考察を深めている。
僕は、それと同じフリをしながら、渡会を見ている。
「そういえば、楠見くん」
「ん?」
「楠見くんは、一番好きなラーメンは何?」
「……なんだよ、いきなり」
動揺を悟られないように、努めて冷静に僕は疑問を返す。
「さっき見たコント漫才が、ラーメン屋を経営したいから店に入ってきて、という内容のネタだったから」
「まぁ、確かによく見るやつだな」
「好きなラーメン屋が特に思いつかなかったら、好きな犬種でも構わないわ」
「いや、構わなくはないだろ」
「冗談よ。好きなラーメンの種類でもいいわ。醤油、塩、二郎インスパイア系、チワワ、家系、チワワ……」
ところどころしっかりと特定の犬種が混ざってしまっているが、それぞれの好きなラーメンに想いを馳せているのか、渡会はうっとりとした表情を浮かべている。
一方で、僕は硬くなってしまっている表情を崩すことができない。
好きなラーメンは何か。
それは……。
昨日、渡会が僕に対して投げかけた質問だった。
「僕は……」
僕は家系と答えた。
そして、ラーメン丸花という美味しいラーメン屋があるから、また今度一緒に行きましょうと、渡会は言ったのだ。
「醤油ラーメンかな」
「そう!」渡会は大きく頷く。「いいわね。醬油ラーメンなら、バードマンというお店がオススメよ。市役所の近くにあるから、ここから自転車でも遠くないわ。醤油ベースのスープに、貝系の出汁がキリッ……ッツッ……キッ、キリッ……と効いていて、楠見くんが気に入ること間違いなしよ。ああいう店、和歌山には中々ないのよね……」
渡会の話を鵜呑みにすると、貝系のダシがしつこすぎるくらい効いている醤油ラーメンが果たして僕が気に入るのかは、甚だ疑問だけど。
僕の引っ掛けに、渡会が気づく様子もなかった。和歌山ではあまりないらしい、貝系の醤油ラーメンを提供しているラーメン屋をありがたがっているだけだ。
「じゃあ、いつか一緒に行こうか。学校終わりに、直接」
「それはとても嬉しいけど……私は自転車通学だからいいとして、楠見くんは徒歩通学じゃなかった? 家から1km圏内だから」
「あぁ、そうだった」
トボける僕に対して、渡会は訝しげな視線を僕に投げかける。「……へんなの」
それは覚えているのか。
僕を更に不思議にさせているのは、渡会が、昨日以前のことを全く覚えていない訳ではないということだ。
現に、僕が自転車ではなく徒歩通学であることは、確か3日か4日ほど前に、渡会に伝えたことである。
昨日共有した情報は完全に失っていたりするのに、数日前にあったちょっとした情報は、意外としっかりと覚えていたりする。
一週間前、僕が抹茶あんパンを昼休憩に食べていたことは知っているのに、昨日、滅多に感情を露にしない国語の白石先生がバチバチにキレて、教室が騒然としたことは忘れてしまっている。
どういう理屈なのだろう。
分からん。分からんけど、僕は。
そんな問題に対する仮説を、3つ立てている。
一つ目は、渡会が単純に忘れっぽすぎるということだ。脳の皺に刻まれやすそうな記憶か、そうでないかは関係ない。ランダムに、渡会は自身が記憶したモノを忘れてしまう。いや、忘れるとか、そういう可逆性のあるものではないのだろう。記憶が、二度と思い出せないほどに、抹消されてしまう。そういう性質か何かに、渡会は長らく悩まされている。
残りの二つは、僕のラノベの読みすぎによって導き出された、SFチックなものだ。その内の一つとして、渡会が二重人格者だ、というものがある。渡会はその身に、二つの人格を宿している。性格はめちゃくちゃ似ている。ただ、記憶は共有されない。だから、ある記憶はちゃんとあって、別の記憶は全く覚えていない、という不思議な事象が発生してしまう。
最後の一つは、渡会には双子がいて、その双子と日替わりで入れ替わっている、というものだ。
つまり、仮に今喋っている渡会が渡会家の双子の姉だとしたら、昨日喋った渡会は、その一卵性の双子の妹だったということになる。
最後の仮説は、検証しに行くことも事実上可能だ。二日目に渡会が言っていた、塾に通っているという渡会の妹に確かめに行くことができる。「君の姉は双子か?」という質問に対する正しい回答が彼女から得られれば、この仮説を棄却あるいは、保持することができる。
この中に合っているものがあるのか。それとも、全く異なる原理で、渡会の記憶の忘却が行われているのか。
「そういえば楠見君、知ってた? 日本人って、1年間で5杯のラーメンしか食べに行かないそうよ」
「へぇ、1年で5杯か。意外と少な……うーん、まぁ、二ヶ月に一杯いかないくらいって考えたら、そこそこ食べている気もするね」
「いいえ、全然食べ足りていないわ」渡会は首を横に振る。「この数が倍になったら、従ってラーメン屋の数も倍になって、お気に入りの店も倍になるのだから、もっと日本人はラーメンを食べるべきよ。平均値を1上げていると言っても過言ではないくらいのラーメン好きな私からしてみれば、この値の低さは嘆かわしいわね」
「一年にラーメンを一億杯食うな」
過言すぎる。
……話を戻そう。
渡会が忘れっぽいことに対する考察をしている真っ最中なのだ。
一つ気になっていることとしては。
渡会が、そのことについて一切何も打ち明けないということだ。
こんな生きづらい性質を、まさか渡会自身が気づいていないはずがない。だから渡会は誰とも関わってこなかったのだろうと、そういう推測さえ持ち上がってくるほどに、彼女の持っている性質は不自然だ。
けど、その事実を僕に共有してこないということは、あまりそのことに触れて欲しくないのだろう。
それに、僕は首を突っ込んでいいものか。
ずけずけと。
ともすれば、渡会が大変なコンプレックスを抱えていそうな事情に、踏み込んでいいものか。
「……」
本来はその理由がない。現に渡会がその話題を出さない地点で、触れない方がいい。
でも。
そうは言っていられない事情が一つだけある。
僕たちは、練習を積み重ねて、文化祭で漫才を披露しなくちゃならない。
それなのに、お互いにコミュニケーションの難しさを抱えたまま、渡会の事情には踏み込まないまま、漫才の稽古をし続けることは、そのような難しい目標を達成しないといけないという点においては、得策ではないと言える。
渡会の願いを優先して、そのことを指摘すべきか。渡会の気持ちを優先して、そのことを指摘しないでいるべきか。
僕は数日、突っ込むべきか、突っ込まないべきか、思い悩んでいた。
んだけど。
「バレた?」
渡会は、いとも簡単にあっさりと。
こちらに踏み込んでくる。
「……何が?」
一応、僕はとぼけてみせる。
「私、私ね」
「うん」
「私がツッコミで、貴方がボケねと、最初は言ったものだけど」
「うん?」
「本当は私……ボケたかったの」
「そこについては疑問を持っていない!」
数日前と比べて、いくらかは元気になった僕のツッコミを、渡会に浴びせる。
普段なら、ちょっとニヤけたり、とぼけたりするんだけど。
今日の渡会は、その真顔を崩すことはなかった。
渡会は確実に、気づいている。
僕が気づいていることに、気づいている。
「昨日投げかけたらしい質問を繰り返してみたのだけど」
「……」
好きなラーメンの質問は、ブラフだったのか。
「嘘を吐かれたということはやっぱり、楠見くんは気づいていたのね。時間の問題だと思っていたけど……詰めが甘かったわ。反省ね」
「渡会。別に言いたくなかったら、言わなくてもいいんだぞ」
「言いたいか言いたくないかで言うと、言いたくはないんだけど……でも、変に誤解されるのは嫌だから」
「……」
「ちゃんと話すわ。今まで黙っていてごめんなさい」
言って、渡会は頭を伏せた。
ややあって、渡会の視線が僕に向けられる。まっすぐな瞳から、この謝罪がフリではないことを理解させられる。
「今から、ボケなしよ」
「う、うん」
「今から生まれて初めて、真面目なことを話すわ」
「嘘つけ」
言って、渡会は一呼吸置く。
その緊張感が伝わってくる。
本当に本当らしかった。
僕は、渡会に向き直る。
「私……平行世界を移動できるの」




